第2節 結婚の必要性
読み返したら、文書が下手過ぎて笑ってしまいました…笑
酷過ぎて直しもできなかったので、何かアドバイスなどご指摘いただければ手直しさせていただきます。
高校生、それも3年生ともなると高校卒業後の進路とともに、それよりさらに先の未来について考えたりする訳です。
実のところ、これは私だけなんだと思っていました。(私の思考回路が他人とズレているのは有名な話なので)しかし、そう考えるのは私だけではないことが最近 証明されてきています。
私はほとんど女子としか話をしないので、男子については当てはまらないかもしれません。とりあえず女子のことにだけ絞って考えると、一般的に女子が自分の未来を想像した時に切り離せないのが「結婚」というワード。私もごく稀ですが、考えることがあります。でもごく稀。そしてそんな私に”結婚”を考える機会を与えてくれるのは私の友人です。彼女達はある意味 変わっているというか、ただ天然というだけの話なのですが、時たま突然に脈絡もなく”結婚”について話始めることがあるのです。
余談ですが、今日もそんなことのあった日のうちの1日でした。体育の時間、外で活動していた私たちは最近 格段に冷え込んだ風を身体に受けました。すると1人が「寒くなると人肌が恋しいよね」と言い出し、私は突然どうしたのだろうと思いながらも聞いていると、彼女は「何か不安になってきた〜、これから誰かと付き合ったり結婚したりできないような気がする…」とか「でもそうなってもいいや、1人で働いて生きて、ママの家に住む〜」とか言い出して、本当に面白いったらありません。天然なこの子は私より大分 思考回路が別の意味でぶっ飛んでいるような気がしますが、それも彼女の魅力です。(例えば彼女の観ていないドラマについて、何かを彼女に説明しようとしても、5度目くらいでやっと理解してもらえる、というような…)
さて、では逸れた話を戻しましょう。
とりあえずは手っ取り早く、私の理想をお話ししたいと思います。まず、結婚願望はありません。一生独り身で過ごしたいです。でも若い時くらいは常に彼氏が欲しいですね(まだいたことありませんが…)。
そしてどうしてこのような考えに至ったかと言いますと、私はなんとも多趣味で、そのせいか生きていてこの方”寂しい”という感情に巡り合ったことがありません。(彼氏を持ったことがないせいかもしれませんが…)そして多趣味ということは、それに耽るために時間とお金がたくさん必要になるわけです。今は学生で時間はそんなに無いし、お金はもっと無いし、趣味を満足にするだけの余裕が無いのです。そして(このご時世では難しいかもしれませんが)ある程度 良い職に就いて、ある程度 良いお給料を貰って、ある程度 仕事外で趣味にかける時間を作るためには、良い会社に入る必要があります(→単細胞の代表になれそうな考え方)。そのために私は大学進学をしなければなりません。そうなると趣味に割ける時間は社会人になってからしか確保できないという結論に至るわけです(やっぱりいつまでも親の臑齧りというのは気が進みませんし)。そしてそれはつまり、私の貴重な時間を結婚してからの家事育児に割き、私の貴重なお給料を家のために子供のために使うということを考えられなくさせ、結婚したくないという考えに至らせるに有り余って十分なものなのです。こうして現在の私の考えは確立されました。
皆さんの中には、結婚すれば、自分の子供ができれば考え方は変わるだろう、と言われる方もいらっしゃるでしょう(私の母のように)。ですが、これはあくまで現在の私の考えです。揺るがない自信があるわけではありません。いつどこで理想の旦那様に巡り会えるかもしれませんから(ははは)。しかしですね、今の私とはこういう人間なんです。子供が嫌いなので世話をするとかは考えたくありませんし、ましてやお小遣いをやるだなんて以ての外!大きく育ってからも家事の手伝いをしてくれる保証もない。(こんな最低のことを考えている私の元に生まれてきたいと思う子もいないでしょうね)まぁしかし、百歩譲っていつか私に子供ができたその時はこの考え方が180度 変わるであろうということは目に見えています。いくら子供が嫌いでも、他の誰でもない我が子ですからね〜。想像はできませんけど。でも私も百歩譲って結婚が、子供を生むことが幸せだとしても、メリットって幸せそのものくらいですよね。それで十分だ、何を不満がる という方もいらっしゃるでしょうけど、私が本来望んでいる”幸せ”とは、私の趣味から得られる、もっと根拠がはっきりしている物理的なものなのです。家庭を築いて得られる幸せという感情は、ごく一時的で感覚的なものです。普段はそんなことを感じる余裕もなく過ごし、家事育児 そして仕事に明け暮れ、その中でいつかやっと幸せを感じてそこに浸る瞬間が訪れます。努力の賜物であり、しかも短いからこそ想像を絶する至福が味わえるのでしょう。でもそんなことは私に言わせれば何とも非合理的です。(もうなんとでも言ってください)…これ以上 続けると不毛の塊になりそうなのでこのくらいにしておきます(もう既に──というのは言わないでください)
では次に(これまた私の話ですが)百歩譲って結婚するならどんな人が良いかということをお話ししたいと思います。
