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第一章


「……………………結局誰も、信じてはくれないんだな……」


 風が鳴り、木々がざわめく。外界の喧騒から隔絶された世界は、どこまでも厳かだった。

 どうして俺は生きているのだろう。

 何の為に俺は生きているのだろう。

 毎日毎日代わり映えのしないこの世界に生を亨けた俺は、何に向かって走り続けているのだろう。

 俺はそう思っていた。

 何も変わる事の無いこの世界に辟易していた。

 けれど今日、俺は出逢った。

 この街の、鎮守の楠の下で。

 今日こそは何か、変わるのだろうか。


 …………違う、変えるんだ。


 望む世界を手に入れたくば、我が手でその機を掬い取れ。いつまでもこのままじゃ、何にも変わらない。

 ……嫌だ。そんなのは嫌だ――!


 俺は、足を止めた。

 玉砂利が軽やかな音を奏でる。蝉の声が幾重にも木霊している。耳を澄ませば、鳥達の囀りや穏やかなせせらぎも聞こえる。

 それらは全て、どこか夢の奥の様で。

「……信じても、いいのか?」

 久し振りに自ら踏み出した一歩だった。

「えっ……?」

  振り返らなくても判った。俯いていた顔が勢い良く上がるのが。

「だがら、お前の事……お前が神だって事、信じてもいいんだな?」

「あっ、ああ。もちろんだ!」

 無意識に、身を乗り出してしまっているのが。

「だったら――」

 思わず笑ってしまった。振り返るとあまりにもあいつが必死な顔をしていたから。

「だったら、信じてみようと思う。お前の事」

 きっかけは、案外身近に転がっていたから。


  * * *


 神だって言ったけど、本当は『神“だった”』が正しいんだよ。

 あたしは、ここら一帯の産土神だったんだ。生けとし生けるものを守護する母なる存在。この地に住まう者は皆、全てあたしの愛しき我が子。あたしはずっと、この地の安寧を守ってきた。人々はあたしに信仰を寄せ、それがあたしの存在を安定させ、確かなものにしていた。

 だが、次第に皆の信仰が薄れてきてな、あたしらの存在が揺らいでいたんだ。

 あたしみたいな地方の一土地神なんてものはすっかり忘れ去られてな。

 人々の信仰を失った土地神はもうそこいらの自縛霊と大差ないさ。やってることは正反対だがな。

 そもそも神と幽霊、物怪、怪異、妖怪なんかはみんな根底はおんなじなんだよ。互いの間に明確な仕切りはなく、それらはとても不安定だ。

 あたしらの様な存在は、この世界を守護したり、創造したり、操作したり、悪影響を与えたりして、この世界に干渉する。それに対してお前たち人間やこの世界に住まう皆のその想いや願い、欲望は、あたしらの存在そのものに強い影響を与える。

 だから信仰を失ったり、忘れられたり、存在を信じてもらえなくなると、存在が不安定になったり変質したり最悪存在そのものが消えてなくなってしまったりする。今のあたしがまさにそれだよ。もうとっくに曖昧な存在でしかないから、いつ消えてもおかしくないだろうな。

 ……だってほら、さっきからあたしキャラとか口調とかブレてばっかだろ。もうかなり末期だろうな。

 …………そりゃ怖いさ。でも、そういう運命なんだろうな。あたしが言うのもおかしな話だけど、これが天命なんだろ。

 でも、出来ることなら、あたしは最期まで天に抗ってみたい。そしたら何か、変わるかもしれないから。

 ……っていうか、何でこんな事お前に話してんだろうな、あたしは。


(……でも……………………もしかしたらこれは最後の契機なのかもしれない。それとも、これさえも、天が与えた運命なのだろうか……)


  * * *


 あいつの話を聞いている間に、気付いたらだいぶ陽が傾いていた。

「で、結局お前はどうしたいんだ?」

「えっ、どうしたい……って?」

 俺たちはあいつが自分の神木だというさっきの楠の根に並んで腰を下ろしていた。

「だから、つまりお前は今後どうしていきたいのか。消えてしまうのを食い止めたいのか、また土地神に戻りたいのか」

 そいつは木の葉の隙間から覗く大空ぼんやりと眺めながら、何を思うのだろう。

「あたしは、産土神として皆を護らなければならない。仮令、皆に不要とされ、忌まれ、忘れ去られてしまっても。だが…………ん……じゃが、妾は寂しいのじゃ。悠久の時の中に、ただ一人取り残されるのは」

