31. 最後の夜
31
ふと目が覚めたのは、なにか予感めいたものがあったからかもしれない。
夜半、グレイはベッドの上で静かに目を開いた。
なにげなく横を見てみると、隣のベッドで寝ているはずのカミコの姿がない。
次に、逆側のベッドに目をやると、そちらに寝ているはずのサクラの姿もなかった。
ただ、サクラの場合はすぐに見つかった。
というか、自分と同じベッドでスヤスヤと寝息を立てていたので、見つかるもなにもないのだが……。
「……またこっちに忍び込んできたのか」
ちなみに、これが初めてというわけではなく、けっこうな常習犯だったりする。
何度か注意はしているのだが、そのたびに、いまひとつわかっていない顔で首を傾げられている。
マイペースというか、なんというか。
その気ままさは、なんとなく猫を思わせるものがある。
困ったものだとグレイは思う。
不愉快というわけではないのだが、対応に困る。
「……ああいや。違うか」
むしろ不愉快ではないから困っているのか。
伝わる体温とか、細いのにわずかに自分よりやわらかな体の感触だとか。
心地よいとは思うのだけれど……常識的に考えて、まずいよなあと思うので。
なにせ自分たちは本物の兄妹ではない。
ましてやサクラが自称するペットでもない。
こういうのは、ちょっと普通ではないだろう。
こんなふうにしているのを見ると、ふざけてカミコも入り込んでくるのでなおさらだ。
もっとも、今夜はそうではないようだけれど。
それどころか、自分のベッドにもいないようだけれど。
どこに行ったのか。
グレイはサクラを起こさないように、こっそりとベッドを抜け出した。
「カミコは……」
部屋を見渡すと、すぐに彼女の姿は目に入った。
グレイは一瞬、声をかけるのをためらった。
カミコは祭壇に腰掛けていた。
いつものように。
――あるいは、人の想像することもできないような長いときをそうしていたように。
わけもなく、胸の奥が痛む。
どうしてこうも感情が揺さぶられるのだろうか。
わからない。
わからない、けれど……。
すっと息を吸ってから、グレイは祭壇へと歩み寄った。
「カミコ」
「おや。どしたの?」
カミコは黄金の目をこちらに向けると、笑みを浮かべた。
いつもと同じ――いや、少しだけ静かな表情。
「どうしたのはこっちの台詞だ」
「あは。それもそうだ」
とは言い合うものの、ふたりとも互いになにを気にしているのかはわかっていた。
今日の探索の感じで確信は持てていた。
もう迷宮の外に出るだけの戦力はあり、外への道筋もわかっている。
明日、グレイは外に出る――迷宮の外には出られないカミコを置いて。
いつか語った、別れのときが訪れたのだった。
「突っ立ってないでさ。ここ、座れば?」
「……ああ」
促されて、グレイは祭壇のカミコの隣に腰掛けた。
すると、普段より少し高い視点から部屋の様子が目に入ってきた。
邪神が封印された、不気味で不吉な部屋。
……だったはずだが、いまは綺麗に掃除されて、細やかな修繕もほどこされており、ベッドや浴室なんかも設置されて生活感がある。
改めて見てみると、とても奇妙な印象の部屋だ。
だが、自分たちにとっては今日までの生活の場であり、見慣れた場所でもあった。
これも見納め、だけれど。
「……」
隣のカミコになにかを言いたい衝動が込み上げてくるのを、グレイは自覚した。
だが、それは以前に、当の彼女から駄目だと言われていることだった。
――駄目だよ、グレイ。
――キミは迷宮から外に出るんだ。わたしのことなんて、考えたら駄目。
カミコは最初から、いずれくる別れを覚悟していたのだろう。
きっと彼女は納得している。
もちろん、自分も。
危険な迷宮から外に出る。
そのために、ずっと頑張ってきた。
これでいい。
そのはずだ。
だから、心がざわつくのは、きっと気のせいなのだ。
内心でそう自分を納得させたところで、カミコが話しかけてきた。
「明日には外に出られるね。おめでとう、グレイ。いまのうちにお祝いしとく。少し早いけど、外に出る直前じゃあ魔物が邪魔で、ゆっくりはできないだろうしね」
「ありがとう。カミコのおかげだ」
「はは。グレイががんばったからでしょう。わたしは知ってるよ。グレイがどれだけがんばってきたのか。それが報われたんだ。わたしも嬉しい」
