center 最強の能力
「華乃音において、彼の地域のみで得られる特殊な能力、<カノン>。それなりの系統を持つこの能力ですが、この能力は現在でこそ六能に数えられる能力ですが、<根源>、<気>、<魔術>、<霊能>の四種とは違いやはり地域限定の特殊なもの、それこそ<フレイアル>の力を借りて得られる能力に近い独自の特殊なものであるわけですー。かなり古い時代から存在しますが、そもそもこの能力を得られる要因は<カノン>と呼ばれる大樹、華乃音、相沢地区に存在する巨大樹、正確に言えば世界樹と呼ばれる特殊な大樹によるものですねー」
世界における力はそもそも世界法則に沿ったものである。究極的言えば、この世界には<根源>の能力だけが存在すればいいくらいだ。だが、世界はあらゆる世界からの情報を集め構築された世界であり、様々な世界の能力体系を継承し有している。その体系、多くの世界に存在する能力が先ほど教師である彼女が語った四種の能力である。
<カノン>と<フレイアル>由来の能力、正確に言えば名が同一だが<カノン>も<カノン>の世界樹由来のものであり、性質とは似たり寄ったりだ。ではそもそも能力を与えられるというのはどういうことなのか。<フレイアル>に関してはそもそも異世界出身、<紅世界>出身の別世界の法則に則っている存在であるがゆえだが、<カノン>はまた違う。
<カノン>とは世界樹である。世界樹とはかなり特殊な大樹、世界に存在する上ではただの大樹のようにしか見えないが、その大本は<天層>に存在する<天層の世界樹>に由来する。<天層の世界樹>が実らせた果実が<世界源流>に落下し、世界に流れ着いたり世界を構築したり。世界樹の落とす果実は世界に匹敵するだけの力を有することがある。<カノン>の世界樹もまた同様に強大な力を有しており、一種の小世界ともいえるくらいの内包する力を持つ。その力ゆえに、世界の持つ<根源>に近しい性質を持ち、己の側にいる存在達に己の力を分け貸すことができるのである。
ただ、それはどうしても近場に存在する者にしかできず、それゆえに華乃音に近い者にしかその力を与えることはできない。もしくは多少は血筋の影響を受けるのかもしれないが。
「世界が関与しない独自の能力ですが、実質的にこの世界に在る以上<カノン>もまた世界法則に組み込まれる能力として、現在では六能力に含まれます。この六能力はあくまで一般的な能力であり、特殊な能力は含まれない。かつては四つに大別するように分けられましたが、うまくその周知がいかず結局六能に戻った過去があり……」
四つの大別は大陸由来の名称、<古華>、<魔源>、<妖珠>、<霊律>と名付けられたが、結局の所内容が分かりづらいと言うことで元の形に戻ったらしい。分類分けやらなにやらする方はそれでいいかもしれないが、それを受けるほうが分かりづらいのでは意味がない、価値がない。そもそも大陸と能力に関係性がないのが余計にわかりづらさを助長しているのだろう。関連付けは重要だ。
「現在はあまり新能力の発見はされていません。ただ、あくまでこの世界での話であり、別の世界では色々と新たな能力や新たな性質が見つかっているとの報告があり、この世界はある程度神の手から離れたのではないかと言う話がされていて……」
<蒼空界>。中心世界とも呼ばれる世界の中核だが、ゆえに大きな変化はこれ以上起きない、源の世界としての位置づけに最近はなりつつあるのかもしれない。それゆえに、この世界にこれから大きな物語が発生することはないのだろう。もともと物語は性質上<蒼空界>では起こしにくい。この世界は多種多様な世界の情報の受け皿としての機能が大きいゆえに。受け入れた情報の拡散は色々と問題があるために。
「最強の能力は何か、ですかー」
今回の授業後半の質問コーナーの内容はどうやら能力に関して、であるらしい。まあ前半の授業内容に影響されてだろう。結構能力関連の内容を歴史を交えて能力よりの内容で話していたし。教師としては歴史よりの話をするべきではないだろうか。
