30. 第一層への挑戦
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「さってと。それじゃあ、そろそろ行こっか」
「ああ。第一層への挑戦開始だ」
カミコが十分に自由の喜びを共有したあとで、グレイは今日の探索を開始した。
これまではサクラとふたりだったが、カミコも加わって3人で迷宮に足を踏み入れる。
いつものように、体から抜け出した精霊サクラを追い、幽体離脱状態の体を背負って歩く。
いつもと違う隣からの足音の主が、声をかけてきた。
「おんぶ疲れない? 代わろっか?」
「慣れてるから平気だ」
断ると、んーっと考えるようにしてから、もう一度尋ねてくる。
「それじゃあ、わたしがおんぶされるの代わろっか?」
「……なんでそうなる」
「だって、なんかずるくない? ふたりだけ仲良しみたいで」
「ずるくない」
必要があってしていることなのだ。
別に、べたべたしているわけではない。
と、緑の光がすーっと戻ってきて、サクラがぱちりと目を開けた。
「カミコ様。ここ、わたしの、ですよ?」
「……おいサクラ。こんなことで戻ってくるな。あと、俺の背中はお前のじゃない」
「仕方ないね。じゃ、おんぶはサクラの。わたしは抱っこで手を打とう」
「わかった、です」
「手を打つな。わかるな。俺は、俺のだ」
戯れ言を言い合いつつ、迷宮を進んでいく。
緊張感がないようではあるが、半ばカミコの領域である第三層で、今更危険な敵はいない。
というより、ここで危険を覚えるようであれば、第一層に足を踏み入れるべきではない。
第二層も特になにごともなく通り過ぎて、外へとつながる第一層への階段を昇る。
ここから先は、魔境である。
「……これが」
内装は第二層とそう変わらない。
砦を思わせる堅牢な通路が続いている。
「どしたの、グレイ?」
「……いや」
第二層に入ったときにも感じた、気に入らないという感覚が強くなっていた。
加えて、なにかいやな感じがする。
生存に関わることに関しては、グレイの感覚は鋭い。
ただ、それが具体的になんなのかまではわからなかった。
まあ、警戒心を刺激されてしまうのも、当然と言えば当然ではあるかもしれない。
なにせ第一層に棲息しているのは『ふたつ角』の中位から上位。
あのスケルトン・ナイトでさえも、ここでは決して強者ではないのだ。
グレイとサクラのふたりだけなら、まったく通用しないということはないにしても、かなりの命の危険を伴ってしまうだろう。
しかし、カミコは平然としていた。
「ま。そうそう緊張することはないよ」
二叉の槍を片手に、彼女は肩をすくめてみせる。
「このわたしがいるんだからさ」
そう言い切った自信は本物だった。
***
こちらのにおいを嗅ぎつけて、骨の怪物が通路の向こうから姿を現す。
スケルトン・ナイト。
この世界での『ふたつ角』というのは、現れれば町ひとつ滅ぼされかねない化け物であり、それに見合った恐るべき力を備えている。
しかし、猛然とこちらに駆けてくるスケルトン・ナイトの前に、カミコはいっそ無造作に立ち塞がった。
「近付けさせないよー!」
その身から魔力が溢れ出し、生み出された水の大剣は実に5本。
以前、封印部屋で見せたときと同じ光景。
いや、それよりもさらに魔法によって生み出された剣の数は多く、ひとつひとつから感じる力も圧倒的だった。
受肉した邪神たるカミコは、契約者と同じ位階に相当する力を振るうことができる。
前回、彼女が攻撃魔法を使うところを見たとき、グレイはまだ二階紋だった。
三階紋に上がったいま、連動して彼女の力も増している。
その驚異的なまでの力に、グレイはつい目を奪われてしまう。
「これは……すごいな」
「ありがとう!」
こちらの言葉に、礼を言う余裕さえある。
すさまじい勢いで、大剣が射出された。
巧みに時間差が付けられており、これは避け切れるものではない。
滅多打ちにされた骸骨の騎士が、砕けて倒れた。
あのスケルトン・ナイトが、近付くことさえ許されない。
ほぼ瀕死の魔物にカミコは素早く近付くと、二叉の槍の石突を落として、とどめを刺した。
「よーし、どんどんいくよ」
くるくると槍を回し、カミコは言う。
余裕はあっても油断はなく、まさに歴戦の戦士の立ち振る舞いだった。
グレイはサクラと顔を合わせた。
「俺たちも負けてられないな」
「はい、です」
現れたのは、虚空に浮かぶガス状の魔物だった。
ハウリング・スペクター。
生理的に怖気の走る色合いをしたガスはうごめき、うめき声をあげるいくつもの口を作り出す。
駆け寄ったグレイに気付くと、無数の口が叫び声をあげた。
男のような、女のような、老人のような、赤子のような悲鳴が混ざった、身の毛のよだつ声だ。
魔力を帯びた声は、魔法と化して生物を蝕む。
しかし、そこでサクラの魔法『守りの手』が発動した。
「させません」
翡翠の風がグレイの身を守り、おぞましい魔法の声を遠ざける。
負けじと声をあげようとする魔物だったが、その口に錆びた剣が突き込まれた。
隙を見逃すことなく、遠間から獣のように飛びかかったグレイが攻撃を仕掛けたのだ。
「おおおっ」
気合いとともに込められた魔力が、おぞましい霧を吹き飛ばして大きなダメージを与える。
着地したグレイに向けて魔法の声が叩き付けられるが、これをグレイは身を低くして飛びすさりつつ、咄嗟に魔力を込めた雄叫びで減衰する。
サクラの魔法の守りもあり、敵の攻撃はその身に届かない。
「たたみかけるぞ!」
「はい、お兄様……!」
グレイは紋章自体は三階紋ではあるものの、肉体面でのハンデにより若干届かない。
しかし、サクラが手を貸すことで、三階紋にも負けない戦力となる。
カミコほど圧倒的ではないものの、ふたりの連携であれば『ふたつ角』相手にも余裕を持って戦えるのだ。
そのまま順調にハウリング・スペクターをくだしたところで、カミコが笑ってやってきた。
「グレイもなかなかすごいじゃん。さすがは迷宮漬けになってただけある」
「褒められてるんだかどうなんだか」
「というか、可愛い顔してグレイってば獣みたいな戦い方するんだね。素敵」
「それはどうも……いや、これやっぱり褒められてねえな」
「あはは。サクラもずいぶん魔法が上達したね。これはグレイも安心だ」
「それはどうも? です? お兄様、お兄様。褒められました」
「よかったな。あと、あまり俺の真似ばっかりしないように。じゃあ、次だ」
グレイとサクラのペアと、カミコがそれぞれ独立して魔物に対処することで、戦いは飛躍的に安定した。
戦力はこれまでの2倍どころではない。
魔境である第一層ですら、安定した探索が可能なくらいに。
迷宮を出るためには三階紋が必要だという当初のカミコの考えは、正しかったということだ。
この日の第一層での戦力検証は大成功に終わった。
そして、それはひとつの事実を意味していた。
そう。
ついに迷宮からの脱出の手段が整ったのだ。