 頬を伝うのは、一筋の光。

「誰の記憶に残ることなく、この地を護り続けることすら出来ずに消えてしまうなんてことは、堪えられぬ。そんなのは嫌だ!」

 不安定さが増している。その背中は、あまりにも小さかった。

「もう一人ぼっちは嫌じゃ。一人は寂しい」

 切実な感情が溢れ出す。でも、その顔は決して哀しみだけを浮かべてはいなかった。

「だから……だから、存在を消さないためにも、皆の心を再び取り戻さなければならない。……でも、それではまた同じことが繰り返されるだけになってしまうかもしれない」

 その目はどこまでも真っ直ぐで。

「だったら、俺がいつまでもお前を忘れない。お前とずっと一緒にいてやる! そうすれば、お前という存在が消えることはなくなるだろ」

 そう言わずにはいられなくて。

「な!? でもお前、それじゃお前が生きている間はいいが、お前が死んだ後はどうすりゃいいんだよ。お前が死んだら結局また一人じゃないかよ」

「神と怪異や幽霊の明確な隔たりがないのならば、人間と神と幽霊の隔たりも曖昧なんじゃないか? 人の想いが力を持つなら、幽霊の想いも力を持つはずだ」

 なんておかしな事をさっきから言ってるんだろう。でも、何でだろう。

「ずっと、一緒に」

 不自然な気は、しなかった。

「ど、どうしてそこまでしようとするんだ。今日会ったばっかりの、良くわからないあたしなんかに」

 顔を背け、ぼそぼそと呟く。

 何をいまさら。

「どうしてだろうな。なんか、そうしなきゃいけない気がして。でも何よりも、面白そうだから。やっと、普通じゃない出来事に出会えたから」

「面白そうって……。でも、ありがとう」

「どういたしまして」

 その言葉は、互いに目を逸らせながら。

「そっ、それでな、お前の言ってた事に則るとな、神と神でもそれは大丈夫だと思うんだ」

「お、俺が言ったこと、確実に合ってるか判らないだろ。って、神と神ってどういうことだ?」

「お前の理論は正しいと思う。よくよく考えたら人は死んだら幽霊になるし、場合によっちゃあ神に祀り上げられることもある」

 なるほど。

「それで神と神ってのは、そのまんま。お前も神になってもらう。その方が何かと便利だからな」

「か、神って、そんな簡単になれるもんなのか?」

 聞いたことねえぞ。

「まぁ神ったって下の下だけどな。それに扱いはあたしの部下で見習いだし」

「部下!? 神様ってそんなシステムあんの?」

 俺ってもしかして今、すごいこと聞いてる?

「下僕の方が良かったか? 喜んでこき使ってやるぞ」

「い、いえ、遠慮しておきます……」

 なんだかとっても嬉しそうな笑顔が怖いです。

「ま、それは置いておいて、神になれば基本永久的に生きられるし、人としての生活も続けられるし幽霊なんかより大分いいだろう」

 神……か。

「神になったら、もう戻れないのか?」

 人としての生活も続けられるって言ったって人と同様に死ぬ訳じゃないんだ。

「過去に例がないから何とも言えないけど、多分戻れないだろうな。だから、無理にとは言わない。一人になるのは、辛いことだから。でも、あたしはずっと一緒にいる。ずっとだ」