本当に嬉しそうに笑う。
その表情は、純粋な祝福に満ちていた。
こういうとき、彼女は本当に相手のことだけを考えている。
祝福の言葉を告げる、その表情は輝いて見えた。
「ねえねえ。外に出たら、グレイはまずどうしたい?」
カミコが尋ねてきた。
少し考えて、グレイは答える。
「そうだな。まずはノキアって町を目指すことになると思う」
アーサーから得た情報にあった町だった。
生きのびることを考えるなら、魔物がいない人間の集落を目指すべきだ。
他に町の場所がわからないので、実質一択になる。
「いや。そういうことじゃなくってさ」
「え?」
しかし、カミコは首を横に振った。
「せっかく、迷宮の外に出て人里に行けるんだよ。ほしいもの、したいこと、あるでしょ? たとえば、食事とか。ここじゃなにもなかったけどさ。ここを出たら、そんなことない。食べたいものとかあるんじゃないの?」
それは、まるで我がことのように、わくわくした表情で――
「……」
けれど、ここで返す言葉をグレイは持っていなかった。
そんなこと、考えたこともなかったからだ。
先のことは考えない。
目の前の現実を生きることだけで精一杯だったから。
そもそも、そんなこと考える必要がない。
自分は生きられさえすれば、それでいいのだから。
「あ、あれ? わたし、なんか変なこと言っちゃった?」
気付けば、カミコがちょっと慌てたような顔をしていた。
どうやらわずかな間、考えてしまっていたらしい。
「……いや。別に」
かぶりを振って、答えた。
「ただ、よくわからないから」
「わからない? ……あ、そっか」
いぶかしげな表情をしたカミコだったが、ふと納得した顔になった。
「そうだよね。こんなふうに話ができるから勘違いしそうになるけど、キミはまだこの世界に転生してきたばかりなんだもん。食べたいものって言っても、なにがあるかもわからないよね」
「まあな」
それは黙った理由ではなかったが、実際、食べ物なんてわからないのも確かだった。
わざわざ訂正するほどでもない。
グレイが話を合わせると、カミコはバツが悪そうに笑った。
「あはは。びっくりした。変なこと考えちゃったよ。そんなことあるわけないのに。だって、グレイはあんなにがんばってたんだから」
「変なこと?」
「ううん。ほんとに、なんでもないよ。わたしの、勘違い」
ひらひらと手を振ると、カミコは祭壇から降りた。
「さて。そろそろ寝ないと。寝不足で迷宮脱出に挑むわけにもいかないでしょ」
「そうだな」
ふたりで肩を並べて、ベッドに戻る。
これで最後なのだなと思いながら。
「ねえ、グレイ」
「なんだ」
「今夜は一緒に寝てもいい? これが、最後だからさ」
「……そういう言い方はずるいと思う」
「あは。そんなこと言いながらも、聞いてくれるグレイが好きだよ」
結局、その日は3人でひとつのベッドで眠った。
狭いけれど、それはとても温かな一夜で――
***
――すぐに眠りに落ちたグレイは気付かなかった。
寝息を立てる彼の横で、サクラが目を開けている。
なにかを言いたそうに口を開いて、どう伝えればいいのかがわからなくて閉じる。
その繰り返し。
大事なふたりのやりとりは聞いていた。
だからこそ、もどかしい。
彼女はうまく喋れない。
論理的には考えられない。
だけど、見ている。
感じている。
言葉にできずとも、ずっと一緒にいる彼のことを想っている。
だから、理屈ではなく確信していた。
――わたしが助けたあなた。
――わたしを助けてくれたあなた。
――あなたには、あるべき最初のピースが欠けている。
――それは、とてもとても惨いことで。
――それでも、あなたはあがき続けてきた。
――いまでも、あなたはあがき続けている。
――放っておくことはできなくて。
――目を離すことなんてしたくなくて。
――だから、大丈夫。
――わたしと、わたしが、ずっと一緒にいる。
――いつかあなたが、あるべきものを掴み取るときがくるまで。
――そして、きっとそのときこそが運命の分岐点。
――地に這ってあがき続けてきたあなたは、そのとき、誰よりも高く飛翔する。
◆封印の迷宮での共同生活編はこれにて終了。
次は1章ラストの迷宮脱出編です。
ここから盛り上げていきますので、よろしくお願いします!




