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四話

 宗太郎がガレージを上げると、中からホルムアルデヒドを伴った独特な異臭が漂った。

 中は窓もなく薄暗く、壁にはずらりと薬品棚が並んでいる。いくつか置いてある机の上には底の浅いシャーレが所狭しと詰められて、大小様々なそれは細胞のようにひしめき合っていた。

 奥には巨大な培養液の入ったカプセルも数個あり、中にはアミダ生物が保管されていた。

「向こうの椅子に座ってくれ、処置の準備をする」

 宗太郎は後ろから右足を引きずって続くアミにそう告げると、支度を始める。

 長靴に履き替え、白衣を着る。髪を束ねるように白いキャップを被り、マスクをつけた。

 次に薬品棚の一つから容器を取り出す。中には黒い何かが蠢いており、生きているようだった。

 アミを椅子に座らせ、右の足元にシャーレを置く。黒い容器のふたを開けると、中身をヘラで掬い取りアミの右足の骨折部に塗りたくった。

 アミは傷口に触っても痛そうなそぶりなどなく、むしろ宗太郎の作業を興味深げに眺めていた。

 十分に黒い粘液質を塗布した後、アミの右足を包帯で固定し、膝ほどの高さの空の培養器に右足を突っ込ませた。

 宗太郎は近くのポリタンクを担ぐと、右足を入れた培養器の中に培養液らしきものを並々と注いでいく。培養器のフチまで入れると、ちょうどポリタンクの中身も空になった。

「これで三時間もあれば骨折は定着する。アミダ細胞様様だな。それで、話は聞かせてくれるんだよな」

 宗太郎は椅子を持ってくると、アミと向かい合わせに座った。

「私はオットー博士によって命令回路を制作されたソシアルです。オットー博士は亡くなる前、私に彼以外の人間と会って愛を育むように言いました」

「だからセッ―――、生殖行為がどうたらって言ったのか。いやいや、博士の前でもそんなこと言ってたのかよ」

「あ、あれは他の人との接し方について知らなかったからです。博士とは生みの親と子供として接してきました。その時に、ちゃんと他人との交流の仕方も学んでいいればよかったのですが、研究ばかりでしたから」

「ああ、それは安心した。いつもあんな調子じゃ、困るからな」

 アミはふん、とそっぽを向いた。

「私はこう見えても頑張っているつもりですよ。外の世界と触れる機会もほとんどなかったんです。博士は、安全のためと言ってましたけど」

「危険地帯が近かったのか? もしくは、命令回路が門外不出だったか… …。正直、お前の命令回路のレシピでも博士のところにあるなら取りに行きたいところだな」

「それは、無理だと思います。博士は亡くなる前に研究資料を破棄しましたから」

「研究一筋って割に残さないのかよ。はあ、完全に研究は自己満足ってタイプの研究者はこれだから困るんだよな」

 宗太郎は頭を書いた。アミだけでも世紀の発見、ソシアルの命令回路の革新、といえるのだがそのレシピがなければどうしようもない。

 他の方法としては、アミの命令回路をアンインストールして入手する術はあれど、ソシアルのロボット的ではなく人間のような人格を持つ彼女にそんな仕打ちをする気にはなれなかった。

 命令回路のアンインストールは魂を引きずり出すに等しい。と誰かが言っていた。同じように、命令回路の発展で倫理の問題が発生すると言ったアミダ科学者がいたことも、宗太郎は思い出していた。