「俺が励まされてちゃしょうももねえな。こんな凄いチャンス、棒に振るわけないだろ」

 弱音は、吐かない。あいつに比べたらこんなの、全然。

「そっか。そうだな」

「あぁ。それが俺だ」

 そう。それが俺だ。

「じゃあ早速儀式を」

 俺の上司は張り切って立ち上がった。

「儀式?」

 自然、見上げる形になった。

「まぁ儀式といってもすることは単純だけどな」

 もうすっかりあかね色に染まった空を背に、彼女は手を差し出した。

「何をするんだ?」

 俺はその手を借りて立ち上がる。思ったよりほっそりとした手だった。

「じゃあ、あたしの樹を背にして立って」

「こうか?」

「そうそう。それじゃあこれから、お前を下僕に……じゃなかった、お前を神にする為の儀式と、あたしとお前の約束と絆を確かにする為の儀式を一緒に執り行う。いいか?」

 顔つきが少し変わった。

「あぁ」

 俺も気を引き締めねば。

「では頭を下げ、目を瞑り心を穏やかにして」

 何らかの祝詞が奏上される。どこからか持ち出した大幣の乾いた音が聞こえた。

 風が鳴り、木々がざわめく。彼女の呟きには、不思議な力を感じた。

 しばらくすると、不意に祝詞が途絶えた。

「もう、頭をあげていいぞ」

 真っ赤な空が目に染みた。


「じゃ、最後の仕上げだ」


 何が起こったのか、しばらくは理解できなかった。

 気付いたら、ヤツの顔が目の前に見えた。

 なんだか、懐かしい思いになった。

 突然、様々な感情が、記憶が、奔流となって流れ込んできた。

 ……これは、あいつの記憶だろうか。

 とても温かい。やさしい記憶。

 でも、圧倒的に多い孤独。深い悲しみ。

 それを乗り越えた、強い心。

 俺は余りの記憶の奔流に、自分を失いかけてしまった。

 そして最後に残ったのは、胸いっぱいの喜びだった。

 二人の間に築かれた、強い強い絆だった。

 唇が離れ、二人は対峙する。

「……俺に、耐えられるかな」

「大丈夫。これからだよ」

 空が、赤かった。

「さて、これで契りも終わり! さ、これからよろしくな」

「あぁ、よろしく」

 胸には、温かな気持ちが溢れていた。


  * * *


 風が鳴り、木々がざわめく。それはまるで、歓声のようで。

「ところでさ、お前の名前、聞いてなかったな。神にも名前はあるんだろ?」

 外界の喧騒から隔絶された世界は、どこまでも温かで、優しさに溢れていた。

「まぁ普通はあるんだけど、あたしはすっかり時の流れに埋もれてしまってな。あっ、そうだ! お前が名前をつけてくれよ!」

「えっ!? 俺が?」

「あぁ。でも微妙な名前付けたら、ね?」

「ひぃっ! わ、判ったから! うー……」

「ふふふ、たーのしぃっ!」

 どうして俺は生きているのだろう。

 どうしてあたしは生きているのだろう。

 何の為に俺は生きているのだろう。

 何の為にあたしは生きているのだろう。

 毎日毎日代わり映えのしないこの世界に生を亨けた俺は、何に向かって走り続けているのだろう。

 毎日毎日護り続けてきたこの世界に忘れ去られたあたしは、何を頼りに走り続けて行けばよいのだろう。

 俺は、あたしは、そう思っていた。

「うーん……土地神……氏神……産土神……ナ●様? いやいやいや。むむむ……かみカミ神……ムムムム……」

 何も変わる事の無いこの世界に辟易していた。

 何も必要としないこの世界を悲観していた。

「あ、そうだ! ●ギ様が梛の木だから、お前は楠で…………いやそれはちょっと……」

 けれど今日、俺たちは出逢った。

「なぁ、決まったかー? 早くしろよー」

「あ、あぁ、一応は決まった。よし、お前の今日からの名は、『くすのき』だ!」

「くすのき……」

「どっ、どうだ……?」

「……」

「あ、あの、やっぱないよな、くすのきなんて。そのまんまだし言いにくいし。ごめん、もう一回考えるから!」

「ううん、嫌じゃないよ。いいよ、ぴったりだよ!」

「そ、そうか?」

「だって、名前をくすのきにすることによって、名付け親であるお前との結び付きが強くなるだけじゃなくて、この楠との結び付きも強く出来るから」

「そっか、言霊か」

「うーん、ちょっと違うんだけどねー」

「まぁいい。で、名前はそれでいいんだな?」

「うんっ! くすのき! あたしはくすのき!」


 この街の、あたしの、こいつの、鎮守の楠の下で。

 今日、この日から、新たな途が描かれはじめる。


        終


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