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38. 生きるための選択を

   38



「な……」


 絶句したグレイは、慌ててカミコを引き剥がした。


「なにを言ってるんだ! さよならって、どういうことだよ!」


 彼女の肩を掴んだ指先が冷たい。


 血の気がひいてしまっていた。


 ひどく……ひどく嫌な予感がした。

 これから先、とても受け入れられない出来事が起きるような。


「どういうこと、か。そんな難しいことじゃないよ」


 不吉なくらいに落ち着き払った声で、カミコが答えた。


()()()()()ほど運の悪い、魔物の襲撃。()()()()()()()()()はずの、封印の鬼の移動。ここまで異常事態が続いたんだ。これは偶然じゃない。原因があるんだよ」

「原因? なにを言ってる? いまはそんなことを話している場合じゃ……」

「話さなきゃならないんだよ。だって――原因はわたしなんだから」


 さらりと言ってのけたカミコに、グレイは硬直した。


「カミコが、原因……?」

「うん。多分、わたしをここに封印した神柱は、保険を打ってたんだと思う。わたしが、第一層の外周付近に近付いた時点で、封印の鬼を追わせることにしていたんだ。逃がさないためにね。

 封印の部屋から出たところに仕掛けられていたら気付けたんだけど……やられたね。別に逃げ出すつもりなんてなかったのに」

「そ、それじゃあ、どうするつもりだ」

「どうしようもないよ」


 淡々とカミコは結論付けた。


「あの鬼は倒せない。あれは『いつつ角』の怪物だ。その存在は神域の在り方に近い。わたしも、いまの出力だと時間稼ぎがせいぜいだろうね」


 いくら邪神と言っても、契約者と同じ出力しかないいま、彼女の力は三階紋の域を出ない。

 それでは『いつつ角』には対抗できない。


 だから、話は最初に戻ってくるのだった。


「せめて、キミたちだけでも逃がす。やつの狙いはわたしだから。わたしさえ離れれば、キミたちに被害はいかないはずだよ」

「そんなこと!」


 反射的に、口を開いていた。


「……グレイ」


 驚いたように、カミコが目を見開いた。


 気付かないうちに、グレイは彼女の手首を握っていたのだった。


 発作的な行動だった。

 無意識のうちに動いていた。


 ……恐ろしくて、たまらなかったのだ。


 ここで行かせてしまえば、カミコは死んでしまう。

 そう考えただけで、背筋が凍るようだった。


 前世では、家族も含めて親しい人はいなかった。

 だから、親しい人を失ったこともなかった。


 それがこれほど恐ろしいことだなんて、想像さえもしていなかった。


「ありがとう、グレイ」


 そんな自分を見て、カミコは口もとをほころばせた。


 それは本当に嬉しそうな、満たされたような微笑みで――。


「だけど、駄目だよ。キミは、生きるんでしょ?」

「……」


 穏やかな口調で言われてしまい、グレイは言葉を失った。


「キミに選択肢はないはずだよ」

「そ……れは」


 そうだ、自分は生きなければいけない。


 そのためだけに、すべてをなげうってきた。

 そのためだけに、生きてきた。


 ここで死んでしまえば、それこそ自分のこれまでのすべてが無駄になってしまう。


「俺は……」


 皮肉な話ではあったかもしれない。

 生きのびることへの執念は、これまでグレイを強固に支え続けてきた。


 この場面では、逆にそれが体をしばった。


 動けない。


 それでも。

 それでも、その手は彼女の腕をつかんだままで――


「行きなよ、グレイ」


 最後にするりと手から抜け出したのは、カミコのほうだった。


「迷宮を出るんだ。その先の世界で、今度こそキミは『生きる』ことができるんだから」


 優しい笑顔が、とても悲しい。


「前世とは違う。キミはもうひとりじゃない。そばには、サクラがいてくれる。大丈夫。わたしが保証するからさ」


 一歩下がった彼女は言った。


 黄金の瞳には覚悟があった。

 グレイにそれ以上、歩を進めさせない力があった。


「元気でね」


 最後に無邪気に手を振って、カミコはきびすを返した。


 走り出したその姿は、あっという間に見えなくなった。


   ***


 折角、得ることのできた温もりが失われる。

 元に戻っただけのはずなのに、その感覚はあまりに寒々しかった。


 足が震えて、動かなくなってしまうくらいに。


「……」


 グレイは半ば呆然として、カミコが消えた通路の先を見つめていた。


 わかっている。


 ここでこうして立ち尽くしていたところで意味はない。

 それどころか、有害ですらある。


 ただでさえ、カミコが抜けて戦力は落ちているのだ。

 すみやかに迷宮を脱出するべきだ。


 ……それは、わかっているのだった。


 なのに、足が動いてくれなかった。

 先程の魔物の群れの襲撃では、率先して指示を出したのが嘘のように、効率の良い思考が完全に停止していた。


 おかしな話だ。


 カミコの提案は、間違っていない。

 実際、あのままでいれば、3人とも鬼に殺されていただけだ。


 自分たちを行かせようがどうしようが、彼女は死ぬ。


 だから問題になってくるのは、ただただ、自分たちが死ぬか生きるかということだけ。


 死を選ぶなんてありえない以上、選択肢はひとつきりだ。


 迷う余地がない。


 そう頭ではわかっていた。

 なのに、どうしても動き出すことができなかった。


「う、あ……」


 頭と手足の先から血の気が引いて、ぐらぐらと意識が揺れる。


 体がひどく冷たい。

 ()()()()()()()()()()()()()()


