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36. 少年の欠落

   36



 どうにか危難を逃れることができ、グレイたち3人は改めて休憩を摂ることにした。


 一度、邪神の封印部屋に戻るという選択肢も考えなくもなかった。

 だが、すでに現時点で、迷宮の最外周である第一層を3分の2は踏破している。


 危険な第一層を歩く時間は、戻るよりも脱出を目指すほうが短い。

 このまま先に進むべきと判断していた。


 とはいえ、まずは消耗の回復が先だ。


 グレイはカミコの魔法で、傷付いた体を癒してもらった。

 彼女の魔法であれば、傷も体力も両方とも回復する。


 魔力は消耗するが、それも今回の魔物たちから得た魔石で補充できる。


 もっとも、体力と魔力はこれでどうにかなったわけだが、精神を休めるための休息は別だ。

 張りつめて摩耗した精神や集中力ばかりは、魔法ではどうにもできないからだ。


 いや。正確には、心を麻痺させたり神経を興奮させたりする精神に関与する魔法はあるにはあるのだが、副作用があるのでカミコはこれをひどく嫌っている。


 なんにしても、これで一件落着。

 迷宮脱出の寸前にこんな災難に見舞われるとは呪われているのではないかと思ったりもしたのだが、切り抜けることができたのだからそれでいい。


 少なくとも、グレイはそう考えていた、のだが……。


「……」


 沈黙が場を支配していた。


 原因は、はっきりしている。


 カミコだった。


 先程の休憩時間とは違って、くっついてくることもなく距離をきちんと取って座る彼女の様子を、グレイはうかがった。


 魔物たちを撃退してからというもの、彼女はむっつりと黙り込んでいる。

 回復している間もずっと、最低限の指示くらいしか口にしなかった。


 考えてもみれば、これまでの共同生活はそれなりに和気藹々(わきあいあい)としていたものだったが、基本、3人の会話の大半は口数の多いカミコが喋っていた。


 前世からひとりの時間が長かったグレイは沈黙を苦にしない。

 しかし、普通はよく喋る人間が黙り込んでいるというのは、なんだか居心地が悪かった。


 彼女の様子がおかしい原因がわからない……なんてことをいうほどには、にぶくないつもりだ。


 間違いなく、さっき自分の戦い方を見られてしまったことが原因だろう。


 邪神の契約者としての、本来の戦闘方法。

 これまで語ることのなかったものを見られてしまった。


 胸に生まれたうしろめたさは、自分でも予想しないくらいに大きかった。

 こんなふうに黙り込まれてしまうと尚更に。


 変な話だが、アタナトイとの戦いで肉体を痛めたときよりも堪えがたい。


 口を開いたのは、結局、そのうしろめたさに堪えられなかったからかもしれなかった。


「……悪かった」


 沈黙に謝罪が響いた。


 そうして数秒、グレイは少し息を詰めた。


 黄金の目をゆっくりと瞬かせて、カミコがこちらを向いたからだ。


「なにが?」


 端的な問いかけに、責められているように感じてしまう。


 妙な圧迫感のようなものを覚えつつ、答えた。


「……俺が、あの戦い方を黙っていたこと。怒ってるんだろ?」


 カミコは心配性だ。

 自分の戦い方を知れば、とめるだろう。


 だから、黙っていた。


 自分と彼女は協力関係にある。

 秘密を作っていたことに怒るのは当然だと、そう思って――


「いや。わたしはグレイには怒ってないけど」

「……え?」


 淡々としたカミコの答えに、虚を突かれた。


 呆気に取られた声をあげたグレイに、カミコの向けた眼差しは、むしろ優しいものだった。


 労わるような。

 安心させようとするような。


 気遣うような、微笑。


「なにか勘違いさせちゃったかな。さっきの『なにが?』ってのは、本気で疑問に思ったから訊いただけだよ。グレイが謝ることなんてない」


 足を抱えるようにして座った彼女は、ぎゅっと拳を握り締めた。

 その姿はやはり、怒っているように見えた。


 なのに、彼女は言うのだった。


「そう。グレイが謝ることなんてない。――謝るのは、わたしのほうだ」

「なにを……?」


 なにを、言っているのか。


 理解できないでいる自分に、カミコは尋ねてきた。


「確認なんだけどさ。グレイはああした戦い方を、前からずっとしていたわけ?」

「え? まあ、そうだな」


 とまどいつつも答える。


「ただ、ずっとではないけど。サクラと一緒に探索を始めてからはしていなかったから……」


 邪神の契約者としての戦い方で、痛めた体を治すための休憩をはさみながら迷宮を探索するより、サクラと連携して安定して魔物を狩り続けるほうが、効率が良かったのだ。


 だから、この戦い方をしたのは、本当にとても久しぶりのことで。


 それを聞いたカミコは、なぜか納得したように頷いた。


「ああ、そっか。()()()なんだね」


 黄金の瞳がサクラのほうを向いた。


「不思議に思っていたんだけど、やっと腑に落ちた。キミが()()なったのは、このためだったんだ?」

「わたしは……」


 サクラはこちらを見て、再びカミコに目を戻した。


「難しいの、よくわからない、です。ただ……」

「ただ?」

「放っておけない、でしたから」

「……うん。それはとても、キミらしい答えだよ」


 ふたり、よくわからないやりとりをする。


 唯一わかるのは、それが自分のことについての話だということだけだった。


