17. お風呂の時間
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
17
「お待たせー」
「お待たせ、しました」
しきりの内側に足を踏み入れるふたりに、グレイは一瞬黙ってから声を返す。
「……別に、待ってはいないけど」
「またまたー。さみしかったくせにー」
「風呂は普通ひとりで入るもんだろ」
言い合いつつ、視線の置きどころをどうしようか少し迷う。
見てはいけない気もするが、目を向けないのもこちらだけ意識しているようでなんかいやだ。
結局、グレイは普段通りにすることにした。
向こうも気にしていないのだし、こちらも気にしなければいいだろう。
仕切りのなかに入ってきたふたりは、胸から長いタオルで体を隠していた。
こちらよりも少し時間がかかったのは、長い髪をアップにまとめていたためらしい。
タオル姿のカミコは、服を着ているときよりスタイルの良さが目に付いた。
背丈の割には手足はすらりと伸びており、思いのほか女性らしい。
腰の細さに比べた胸のボリュームは人間離れしたスタイルの良さで、さすがは神様とでもいうべきなのかもしれない。
もう一方のサクラの体は、とても華奢だった。
未成熟な体は薄く、手足は細くて、精緻に整った顔立ちもあってどこか妖精めいている。
彼女は昼間ずっと寝ている――幽体離脱している――ので、意識のある夜の間には歩行訓練をしているのだが、その成果が出ているのかもう歩けていた。
「あ。サクラ、濡れてるところはすべらないように気を付けるんだよ」
「はい」
世話焼きのカミコが注意をしつつ、湯船までやってくる。
「へへへー。いいお湯だ。ではさっそく」
いかにも嬉しそうにお湯を腕でかき混ぜたあとで、湯船に入ってくる。
へりを乗り越えようとしたときだけは、無防備にさらされたふとももの内側の白さが目について、グレイは反射的に目をそらした。
湯船をゆらす波紋がこちらまで伝わってくる。
ふたつの少女の体が湯に沈んで、そのぶんだけかさを増したお湯が肌をくすぐった。
「ふぃー、これはいいね」
「……」
カミコは組んだ両手を思いきり前に伸ばして湯の感触を堪能し、サクラのほうはなにを考えているのかわからないぽやんとした顔で湯にあごまで浸かっている。
「……」
しかし、考えてもみれば、異性と混浴というのも初めての経験だ。
もちろん、しっかりと分厚いタオルはちゃんと役割を果たしている。
露出は多少多いが、ミニのワンピースと比べてそう大きくは違わない。
それでも身の置きどころがないような感覚があるのは、タオル一枚ほどけるだけで彼女たちが一糸まとわぬ姿になってしまう状況自体が刺激的だからだろうか。
あとは、濡れているというのがどうにもいけないのかもしれない。
カミコのほうは、十分に女らしいボリュームのある胸に濡れたタオルが張り付いているのが、なんだか妙に煽情的に感じられてしまい、目の前にいるのが別の女性であるかのようにさえ思えてしまう。
サクラのほうは、妖精めいた体が触れてはいけない禁忌めいたもののように感じられてしまい、同じ湯船につかっている事実を思うと妙な気持ちになる。
端的に言えば、恥ずかしい。
しまった。
なにがなんでも回避するべきだったか。
しかし、今更逃げ出したら、カミコにあとあとまでからかわれる気がする……。
さいわいなことがあったとしたら、興奮するところまではいかなかったことだろうか。
こうしてつらつら考えていられることからもわかるように、すごい恥ずかしいけれど、冷静さは保っていられている。
たとえるなら、子供が美人なお姉さんにお風呂に入れてもらったときのような感じというか。
これは単純な話で、実験失敗作の未熟さのためだった。
性欲がないわけではないのだが、かなり薄い。
良かったような、残念なような……。
第三種存在、魔法生物は魔力で肉体の在り方が変わるので、いずれ状況も変わるということだが。
それは未来の話だ。