 自分はなにかを間違っているのではないか。

 見落としているのではないか。


 そんな思いが体を震わせる。


 けれど、なにを間違っているのかがわからない。


 それでも現実は待ってはくれない。


 いつまでもこうしてはいられなかった。


「お兄様」


 声をかけられて、グレイは寄る辺ない気持ちで視線を上げた。


 こちらを見つめている色違いの瞳があった。


「……サクラ」


 そうだった。


 この場には、まだ彼女がいたのだった。


 それでようやく、空回りしていた頭が動き始めた。


 このままだと、彼女まで危ない。

 ふたりとも死ぬ。


 だから、行かないと。

 行かないと……。


「……悪い。ぼさっとしてる場合じゃなかった」


 グレイはようやく動き出した。

 死体のように冷たく、鉛のように重く感じられる足を動かす。


 毎日欠かさず続けていた迷宮探索の経験のおかげで、思考せずともやるべきことは思い浮かんだ。


「いつものように、索敵頼む。戦いは避けて移動する。ここからは本当に慎重に……カミコはもういないんだから。本当に、うまく敵を避けていかないと……」


 そのときだった。


「お兄様」


 声とともに、袖を引かれた。

 思わぬ強い力だった。


「あっ」


 反応は遅れた。

 思考がにぶっていたこともあるが、それが予想もしない行動だったからでもあった。


 実験体という出自のせいで意思の薄いサクラは、こちらの判断に異を唱えることをしない。

 これまでにない行動は予想できず、グレイはつんのめって体勢を崩した。


 それだけならどうにか体勢を戻せたかもしれないが、こちらのほうが力が強いのもあって、掴んだ側のサクラまで体勢を崩した。


 グレイは彼女をかばおうとして、結局、もつれあうように倒れた。


「……」


 気付けば、上になったサクラに顔を覗き込まれていた。


 両手を頭の両側に突かれて、馬乗りになって座られている。

 少女ひとりぶんの重さとやわらかさ。


 温かいなという場違いな感想が脳裏によぎったそのとき、サクラが口を開いた。


「お兄様」


 言葉が落ちてくる。


()()()()()()、です」

「……なに?」


 思わず目を見開いた。

 それくらいに、よくわからない言葉だった。


「なにを……言ってるんだ? 死なないために、迷宮を脱出しようとしてるんだろ?」


 それをこうしてとめたのは、むしろサクラのほうだった。


 なのに、そんなことを言うなんて、わけがわからない。


 けれど、彼女は首を振ると、つたない言葉で言うのだった。


「違う、です」

「なにが……」


 まだわからずにいる自分に、彼女は必死な様子で言い募った。


「いまのお兄様……死にそうな顔、してます」

「――」


 その瞬間、思考が完全に硬直した。


「……死にそうな顔?」


 思わぬ言葉だった。


 グレイはまじまじと、目の前にあるサクラの顔を見た。

 彼女もこちらを見返してきた。


 見つめ合い、気付いた。

 色違いの瞳に、自分の顔が映り込んでいる。


 確かに、そこに映る少年の顔は生気がなかった。

 死んでしまいそうな顔をしていた。


 死なないために、迷宮を脱出しようとしていたのに。


 そうしてしまえば、もう二度と生きられないみたいに。


