28. 情報交換
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カミコが封印された迷宮には、滅多に人が足を踏み入れることがない。
これは、人がなぜ迷宮に挑むのかを考えれば当然のことだ。
そもそも、迷宮のなかにある危険――魔物とはなんなのかと言えば、世界に不可避のものとして蓄積する『穢れ』が結晶化したものだ。
この『穢れ』というのは魔素が変質したものであり、魔素がこの世界の構成要素のひとつである以上、変質した魔素である穢れは世界を歪める危険な毒となりうる。
そして、放っておけばランダムに魔物を生むこの穢れを、神々がうまく利用したのが迷宮である。
迷宮は穢れを集めることで周囲の魔物の発生率を減らし、同時に、試練の場として機能している。
そうして生み出された魔物は、元々は穢れ――つまりは、魔素によって構成されたものであるため、その肉体は魔石以外も部位によって魔力を帯びている。
有用な使い途があり、換金性も高い。
よって、魔物を狩るだけの力を持つ人間にとっては――相応の危険は伴うにせよ――迷宮とは魔物と容易に遭遇できる稼ぎの良い場所となる。
しかし、そんな迷宮にも例外がある。
それが死霊系迷宮だ。
なにせ基本、倒したところで魔石の他には骨しか残らないし、下手をすると実体を持たないものさえいる。
頑丈な骨には用途がないでもないが、死霊系統の魔物の骨はそれだけで生者にとって毒となる。
紋章持ちであれば無視できる程度の毒だが、常人の体には害になるので、町への持ち込みは原則禁止されているそうだ。
よって、ただでさえ死霊系統の迷宮に、人が足を踏み入れることは少ない。
そのうえ、この迷宮は難易度が無駄に高い。
普通であれば、外界から足を踏み入れた第一層にはそれほど強い魔物はいないのに、ここはいきなり『ふたつ角』の上位クラスが跋扈している。
これは、一握りの実力者しかなれない二階紋が複数人いても、ちょっとしたミスで死んでしまう難易度だ。
もちろん、そこを突破すれば二層以降は逆に難易度が下がっていく構造ではあるのだが、それで順調に進んでいくと罠がある。
あの『封印の鬼』がいるからだ。
最奥に至った者はまず殺される。
つまりは、難易度が高くて挑戦できる者が極端に少ないうえ、攻略するうまみがなく、それでも挑戦する奇矯な人間が現れたとしても、最奥で殺されるという最悪の迷宮なのだ。
なんだそれと言いたくなるが、以前にも考えた通り、ここは邪神を封印するために創られた迷宮なので、あえてそうした構造にしてあるのだろう。
実際、これまでグレイはこの迷宮で人に遭ったことはなかった。
このときまでは。
「やあ。オタクらも探索者かい。珍しいね」
青年は気さくな態度で声をかけてきた。
まさか人に会うとは思わなかったグレイは、さすがに硬直していた。
邪神という特殊極まる存在であるカミコや、自分と同じく生まれたばかりのサクラを除けば――彼はこの異世界にホムンクルスとして転生して初めて会う『普通の人間』だった。
焦げ茶色の短い髪に、青い目。
歳は20代の半ばくらいと見える。
人の好さそうな男だった。
顔立ちは整っているのだが、気安い表情と雰囲気のためか、美形というよりはやはり人が好さそうという印象になる。
迷宮に足を踏み入れるだけあって、それなりに精悍な体つきをしている。
装備はずいぶんと軽装だ。
防具のたぐいは各部を守るプロテクターくらいしかつけていない。
扱いやすそうな片手剣を腰に下げていた。
あとは……言ってはなんだが、あまり強そうには見えなかった。
もっとも、第一層をたったひとりで抜けてきたのなら、いまの自分たちを超える力を持っているはずだ。
見た目では計れないところがあるのかもしれない。
そこまで観察をしてから、グレイはようやく口を開いた。
「ああ。俺も、人に会うとは思わなかった」
