作者目線で感想について語ってみたい
初めましての方は初めまして。二度目三度目という方はお久しぶりです。
先日「他力本願英雄」を完結させました寒天と申します。読んだことのない方はどうぞ一度……(ダイマ)
このエッセイは「自分の意見を纏めたエッセイって一度出してみたくない?」というただそれだけの理由で書いたものです。
書籍化の書の字にも届いていないような木っ端作家もどきが偉そうなことを言うんじゃねぇよ、みたいなことを言われるかも知れませんけど……一本は完結させたという盾を持って自己主張してやろうかと。
まあそんな感じでダラダラと書くつもりですので、執筆の参考書を探すといった目的ではあまりみないことをおすすめします。
構成は
1.感想へのスタンス
2.感想の内容
3.まとめ
となっております(ぶっちゃけまとめだけ見れば5秒でいいたいことはわかると思います)
1.感想へのスタンス
では、始めにある意味なろうに投稿する目的そのものと言っても過言ではない「感想を書いてもらう」ということ自体についての話を。
まずは完結までに感想をくださった皆さんに改めてお礼を申し上げます。お褒めの言葉をいただけたのは間違いなく作品を完結まで走らせるのに必要不可欠な動力源です。感想がほとんど無いような状況のままでも平然と突っ走れるオリハルコンメンタルの持ち主なんてそうはいないのです。
しかし、私はこの感想システムが絶対とは思っていません。繰り返しになりますが、お褒めの言葉をいただいた皆さんにはとても感謝していますが……一つ思うことがあるのです。
ここでなろうに投稿した経験のある方は言うまでも無い話を一つ。
読み専の皆さんにも想像して欲しいのですが……ホーム画面に「感想が書かれました」の通知が出た時って何を考えると思います?
よほど特殊な思考回路を持ってない限り二種類の思いが頭に浮かぶと思います。つまり「褒めてもらえるかな?」というプラス思考と「否定意見罵詈雑言だったらどうしよう」というマイナスの思考です。
当然読者一人一人に個性があり感想があるわけですから、送られてくる感想が必ずしも褒め言葉とは限りません。それこそ小説に限らず世界的に有名なアレやコレにも否定意見は沢山つきます。人生を七回くらい遊んで暮らせそうな収入をもたらしているような超大作にさえ否定意見は沢山あるのです。
となれば、当然感想の内容を見るまでは不安になるはずなのですが……私は終盤になればなるほど「感想が書かれました」の通知をクリックするのが怖くなくなりました。
その理由は簡単で、否定意見なんて来ないからです。「面白いです!」とかそんなニュアンスの温かいお言葉しか来ないからです。
ここまで読んだら皆さん「何だただの自慢かよ」と思われるかもしれませんが、別にそういう意図ではありません。
私がここで言いたいのは『「感想で否定意見が来ない=名作」という式は正しいのか?』と言う話です。
まず結論から言いますが……私は違うと思います。むしろ、否定意見が来なかったというのは項垂れ恥ずべき事であると思うのです。
何故ならば、実のところ投稿開始から最後まで否定意見が全くなかった何てことはなく、ある一定時期のみ否定意見があったからなのです。
それがいつなのか? と言いますと、「他力本願英雄」が日刊ランキングに上がっていたころ、つまりは新規の読者が沢山現れた時期です。
その内容に関してはまた後で触れるとして、では何故その時だけに否定意見が集中したのか……その答えは明白でしょう。
ずばり、作品を気に入らないと判断した普通の人は最後まで読まないからです。
そりゃそうだって話なのですが、普通は気に入らないものをわざわざ時間をかけて読み進めたりはしません。何十万何百万という文字の羅列を最後まで読み最新話に感想をくださるような方は、必然的に作品に好意的な方ばかりになるのです。
ランキングに昇ってから見た、というような「今は気に入らないけど面白くなるのかも?」と期待させるような何かがあって始めて「作品を読み切りマイナスの感情で感想を書く」という結果が現れるのだと思います。
まあ、中には話の内容なんて全く興味も示さずまともに読みもせずに罵詈雑言まき散らすのが趣味みたいな人もいるでしょうが、それは例外としましょう。
要するに、肯定意見が来ることを喜んではいいですが、否定意見が来ないことを誇ってはいかんと思うわけですよ。あちこちの纏めサイトなんかをちょっと見るだけでもわかるとおり、世の中には上記で上げた「普通の人」に該当しない、ファンより詳しいアンチって人種がいるんですから。
これは異論反論あると思いますが、私はアンチもファンの一部だと思っています。というよりも、熱狂的なアンチを作れるような作品こそ本当の魅力ある作品の基準だと思います。
何せ、その人の好みに合致しないにもかかわらず多大な時間と労力を吸い上げるほどのエネルギーがあるってことですからね。それをやらせれば大した物だと思います。
繰り返しますが、馬鹿だの死ねだのと「人気者を潰したい」なんて理由で作品の内容なんざ知りもせずにひたすら負のエネルギーを注ぎ込んでいるだけの誹謗中傷はまた例外ですよ?
