21. プレゼント
21
グレイは今日も迷宮に出る。
幽体離脱したサクラを背負い、彼女から抜け出た精霊の光を追う。
こうした日々も20日ほどが経つ。
背中の重みと体温にも慣れてきつつあった。
無論、経過した時間がもたらしたものは慣ればかりではない。
確かな足取りで、グレイは迷宮を進んだ。
「起きました」
「おかえり」
精霊が戻ってきて、パチッと目を開けたサクラが背中から降りた。
手を開いたり閉じたりして体の調子を整えたあとで、色違いの綺麗な目がこちらを向く。
「準備完了、です。お兄様」
「よし。それじゃあ、戦闘開始だ」
錆びた剣を手に、グレイは駆け出した。
向かう先にいるのは、人間よりも巨大な影の化け物だった。
第二層で主に現れる、ジャック・シャドーだ。
シャドーの上位種で、手には影の剣を持っている。
影の剣による攻撃はシャドーより強力な侵食力があり、それなりに速度もある。
距離が縮まる。
だが、初手は両者のどちらでもなく、後方から放たれた。
「薙ぎ払い、ます」
つぶやき、サクラが魔法を発動させたのだ。
小さな少女の体から、意志を乗せた魔力が放出される。
それは『緑の輝きを帯びた風』と化した。
――カミコに助言された、イメージの上乗せ。
大事なのは、サクラにとって、もっとも想像しやすいイメージはなんなのかということだった。
前世で経験不足のグレイよりもさらに経験のない、本当の意味で無垢な彼女だ。
どうなることかと心配もしたものだが、結論から言えば、それは杞憂だった。
この輝きこそが、課題に真剣に取り組んだ彼女が出した答えである。
すなわち『精霊としてのサクラ自身』だった。
盲点というか、人間には想像できない答えと言えるだろう。
空の眷属であり風そのものでもある精霊であれば、風は操れて当然のもの。
この方法を使い始めてから、サクラの風魔法の操作性はかなりの向上を見せていた。
といっても、なにもかも自由になったわけではない。
精密射撃ができるほどではないし、威力を上げれば操作性は下がる。
このあたりは仕方ない。
精霊はもともと戦いに魔法を用いていたわけではないからだ。
たとえば、人間だって手や足は自由に動かせても、武器を自在に操り戦うには相応の訓練が必要になる。
それと同じことだ。
およそ20日あっても、まだ場数は十分とは言えない。
なので、重要なのは運用だ。
以前にカミコが言っていたことを思い出す。
――文字通り生かすも殺すもグレイ次第かもしれないよ?
その通りだ。
事前に戦術は組み立ててあり、サクラは素直に指示に従った。
次の瞬間、輝く魔法の風が長大な腕のように通路を薙ぎ払った。
ジャック・シャドーの胸のあたりの高さだった。
無防備に喰らえば、相応のダメージが見込める。
だが、当たればの話だ。
巨大な影は身をかがめて、輝く風を回避した。
距離があるので、回避されることも十分にありうる。
だが、これでいい。
「ここだ!」
輝く風にタイミングを合わせて、グレイは敵のもとに飛び込んでいた。
攻撃を避けるためにジャック・シャドーはかがまなければならなかったが、自分には関係ない。
体高が違うからだ。
戦闘には向かない未熟な体は強大な魔物に比べれば小さく、それはときに武器にもなる。
「喰らえ!」
かがんで動きのにぶった影の顔面を、錆びた剣で切り上げる。
魔法により、剣には暗い鬼火のような輝きが宿っている。
物理攻撃の効かない魔物にも通用する一撃だ。
剣はジャック・シャドーの顔面を、半分吹き飛ばした。
「まだまだっ!」
影の巨体が甲高い悲鳴をあげてあとずさったところで、さらに一撃。
胸を突く。確かな手ごたえ。
無論、敵もやられてばかりではいない。
反撃の一撃を喰らわせようと、影の剣が振りかぶられる。
避けることはできる……が、その必要もない。
「お兄様!」
さらに、輝く風が放たれた。
今度は薙ぎ払うのではなく、弾丸のように鋭い一撃だ。
威力を重視した反面、範囲が絞られているので避けられやすいが、剣でのダメージに気を取られていたジャック・シャドーは反応が遅れた。
風の弾丸が直撃して、そのまま突き抜ける。
巨大な体が大きく削がれた。
やはり、この威力はすごい。
と思ったところで、グレイの口からうめき声がもれた。
「ぐ……っ」
速度を重視したためか、輝く風は若干狙いが甘かったのだ。
わずかに低い軌道で飛んできた、その影響がこっちに来た。
