40. 神器創成
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グレイがその場に辿り着いたのは、封印の鬼の恐るべき気配を追ってのことだった。
驚くべきことに、カミコはひとりではるか格上の鬼を相手に奮戦していた。
最後はやられてしまったけれど、おかげで自分は彼女が殺される前に駆け付けることができたのだった。
次は、自分の番だ。
グレイは深く大きく息をついた。
息が熱い。
全身が熱を持っていた。
それは生の熱だった。
初めて得た望みがもたらすものだった。
これまでの人生で感じたことがないその熱が、紋章の宿る左腕に集まり、溢れ出す。
同時に、紋章の輝きは強まり――ついには、左腕全体に広がった。
まるで祝福のように。
矩形の連なるグレイの紋章はいまや複雑怪奇に伸張し、左腕の肩から指先まで巻き付くように広がっていた。
この輝きが四階紋。
階級をまたひとつ昇り、先へと歩み出す資格を得た証でもあったのだ。
自然とグレイは、かつてカミコが語っていたことを思い出していた。
――そこから先は技術じゃないんだよ。魔法は意志の具象化だけれど、四階紋まで上り詰めた魂はそこに留まらない。
――そもそも、なぜ四階紋以上が英雄の領域とされるのか。三階紋以下と分かつものはなんなのか。そう。それが『神器』の存在なんだよ。さっきも言った通り『神器』は己の在り方をかたちにした専用武装、英雄の振るう神域の武具だ。言い換えればこれは、己の在り方をかたちにし、神域に足を踏み入れるということだ。
あのときは、なにを言っているのかわからなかった。
いまでも、きちんと理解しているわけではない。
ただ、わかる。
己の在り方をかたちにし、神域に足を踏み入れる。
これが、そうだ。
「――神器創成」
恐るべき封印の鬼に、グレイは光り輝く手をかざした。
普通の魔法は既存の世界を意思で改変するが、今度のこれはその程度では済まない。
果たして『神域に足を踏み入れる』とは、どういうことなのか。
わかりやすく言ってしまえば、それは『ひとつの世界の創成』である。
やっていることは魔法と同じだが、規模と作用が根本的に違っている。
すなわち、魔法のように世界に作用して変えるのではなく、自分で世界を創り出して周囲の世界とそっくり入れ替えてしまうのだ。
世界を創造するというのは、なるほど、神の御業にほかならない。
ゆえに『神域に足を踏み入れる』と表現されるのだ。
そして、そのキーとなるのが神器である。
となると、問題は果たしてグレイにそれが可能なのかということ。
そこまで至っているのか、どうか。
「ぐ……っ」
グレイは低くうめき声をあげる。
掌から溢れる力が、バチバチとスパークを繰り返していた。
制御しきれていないのだ。
恐るべき力の奔流は、まだ曖昧にかたちを取りかけた状態で――。
「あ……っ」
そこで、カミコが悲鳴のような声をあげた。
鬼が動き出したのだ。
敵にしてみれば、待ってやる義理なんてない。
「グレイ……!」
襲いかかる鬼の姿に、カミコは悲鳴をあげる。
このままではやられてしまう。
「――ッ!」
次の瞬間、グレイは手のなかにあるものを大きく振りかぶった。
打ちかかるつもりなのか。
否。そうではなかった。
「おおおおおっ」
グレイはそのまま、まだかたちを取らない力の塊を投げつけたのだ。
まさか投げるとは思っていなかったのか、鬼の反応は遅れた。
これを狙っていたのだとすれば、うまいことやったというべきだろう。
ただ、惜しかった。
反応が遅れてなお、鬼の対応は間に合ってしまったのだ。
「ゴォオオォオ――ッ!」
大きな拳を握りしめて、力の限りに振り下ろす。
封印の鬼は『いつつ角』。
神域に大きく足を踏み入れている災厄の魔物は――その力を己の肉体のそのものに適用している。
己こそが災厄。
死の具現であるのだと言わんばかりに。
ひたすらに強く、ひたすらに硬い。
存在自体の強度が、他と隔絶しているのだ。
カミコの攻撃が通用しなかったのは、そのためだった。
その強度はどの程度かといえば、戦上手のカミコが持てる力のすべてを費やし、一点集中の攻撃を仕掛けてさえ、穂先が数センチ刺さるのがせいぜいといったところだった。
恐ろしくシンプルで、それだけに隙がない。
「ああっ」
カミコが口を押さえて見守る前で、グレイの生み出した力の塊はあっさり拳に打ち砕かれた。
バチバチとスパークしていた光が拡散する。
こうなっては、もうなす術はない。