そういった人種ではなく、作品と波長が合わない人の興味すら引きつける……それこそがその他大勢レベルから一段階上にレベルアップしたってことなんだと思うのです。
でも否定意見なんて見たくない聞きたくない。そう感じるのは当然のことですが、それはもう仕方が無いのです。
肯定意見しかいらないと思うなら、不特定多数が見るようなネット上に上げること自体が間違っているんです。それこそお父さんやお母さんにでも見せて「上手に書けたね~」と頭撫でてもらえばそれでいいでしょう。ネットの海なんて価値観が違う人から心ない人の皮を被った悪魔まで沢山いるってのは初めからわかりきっていることなんですから。
不特定多数が見る以上、絶対に否定意見は出るのです。それはただの事実なんです。
そういった意味で、ランキングに乗っていた時以外では作品と波長が合った人の意見しかもらえなかった。それを私は「それ以外の人の関心を引くことはできなかった」と判断しているわけですね。
言ってしまえば、話数別アクセスの第一話を見てからどんどん減っていくPV数……無言で外されるブクマ、その減った数こそが作品に対する「貶す価値もない」という否定意見の総意だともとれますから。
否定意見を投げつけられて落ち込んでいるという作者の方は大勢いるでしょうが、私はそれを誇りに思ってもいいくらいだと思います。
アナタの作品は、本来興味関心を持たない層すら動かす魅力とエネルギーに満ちあふれている……つまりはそういうことなんですよ!
作者の方なら初めからいきなりランキングを駆け上がりスター街道以外の道なんて知らないみたいな特権階級でも無い限りわかると思いますが、必死こいて書き上げた一話を投稿した末、否定も肯定もない無反応で終わる。これ以上に悲しい事なんて無いんですからね。
そんなときは「いっそ罵倒で良いから何か反応してくれ!」と本気で思いますから。もしかして「このアクセス数って全部人間じゃないんじゃないの?」みたいなネガティブ思想になりますから。
まあ、それはそれとして否定されれば普通に傷つきますので、自分を慰める肯定意見の方を大切にすべきなのは間違いないですよ。今を楽しんでくれる人がいるのは確かなのですから。
否定意見は来るけど肯定意見が来ない……みたいな場合は一度自分を見直すべきですが、そうではないのなら今の作品を肯定してくれる人を大切にしつつ「俺はアンチすらも動かす大物になったんだなぁ」なんて余裕の笑みを浮かべるくらいの図太さを持つくらいで丁度いいと思います。
不特定多数を相手に自分の妄想をさらけ出す以上、絶対に否定される覚悟は持つべきだと思いますから。
とはいえ、これを攻撃する側の読者の目線でいうと「いじめっ子の理屈」にしかならないので、ここで私は作者としての目線で偉そうに語らせていただきました。
何だかんだ言ってもですね、結局感想が来ない以上の否定意見はないんだぞってな結論です。
2.感想の内容
えー、偉そうなことを散々書き散らした後に語りたいのは、感想の内容についてです。
ここまで読んでもまだ戻るボタンを押していない奇特な方々。更に主観的て独善的な話をいきますよ?