スケルトン・ナイトに殺されかけたときから、グレイは未来のことを考えないようにしていた。
いまを生きなければいけないから。
未来のことを考えている余裕なんて自分にはないから。
そんなふうに、風呂の熱気にあてられて思考をさまよわせていると、ふとカミコが口を開いた。
「ほんと、お風呂はいいよね。この世界に現界して手に入れられた最高の喜びのひとつと言ってもいいかも。わたし、お風呂を司る神様になろうかな」
「またとんでもなくいい加減なことを言い始めたな……」
「いやいや。神柱によっては、司るモノが複数あるのは普通だし。わたしも、もともと、水のほかにも、正義とか勝利とか生命とかいろいろ司っていたしね」
「それじゃあ、俺は水と正義と勝利と生命とお風呂の神の使徒になるわけか」
「悪くないでしょ?」
あけすけに笑う。
いい加減なことだと思いながらも、グレイも気付けば笑っている。
こういう彼女との時間は悪いものではなかった。
「にしてもさ、グレイ」
どことなく、ゆるんだ声でカミコが呼んできた。
「思ったよりも、全然早く第二層まで辿り着いたね」
「そうか? もう……38日経ってるが」
ここにやってきてからの時間は、壁に傷を付けてメモしている。
決して短くない時間が過ぎていた。
しかし、カミコは肩をすくめた。
「あはは。わたしは、第二層進出までは半年かかると思ってたよ」
「……」
実際、その感覚は間違ってはいない。
戦い方を変えたことで、毎日手に入れる魔石の数は4~5倍ほどに増えている。
強化に使用した魔石の数は、累積で314個になった。
これに対して、戦い方を変えるまでは1日に5個程度しか魔石は手に入れられなかった。
肉体の維持に1日1個。サクラのぶんも合わせて考えれば2個。
カミコにも魔石を渡すことを考えれば、肉体強化に使えるのは1日2個。
現状の強化魔石個数314までは150日以上かかった計算だ。
それにしたところで、生前での環境のおかげで最初から二階紋を持っていたから可能なスピードだった。
そうでなければ、カミコの言う通りに半年か、それ以上かかってもおかしくなかったはずだ。
「……グレイはすごいね」
カミコはしみじみと言った。
やっぱり、気がゆるんでいたところもあったのかもしれない。
このときの彼女は、少し無防備だった。
「このぶんだと、そう遠くないうちに迷宮を脱出できるかもしれないね」
「……カミコ?」
自然にしていようと思いつつもそらし気味だった目を、グレイはここで引き戻した。
どことなく彼女の声が、さみしそうに聞こえたからだ。
疑問を覚えた。
自由を奪うこの迷宮から脱出する。
目的を遂げる。
良いことのはずだ。
当然、そのときにはカミコの目的も果たされている。
なのに、どうしてさみしそうなのか。
彼女だって、ある程度の自由を得ることはできるのだ。
ここから出ることはできないけれど……。
「……あ」
そこで気付いた。
というよりも、想像ができたというべきか。
未来のことを考えないようにしていた弊害。
脳裏に思い描きもしなかったこと。
自分は外の世界へ飛び出していき、カミコは封印の迷宮に取り残される。
それはつまり――。
「お別れ、か」
口にすると、聞いたカミコは困ったような顔をした。
「言わないでよ。最初からわかってても、さみしくなっちゃうじゃん」
はだしの足を伸ばして、ぴちゃぴちゃと水面を波立てながら言う。
最初からわかっていた――確かに、彼女の言う通りだった。
最初に交わした約束通りのことなのだ。
頭では自分もわかっていた。
そのつもりだった。
だが、きちんとはわかっていなかった。
別れという観点で、その事実を考えたことがなかったのだ。
いや。考えることができなかった。
誰かとこんなふうに接するのは初めてのことで。
当然、その誰かと別れることも初めてだったから。
間の抜けたことに、いまになって初めて、グレイはそのときを想像したのだった。
「俺は」
