03. 邪神との契約
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あんな怪物に殺されるのはごめんだ。
一秒でも早く対策を立てなければいけない。
そのために、声の主に接触する。
先導は精霊がしてくれた。
一度助けたのに放り出すのも抵抗があり、一緒に捨てられたホムンクルスは抱えたままだ。
おかげで時間がかかってしまったが、さいわい、目的地までたいして距離はなかった。
「ここが……」
辿り着いたのは、広い空間だった。
古い石室だ。
ここまでの通路に比べれば少し明るく、外からでも内部の様子は見て取れた。
飾り気はなく、乾いた雰囲気の部屋だ。
まるで牢獄のような……。
不吉な予感を振り切って視線を巡らせると、部屋の奥に石壇を見付けた。
岩を切り出した古いものだ。
側面には、偏執的なまでにびっしりと文字が刻まれている。
なにかの祭壇だろうか。
壇上には、錆びた剣が刺さっていた。
総じて、不吉な印象の部屋だった。
足を踏み入れるのがためらわれる空気がある。
本当に大丈夫なのだろうか。
助けてもらったとはいえ、相手の正体はまったくの不明だ。
来てみたら、さっきの鬼のようなモノが待ちかまえている可能性だってなくはないのだ。
警戒せずにはいられない。
だが、精霊は先に行ってしまっていた。
「……迷ってても仕方ないか」
結局、他にアテはないのだ。
ここまで引きずってきたホムンクルスを入り口に横たわらせてから、覚悟を決めて部屋に足を踏み入れた。
石の床をぺたぺたと歩く。
足の裏から伝わる床の感触が、妙に冷たい。
冷や汗をかいていた。
部屋のなかほどで足をとめる。
あたりを見回す。
ひとの気配はない。
「ひとを呼び出しておいて、当の本人はどこに……」
「ここだよ」
びくりとしてしまった。
聞き覚えのある声。
今度は頭ではなく、直接、耳に届いた。
祭壇のほうだった。
「うわ……っ」
ぎょっとした。
祭壇の前あたりの床から、ずるりと黒い液体のようなものが持ち上がったからだ。
驚きすぎて、息を呑んで見つめることしかできない。
そのうちに、液体はひとりの少女の姿を取っていた。
「やあ」
と、少女は声をかけてきた。
部屋の雰囲気に似合わない、明るく快活な声だった。
少女は神官服に身を包んでいた。
つややかな黒髪は長く、瞳は黄金に輝いている。
これが、自分をここに呼び出した人物。
呑まれそうになったのは、その現れ方の異様さのせいか。
それとも、明らかにただものではない雰囲気のためか。
固まってしまっているこちらに気付いたのか、少女がにこりと笑う。
なにもかも異様ななかで、その笑みだけが当たり前の少女のあたたかさを宿していて、少年はようやく反応することを思い出した。
「お前が……?」
「来てくれたんだね。歓迎するよ」
少女は微笑みかけ、ふと気付いたように瞬きをした。
「っと、その前に」
「え?」
おもむろに少女が手をかかげてきた。
その手から、なにかが吹き付けてくる。
物理的なものではない。
これは……魔力だ。
さっきその感覚を知ったばかりなので、気付くのに数秒かかってしまった。
そして、気付いたときには変化は起きていた。
「わっ」
驚き、声をあげる。
いつの間にか、棒きれみたいな自分の体が、目の前の少女が着ているものと似た衣装に包まれていたのだ。
まるで魔法のように。
いや、これは魔法そのものだ。
「ふ、服?」
魔法とはこんなことまでできるのか。
驚きを隠せずにいると、少女は悪戯っぽく話しかけてきた。
「いつまでも生まれたままの姿っていうのもアレでしょ? いやまあ、キミは実際、生まれたばっかなわけだけど、キミの精神のほうはそうじゃないわけだしさ」
神秘的なまでに整った顔には、朗らかな笑みがあった。
部屋の寒々しさとは裏腹な陽性の表情だ。
転生する前、病室の窓の外に見た、春の日差しにも似た……。
しかし、少年が感じ取ったのは、それだけではなかった。
見た目、14,5歳くらいの、どちらかといえば小柄な少女。
それなのに、一瞬、恐ろしく大きなものを感じた気がしたのだ。
ひょっとすると、さっきの鬼よりも大きな……。
そんな馬鹿な。
「どしたの?」
「……いや」
きょとんとした少女の顔を見て、自分が呆けていたことに気付いた。
いけない。
余計なことを考えている場合ではないのだ。
気を取り直して会話を再開した。
「なんでもない。それよりも、さっきのことだけど」
「さっきのこと?」
「鬼の件。お礼を言いたくて。ありがとう。助言がなければ、もう少しで死ぬところだった」
「いいよいいよ、そんなの」
ひらひらと手を振ると、少女は近くを飛び回る精霊を指差した。
「あの子が教えてくれなきゃ、間に合わなかった。キミの努力がなければ、わたしがどうしようと死んでた。わたしは最後にちょっとだけ、警告をしただけだよ」
「それでもだ。助けてくれたことには変わりない」
言いながらも、相手の挙動をひとつも逃さないように観察する――生き残るために。
助けてくれたことに感謝しているのは本当だった。
この状況で、彼女を頼る以外に手はないのだって事実だった。
しかし、同時に彼女の存在はあまりにも不自然だった。
どうしてこんなよくわからない場所に女の子がひとりでいるのか。
奇妙に思わないほうがおかしいだろう。
さっきの登場の仕方だって、あまりにも異質だった。
……彼女は信用できるのか?