応じて、抱えたままだったサクラを地面に降ろした。
「お兄様。あの方は……んっ」
サクラがなにか言いかけるのを、グレイは彼女の腰に回したままだった腕に少し力を込めてとめた。
そうしておいて、耳元でこっそり言う。
「この場は俺に任せてくれ」
折角、出会えた人間なのだ。
情報収集のためにも、ぜひとも話をしておきたい。
しかし、ひとつだけこちらには秘密にしなければいけないことがあった。
自分が邪神の契約者であることだ。
実際、カミコは初めて会ったときに、それを知られるとまずいことになると言っていた。
黙っておく必要がある……が、残念ながら、サクラにそのあたりの機微がわかるとは思えない。
迷宮脱出までには言い聞かせておくつもりだったのだが、このタイミングで誰かに出会うとは考えていなかったので、まだだったのだ。
なにかの拍子に、うっかりカミコのことを口にしてしまえば目も当てられない。
そうでなくても、この迷宮の一番奥で寝泊まりしていると話をした時点で不審がられるだろう。
「わかりました、お兄様」
さいわい、サクラは大人しく指示に従ってくれた。
抱き寄せられるまま、どことなく満足げに身を寄せて、口をつぐむ……いまひとつ状況がわかっていない感もあるが、結果的には黙ったのでよしとする。
「おや。兄妹かい。そういえば、似てるな」
青年はグレイの行動に気付いた様子はなく、ただ微笑ましげに目を細めた。
グレイとサクラ。
兄妹と言われれば納得できる程度には似た印象のふたりを見比べるようにする。
「俺はアーサーっていうんだ。こんなとこで会ったのもなにかの縁だ。よろしく頼むぜ」
どうやら青年は、自分たちを同じ立場の人間――探索者と言っていたか――と考えたらしい。
親近感を覚えているのか、物腰は柔らかかった。
まあ、こんな場所では同じ人間と出会えたというだけでも嬉しくなる気持ちはわからないでもない。
好都合だ。
話を合わせることにする。
「俺はグレイ。こっちはサクラだ。こちらこそ、よろしく。ほら、サクラも」
「よろしく、お願いします」
「はは。可愛い妹さんだな。っていっても、俺なんかより強いんだろうけど」
グレイにくっついたままであいさつをするサクラに、アーサーが笑って不思議なことを言った。
「なにを言ってるんだ。アーサーもここまで来てるんだから、強いんだろ。それも、たったひとりで」
最低でも、三階紋。
それも相当の使い手だろうと状況からは推測されたのだが、当のアーサーはひらひら手を振った。
「そりゃ、それなりには強いつもりだが、俺は見ての通りの斥候だからな。それなりに特殊な魔法技能と……昔、運よく見付けた貴重な魔法道具があってな。ここまで魔物どもの目を盗んで、もぐり込んできたってわけだ」
なるほど、斥候。
要は情報収集と潜入のエキスパートということだろう。
自分もそうだが、特化型は特定の分野ではより上位の実力者と同じ力を発揮できる。
第一層の魔物たちに気付かれることなく、ここまでやってきたなら道具も含めて大したものだが、そちらに特化しているために戦闘力は高くないということのようだ。
少しだけ残念だった。
純粋な戦闘能力でここまで来たわけではないのなら、自分たちを一緒に連れて行ってもらうよう依頼することは無理だろう。
また、同じ手段でこっそりと第一層を抜けることも不可能と考えたほうがいい。
この出会いにより得られるものはない……とも、まだ限らないか。
そんなことを考えている間、わずかに挟んだこちらの沈黙をどう取ったのか、アーサーがおどけたように両手を挙げてみせた。
「おっと。魔法技能と道具の詳しい話は勘弁してくれ。飯のタネだからな」
「わかってるよ」
探索者とやらの流儀はわからないので、グレイはもっともらしく頷いておいた。
そのほうが、こちらとしても都合がよかった。
「俺たちも似たようなもんだからな」
探りを入れないのはお互い様だ。