なぜだか少し背筋が寒くなった。
風呂のお湯が急に冷えたように感じた。
そんな自分の反応にとまどいを覚えた。
これはいったい、なんなのか。
わからない。
わからない、けれど……。
「俺は」
「駄目だよ、グレイ」
なにかしらの結論に達しようとした、その前に、優しい声が思考をとめた。
カミコの黄金の瞳が、気遣うようにこちらを見つめていた。
「キミは迷宮から外に出るんだ。わたしのことなんて、考えたら駄目」
ひとりでいたのがさみしかったのだと、かつて語っていた彼女は、はっきりと言ったのだった。
「ごめんね。わたしのせいで、変な感じになっちゃって」
カミコは笑う。
いつものように。
「あは。なにも死に別れるわけでもないんだからさ。会おうと思えば、いつでも会えるでしょ」
「そう……だな」
彼女の言い分は完璧だった。
異存を挟む余地はない。
もともと、ふたりの関係はそういうものだったのだから。
「ただ、そうだね。気が向いたときには顔を見せてくれたら嬉しいな」
「……ああ。わかった」
「ありがと」
嬉しそうに笑う。
そこに、まださみしさがひそんでいるように見えたのは気のせいだろうか。
あるいは。
さみしいのは、ひょっとして――。
***
カミコは先に風呂を出ていった。
なんとなく、グレイは残った。
普段なら一番早く湯を出て、魔法の訓練を始めているところなのだが、そういう気分にならなかったのだ。
頑張るということは、別れを早めるということ。
そこになにか、胸を締め付けられるようなものを感じてしまったから。
といっても、それはこのひとときだけのことだ。
生きるためには、いつまでも落ち込んではいられない。
5分か、10分か。
気持ちを切り替えてしまえば、普段のように振る舞えるだろう。
だから、それまでは。
「……ん?」
そうして考えにふけっていたところで、ふと我に返った。
お湯の動く感触があったからだ。
「……」
同じ湯に浸かるサクラがこちらにやってきていた。
なにを考えているのかわからない、茫漠とした色違いの目。
濡れて少し上気した肌。薄い肉付きの体。
「おい、それ以上は」
タオルを巻いているとはいえ、さすがに近くに寄られるといろいろ問題もある。
などという考えをまったく無視して、サクラは隣に腰を降ろした。
妖精のような華奢な体は、存在感までも儚く希薄だ。
けれど、いまはいちいちわずかな動きを湯が伝えてくる。
目の前の彼女は、普段は迷宮探索に同行している精霊と同一の存在で、ある意味ではカミコよりも親しみを覚えている相手と言ってもいい。
けれど、この姿でいるときに接するのには、まだ慣れなかった。
ぼんやりとした無表情のまま、ただその色違いの瞳だけが、混ざり合ったふたつの意思を宿して自分を見詰めている。
「お兄様」
「なんだ」
「一緒、です」
「……?」
言葉の意味が掴めない。
まだ言葉が足りていない彼女は、うまく自分の意思を伝えることができないからだ。
けれど、いまの自分を見て『彼女がなにかを伝えようとしていること』だけはわかった。
精霊の姿のときにそうであるように、寄り添い合って彼女は言うのだ。
「一緒に、いましょう」
精霊憑きの少女サクラが、幽体離脱しての索敵要員としてではなく、肉の体で探索に同行すると言い出したのは、この翌日のことだった。
◆お風呂回でした!
煩悩を消し去る除夜の鐘の前後でこれ。タイミングが少し面白いことになりました。だが気にしない。
お風呂回は反応良ければまたやるかもです。
更新の活力につながりますので、
楽しんでいただけた方、続きが気になる方、お風呂回もう一度見たい方などいらっしゃいましたら、
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※ 追記
小説家になろうのデザインが変わったようで、
各話の下部で評価ができるようになりました。
面白いなと思ったところでぽちってもらえれば励みになります。