あんな恐ろしい生き物がいるとわかった以上、これは致命的な問題だ。
見極めなければならなかった。
「このうえ面倒をかけて悪いんだけど、いろいろと教えてほしいことがある。こんなところでなにもわからなくて、頼れる相手もいないんだ」
「いいよ。なんでも答えたげる」
こちらの頼みに、軽く応える彼女。
その言葉は信じられるか……?
と、そんなことを考えていられたのは、そこまでだった。
「困っているのはわかるからね」
同情的な言葉を口にした彼女が、言ったからだ。
「なにせ異世界から転生したキミには、この世界になじみがないでしょ? おまけにホムンクルスなんてモノに宿ってしまったわけだから、困っちゃうのも当然だよね」
「お、お前……!?」
思わず目を見開いた。
慎重な思考なんて、いっぺんに吹き飛んでしまっていた。
「ど、どうして、それを……?」
「ん? なにをそんなに驚いて……あ。異世界から転生したってとこかな。驚かせちゃった? だとしたら、ごめんね」
のんびりと彼女は納得するが、こちらとしては落ち着いていられない。
自分はまだなにも言っていないのだ。
なのに、状況を把握されてしまっている。
ぞっとした。
魔法なんてよくわからないものがあり、恐ろしい怪物のいる世界なのだ。
自分のことが彼女にどこまで把握されているのか、想像もつかない。
「……」
気味が悪い。
目の前の小柄な少女が、得体の知れない怪物のように思えてくる。
いや、実際、自分はさっき彼女になにか恐ろしいものを感じたのではなかっただろうか?
ひょっとして、選択肢を間違ったのでは?
ここに来るべきではなかったのではないか?
連鎖する疑問。
不安。
発作的に逃げ出したい気持ちがわきあがる。
だから――だからだった。
「……っ」
そんな自分に気付いた瞬間、少年はぐっと奥歯を噛み締めたのだった。
違う、違う。
そうじゃない。
きしむほどに強く奥歯を食いしばって、自分のなかの怯えを抑えつけた。
確かに、転生云々を言い当てられたのは気味が悪い。
だが、落ち着け。
彼女には明らかに悪意がない。
友好的な態度を取っている。
なのに怪物扱いまでするのは、あまりにも過剰だ。
おかしい。
そう気付けば、原因もすぐに思い当たった。
――先程の、鬼との遭遇である。
まるでおぞましい死そのもののような。
思い返すだけでも身の毛がよだつ。
がりがりと音を立てて正気が削れる。
あれは、駄目だ。
人が遭ってはいけないモノだ。
あんなものに遭ってしまったら、誰だってなにもかもが疑わしくなって当然で……。
しかし、自分はそれではいけない。
だいたい、ここで逃げ出してどうする?
あの鬼のような化け物が、どこにいるかもわからないのだ。
状況の把握は絶対に必要だ。
冷静にならなければいけない。
生きるために。
「……お前は、なんなんだ」
気持ちを落ち着けて、尋ねた。
尋ねることができた。
機械ではない以上、冷静であり続けることはできないのだから、大事なのは立て直せるかどうかである。
そうして、彼は戸惑うことになった。
尋ねられた少女が、くすりとしたからだ。
「驚いた。キミは強いんだね」
こちらの内面で起きた葛藤を、見透かすように言う。
そこには、確かな称賛の響きがあった。
褒められている。
だけど、なぜ?