まず、声の良い人。これはもう彼氏でもなんでも必須条件ですよね!!声が良いというのは大変大きなアドバンテージです(これはきっと私に限ったことではありません)。共感してくださる方もたくさんいらっしゃることでしょうから、声についてはこのくらいにして…。
次に欠かせないのは、お金持ちということです。これはただ単にお金持ちというだけでは事足りません。定期的に気前よくお小遣いをくれることも条件に入って、ようやく条件は満たされます。これはもちろん、私の趣味につぎ込むためのお金になることでしょう。
あとは必要最低限 綺麗で臭くないことです。お金持ちだったらこの条件に当てはまらない人は居ないかとは思いますが…。でも私は人一倍 鼻が良く、体臭は本当に死活問題になりえます。笑い事ではないのです。
そして暴力を振るわないこととキツ過ぎる束縛をしないこと。お金の代わりにある程度の自由が奪われるのは仕方のないこと。それでも、すべての時間が失われれば趣味だなんだと言っていられません。お金だけあっても、時間が無ければ意味は無くなるのは言わずもがな。
絶対という条件はこのくらいで、あと可能なら自分より年上だとか、私より10cmは身長が高ければいいとか(ちなみにそうなると176cm以上ということになりますが)…。しかし、そういう細々したものはあくまで「願い」のレベルにあります。
ですがそれ以前に、上記の条件を満たせる人はまずいなく、居たとしても私と巡り合うことは有り得ず、万が一巡り合ったとしても私を娶ろうだなんて考える方は居ないでしょう。それは重々 分かった上で、私はこの理想を掲げています。
つまり私の欲望を満たす唯一の方法は、自立して真面目に仕事をして 良いお給料を貰って 休むか辞めるかした時に精一杯 趣味を楽しむ他はないという、最初の結論にたどり着きます。
さてさて、ここからはやっと本題の中の本題「結婚の必要性」について考えてみたいと思います。上記の私の考えを踏まえてお読みください。
そもそも、結婚には何の意味があるのでしょうか。
”永遠の愛を誓うため”でしょうか、”側にいる人を確実に確保するため”でしょうか、私には今一ピンと来ません。
結婚自体が大分 抽象的なものであるからに過ぎないからという気がするのは、私だけでしょうか。人はそこに理想を描き、その理想を得るために行動を起こします。つまり結婚は人生設計の理想の一種の土台であり、その設計どおりの人生を送る一つの手段として用いられるものと言えると思います。恋人たちが結婚によって、その関係を少しでも確実なものに近付けられたと錯覚したいがために、その手段が取られているように見えてなりません。結婚して式を挙げる、夫婦になる、苗字が変わる…そういったことを、”普通”とは、”恋人”とは違う、特別なイベントを経て、その錯覚を手に入れるのです。”恋人”という関係では今ひとつ確信が持てない関係を、結婚という過程を経ることで恰も確信を持った気にさせるのです。今の私のまだまだ青いこの知識では、結婚の意義を追求してもここらが限界です。
でもそう考えてしまうのも仕方ないとは思われませんか。結婚をしなくても、側に居られるし、同棲出来るし、子供を産んで育てられるし、暖かな家庭を作ろうと努力すれば手に入るかもしれない。それでも結婚というものが生まれたのは、人間の弱い心が原因なのではないでしょうか。相手を信じられない。ならば外堀から埋めていこうではないか。結婚という鎖でお互いを縛り、周りにも相手は自分のものであるという証拠を見せつけ、これでもかというほどの結婚にまつわる法律が作られて、それらは夫婦を互いによそ見をさせないほど絡みついてくる。ここまですればわざわざ浮気もしないだろう、自分以外を見ないだろう。そういう保証が欲しいのです。そして結婚をその保証であると勘違いする。私からすれば滑稽と言う以外の何物でもありません。結婚という物を、夫婦を 否定する気はさらさらありませんが。だってそれで本人たちが満足なら、何も文句を言えるはずもありませんし。
しかし、自分の話となれば別問題です。同棲より先の(つまり子供を産んで育てるとかいうような)ことに関しては、体裁があるので別としますが、同棲までしかお互いにする気がないなら、結婚なんて物は全く必要性に欠けると思います。全く個人的な話ですが、やはり特にどうしてもという理由がないのに、同棲するのにも結婚が必要だと言うということは自分の気持ちの弱さ、又は相手を信用していないこと(もしくはその両方)を認めることになると思うのです。私はそんなことしたくありません。(親の気持ちはさておき)私は別に自分の子供が欲しい訳ではありませんから、最高でも同棲までで十分なのです。そしてその相手は何の条件も無く心から愛せる人が理想なのは言うまでもありません。そこに約束や契約は不必要なのです。私は相手を信じているだろうし、相手も私を信じていて欲しいと思います。
私はおかしいのでしょうか。この考え方は間違っているのでしょうか。
答えは無いんだと思います。ひとまず今の私の考えをまとめさせていただきました。これからも考え方は変わるでしょう、結婚についても、理想についても。そうなった時、以前 考えていたことをどういう想いで見返すのか。今からその時が楽しみです。
皆さんはどうお考えですか。
徒然とし過ぎというか、ぶっちゃけ過ぎてますよね?笑
文章表現に多少問題があるだろうというのは承知の上です…。でもすみません、本音が書けなければ意味が無いのです。