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身代わり奴隷、公爵令嬢の仮面を脱いだら大公に執着溺愛されました  作者: Megumi


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05.毒を含んだお茶会

 ラリサとロランが恋人ではない——

 その事実を知ってからというもの、セリーヌの胸には説明のつかないざわめきが残っていた。


 ロランと結んだ契約結婚は、てっきり他国に嫁ぐことが義務付けられている恋人・ラリサの結婚を後押しするためだと思っていた。

 しかし、ラリサにとってロランは“兄のような存在”だという。

 けれど、あの日——ラリサを庇うように自分を拒絶した彼の瞳には、確かに“特別な何か”が宿っていた。

 あれを兄のような眼差しだとは、どうしても思えなかった。


(もしかして、あの人の一方的な片思いなのでは?)


 そう考えた瞬間、いくつもの点が線で結ばれていく。

 契約結婚という奇妙な提案も、「ラリサが結婚するまで」という期限も。

 ——つまり、自分を形だけの妻として傍に置くことで、ラリサへの想いを隠そうとしているのではないか。


 そう思えば、彼が必要以上にセリーヌとラリサの接触を嫌がるのも理解できる。

 あれほど頑なに自分を拒絶するのは、自分が契約結婚についてラリサに漏らすのを恐れているからかもしれない。


(……こんなこと考えたところで、意味なんてないけど)


 自分がすべきことは、自由を得るために契約を遂行すること——ただ、それだけ。

 ロランの事情など、気にする必要はない。

 そう結論づけたところで、セリーヌの部屋に控えめなノックの音が響いた。


「クロエ様。ラリサ皇女殿下から、お茶のお誘いが届いております」


 侍女のミシェルが差し出した封書には、優雅な筆致で「前回の非礼を詫びたい」「改めてゆっくりお話を」と記されていた。

 セリーヌの脳裏に、柔らかな微笑を浮かべるラリサの姿が蘇る。


「ぜひお受けしたいわ。……閣下のお許しが得られたら、だけど」


 そう呟くと、セリーヌは静かに立ち上がり、やや重い足取りでロランのいる執務室へと向かった。




「閣下、クロエです。ご報告がございます」

「入れ」


 低く冷ややかな声に迎えられ、セリーヌは深く息を吸って部屋に入る。

 机の上でペンを走らせていたロランが、一瞬だけ視線を上げた。


「報告とはなんだ」

「……ラリサ殿下から、お茶のお誘いをいただきました。先日のお詫びをしたいと」


 ロランの手が止まる。

 その瞳に、あからさまな警戒と苛立ちの色が浮かんだ。


「断れ」

「ですが……皇族からのご厚意を二度も拒むのは、礼を欠くかと存じます」


 あまりにもあっさりと切り捨てるロランに、セリーヌは思わず、皇帝陛下から夫婦で招待を受けた際、一人置いていかれたことを言外に含めて反論してしまった。

 ロランの怒気をはらんだ沈黙が空気をさらに重くしていき、セリーヌは平然とした表情を浮かべながらも、胸の奥では緊張が高まっていった。


「大公夫人としてはもちろん、私個人としても、陛下やラリサ殿下のお心を曇らせるようなことは望んでおりません。どうか、今回だけは許可をいただけないでしょうか」

「……」


 長い沈黙ののち、ロランは深く息を吐くと、苛立ちを押し殺すように低く言った。


「……好きにしろ。ただし、条件がある」

「条件……?」

「必ず誰かを同席させろ。ラリサと二人きりにはなるな」


 セリーヌはその言葉に安堵しながらも、胸の奥に微かな棘が刺さるのを感じた。


(私たちの関係について決して口外しないと、正式に契約を交わしたというのに……こうも信用されないなんて)