さすがに破壊力の範囲には巻き込まれなかったが、強烈な風にあおられることで、軽い体が流れそうになる。
だが、そうはさせない。
「っと!」
反射的に、流れそうになった体を立て直した。
そうすることが、いまの自分にはできたのだ。
といっても、単純な筋力で踏みとどまったわけではない。
体の軽さは筋力ではどうしようもないので、それでは持ってかれていただろう。
だから、ここで頼りにしたのは物理的な力ではなく、魔力だった。
魔力によって、魔法の効果に抵抗したのだった。
なにも突飛な話ではない。
最初に自分が魔力を使ったのも、カミコのテレパシーを掻き消したときだった。
ただ、かといって、それが実戦で使い物になるかどうかは別の話だ。
実のところ、サクラの魔法の検証に初めて向かったときに、問題があると思った点のひとつがここだった。
スケルトンを足どめした広範囲の風の魔法。
あの領域に、自分は足を踏み入れることができなかった。
魔法を使って味方の行動を阻害してしまうサクラの問題……というのは、一面から見た事実でしかない。
自分があの風に堪えることができるか、あるいは、完全に影響を排除できずとも動ければ、もっとやりようがあったはずだった。
なにより、あれを敵が使ってきたらどうするのか。
動けなくなってしまっては、それだけで詰んでしまう。
これは大きな問題だった。
むしろ、そんな相手に当たる前に『魔法的防御の脆弱さ』に気付かせてくれたサクラには、感謝しなければいけないだろう。
いまの攻防もそうだったが、サクラとの共同戦線はそのまま魔法への抵抗力を強める訓練にもなる。
普段でも訓練はできるが、やはり戦場での咄嗟の反応は経験がものをいう。
場数が必要なのは、自分も同じだったということだ。
これまで何度か体を持っていかれてヒヤリとしたが、もともと、魔物は『ひとつ角』を1体だけに絞っていたので、切り抜けることはできた。
当然、魔石収集効率は落ちたが、サクラだけではなく自分の訓練にもなるのだから収支は取れている。
そもそも、魔石収集はあくまで強くなるための手段であって、別の方面を鍛える必要があるなら優先すべきはそちらだ。
実際、成果も出ていた。
「おおおおおっ」
魔法の余波に堪えたグレイは、間髪入れずに剣を振るった。
確かな手応えを得る。
致命傷を喰らったジャック・シャドーの巨体が、ゆっくりと掻き消えていった。
***
「お兄様!」
戦いが終わると、サクラがパタパタと走ってくる。
「おーい。ゆっくりでいいからな」
グレイは声をかけてやり、少し身構えた。
ホムンクルスの失敗作という出自が祟っているのか、どうもサクラは運動があまり得意ではない。
走り方からして若干よたよたしているし、たまに転ぶ。
まずいのが、手を突いて体をかばおうという反射がうまく働いていないことだ。
以前に部屋でやらかしたときには、大きな擦り傷を作りながらも無表情でむくりと身を起こす彼女の姿をカミコが目撃して「ぎゃー、なにしてんのなにしてんの!?」と大騒ぎになったくらいだった。
集中力の違いか、戦闘中には問題にならないのだが、こうしたふとした場面では目が離せない。
損傷と痛みを許容して戦うことのできる邪神の契約者である自分が気にするのも変な話かもしれないが……無駄に怪我をして痛い思いをするのは話が違うと思うのだ。
さいわい、今回は転ぶことなくサクラは無事に到着した。
「お疲れ様。いい時間だし、今日はこれで探索は終わりにしようか。だいぶ、サクラも戦闘に慣れてきたな」
「いいえ。お兄様。まだまだ、です」
彼女は首を横に振ると、手を前に出してバタバタした。
「もう、ちょっと。こう。こう、です」
「うん。まあ、なにを言いたいのかはわかるけど」
うまく言葉にできず、ジェスチャーも下手っぴ過ぎて全然わからないが、話の流れからすると、若干、狙いが甘かったことを言いたいのだろう。
「あれくらいなら許容範囲だけどな」
言いながら、魔法の余波で乱れてしまったサクラのやわらかい髪が、彼女の口に入ってしまっていたので取ってやった。
女の子に気安く触れるのはどうかとも思うのだが、サクラはどうも身だしなみという概念に恐ろしく無頓着なので、こうして直してやらないと髪の毛なんてぐちゃぐちゃのままでいるのだ。
このまま帰るとカミコが不機嫌になるし、こちらとしても気になるので直してやっている。