 もっと将来の話かと思っていたが、こうして洗練されたソシアルを間近に見ると科学者の戸惑いも分からなくもない。宗太郎の心境が今まさにそうなのだ。

「宗太郎さんは愛を育むとはどういうことだと思いますか」

 オットー博士という人物の遺言は宗太郎も奇妙に感じていた。オットー博士の遺志を、アミは短絡的に人と子供を成す行為だと思っていたのも頷ける。意図が分からないのだ。

 単にアミに愛多き幸せのある人生を送ってほしいと願ったのか。愛を育むという疑似的行為が何かのキーなのか。本当に人間のパートナーに従っているのか。

 分からない。分からないなりに、そこにオットー博士の思惑が見え隠れしているように、宗太郎は思えた。答えはそこにあるのではないかと。

「人間らしく社会を愛してみれば、答えがあるんじゃないのか?」

「人らしく愛する、ですか」

「オットー博士がどういう考えかにしろ。今は勝手に、それでいて故人の想いに応えていればいいだろ。お前は自由なんだから」

 アミは、ふむ、と納得したように思えた。

「では私は私なりに、宗太郎さんを愛してみようと思います」

「なんで俺限定なんだよ」

 宗太郎はそう言って、苦笑していた。


 アミの修繕を完了してから、二人は狩猟報告へ赴くことにした。

 宗太郎が行くのはもちろんのこと、アミを一人にしておくのも不安なためいっそのこと二人で街中を散策することにした。

 アミには傷ついた衣服から家にあった女性ものの古着に着替えてもらい。出かけることにした。

 街は古代のビルの廃墟を背景に、レンガ造りの家や店が主流だ。隙間なく建物が並び、昼間なので多くの店は開いていた。

 道には所々に露店が開いており、また大道芸をやっている者たちもいる。露店は道に彩を与えるかのような小物を並べ、大道芸人たちは音や手品で周りを活気づかせていた。

 そして人だかりも中々に多い。はぐれるほどではないにしろ、人の石垣が店や露店や大道芸人たちの周りに築かれ、人ごみも波のように入れ替わりが激しい。

 中にはソシアルやアニメイルも混じっているが、彼らは命令回路で人に従順になっているので危険性はない。その証拠に首輪をしている。それは人が所有する際、野生と間違われて狩られないための処置だ。当然、タコもしている。

 またアミに限ってはその必要もない。何せ人間と大して姿かたちが変わらないのだ。猫耳と二股の尻尾がついているので違和感はあれど、仮装だと皆納得してくれているようだ。

「宗太郎さん。これ、なんですか」

「シュークリームだよ。中にクリームが入っていて、外はふわふわかカリカリの小麦の衣がついているお菓子だよ」

「宗太郎さん。あれ、なんですか」

「ジャグリングだよ。棒とかボールとか、今はボーリングのピンだけど火の点いたたいまつなんかを使うこともあったかな」

「宗太郎さん。それ、なんですか」

「… …いちいち訊かなくても全部説明するから、その後にしてくれねえかな」

 アミは見るものすべてが新しく、奇妙で、好奇心を満たす光景だった。道端に転んでいるなにがしにして対しても喜んでいるのだから、うっとうしいほどだ。

 それでも、ここまで悦喜してくれるなら案内しがいもある。宗太郎は眼につくものから片端に説明をし、アミは一つ一つに歓声をあげていた。

 傍目から見れば小さな兄が田舎から出てきたばかりの大きな妹に街案内をしているように見えるだろう。

「宗太郎さん。これ、どうすれば買えるのでしょうか」

 一通り説明し終えて、まずは初めにアミが訊いてきたのはそれだった。

 宗太郎が見てみると、アミが指さしていたのは露天商が売っている赤い髪留めだった。

「やけにシンプルなのを欲しがるな。もっと可愛げのあるものもあるだろ」

「いいえ、私はこれが欲しいんです」

 アミはかたくなにそう言う。

 値段を見てみれば、売値はそう高くはない。宗太郎は試しにアミに訊いてみた。

「お金は持っているのか」

「お金、かどうか分からないのですが、オットー博士から渡されたのはこれしかありません」

 そう言って見せてきたのは小袋に入っている金色の物体だった。

 間違いない、アミが持っているのは金の粒だ。小石ほどの大きさで、宗太郎の目利きで分かるのだがおそらく相当に純度が高い。

 例えるなら、今日の狩りでシュトラウスから採れる白金や銅などを含有する鉱物と比べて、同じ大きさでも値段は百倍違う。

 ただ、このままでは貨幣として使えず換金する必要があるのは明白であった。

「むむ」

 宗太郎の中で悪い考えが浮かぶ。このまま「これはあまり価値がないが、仕方ない。俺の持ち金と交換してやろう」と言えば、おそらくアミはコロリと騙されるだろう。アミはそんな純粋無垢の子供みたいな性格なのだ。バレる心配もない。

 ただ―――。

「… …」

「どうしましたか」

「いや、なんでも。その鉱物については後で考えよう。ここは俺が奢るよ」

「そんな! 悪いですよ」

「いいからいいから」

 一先ず、アミが持っている金の粒については保留しておくことにした。

 代わりにポケットの小銭入れから必要な貨幣をつまむと、宗太郎は露店のおっちゃんに「これをひとつ」と言って、赤い髪留めを購入した。

「わー、いいんですか。いいんですよね」

「構わん構わん。これくらい、助けてもらった恩もあるしな」

 アミは仮にもアーマネスを二撃で粉砕する膂力を用いて宗太郎を救ってくれた恩人だ。だますだけ、損というものだろう。ここは信頼関係を築こうという宗太郎の計算高さが悪だくみを上回った。

 ともかく、赤い髪留めを受け取ったアミは嬉しそうに、自分の前髪にそれを身に着けた。

「どうですか。似合いますか」

 似合う、のだろうか。宗太郎にはファッションセンスも、女心というのもよく分からない。ただアミの雰囲気に乗せられて呟く。

「似合うんじゃねえか」

「本当ですか! うれしいです」

 アミは屈託ない笑みをこぼした。それはひまわりがパッと花開いたかのような喜びようだった。

 彼女のそんな姿をみた宗太郎は、こういうのも悪くはないな、とつられて笑っていた。


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