12. 新しい戦い方
12
「え? もう探索に行くの?」
翌日のことだ。
グレイが部屋を出ようとすると、カミコはあんぐりした。
「な、なんで? さすがに昨日は死にかけたんだし、何日かゆっくりしたって……」
どうやら数日を休養にあてるものと思っていたらしい。
けれど、グレイにそのつもりはなかった。
というより、逆だった。
あんなことがあったからこそ、探索に出なければいけないと感じていた。
「大丈夫。体はちゃんと回復してる」
「だけど」
探索に出ても問題はないと告げるが、カミコはまだ心配そうな顔をしていた。
「……」
このまま行ってしまうことはできた。
ただ、少しグレイは考えてから手を伸ばした。
「へ?」
彼女のほおにふれた。
昨日、ひざまくらでふれた彼女の存在に安心させてもらったのを思い出していた。
「グ、グレイ……?」
思わぬ行動にカミコが固まり、整った顔が少し紅潮する。
第三者的に見れば、まるで口づけでもするような体勢なので、無理ないことではあっただろう。
一方で、彼女の顔から不安がなくなったことに、グレイは満足していた。
……不安が消えたのは、彼が思っている理由とは違うのだが、なんにしても不安が解消されたことには違いない。
手段はどうあれカミコに対して、このような行動を――自分が生きるために必要ではないことをしたのは、ひとつの変化だとグレイは自覚する。
ああ、そうだ。
自分は変わっている。
その事実を、受け入れることにしたのだった。
命を助けてもらった。
気遣ってもらって、安心させてもらった。
なにもかも初めてのことで、これがどういう気持ちなのかはまだよくわからない。
けれど、彼女に関わることについては、生きるために関係ないからうんぬんと考えるのはやめたのだった。
カミコの火照った顔から不安の色が完全に消えたのを確認して、グレイはほおから手を放すとひとつ頷いた。
「よし」
「え!? なにがよし!?」
愕然とするのはカミコだ。
「ここまでしておいて、なにもしないの!?」
「ん? ここまで? なにをされると思ったんだ?」
「そ、それは、ちゅ、ちゅ……って言えるかぁー!」
カミコが赤面して叫ぶ。
騒がしいなあと思いながらも、グレイは掴みかかってくる彼女をとめる。
少しだけ笑う。
自分に訪れたそんな変化を受け入れる。
けれど、心境の変化はもうひとつあって――。
「じゃあ、行ってくるよ」
「むきー!」
手を振って部屋を出ると、グレイはいつものように部屋を出た。
「……」
朽ちたさびしい通路の空気を吸い、表情が消えた。
己の胸のなかにあるモノを意識する。
もどかしい焦燥感と、自分自身へのかすかな苛立ちを感じ取る。
もちろん、そんなものは命懸けの魔物との戦いには邪魔なだけだ。
ちゃんと胸の奥に沈めている。
それでも、なくなったわけではない。
さいわい、肉体的にはもちろん、精神的にも十分に回復している。
これならすぐにでも動けるし、動かなければいけない。
強烈な衝動に突き動かされるまま、少年は歩を進めた。
***
どれだけ慎重にしていようと、事故はありえる。
慎重に歩道を歩いていても、トラックが突っ込んでくるようなことはありえるのだ。
昨日は、そう思い知らされた。
慎重にしていたからこそ生きのびることができたわけだが、根本的なところは解決していない。
あんなことは、そうそう起きない?
その通りかもしれない。
だけど、そうではないかもしれない。
そうではない可能性がある以上、楽天的ではいられなかった。
では、どうするか。
単純な話だ。
トラックが突っ込んできても大丈夫になればいい。
もっと、もっと、強くなるのだ。
これまで意識的に戦いの経験を積んできた。
我流ではあるが、数をこなすことでそれなりに動けるようにはなった。
ただ、それで順調に強くなれるのは初心者のうちだけだ。
ある程度のレベルに達すれば、あとは少しずつ熟練していくしかない。
別の方向として魔法も練習しているが、こちらはまだかたちになるまで時間がかかるだろう。
しかし、自分にはまだもうひとつ力を伸ばす方法が残されている。
左腕にある紋章。
この階級を上げることだ。
ひと握りの実力者しかなれない二階紋のなかでも、ほとんど上がることのできる者のいない三階紋に至るのだ。
もちろん、簡単なことではない。
どう考えても時間がかかる。
問題点があるからだ。
自身を強化するために必要な魔石の収集効率が悪いことだ。
現状、自分自身の強化に使えるのは1日2個。
次の階級に上がる1000個まで、単純計算で1年半ほどかかってしまう。
もちろん、階級上昇はわかりやすい変化であって、階級内でも魔石を集めれば集めるほど成長はする。
そこを計算に入れれば、もっと期間は短くなるはずだけれど、それでもこのままでは1年を切ることはないだろう。
その間に、昨日のような事故がないと言い切れるか?