「なんの話だ?」


 尋ねると、カミコが改めてこちらに向き直った。


 深い輝きを宿す黄金の瞳。

 いつも調子を狂わせる、まっすぐな視線。


「前から変だなとは思ってたんだよ」


 カミコは言った。


「出会ってから今日まで、グレイはずっと一所懸命だったよね。ともすると、迷宮探索だけに時間をすべて捧げてしまうくらいに」

「それは……当たり前のことだろ。死なないためには必要なことだった」


 実験失敗作の身にとって、あまりに迷宮は危険過ぎた。


 危険を減らすために努力した。

 自分はなにも、おかしなことはしていない。


「死なないためには、努力し続けなければいけなかった。だから、そうしていた。それだけだ。なにかおかしいか」

「いや。おかしなことなんてないよ。キミは正しい」


 カミコも否定はしなかった。

 けれど、続く言葉は違っていた。


「ああ。正しいんだ。()()()()()ね。確かに、グレイは生きのびることに、誰よりも真摯だった。賞賛するほかないくらいに。だけど、だけどさ。()()()()だとすれば、それは少し話が違う」

「……違う?」

「生きるっていうのは、そういうことじゃないんだ。『生きること』と『生存すること』は違うんだよ、グレイ。キミはそこがわかっていない」


 そう告げるカミコの顔は、なぜだかひどく悲しげに見えた。


 けれど、その理由が――自分にはわからない。

 わからないから、彼女は嘆いているのだった。


「生存し続けるために、生存するんじゃない。それじゃ木石と変わらない。生きるっていうのは、そういうことじゃないんだよ。

 未来に望みを抱き、いまを楽しむこと。『なにかがしたい』『なにかがほしい』『なにかになりたい』『なにかを成したい』……なんでもいいさ。望みは綺麗でも、汚くてもいい。楽しみが高尚でも、卑俗でもかまわない。それが人なんだから。

 だけど、グレイ。キミは違うんだね。キミは……」


 そこで息を詰めると、カミコは首を振った。


「ああ。どうして気付かなかったんだろう。わたしは、馬鹿だ」


 その声は激情に震えていた。


 そこで、ようやくグレイは気付いた。


 さっき感じたカミコの怒りは、実際、勘違いではなかった。

 ただ、それはグレイの戦い方や、それを隠していたことに対するものではなかった。


 そうではなくて……彼女は、()()()()()()()()()()のだ。


 ややあって、カミコは大きく息を吸って立ち上がった。


 こちらにやってくると、膝を折って顔を覗き込んでくる。

 今度こそ、なにも見逃さないとでも言うように。


「生きのびたいと、常々グレイは言ってたよね。それは正しい。なぜなら生きのびたいと思うことは、生物として当然の欲求なんだから。ただ、同時にそれは欲求であって、願望じゃない」

「それは……」


 確かに、そうだ。


 生きのびるために、生きのびる。

 そんなのは、ただ存在しているだけのことでしかない。


 そんなのは願望ではない。


 だけど、だとすれば、自分は……。


「わたしはてっきり、グレイがあんなに脇目も振らずがんばってるのは、外に出てしたいことがあるからだって思ってた。それだけ、したいことがあるからがんばれるんだって。迷宮って牢獄を抜け出して、自分の人生を生きたいんだと思ってた。

 だけど、さっきの戦い方を見て、わかったよ。キミは、自分自身のことでさえ、生き続けるための道具としか思ってない。

 ()()()()()()()()()()()()()()。……違うかな?」

「……」


 むしろ否定してほしそうな眼差しで尋ねられる。


 否定の言葉は――出てこなかった。


 その事実がなにより雄弁に、彼女の言い分が正しいことを認めていた。


「俺は……」


 カミコの黄金の瞳のなかに、自分の顔が映り込んでいる。


 前世の自分にどこか似た、けれど、違う存在。


 なにもできることなく病床で死んだ、かつての自分。

 いまの自分は違うのだと、そう思っていた。


 努力を重ねて、力を得た。

 前世の自分とは違って、立ち上がって歩き回り、戦うことも抗うこともできるようになった。


 けれど、本質的なところで言えば、自分はなにも変わっていないのではないだろうか?


 戦う相手が、体を侵す病魔から、殴りつけられる魔物に変わっただけ。


 生きのびるためだけに、生きのびている。


 自分は一度だって『生きて』いない。

 生きのびることだけを考えて、生きることをしてこなかった。


 なにも変わっていない。

 変われない。


 だから、もしも前世と違うところがあるとすれば、それは――。


「ねえ、グレイ」


 呼びかけられて、意識が現実に帰ってくる。


 目の前に、カミコがいた。


 真摯な眼差し。

 前世ではいなかった、自分のことを想ってくれる誰かの存在。


 手を取られる。

 いつの間にか、氷のように冷えていた指先に、その手はあまりに温かかった。


「話してよ。グレイの前世には、なにがあったの?」

「カミコ……」

「死んだ世界のことなんて思い出したくないかなと思って、これまで聞かずにきた。だけど、それは間違いだったのかもしれない」


 優しい黄金の瞳が、こちらを見つめる。


 いつだって調子を狂わせる――自分を変えようとする、眼差しだった。


「キミをそんなふうにしたなにかがあるはずだ。聞かせて、グレイ。今度はわたしが、キミを解き放つ番だ」


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