まあ、それはさておき、最強の能力。あらゆる分野において最強とはその文字通り、最も強いと言うことである。能力における最も強いという者は何なのか。
「難しい話ですねー。能力は多種多様、で同じ能力でも能力種が違えばまた話が変わってくるわけで。例えば<根源>の<火魔術>の能力、<カノン>の<火魔術>の能力、<魔術>の<火魔術>の能力は名称は同じでも全く違います。<根源>と<カノン>は性質上かなり似通った所はありますが、そもそも能力種が違えば能力の有効範囲が違ってくるわけですね。<根源>は性質的に広く浅く、<魔術>は狭く深く、<カノン>は独自の法則性を有します。<カノン>だけが別なのはこの能力が世界由来の物ではなく<カノン>の世界樹由来の別法則上のものだからです。一応<カノン>もこの世界の世界法則に組み込まれてはいますが、それでも別者は別物なわけです」
同じ能力でも、能力種が違えば性質も能力の強さも違う。例えるなら、同じ車を開発しても開発会社が違えばその性能が違う、みたいな話だろう。これは同じ名称であるかどうかもそうだが、同じ性能、同じ性質、同じ方向性、そういった部分でも関係性としては似た感じになる。例えば<気>や<霊能>でも火系統の能力は存在する。今回彼女は<魔術>に限って話したが<火>という大分類にすればほぼすべての能力で関係する。
なお、<フレイアル>の能力はこれら全てと似通っておらず、同時に似通った性質を持たせることのできる完全に独自なもの。これに関しては<フレイアル>という独自存在とその性質、<紅世界>の影響性が大きいだろう。なのでこの能力に関しては細かい話は省く。詳しく話すと色々と世界ルールに抵触する分野に頭を突っ込むことになるので。
「能力的には同じに見えても、その実できることが違ったり、威力が違ったり、あとは消費エネルギー量が違ったり、対抗できる能力が違ったり、様々な違いがあります。さらに言うならば、同じ<根源>の能力種で同じ<炎>の能力でも、全く個人で同じわけではありません。魂、存在、霊質、才能、発送、思想、様々な要素で扱える範囲や威力が変化します。本人の適性もまた大きい者でしょう。炎に触れられる人間、炎を忌避する人間、同じ<炎>の能力でも炎に対する発想性や感じ方の違いでまた話が変わります。つまり能力とは強さの差が出にくいものなわけですねー」
さらに言うのなら、その能力を扱う時の本人のコンディションも影響するだろう。疲れている時に使う能力と普段使う能力、かなりテンションが高く元気が有り余っている状態で使う能力は全然変わってくるわけである。つまり、最強の能力という者は存在しない、それが一般的な解答となる。あくまで一般的な解答、となるが。
「しかし、世の中には例外というものがあるわけです。<根源>などの六能力、それ以外にも能力はあります。<無能力>、<珠眼>、<紋>など、しかしそれらは最強の名を冠するものではないでしょう。むしろ普通の能力よりもはるかに扱いにくい能力ばかり、独自の性質が強すぎる者ばかりです。では、<世界>はどうか? 確かに<世界>は世界規模の能力であり、その分野の法則や内容に関与できる物である能力ですが、しかしそれはあくまで世界に認められているがゆえの強さ。その世界の管理神に喧嘩を挑もうとするならば、確実にその力を制限される、最悪使えなくされる危険のあるような能力種です」
<世界>は世界法則に由来する、もしくは関与できるような強力な能力種であり、神の関与が疑われるような強大な能力ではあるが、しかしそれゆえに神が関わる場合はその力が抑えられるし世界が認め無くなればやはり同様に力が抑えられる。上位存在に力を扱うための権限を借り受けているようなものだ。神などは<世界>の能力種であるが、それは彼らが世界そのものに近いからだろう。
そういった能力とは別に、この世界には極めて例外的な能力種が一つ、存在する。