とまどいつつも、彼女を見返した。
なにも考えていないような子供っぽい無邪気さがあった。
こちらを見透かすような瞳は、人を越えるなにかの存在を思わせた。
本来なら相反するものが、少女のなかでは矛盾なく同居している。
そんな不思議な少女は、まじまじとこちらを見つめて言うのだった。
「ホント、綺麗で強い魂の色……さっきも言ったけど、あの鬼から逃れてここまでやってこれたのは、やっぱり、キミ自身の力だよ。なにをどうすれば、そこまで強い魂を練り上げることができたのかな。前世で相当の修行でも積んだとか?」
「なにを言って……?」
「わからない? 『わたしには魂が見える』ってことだよ。だから『キミはこの世界で生まれた魂じゃない』ってわかったんだ。それは、ここまでキミに来てもらった理由でもある……」
当たり前のように言われるが、いきなり魂とか言われても困る。
だけど……いま自分がここにいて、ホムンクルスとして転生した以上、魂というものがあってもおかしくないのか?
彼女にはそれが見えるから、目の前にいるホムンクルスが転生した存在だと見抜くことができた。
理屈としては通っている。
同時に、ますます彼女は何者なのかという疑問が大きくもなった。
「お前は、いったい……」
これに、少女は茶目っ気のある笑みで答えたのだった。
「わたし? わたしはね、神様なんだよ。だから、人の子の魂を見抜くくらいわけないってこと」
種明かしをする子供にも似た口調で。
なにかの冗談かと思ってしまうくらい楽しげに。
けれど、それは冗談なんかではなかった。
だからこそ、ここから物語は始まる。
フラスコのごとく閉じた世界を打ち破る、ホムンクルスの少年と堕とされた女神の物語が。
「ねえ。知ってる? この世界には、たくさんの神様がいるんだよ――」
***
それから少女は、この世界の神について話をした。
この世界には、階級で分けられたたくさんの神がいること。
神は契約を交わした使徒を介して世界に干渉していること。
そして、階級を持たない神――邪神のことを。
話はそう長くなかった。
ただ、神様や使徒といった単語はなじみがなくて、少年は受け入れるのに少し苦労した。
「……要するに、こういうことか」
これは自分でも、軽く情報を整理する必要がある。
確認がてら、要点を並べることにした。
「お前は神様。それも邪神で、この世界の存在とは契約できない。けど、ホムンクルスの人造の体に、異世界からやってきた魂が宿った俺となら可能だと」
「のみこみが早いのは嬉しいね」
機嫌よさげに笑って、神を名乗る少女――そういえば、名前を聞きそびれた。仮に神子とでもしておこう――は言った。
「ついでに言えば、わたしは邪神の例に漏れず封印されてるんだ。ここからまともに動けないんだよ」
そういうと、神子はパチリと指を鳴らした。
突然、その体に絡みつく真っ黒な鎖が現れる。
少女の体を強く縛る鎖は、どこか背徳的でいて痛々しい。
「ま。こんな感じでね」
肩をすくめてから、彼女は続けた。
「この場所は、わたしとはまた別の神様が、わたしを封じ続けるために創った異空間なんだ。『迷宮』と呼ばれてるモノのひとつだね。危険な魔物が棲みついてる」
「俺はさっき、鬼を見た。あれが魔物か?」
「そうそれ。といっても、あれは特殊な一体で、あれほどのものはこの迷宮には他にいないけどね。ただ、もっと弱いものでもキミだと殺されちゃうかな。外に出るためには力がいる」
「だから、契約が必要だと」
「そういうことだね。正確にいえば、契約によって『力を得る資格を得る』って言ったほうがいいけど。どれだけの力を手に入れられるかは、キミ次第だよ」
なるほど、状況は把握できた。
腹立たしいことに、自由のない培養槽からは逃げられたと思っていたのだが、自分はまだ別の迷宮のなかにいるらしい。
とはいえ、気落ちはしない。
危険な迷宮のなかとはいえ、生存の可能性があるだけマシだ。
生前は、それすらなかった。
ちなみに神子から聞かされたいまの話だが、『迷宮』についての話と『神様との契約』については、ホムンクルスとして植えつけられた知識にもあった。
彼女と契約すれば力を得られ、迷宮の魔物と戦えるようになるのは確かだろう。
ただ、確認することがあるとすれば……。
「……ひとつ聞かせてもらえるか」
「なに?」
「契約をすることで、俺は使徒になって力を得る。それじゃ、お前にはどんなメリットがあるんだ」
友達になってほしいと言っていたが、まさかそれが本音じゃないだろう。
