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初めに

普通に生きているのですが、よく「変わってるね」と言われます。

 


 私は評論文や批評文などが大嫌いです。書く意味も読む意味も分かりませんでした。

 でも最近、なんとなくですがその意味が少しずつ分かってきたような気がします。私だって一人の人間です。自分の考えを何らかの手法で公にするのも気持ちがいいということに気付きつつあります。以前 活動報告でも触れましたが、私はものを書くことが大好きでこういった散文や活動報告でさえも書くのが楽しくてしょうがないんです。こういう場所やツールが、やっぱり私には必要なんだなって感じる瞬間でもあります。ただ適当に文章を書いても、誰にも読んでもらえなかったら複雑な気分です。やっぱり書くからには誰かしらに読んでもらえるような状態にしておきたい。それも、身近な人となると少し恥ずかしい。こういう私には、インターネットやSNS、そしてこのサイトはかけがえのない場所となっています。今年受験生となった私は(それ以前からですが)あまり顔を出せていませんが、最近また創作意欲が出てきたのでこの気分が持続する限り、続けていきたいなと思っています。


 さて、この連載を始めようと思ったきっかけと言いますのは、古典の授業で習ったある批評文なのです。聞いたことがある方も多いかと思いますが、かの有名な兼好法師の『徒然草』の内容“花は盛りに”を批判した、本居宣長の『玉勝間』という文章です。兼好法師は「欠陥がなく完璧なものだけに見る価値があるのではなく、欠陥があるものにも充分に風情を見いだせる」と書いています。一方で本居宣長は「兼好法師の言っていることは本心に逆らって、心を飾っている意見に過ぎない」と批判しています。どちらの言い分も分かりますが、批判文という物が嫌いな私はこの授業は苦痛で仕方ありませんでした。そして、もうここまで来てしまったなら私も自分の考えを書いてみようじゃないか!という気持ちになり、今ここに至ります。この『徒然草』と『玉勝間』に対しては私も思うところがあるので、次回 触れてみたいと思います。


 私という一人のつまらないちっぽけな人間という存在が日頃 考えていることをこの場をお借りして発信していきたいと思います。気長にお付きありください。


追伸:

 また、私の書く文章の特徴として、脱線すること・誤字脱字の多発・話の構成がなっていないということが挙げられます。一応 本人は投稿する前に一度読んでから投稿しているのですが、なにせその辺の高校生なので大した推敲力はありませんのであしからず。特にこの連載については、話の構成を全く考えずに書いているといっても過言ではありませんので、おかしな文章となること間違いありません。それでも読んでやっても良いという方はお付き合いくださるとうれしいです。なお、これらの私の至らない点についての修正・アドバイスなどを、ご感想と共にお待ちしておりますので気が向かれましたら、そちらもどうぞ宜しくお願い致します。それからこの連載を書くにあたって、私個人の考えを皆様に押し付けるために書いているわけではありません。皆様のご意見を感想としてお伝えくだされば幸いです。


 

第一話をお読みくださりありがとうございました。

是非 次話以降もお読みくださると嬉しいです。

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