「かしこまりました。そのように殿下へ申し伝えます」


 セリーヌは静かに礼をすると、部屋を出ていった。

 扉を閉める寸前、彼の小さな呟きがセリーヌの耳に届く。


「なぜ、あの女は関わろうとするんだ……」


 その声に振り返ることなく、セリーヌは静かに廊下を歩いた。




 数日後。

 約束の日を迎え、セリーヌが案内された宮殿の庭園に向かうと、そこはバラの香りで満ちていた。

 白亜のガゼボの下に、ラリサが待っている。淡いピンクのドレスが陽光を受けてきらめいていた。


「クロエ! 来てくれて嬉しいわ。どうぞこちらへ」


 ラリサの笑顔は天使のように無垢で、あまり近づいてはロランの反感を買ってしまうという懸念も、一瞬で霞んでしまう。

 セリーヌは優雅に礼をすると、向いの椅子に腰を下ろした。


「まあ、今日のあなたも本当に素敵。まるで春の妖精みたい」

「お褒めいただき光栄です。……ラリサ殿下の方こそ、咲き誇るバラのようですわ」


 二人の間には、甘い香りと穏やかな空気が流れる。

 しかし、その穏やかさは、次の瞬間に静かに崩れ落ちた。


「そういえば、ロランのいいつけ通り、もう一人お招きしたの」


 ラリサが微笑みながら手を振ると、背後の小道から人影が現れた。

 甘く整った顔立ちに、澄んだ青い瞳。それは、つい先日顔を合わせたばかりの人物であった。


「……第二皇子殿下?」


 セリーヌが驚きに目を見開くと、エリックはイタズラが成功した子どものような笑みを浮かべた。


「まさか、こんなにも早く再会できるとは思っていませんでしたよ、大公夫人」


 エリックはそう言って跪くと、セリーヌの手をとって唇を寄せた。

 その仕草に、周囲に控えていた侍女たちが小さく黄色い悲鳴を上げたのを、セリーヌはどこか他人事のように聞いていた。


「第二皇子殿下がお越しになるなんて……」

「ロランとは親しい仲だから、彼を安心させるのにピッタリだと思って。それに……クロエとお兄様は、親しくされていたみたいだから」


 ラリサは無邪気に微笑んだ。

 だがその一言に、セリーヌの胸がざわついてしまう。

 公爵の打算でエリックに近づこうとしていた過去が、今更セリーヌの良心を揺さぶる。


 しかしすぐに気を取り直すと、セリーヌは穏やかに微笑んだ。


「ご一緒させていただけて光栄です、エリック殿下」

「こちらこそ。お元気そうで何よりです」


 彼の声は優しく、どこまでも誠実に聞こえる。

 その温かな笑顔と、その後に続いたラリサとエリックの軽妙な会話に、セリーヌの緊張も少しずつほぐれていった。


 だが、不意にラリサが侍女に呼ばれて席を立ったことで、穏やかで心地よい時間は終わりを告げた。


「ごめんなさい、少し失礼するわね。すぐに戻るから」


 ラリサが去った途端、ガゼボの空気が変わった。

 まるで風が止まったかのように静まり返り、緊張感が高まっていくのをセリーヌはひしひしと感じていた。


 そんなセリーヌの内心を知ってか知らずか、エリックはカップを静かに置くと、ゆっくりとセリーヌの方へ身を乗り出した。

 いつもの人当たりのいい笑顔の奥に、どこか挑発めいた光が宿っている。


「……てっきり、貴女は僕に気があるのかと思っていました」


 穏やかな声なのに、どこか人を試すような響きがある。

 セリーヌは予想外の言葉に、思わず瞬きをした。


「……え?」

「だって、パーティーの時にはよく僕に話しかけてくれたでしょう? それに、デビュタントの夜会で僕に微笑みかけてくれた貴女は、誰よりも美しかった」


 囁きは、まるで秘密を告げる恋人のように甘いのに、その裏には薄氷を踏むような冷たさが潜んでいる。

 セリーヌは咄嗟に身を引こうとしたが、椅子の背に阻まれて身動きが取れなかった。


「……誤解です、殿下」


 かろうじて絞り出した声に、エリックはわずかに口角を上げたが、その目は笑っていない。

 むしろ、観察するように彼女の瞳の奥を覗き込んでいた。


(殿下は口説いているわけでも、怒ってるわけでもない……私を試しているの?)


「誤解……ですか? じゃあ僕じゃなくて——僕の隣にいた親友に用があったのかな」


 その瞬間、二人の距離が一気に縮まる。

 エリックの熱を帯びた吐息が耳元に触れ、セリーヌの背筋がぞくりと凍った。

 セリーヌが思わず耳元を庇うように隠すと、エリックは楽しげに笑いながら近づけていた身体を離した。


「冗談ですよ、大公夫人」


 ふっと微笑むその表情は、再び“人格者”のものに戻っていた。

 だが、その瞳だけは、愉快そうに細められている。


「けれど、あの夜の貴女の瞳……僕は今でも、忘れられません」


 まるで、無邪気な少年が秘密を打ち明けるような声音。

 けれどその奥底には、危うい何かが潜んでいる。


 庭園を渡る風が、花びらを散らす。

 小鳥の鳴き声が遠くに響く中、セリーヌは微動だにできないまま、胸の奥で波立つ鼓動だけを聞いていた。

 それは困惑と、名状しがたい違和感の混じった音だった。

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