自分たちはまだ第一層に挑戦するとなると、かなりのリスクがある。
なのに、本来であれば第一層を通過していないと来れないこの場所にいるのは、不審に思われる可能性がある。
ただ、アーサーが先にああ言ってくれたおかげで、こちらも自分の力を話す必要がなくなった。
アーサーもそのあたりはわきまえているようで、突っ込むことなく別のことを口にした。
「はっは。それじゃあ、オタクもお宝を狙ってきたクチかい」
「……お宝?」
これは、話を合わせることができなかった。
さいわい、アーサーは気付かなかったようで、自慢げに続けた。
「誰も足を踏み入れないこの迷宮に、あの『辺境の蛮王』が宝を隠したって話だ。へへっ、お前らもそれ狙いなんだろ? 早いもん勝ちだな」
「……いや」
否定する。
情報を持っていないので適当なことを言えないというのもあるが、それ以前の問題もあったのだ。
「ちなみに、そのお宝が隠された階層ってのは第一層のことか?」
「あん? 違うぜ。詳しいことは言えないけど、情報によれば、ここ第二層だな」
「……俺、この階層はほぼマッピング終わってるけど、そんなの見たことないぞ」
そう。
盗賊のお宝なんてもの、心当たりがなかったのだ。
アーサーが硬直した。
「え? 嘘?」
「本当」
「いやいやいやいや。冗談はよそうぜ、兄弟。この通り地図だってあるんだ」
「見せてもらえないか、その地図? いや、宝があるって場所は要らないから。階段付近だけでいい。……うん。そもそも、この地図、全然でたらめだ。ちょっとそっちの角までいけばわかるけど」
地図の一部を確認してから、移動する。
そもそも縮尺がおかしいのだが、そこを差し引いたとしても、地図では左に曲がる一本道のところが、三差路になっていた。
でたらめなのは明らかだ。
「だ、だまされた」
証拠を目の当たりにしては認めざるをえなかったのだろう。
アーサーはがっくりと膝を折ると地面に両手をついてうなだれた。
「……ご愁傷さま」
「さま?」
あまりに哀れっぽいさまに、ちょっと引きつってしまった顔でグレイが言い、寄り添うサクラは首を傾げた。
***
「……ありがてえぜ、グレイ。おかげで無駄な時間を取らずに済んだ」
しばらくして、アーサーは立ち直った。
「できれば、この階層の地図を見せてもらえないか。ひと通り回ってみたいんだ。報酬なら払う」
まだ諦めきれないらしい。
気持ちはわかった。
「わかった。写しをゆずろう」
「おお。恩に着るぜ」
グレイは応じて、いくらかの交渉のすえに情報を提示した。
アーサーにしてみれば、諦めきれずに回るにしても手間は避けたいのだろう。
第二層の情報はありがたいものだったようだ。
……もっとも、終わってみれば、これはむしろ自分たちにとってこそ重要な出会いだったかもしれないのだが。
内心でそんなことを思うグレイに、アーサーは笑顔で言った。
「じゃあな。俺は、ノキアの町にいるからよ。会えたら1杯おごるぜ」
第二層を探索してから帰るという彼と別れて、グレイは封印の部屋に帰ったのだった。
***
「へえ。すごいね」
帰ってきたグレイたちを出迎えたカミコは、ひと通り話を聞くと感嘆の声をあげた。
「それじゃあ、第一層の脱出ルートはもうわかってるんだ? うまいことやったもんだね」
「まあな。お互いに良い結果になったとは思うよ」
交渉の成果である。
グレイはアーサーから、彼が通ってきた第一層のルートを聞き出していた。
アーサーにしてみれば、期待薄なお宝探しのためにマッピングをしなくても済んだ。
こちらとしては、まだ挑戦していない第一層の情報が得られた。
それだけでなく、話の流れでノキアという町の位置も知ることができた。
あとは挑戦するだけだ。
その準備はできている。
「それじゃあ、カミコ。強化頼んだ」
今日のぶんの魔石を渡して、グレイは言った。
「これで、俺も三階紋だ」