「<絶対能力>。これらの能力はこの世界最強の能力と言ってもいいです。何故なら、<絶対能力>は対抗の出来ない能力。それこそ神であってもこの能力を無効には出来ず、対抗できる力が存在しないからです。例えば<氷結>であれば、それは絶対に解けない氷になります。<消滅>の能力による消滅の力ですら、この能力には対抗は出来ず、逆にこの<絶対能力>の<氷結>によって<消滅>の力が閉じ込められると言う事態すら起こりえるくらいです。この能力ならばそれこそ炎を閉じ込めた氷みたいな異常なものを作り出す事すら可能です。それで、この<絶対能力>を持っていれば最強かと言われると、また少し違う、と言う話になります。いうなればこの<絶対能力>というものはステージが違うものになるわけですね。ここに三段の光の床があります」
教師が能力で光を集め、三段構成になる板を作り出した。その一番下の板を指し示す。
「この一番下の床が一般的な能力の階層です。つまりは一番下のレベルの能力と言うことですね。ですが、この一つ上のステージ、床に<世界>の能力があるわけです。つまりは<世界>の能力は他の能力よりも上位にある。そして、一番上、<世界>の能力の上にあるのが<絶対能力>ということになります。では、ここで疑問なのは<絶対能力>どうしの場合はどうなるか、ですね。世の中には最強の矛と最強の盾をぶつけ合った時、どちらが勝つのかと言うお話があります。あらゆるものを貫通する矛と、あらゆるものを防ぐ盾。これらがぶつかり合った場合勝つのはどっちになるのか? 能力もまた同じ疑問にぶつかるわけです」
ちなみに、ある人間は同じ物質で同じ攻防力があるなら、ぶつける速度のある矛の方が若干強いのでは、などと妄言を口走っている。つまりは同条件でないから矛が勝つと言う意味合いだ。互いの力を示すなら同条件でないと意味がないだろう。
「これに関してですが、<絶対能力>どうしの能力のぶつけ合いは、通常の能力の場合のケースと同一です。例えば<氷結>と<消滅>ならば一般的に<消滅>の方が性質としては強いと言うことになります。ただ、能力はその能力だけで強さを示すことは出来ず、扱う藻によっても変動します。<消滅>で消しきれない力を込めた<氷結>、もしくは<氷結>を続けることで<消滅>の影響を最終的になかったことにできるということもあります。そのあたりは難しい話ですが、結局は扱う者の強さが能力の強さに関わってくると言うことになりますね。そういう意味では<絶対能力>でも最強の能力とはいいがたいかもしれません」
能力の使用者の影響と言うのはかなり大きい。同じ能力でもエネルギー量の違いというのはまた大きな問題となる。この場合、エネルギーとはすなわち存在の格の違いでもある。より強大で、より有名で、よりこの世界における存在割合の高い存在であればある程、強力に大きな力を扱える。それがたとえどんな能力であったとしても。
また、そもそも能力とはその強さで戦うものではない。馬鹿と鋏は使いよう、とも言うように何事もその扱い方が重要なわけである。どんなに強力な能力でも使う者が扱いきれないのであれば意味はない。つまり能力単体ではその能力の強さはわからず、扱う者と能力がかみ合い、その能力を扱うのに必要な、十分なエネルギーがある、そして能力を使うのにふさわしい土台も重要である。
「即ち、最強の能力と言うのは総合的に最強である存在が扱う能力、ということになるでしょう。単独で最強の能力は存在しないと言うことですねー。そういうことなので、皆さんは一度自分の能力を見直し、より有効に、より有用に、最大限扱えるように鍛えることを目標としましょう」
そんな切りのいいところで、終了の鐘が鳴るには早いが時計を見る限りだと終了の鐘が鳴るのに残り一、二分くらいだ。
「少し早いですが、授業終了としましょうかー。他の教室に迷惑が掛からないようにしてくださいねー」
そう言って、教師は教室を出る。珍しく宿題の事とか話していないな、と思いつつ、休み時間にはまだ早いが彼らは教室内の友人との歓談を始めた。どこでもある、どこにでもある学校の一風景である。