ここでは超主観的な「いい感想」と「悪い感想」について語りたいと思います。
前述したとおり、これは肯定意見がいい感想、否定意見が悪い感想って意味ではないですからね。いやまあ、作者目線から考えるというスタンスなので、極一部の例外を除いて肯定意見はいい感想ですけど。
ではまず、「肯定意見」におけるいい感想と悪い感想について。
はい、褒めてもらえるんだからいい感想に決まっています。以上。
……でも別に良いんですけど、まあ流石に乱暴なのでもう少しだけ。
まずいい感想についてですが、褒める感想で一番簡単なものといえば「面白かったです!」の一言だけってパターンですかね。作者の目線でいうと返信の内容が「ありがとうございます!」の一言だけくらいしかしようが無いって意味ではちょっと困りますが、ありがたいことに変わりはありません。
活力になりますからね、面白いと言っていただけるのは。もうこれだけで次も頑張ろうって思えます。応援の言葉はそれだけで作者のエネルギーになるのです。
より嬉しいのは作中の内容に触れたお褒めの言葉ですね。「あの場面で感動しました!」みたいな「しっかり読んでくれたんだな」と思える分より作者のエネルギーとなることでしょう。
更に更に深くなると「ここで○○が活きて来るわけですね!」と過去の伏線までしっかりと把握しているような感想になればもう感無量でしょう。まれに作者ですら忘れていたような過去の設定を伏線と認識してくる場合もありますが、そんなときは全ては私の思惑通りみたいな顔して対策を考えればよいのです。
凄い人はもう作者よりもこの作品に詳しいんじゃねってくらいに細かく把握してきますから。そんな人が現れたときは対応に困るかも知れませんが、そこまで人の心をつかめたことを素直に喜べば良いですね。
じゃあ肯定意見で悪い感想とはなんぞやといいますと……興が乗りすぎて感想の枠を超えて何かしらの要求になっているパターンが一番多いですね。簡潔に纏めれば、褒め言葉を隠れ蓑にした我が儘ってところですか。
もちろん「続きが気になります!」というような文面なら何の問題もありません。ご期待に添えるように頑張りますというだけです。
しかし「続きは○○で××になるんじゃないかと期待しています」とか「○○になってくれると嬉しいです」みたいに、まだ投稿されていない先の展開を勝手に決めるような真似はよろしくありません。それに流されれば当然作者側が考えていたストーリーが破綻しますし、かといって無視すると反発して一気にアンチに回るんじゃないかと恐怖すら感じます。
興奮するくらいにのめり込んでくれるのはもちろん嬉しいのですが、くれぐれも節度は守るようにしましょう。
では次は「否定意見」におけるいい感想と悪い感想に行きましょう。
これはずばり、自分とは違う目線を知れる感想でしょう。この演出を作者は良いと思ったが、よく思わない人もいる。それは何故よくないと思ったのか、というものが見えてくる感想はある意味肯定意見以上の宝です。絶対にないがしろにせずに吸収しましょう。
詰まるところ、否定することに理由が見えてくる感想が否定意見でいい感想であると思います。更にいえば、その理由が客観的に見て納得が行くものであることですね。
どうしても自分の書いた作品を否定されると感情で反発してやりたくなりますが、そこはぐっと抑えて第三者の目で見ていることが一番大切です。
……なんてきれい事はこのくらいにしておきましょうか。上記は間違いなく正論ですが、でもしかしと反論したい人って沢山いると思います。
私がその立場で意見するのなら、この理論『何をもって「客観的」と「主観的」を分別するの?』って点ですね。
これはもう完全に作者目線で分類させていただきますが、感想を受け取った作者が納得するかどうか。もうこれだけです。そもそも創作に正解なんて無いんですから、否定意見を出した方の意見が正しい保証は無い以上、最後に権力を持つのは作品を作る作者のみです。
だから納得できる否定意見ならいい感想、納得できなきゃ悪い感想くらいの気持ちで良いでしょう。それでも「俺の意見を受け入れないなんてクソだ!」みたいな喧嘩売られた場合は明確に悪い感想に分類して見て見ぬ振りをすればいいですね。
……まあ、十人中十人が「これはおかしい!」といっているのに納得できないから無視ってのも困りものですが。その場合は「一度冷静になって意見を客観視する」ができていない可能性大ですので、一回落ち着きましょう。
とにかく、その否定意見を取り入れることで作品をよりよくできると思うものがいい感想、そんな意見取り入れてもその人しか喜ばないものが悪い感想だと思えばいいと思います。
具体例を挙げますと、いい感想とは「主人公はAを助けてBを成敗したけど、これBの方が可哀想じゃない?」というように、作者とは違う視点から物事をみているのが一番わかりやすいですね。
作者も人間ですのでどうしてもお気に入りのキャラを依怙贔屓してしまうことはよくあります。そんなときに浴びせられる客観的な意見には狭くなった視野を広くしてくれるという意味で非常にありがたいものです。
というか、別視点の素直な感想を受け入れられないのであればかなり深刻な問題と思うべきでしょう。もうそれは「主人公=自分の自己投影が目的だから都合よく進むんだろ」と言われても反論できません。
ちなみに、私は極力作者の加護が主人公を甘やかさないことを常に念頭に置いて書いていました。結果、もし異世界転生してもこいつにだけはなりたくないって系統の主人公になりましたね。
