25. 迷宮の壁画
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迷宮における毎日の探索は、確実にグレイとサクラを成長させている。
たとえば、現在のグレイの力であれば、単独でもスケルトン・ナイトを倒すことは不可能ではない。
無論、単独戦闘ともなれば死の危険も出てきてしまうが、7割方で有利だろう。
サクラは無理だが、そもそも、彼女は単独戦闘向けではないだけのことで、レベルとしては良い線いっている。
そんなふたりがタッグを組んで連携を練り、隙のない戦いをしたのだから、その結末は決まっていた。
「お疲れ様、でした」
「ああ、お疲れ。良い調子だったよ」
ふたりでスケルトン・ナイトを倒すと、その魔石を確保する。
魔物は角が魔石に変わる。
よって『ふたつ角』の場合は2個の魔石が手に入る。
あれだけ強くて2個だけかと思うなかれ、1個当たりの価値は『ひとつ角』より高い。
ちなみに、スケルトン・ナイトから得られた魔石2個で、『ひとつ角』の魔石換算で8個分くらいにはなる。
「単純計算で1体当たり8倍の効率か」
「こっちのほうが、効率、いいですか?」
「いや。『ふたつ角』を狙うのは、効率としては微妙だな」
戦闘時間は『ひとつ角』を相手にするのと比べると、かなり長くかかってしまう。
その一方で、8体も『ひとつ角』を探すための時間を考えれば、トータルで多少はマシと言ったところだろうか。
ただし、これは危険性を度外視すればの話である。
悩ましい。
「ともあれ、これでようやくだな」
魔物を生み出す魔法の罠――魔法式というらしい――が消えてしまったのは残念だが、これでようやく部屋に足を踏み入れることができるわけだった。
「お兄様が、気になっていた、石碑……ですか?」
「ああ。ただし、部屋の安全を確認するほうが先だけどな」
この部屋に仕掛けられている魔法式があれだけとも限らない。
ふたり警戒しつつ部屋に入った。
魔力の気配に気を払いつつ歩を進める。
「どうやら他に仕掛けはない……かな」
「です」
「じゃ、見てみよう」
確認をしてから、石碑に近付いた。
石碑には絵が彫り込まれており、色褪せてはいるがそのうえから彩色がされていた。
近付くことで、遠目だとわからなかった詳細が読み取れた。
「これは……戦争かな」
石碑の一面に描かれていたのは、戦いの場面だった。
ふたつの陣営に分かれた人々が武器を持っている。
そのなかに、明らかに『描かれ方が違う者』が混じっていることにグレイは気付いた。
たとえば、一方の陣営を率いている、頭から白いローブをかぶった男性だ。
手に長杖を握っている彼は、彫り込みからして稠密で、細かいところまで色が塗り込まれている。
特別な地位にいる人物、将軍か、王様か、それとも……。
ともあれ、そのような『描かれ方が違う者』を奉じて、人々はふたつの陣営に分かれて戦っている。
そして、刃を交える人々の体には、紋章らしきものが彫り込まれていることにグレイは気付いた。
「まさか……これはみんな『紋章持ち』なのか」
彫り込まれていない者もいるようだが、多分、見えないところに紋章があるのだろう。
戦う人々はある者は倒れ、ある者は武器を手に戦っている。
そうして戦うもう一方の陣営を率いているのが、初めてこの壁画を見たときから気になっていた女性だった。
黄金の瞳が印象的な若い女――あるいは、少女。
その足元には、恐らくは水流を描いたものだろう、波打ち渦を巻く模様が描かれていた。
女は三つ叉の槍を掲げており、その周りに人々が集っていた。
ただ、その数は敵対する白いローブの男の陣営より少ない。
また、陣営のなかにいる『描かれ方が違う者』もそうだ。
黒いローブをまとった顔に刺青のある男、角の生えた民族衣装の女など……その数もまた少なかった。
「なにか、わかりましたか」
「どうだろうな」
これだけではなんとも言えない。
尋ねてくるサクラを連れて、時計回りに石碑を回った。
石碑は立方体なので、壁面は四面ある。
隣には、また別の絵が描かれていた。
「……戦いの結果か」
どうやら四面の絵は、時系列になっているようだ。
2番目に目にした壁画には、戦いの顛末が描かれていた。
人々は多くが倒れている。
背景には暗雲が立ち込めて、連なる山々が火を噴いていた。