今度は死なずに済むか?
……駄目だ。
根本的なところをどうにかする必要がある。
最初から、それはわかっていたのだった。
自分はまだ甘かった。
覚悟が足りなかった。
目的のために――犠牲をよしとする覚悟が。
だから。
「……とりあえずは、いつも通りに」
グレイが精霊に呼びかけると、その光が少しとまどうように揺れた。
それは、少年の内心の変化についてなにか感じ取ったためか。
探索中はずっと一緒にいるために、そろそろ共有する時間も長くなっている。
相棒の声からなにか察してもおかしくない。
ただ、さすがになにを考えているのかはわからなかったのだろう。
精霊は普段のように先導した。
見付けたのは、スケルトンだった。
このあたりで遭遇するのは8割方スケルトンなので、予定通りだ。
「周りに敵はいないな?」
静かな口調でグレイが尋ねると、精霊は一拍置いてから光でマルを作った。
一拍、反応が遅れたのは、こんなふうにグレイが改めて確認することが普段はないからだろう。
言わずもがなのことを確認した。
つまりは、それだけ緊張しているということで。
けれど、やめるつもりはなかった。
「……行くぞ」
グレイは自分に言い聞かせると、錆びた剣をかまえて突っ込んだ。
スケルトンが気付いた。
カタカタとあごの骨を鳴らして、襲いかかってくる。
何十回と戦った相手だ。
戦いがどのようなものになるのかはわかっている。
向こうのほうが攻撃力も耐久力もある以上、こちらは攻撃を避け続けてダメージを積み重ねていくことになる。
弱らせて動きをとめて、隙を作って頭蓋骨を殴り潰すのだ。
グレイも戦いに慣れてきたために一撃の重みは上がっているが、それでも、回避を続けながら30回程度は叩かなければ倒せない。
攻撃力不足だ。
前世から呪いのように付きまとう脆弱な体のせいで、筋力の強化には限界があるから。
だから――ああ、だからなのだ。
覚悟を。
犠牲を、呑み込め。
「おおおお!」
攻撃を避けて、すれ違いざまに剣を振るう。
その一撃に、力を込めた。
これまでにない力を。
脆弱な肉体なんて知らない。
思いきり、振り抜いた。
「――」
耳をふさぎたくなるような、なにかが砕ける嫌な音。
一方は乾いていて、一方は湿っている。
スケルトンの体が大きく浮いて、背後に倒れ込んだ。
クリーン・ヒット。
剣は腕をへし折って、それだけで済まずに、あばらにめり込んで数本を砕いていた。
これまでにない威力だ。
ただし、代償はあった。
「……ぐっ」
グレイは悲鳴を呑み込んだ。
剣を握っていた右手の指が、2本折れていた。
筋もかなりひどく痛めている。
腕の骨にも、ひびくらいは入っているかもしれない。
当たり前だった。
もともと、攻撃力が足りていなかったのは、力をセーブする必要があったからだ。
全力を出すためには、耐久力が足りていなかった。
ただ、それは逆に、こうも言える。
体のことさえ考えなければ、もっと出力を上げることはできるのだと。
実際、一度だけにしろ、力では格上のスケルトン・ナイトの一撃と互角だったのだ。
そう。
これは、あやうく死ぬところだったあの戦いが教えてくれたことだった。
そして、気付いたことはもうひとつあった。
自分はあのとき、スケルトン・ナイトの矢を受け続けながら走り続けた。
意識が飛びそうな痛みに堪えた。
絶対に諦めずにいた。
このふたつが大きかったのは確かだ。
しかし、もっと根本的なところがある。
つまりは、命中率がかなり低かったとはいえ、あの強烈な矢の攻撃を受け続けて死ななかったこと。
最後にはハリネズミのようになっていたのに、死なないどころか走り続けた。
注目すべきは、ここだ。
こんなことができたのは身体能力強化のおかげなわけだが、その対象はいくつかある。
――単純な腕力に直結する、筋肉出力。