他にも主人公を否定するような感想って結構あると思うのですが、それは本気で検討しましょう。全ての軸である主人公が偏れば全体に響きますし、一番描写が多い分ついつい甘やかしている可能性高いですからね。
ああ、ちなみに誤字脱字の指摘や明確な設定や思想の矛盾の指摘など、正解がある否定もここでしょう。明確な間違い、または自分で自分の言葉を否定していたなんてことがあればもう修正します以外の台詞なんてありません。
誤字脱字はまあともかくとして、設定や思想の矛盾はミスだとわかっていても受け入れがたいって時はあるかも知れませんが、受け入れたくないのなら「それは伏線なのだよ」と開き直ってストーリーを再構築するしかないですね。
矛盾に関しては、ガチガチにプロットを固めるのではなくその場のノリと勢いで話を書いては投稿するってスタイルの場合(つまり私のような人間)に陥りやすいと思うのですが、その時のテンションや影響を受けたもの次第でキャラの行動がぶれているってケース、結構よくあります。
酷いときは「人殺しはいけない!」と不殺を謳っていたはずのキャラが次の話では「虐殺ってタノシー!」みたいな殺人鬼になったと思ったら次に話ではまた普通に「ボクは人殺しなんてしたくないんだ!」になってたりしますから。
書いているときは不思議なことにそれが自然だと思っていたんですが、いざ全体を見てみると何この異常者ってなことになりかねません。
恐らくは最初は不殺キャラで行こうと思ってたんだけど、ある日戦争物でも見て殺戮に魅了され、しばらくしてまた元に戻ったとかそんな感じなんでしょうけど。
とまあ、そんな感じの異常な状態を教えてくれた感想は素直に受け入れるか、あるいはもうそのキャラは真性の異常者であるって前提で話を作ることにしましょうね。
なお、これはただの蛇足ですが、例えば「ヒロインを助けるためだから」みたいな言い訳をしてなあなあで済ませるのは私は嫌いです。理由をつければ放棄していいような軽い覚悟であるってことになってしまいますし、やりたくないことをやったのはヒロインのせいであるなんてそんな責任転嫁は格好悪いと思いますから。
対して悪い感想の例ですが、例えば「つまらない」「駄作」だけみたいな「何でそう思ったの?」が抜けているパターン、そして「テンポが悪い」とか「主人公はもっと○○であるべき」などそもそも人それぞれなんだけどなってパターンですね。
説明がないのはまあそのままとして、問題は人それぞれってパターンです。
実際に私は「説明が長くてテンポが悪い」とか「話が進まなくて読みづらい」って意見をもらったこともあるのですが、逆に今くらいのほうが状況がつかめて好きですってな意見もあったんですよ。
もう作者は混乱するしかありません。余計な描写は全部削ってサクサク進むのが好きって人もいれば、情報はこれでもかと詰め込んだ方が読み応えがあって好きって人もいるわけです。
もうこれはどっちに寄せればいいのか皆目検討がつきません。結局作者個人の独断と偏見で決めるほか無いわけです。
極端に悪い状態になっているものを止めてもらえるという意味ではこれはいい感想になる場合もあるでしょうが、よほどの事が無い限り作者目線では我が儘に分類されてお終いであると言っておきましょう。
なお、最悪のパターンは肯定意見の時と同じです。否定した後「○○にすればいもっと良くなるぜ」みたいに自分の意見を押しつけられるパターン……これは本当に最悪です。
極端な例を出せば、バトル作品で「バトルばかりで飽きる、もっと恋愛要素を入れろ」とか恋愛作品で「ガキの恋愛とか興味ないからもっとバトル方面に行け」というような知るかボケとしか言えないようなもの、あるいは俺TUEEE系の話に「主人公はもっと苦戦すべき」とか、逆に努力ものの話に「俺は俺TUEEEが読みたいんだから主人公と対等のキャラとかいらね」というような完全な我が儘じゃねぇかってな感じのものですね。
肯定意見の時は興が乗ってやり過ぎたんだなと思えましたが、否定したあげくこうすればいいとか、アンタは編集か何かなんですかとしか思いようがないでしょう。実績と実力を証明しているような偉大な作家や編集のアドバイスならばともかく、どこの誰ともわからない一読者の意見に展開を左右されているようでは破滅の未来しか見えないですもの。
とはいえ、もちろん理路整然としていて納得が行く批判の末に「こうした方が良い」ならば問題ない場合もあります。それこそ明確な矛盾の指摘と同じように、その意見に大勢が賛同して当然ってほどの説得力があり、作者すらそれを認めればいい感想に早変わりするってケースも無いわけではないのですが……相手がよほど狂っているってレベルでおかしいのでなければ余計なお世話にしかならないと断言しておきましょう。
以上、作者的目線からのいい感想と悪い感想でした。
3.まとめ
というわけで、ダラダラと感想についての私の考えをかき立てておきました。
ざっくり纏めれば、
・否定意見が来ないことは決して欠点が無い完璧な作品って意味では無い
・否定意見が来たのなら自分の糧になる感想だけを抽出するくらいで丁度いい
・否定意見しか来ない場合は一回冷静になって自分の作品を見直そう
・肯定意見は全力で喜んで次に繋げよう
ってなところですね。
以上で私の主観的な感想に対する主張を終了します。
ここまで読んでくれた方がどんな感想を持ったかはわかりませんが……何かの足しになれたのならば幸いです。