そんななか、黄金の瞳の少女は、槍を捨てて膝を屈していた。
「敗北と降伏を描いた絵……いや。そうじゃないか」
これは勝利を描いた絵だった。
なぜなら壁面の大半は、白いローブの男に付き従う陣営の、勝利に沸く姿を描くのに費やされているからだ。
グレイは少女の目線から絵を見てしまっているが、それはあくまでも一部でしかない。
恐らく、石碑に刻まれた絵は、男の陣営が描いたものなのだろう。
「この石碑がここにあるということは、これはこの迷宮を作った神様の? だとすれば……」
考えつつ、次の面に回り込んだ。
3番目に目にした壁画に描かれていたのは、穏やかな光景だった。
戦いのあとに訪れた平和。
人々は祈りを捧げ、充実した日々を送っている。
「……」
グレイは無言で壁画を見回した。
そうしてやっと、その片隅に、黄金の瞳の少女が描かれているのを見付けた。
探さなければわからないくらいに、ひっそりと。
暗闇のなか、彼女は鎖に繋がれていたのだった。
「お兄様。この人は、ひょっとして……」
視線からグレイの見ているものを追って、サクラがつぶやく。
ここまで来れば、彼女も気付いたのだろう。
「カミコだろうな」
最初から薄々察してはいたが、ここまでくれば確定だろう。
「カミコは戦いに敗れて、迷宮の奥深くに封印された。これはその経緯を描いた石碑なんだろう」
あるいは、その成果を誇るための。
この迷宮を創りあげた神は、カミコの敵の陣営だったのだろう。
ひょっとすると、絵のどこかに描かれていたのかもしれない。
興味もないが。
「……ああ。なるほど」
そこでグレイは納得の声をあげた。
どうしてこの第二層に足を踏み入れた際に、気に入らないと思ったのかようやく理解したからだ。
最深部である第三層は半ばカミコの階層だが、第二層以降は迷宮を創造した神の領域なのだ。
カミコの敵の。
気に入らなくて、当然だった。
「サクラは、ここに描かれているカミコの戦いを知ってたのか?」
封印されたカミコのそばにいた精霊が、ホムンクルスの少女に宿ったのがサクラだ。
このあたりの経緯を知っていてもおかしくはない。
尋ねてみると、彼女は頷いた。
「はい。知って、ました。事情だけ、ですが」
「実際にその場にはいなかったのか?」
「わたしが、カミコ様に会った、のは……封印されたあと、なので」
この絵で描かれた出来事のあとで出会った、ということだ。
ひとりぼっちのカミコに精霊は出会い、その後は彼女のそばにいた。
「そういえば、サクラはどうしてカミコのところにいたんだ?」
ふと気になって、グレイは問いかけた。
別に、この世界の精霊は神様の眷属というわけではない。
実際、サクラは戦いの起こった頃からカミコについていたわけではないのだという。
精霊は自由な存在だ。
誰と関わるのも、関わらないのも。
不思議に思って尋ねたのだが、サクラの返答は簡潔なものだった。
「放っておけない、でしたから」
「それだけ?」
「はい」
当たり前のことのように肯定し、かすかに首を傾げる。
「なにか、変ですか」
「……いや。そんなことない」
グレイはかぶりを振ってみせた。
基本的に、サクラはお人好しなのだろう。
そんな彼女だからこそ、迷宮で行き倒れになりかけていた自分のことも、カミコに伝えて助けてくれたのだ。
「サクラのそういうところ、俺はいいと思うよ」
その言葉は自然と口をついで出た。
それで――ああ、自分はサクラの存在を好ましく感じているのだなと気付いた。
初めてのことばかりの生活には、知らないことが本当に多くある。
それは、たとえ自分のことであっても。
サクラが首を傾げたままで、口を開いた。
「お兄様も、放っておけない、です」
「なんだそれ」
よくわからない言動に、グレイは苦笑した。
このように『不思議ちゃん』なところがあるのも、ご愛敬というところだ。
もう慣れたし、可愛らしいとも思う。
あばたもえくぼのたぐいの感情かもしれないが、まあ悪い気持ちではない。
手を引いてやって促した。
「次に行こう。時系列としては、これで最後だ……」
とはいえ、ここまで来ればすでに新しい情報は得られないだろうが。
カミコは鎖につながれて、そこに自分がやってくるまでそのままでいたのだから。
そこから先の展開はありえない――。
「……え?」
目の当たりにしたものに、グレイは硬直した。
 