「俺は……」


 どくりと心臓が脈を打った。


 なにか……なにか大切なことに、ふれかけた気がした。


 それはきっと、自分ひとりでは気付けないことだ。

 外から見てくれている誰かが、こうしてそばにいてくれたからこそ教えてもらえたことだった。


 だから素直に、グレイは口を開いた。


「死にそうな顔、してたか」

「はい」

「このまま行けば、俺が死んでしまうと思ったのか」

「はい」

「……そっか」


 すとんと、サクラの言葉は胸に収まった。

 本当に、不思議なくらいに。


 いや。そう不思議でもないのかもしれない。


 言葉が不自由なので誤解しそうになるが、サクラは決してにぶくない。

 彼女を構成する半分は、ただ「放っておけない」というだけで封印された邪神に寄り添い、生きることをしない自分に付き添ってくれた、お人好しの精霊なのだから。


 満足に言葉にすることができずとも、彼女の感じたことは、きっと正しい。


 指摘されたことで、自分にもそれが自覚できたのだ。


「確かにそうだ」


 グレイは頷いた。


「さっきカミコに言われたけど、俺はこれまで『生きる』ことをしてこなかったんだ」

「はい」

「だけどさ、これからは違うんじゃないかって思ったんだ。そう予感したんだ。カミコとサクラがいてくれるなら」

「はい」

「だから……だから、カミコがいなくちゃ駄目なんだ」


 両手を目の前に持ってくる。


 さっき、カミコをとめることができなかった手だ。

 そこに、掴み取るべきものがあった。


 そう自覚した瞬間、どくりと心臓が大きく脈打った。


 掌に熱が生まれる。

 その熱を逃さないように、ぐっと拳を握り締めた。


「ああ。サクラは正しい。このまま迷宮を脱出すれば、生きのびることはできるだろう。だけど、それじゃあ、()()()()だ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()


 それではいけない。

 それでは、いつまで経ったって自分は死体のままだ。


 生きるのだ。

 今度こそ、正しい意味で。


「一緒に来てくれるか」

「はい、お兄様」


 求めれば、サクラはとても嬉しそうに頷いてくれる。


「約束しました。いつまでも、一緒です」

「……ありがとう、サクラ。お前がいてくれてよかった」


 グレイは上にいる彼女を抱き上げるようにして立ち上がった。


 不思議だった。


 体が熱い。

 どくどくと心臓が脈打っている。


 全身に血液が行きわたり、冷たかった指先にも血潮が通う。


 まるでこれまでずっと死んでいたかのような。

 いま初めて生まれ変わったかのような。


 多分、その感覚は間違いではない。


 ()()()()()()()()()()()

 いまの自分には、こんなにも望んでいることがある。


「カミコを助けるぞ」


   ***


 こうして少年は、自身の望みを知った。


 そして、これこそがまだ誰も知らない世界の分岐点。

 世界をゆるがす魔王が生まれるかどうかは、この瞬間にこそ定められたのだ。


 望みは魂の燃料となり、やがて力に変わっていく。


 ドクンと、紋章を宿すグレイの左腕がうずいた。


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