――頑強さに関わる、肉体強度。
――足の速さや身のこなしにかかわる、敏捷性能。
――五感の鋭さを上げる、感知能力。
――受けた傷や病気を治す、自然治癒力。
――傷を受けても死にづらくなる、生命力。
これらには、人によって得意不得意がある。
グレイもそうだ。
感覚の話になるのだが、得意でも不得意でもない感知能力の強化を10とすれば、筋肉出力や敏捷性能は7くらいだ。
自然治癒力はかなり得意なので15くらい。
逆に、一番苦手な肉体強度は、残念ながら1か2程度に過ぎない。
本当にみじめなレベルだ。
これは、過去の認識に根差した意識が影響している。
すなわち、体とは壊れるものだと――気が遠くなるほど長かった生前の残酷な闘病生活が、頑強な肉体なんてものを想像させてくれないのだ。
これもまた、一種の呪いと言えるかもしれない。
ただ、あの地獄の日々がもたらすものが呪いだけかといえば、それは違っていた。
なぜなら、事実として、生前の彼は死ななかったからだ。
残酷な闘病生活に堪え抜いて、気が遠くなるほどの長い時間を生きのびた。
ゆえに、その存在がそこに特化するのは必然と言えるだろう。
すなわち、得意不得意のない性能を10とする物差しで考えるなら――生命力の値は40を超えている。
肉体強度が平均の5分の1である代わりに、生命力は4倍以上。
ひどくいびつだ。
だが、これがグレイの在り方だった。
逆に言えば、これくらいでないと、肉体強度がこれだけ脆弱なのに、二階紋になれるはずがないとも言える。
かつては病で、いまは戦闘によって、容赦なく肉体は崩壊する。
だが、それがどうした。
自分は死なない。
どれだけ負傷しても損傷を無視して戦い続けられること。
それこそが『邪神の契約者』グレイの特性なのだ。
動けさえすれば、戦いの最中でも少しずつ、二階紋でもそこそこ優秀な自然治癒力が治してくれる。
もちろん、こんな戦い方は痛みへの並外れた耐性がなければできない。
けれど、さいわい、そこについてだけは自信があった。
痛みを呑み込む。
苦しみを受け入れる。
所詮、この身は人造物。
失敗作のホムンクルスだ。
どれだけ痛もうと――生きていさえすれば、どうでもいい。
「おおおおおお!」
剣を左手に持ち替えて、大ダメージを受けたスケルトンに打ちかかる。
当然、右手の痛みは動きになんの支障も及ぼさない。
あえて傷付いた側を使うこともないので持ち替えはしたものの、必要があれば、これくらいの負傷なら無視して痛んだ右腕を使えるくらいだ。
スケルトンを倒すまでに、そう時間はかからなかった。
***
「……最短記録更新だ」
つぶやきながら、スケルトンの魔石を拾い上げた。
倒すまでかかった時間は、5分もない。
これまでは10分から20分ほどはかかっていたから、かなりの時間短縮だった。
続いて、痛んだ腕を確認する。
昨日スケルトン・ナイトにやられたように、完全にひしゃげてしまっていたら、回復魔法でも使ってもらわないときつい。
だが、ただ折れたくらいまでなら自然治癒でも1時間くらいで治る。
二階紋の自然治癒力はそれほど高い。
そもそも、治らなかったところで、痛みを無視すれば普段と同じように使えるのだ。
なんの問題もない。
そう判断したところで精霊が寄ってきた。
少しせわしなくまわりを飛び始めるので、首を傾げた。
「どうした? ……ああ、心配してくれてるのか」
右腕の負傷を気にしているのだ。
「なんの問題もないよ。この程度の怪我は想定してた」
肩をすくめる。
一応、念のために慎重になりはしていたものの、その必要もなかったくらいだった。
「それよりも、次だ」
この程度で足をとめるつもりはない。
そもそも、こんなのはまだ過程でしかないのだから。
「次が、本番だ」
ぴたりと動きをとめた精霊に、グレイは次の指示を出した。