まあ、自称妹だし、これくらいのスキンシップはいいんじゃないだろうかと思う次第だ。
……もうひとつの自称のほうを思い出して『ブラッシング』という単語が思い浮かんでしまったので、そちらは頭から追い出しておいた。
「まあ、妥協せず上を目指すのは良いことだ」
「はい」
「……これなら、次の段階にいけそうかな」
少し考えてからつぶやくと、サクラがかすかに嬉しそうな顔をした。
表情の薄い彼女にしてみれば、これで精一杯の感情表現だ。
「本当、ですかっ」
「ああ。がんばったな」
サクラの成長は、こちらとしても喜ばしい。
喜びを共有できるのは嬉しいものだ。
前世では知らなかったことだった。
だからだろうか。
ふと思い付いた。
「そうだ。お祝いでも渡そうか」
「お祝い、ですか」
「大したものは渡せないけどな」
探索は終わりで帰るだけだし、魔力には余裕がある。
グレイは拳を作って、魔力を集めた。
使うのは具現化の魔法だ。
最近、それなりにかたちになってきたので、実際に使ってみたかったというのもある。
あまり大きなものは作れないのだが、今回は特に問題にならない。
集中して、慎重にイメージを固めて、魔力を編み上げた。
「こんなもん、かな?」
拳を開くと――掌の上には、髪飾りがあった。
成功だった。
髪飾りはふたつペアで、桜の花びらをモチーフにしたものだ。
クリスタルのように透き通っているが、ほんのわずかに桜色がかっている。
オリジナルのデザインというわけではなく、生前のまだ幼い頃になにかで見たものだ。
桜の花が好きだったので、印象に残っていたのだった。
しかし、練習の成果を確かめるためでもあったのだが、なかなかうまくいった。
とはいえ、これは小さいのでよかったけれど、まだ武器を作るのは難しそうだ。
と、いまはそんなことを考えているときではないか。
「プレゼントだ」
不思議そうな顔をしているサクラに、グレイは髪飾りを手渡した。
彼女はきょとんとして、掌の上の作り物の桜の花を見つめた。
「なんですか、これは」
「髪飾りだよ。これで髪をまとめるんだ。ほら。戦いの最中、魔法の風であおられると、視界が悪くて危ないだろう」
前から気になっていたのだ。
サクラは割と髪が長いので、戦闘中は邪魔になる。
まとめておいたほうがいい。
髪飾りはふたつあるので、おさげにでもしておけばいいだろう。
「それに、可愛いとも思うんだけど」
「可愛い、ですか?」
「あ。ひょっとして、気に入らないか?」
ふと気付いて、少し慌てた。
完全に思い付きだったので深くは考えていなかったのだが、実用面もあっての品とはいえ、女の子のアクセサリーだ。
どういうものがいいとか、好みがどうのこうのとか、目利きの自信は正直ない。
「気に入らないようだったら、カミコに言って新しいのを作ってもらうけど……」
とりあえずこの場は回収したほうがいいかもしれない。
そう考えて手を伸ばした、そのときだった。
「――ッ! 駄目、です!」
バッとサクラは髪飾りを掌のなかに握り込んだ。
おまけに、驚かされた猫みたいに飛びすさった。
髪飾りを握り込んだ手を胸元に、取り上げられてはかなわないとばかりに。
グレイは少し呆気に取られてしまった。
「えーっと」
「……あ」
思わぬ反応に驚くこちらに気付いたのか、サクラはかすかに目を見開いた。
「申し訳、ありません」
謝罪の言葉を口にする。
自分でもなんでそんな反応をしていたのか戸惑うような雰囲気があった。
もちろん、目くじらを立てるようなことではなかった。
「いや。別に、びっくりしただけだから」
気に入ってくれたならそれでいいのだ。
驚きはしたものの、ほっとしたくらいだった。
「じゃあ、帰ろうか」
「はい。お兄様。あの」
「ん?」
「ありがとう、ございます」
そう礼を言って、素直にあとをついてくるサクラの足取りは、心なしか軽い気がした。
気に入ってくれた、ということだろうか?
だとすれば、少し嬉しい。
その日の夜、サクラはずっと髪飾りに夢中だった。
いつまでも飽きることなく、彼女自身の名前が付いた透き通った輝きを眺め続けていたのだった。
◆ヒロインへのプレゼント回です。
ここまで髪には無頓着でほったらかしのサクラでしたが、白に近い柔らかい髪質のおさげさんになりました。
サクラはいろんな意味でふわふわした妖精みたいな女の子のイメージです。




