【約定】のイッカクと『海中』時計
「海の中で使える時計、売ってくれない?」
アルディア王国きっての老舗時計工房、クレマチス工房の若き主人ヘンリーは、人生で一番困惑していた。
両親が事故で死んだ時も、幼いヘンリーでは工房の存続は無理だと職人が辞めていった時も、こんなに困らなかったと思う。
理由は、海の中で使える時計が欲しいと無茶振りされたから、だけではない。それだけなら、無理だと断れば済むだけだ。
ならば、何故、困っているのか。それは、彼が王都きっての有名人であり、問題児、“【約定】のイッカク”と呼ばれる人物だからだ。
「お兄さん?」
【約定】の名の通り、彼は約束を守ることを重視する。職人仲間から聞いた話では、約束の時間に5分遅れたら、額から生えている立派な角で刺されて重症になったとかいう話だ。
小柄な体格で、可愛らしい顔をしているが。刺した相手の血が顔にかかっても笑っているような狂った男だと、もっぱらの噂なのである。
だからこそ、相手をしたくなかった職人連中が、ヘンリーに押し付けた、とも言える。
そんな裏事情まで察し、ヘンリーは深々と溜息をつく。どうにでもなれ、と赤銅色の髪を雑に手で梳き、いつも通りに相手することにした。
「あ〜〜、お客さん。懐中時計っていうのは、海の中じゃなくて、懐の中に入れるって意味で……、水に漬けると壊れます」
そう告げると、イッカクはアクアマリンの瞳をぱちくりと瞬かせ。そして、みるみる顔を青くさせた。
「そうなの? え、どうしよ。お土産ないと半殺しだよ……」
もう時計買って帰るねって約束しちゃった、と口元に手を当て小刻みに震える様は、あどけない顔立ちも相まって悲壮感を際立たせている。
どう声を掛けたものか。ヘンリーが再び困惑していると、イッカクは手を打ち、顔を上げた。何か思いついたらしい。
「ねぇ、頑張ったら作れたりしない?」
もちろん材料費と開発費は負担します、僕こう見えて高級取りなんでと、イッカクは早口で説明する。
それは知ってる、と自分の知名度を理解していないイッカクに内心呆れつつ、ヘンリーはジャケットの内ポケットから自分の懐中時計を取り出した。
繊細な飾りが施された表蓋を指先で撫でながら、頭の中に各パーツを思い浮かべる。
「…………海中、って、深さはどのくらいになります?」
一番気になるのは、水深。深いほど水圧が掛かるので、素材自体の強度を高くする必要があるだろう。
それに、深海は光が届かないと聞く。文字盤が見えねば時計は使えない。文字盤を光らせるのか、工夫が必要だ。
ちらり、と視線をイッカクに向ける。その意図に気付いたイッカクが、辿々しく話し始める。
「えっと、僕らは人魚って言っても“イッカク”だから肺呼吸だし、潜水しても、たぶん、20分くらいだよ。でも、結構深さはいくかな。あと、寒い地域っていうか、流氷のある地域にいるから、衝撃に強い方がいいかも」
ヘンリーは左手でカウンター横の万年筆を手に取った。心地よい重みに従いながら、ざらつく紙の上を走らせる。
「潜水はどのくらいまで?」
「1000メートルくらい?」
「水面に出ることは?」
「息継ぎ以外、ほとんどないかな」
「他に、機械に影響しそうな要因は?」
「狩りで反響定位を使うけど、良くなかったりする?」
「します」
纏めると、かなり過酷な環境と言える。水深の浅い場所から深い場所まで耐えて、超音波による振動から細かい部品も守らねばならない。
「最低限、防水と内部保護を兼ねた仕組みが必要……。魔法を付与しても鍵で回すと保護が解ける、というか穴に鍵が入らなくなる……」
物体を保護する魔法自体はある。魔法を懐中時計の蓋に刻み、中央に魔石を嵌めれば保護魔法は掛けられる。
人魚は魔力が多い種族だ。定期的に魔石に魔力を供給する分には問題ない。
が、構造的な問題がある。防水を兼ねて保護魔法を掛けると、時計を丸々覆うことになる。つまり、ゼンマイを巻くための鍵穴が塞がれてしまう。
「……結構、難しいかんじ?」
「まぁ、それなりに」
「無理そう?」
「それは、何とも」
時計全体が水に浸かっても問題ないようにするか。だが、内部の力が変わってしまうと時計としての意味をなさない。
ひとまず、水に強い素材と、保護魔法について調べないと答えられない。コツコツと右手の中指でカウンターを叩きながら、確認事項を並べていく。
ふと視線を感じ、ヘンリーが顔を上げる。すると、真剣な顔のイッカクが手元を覗き込んでいた。
「……これ、調べたら試作が進む?」
「使う材料にあたりは付けられるかと」
水への強さと、加工性を確認しなければ、試作することすらできない。保護魔法にも種類があるので、適したものを見つけなくては。
「じゃあ、僕、素材探してくる!! 明日またこの時間に持ってくるから、引き受けてくれる?」
調べることは膨大だが、新しいことに挑戦するのも、一つずつ地道に埋める作業も嫌いじゃない。
偶には、こういう仕事も悪くない。ヘンリーは、他人には決してわからないほど少しだけ、口元が緩むのを感じながら、答えた。
「完成するかは約束できませんけど、挑戦することは、約束します」
イッカクは、目をまんまるに見開いて、幼いかんばせを僅かに染めて、弾けるような笑みを浮かべた。
「ありがとう、約束だよ!!」
ヘンリーより一回り小さく、潤った手に両手を掴まれ、上下に振られる。常ならば不快なはずの荒い握手が、何故か心地よく感じた。
「あ、これ契約の印ね!!」
「腕輪?」
ひとしきり腕を振ったところで、イッカクは水色の細い腕輪を差し出した。
「うん。いつでも契約内容確認できるんだ!! 同意してくれるならつけてね」
言われても確認した同意事項の多さに、ヘンリーは目を見張ったものの、全てに目を通し、パチリと腕輪を嵌めたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
本日中に完結予定ですので、楽しんでいただけると嬉しいです。