なにか明確なメリットがあるはずだ。
「もちろん、そこは話さないとだよねー」
神子も予想していたのか、すぐに答えを返した。
「さっきも言った通り、わたしは封印されてる。だけど、キミと契約をすることで、わたしはその縁を利用して自由を得ることができるんだ」
「自由を……」
「とはいっても、外に出るつもりはないよ。出たら大騒ぎになるだろうし。そもそも、出ることもできないから」
「どういうことだ」
「キミも見たでしょ。鬼の姿。あいつは『封印の鬼』。わたしを封印するかなめのひとつなんだ。あいつがいる以上、わたしは外には出られない。だけど、あいつを殺すことは、勇者か魔王でも連れてこないと無理だ。だから出られないってわけ」
当たり前のように、勇者とか魔王とかという単語を口にする。
この世界にはそう呼ばれる者がいるということだ。
ホムンクルスの知識にはなかったので、それがこの世界でどのような存在なのかはわからないが、聞くからに特別そうだ。
少なくとも、そこらを歩いていることはないだろう。
そんなものでないと倒せない鬼が封印のかなめである以上、彼女がこの迷宮から出るのは不可能ということになる。
しかし、そのあたりは割り切っているらしく、ほがらかな笑顔は変わらなかった。
「迷宮からは出られない。だけど、せめてこの部屋からは外に出たい。それに……」
「まだあるのか?」
尋ねると、少しだけ神子は恥ずかしそうにした。
「……契約っていうのは、誰でもいいわけじゃないからね」
「というと?」
ここまで話したこと以外にもなにか特別な条件があるのかと首を傾げたところ、苦笑が返ってきた。
「それ、言わせるかなあ」
神子は祭壇から降りると、じゃらじゃらと鎖の音を立てながら近付いてくる。
手を取られて、まじまじと見つめられた。
「未成熟なホムンクルスの体だ。正直、キミがこの部屋に入ってきたときには驚いたんだよ。よくあの鬼から逃げのびたってね」
薄い掌に落とされていた黄金の瞳が、こちらを向いた。
その口元は好意的にほころんでいた。
「小さな勇士に祝福を。神様にとっても、契約っていうのは特別で大事なものなんだ。つまりさ、わたしはキミを応援したいってこと」
賞賛を口にする少女の姿には、神聖なものがあった。
まさしく、それは困難を乗り越えた勇士への女神の祝福だった。
迫る鬼から逃れるために、生きた心地のしない必死な時間を過ごしたことが、思わぬかたちで評価されたということらしい。
だとすれば、少しはむくわれる気持ちがした。
「とまあ、わたしの都合はこんなところだよ」
真剣な言葉に照れたように、少女はへらりと笑った。
「ついでに、考えられるキミのデメリットも言っておこっかな。といっても、邪神であるわたしの使徒になった事実自体がまずいってことくらいかな。自分から言いふらさなければ、これは大丈夫。こんなところで、どうかな?」
デメリットも提示したうえで、尋ねてくる。
「……話はわかった」
頷いて、いまの話について考えた。
少女は自由を手に入れて、自分はこの迷宮から脱出する力を得る。
互いにメリットのある取引だ、と思う。
あとは、彼女が信用できそうかどうかだ。
なにせ邪神を自称している。
――邪神。
それも、こんなところに封印された。
とはいえ、そこを差し引けば、目の前の少女は信用できそうだと感じられていた。
立ち振る舞いや言動に疑わしいところはない。
一度は助けてくれたし、必要な説明だってしてくれた。
それに、自分が邪神だと明かしたこと。
これはむしろ、信用できる判断材料と言えた。
なにせ、そんなの言わなければわからない。
彼女はわざわざ自分の不利になる事実を口にしたのだった。
それは契約を交わそうという相手への、誠意の表れだ。
ますます邪神らしくないが……ひょっとすると、なにか事情でもあるのかもしれない。
邪神なんて呼ばれるような事情。
さすがに、初対面でそこまで踏み込むほどデリカシーは欠けてないが……。
ともあれ、心を決めるのにそう時間はかからなかった。
「……わかった」
少年は頷くと、握られたままの手を自分からも握り返した。
「契約をしよう」
◆とりあえず導入まで。
ヒロインが仲間になりました。やりとりは次回。
あと、さりげなくもうひとりのヒロインも出ていたりします。これはひょっとして……と、気付かれている方もいるかもですね。
明日、また投稿予定ですので、更新がわかるようにブクマに追加しておいてもらえると嬉しいです。