続けて繰り出される拳が、少年の細い体を粉々に砕くだろう。
そんな絶望の未来を想像したカミコは――そのとき、奇妙な音を聞いた。
じゃらじゃらという音の連なり。
「え……?」
長い間、自分をしばっていたものと同じ。
金属がこすれ合って立てる、重く硬く冷ややかなこの響きは――
「――鎖!?」
目の前の光景に、カミコは息を呑んだ。
拳を振り下ろした鬼の体に、鎖が絡みついていたのだ。
右腕に2本、左腕に1本、首に1本、腹に1本、右足に1本。
計6本の鎖は、周囲の空間に開いた昏い穴につながっていて、鬼を封じ込めていた。
「……かかったな」
鎖につながれた鬼を前に、グレイが笑った。
彼の放った力の塊が拡散したのは、砕かれたわけではなかったのだ。
単に、本来あるべきかたちを取っただけ。
昏き穴から伸びるこの鎖こそが、邪神の契約者グレイの神器なのだった。
珍しいケースではあった。
通常、神器は武具のかたちを取ることが多いからだ。
神器自体はあくまで創造された世界を象徴するモノだが、そもそも、神器によって創り出す世界が戦いのためのモノである以上、各々が最強と信じるものこそが選ばれるのは当然だ。
だが、必ずしもそれが武器でなければならないわけではない。
鬼を縛り付ける鎖は、カミコの体を封じていたものによく似ていた。
それは、グレイが彼女に共感した理由のひとつでもあった。
自由を奪われていた彼女。
病によって自由を奪われていた彼。
ゆえに力はこのかたちを取って、神域に足を踏み入れた少年の世界がここに生み出される。
あるいは、ぽっかりと穴を開ける。
なにかひどく忌まわしいものを感じたとしたら、その感覚は間違っていない。
少年にとって最も強く、また慣れ親しんだモノがなにかなんて、わざわざ言うまでもないのだから。
それを顕す自分だけの世界を、いまこそ少年は己のうちから呼び起こした。
「――神器『死界の鎖』」
それは、己を蝕み続けてきた死の具現。
踏みとどまり続けた終端世界。
鎖で縛りつけた鬼に対して、グレイは凄絶に笑いかける。
「さあ。俺と同じところまで来い」
次の瞬間、死が鬼に流れ込んだ。
***
魂消るような苦鳴が迷宮を揺らした。
鬼だ。
鬼が苦しみ悶えている。
その光景を前にして、カミコは驚愕に身を震えさせた。
ありえざることが起きていた。
鬼は強壮だった。
迷宮の主に生み出されてからこのかた、まともに傷付けられることすらなかったはずだ。
けれど、いまは違う。
痛み、悶え、衰え、苦しんでいる。
展開されたグレイの世界が、その存在を蝕んでいるのだった。
グレイの神器『死界の鎖』は――縛りつけた相手に死を押しつける。
並大抵の敵であれば即死する。
そうでなくても、存在を蝕む。
肉体は衰える。
内臓は腐り落ちる。
激痛が神経を焼く。
意識が途切れる。
そして、なにより恐るべきは、展開された世界の強度だった。
神器によって生み出される世界の強度は、当人の持つ力を基本として、どれだけそれを明瞭に想像できるか、確固たるものとして信じられるかに依存して強化される。
四階紋に上がりたての神器では、どうしても基本強度が低い。
不安定なため影響力も低く、格上への効果となれば限定的だ。
そのはずなのに、グレイの『死界の鎖』は封印の鬼に通用している。
異常なまでの強度があるということだ。
なぜか。
その理由を、彼の前世を聞かされたいまのカミコは理解できた。
そう難しい話でもない。
彼にしてみれば、実際、世界とはそういうものだったのだ。
想像するもなにもない。
ただし、その凶悪さゆえに、グレイはそんなかつてを忌避している。
いまでも忌まわしいものだと思い、ひどく嫌って、遠ざけているはずだった。
それでは、神器として成立しない。
そのはずなのに、こうして神器が発動したのは――忌まわしさよりも、願いの強さが上回ったからだ。
生まれて初めて抱いた願い。
この場に駆け付けた理由、カミコを助けたいと願うがゆえだった。
「グレイ。キミは、本当に……」
胸を突くような、その姿。
助けたいと強く願い、そのためであればなんでもする。
死ぬかもしれない戦場にだって駆け付ける。
同じように、忌まわしい世界だって利用する。
結果として、本来であれば発動しないはずの少年の世界はここに生み落とされた。
封印の鬼にさえ通用する、凶悪極まる死の世界。
傷付いたことさえなかった鬼にしてみれば、たまったものではなかっただろう。
「グ……オォ、オォオ――ッ!」
鬼の悲鳴が迷宮を震わせた。




