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虐待死した公女の代役ですが、皇女の恋人と結婚させられました  作者: Megumi


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04

 不意打ちともいえるラリサの訪問に、セリーヌは言葉を失ってしまった。

 扉の前に立つラリサは、光をまとっているように眩しかった。ペールブルーのドレスに包まれたその姿は、まさしく“皇女”という肩書に相応しい品格がある。


「突然押しかけてしまってごめんなさいね。昨日お会いできなかったから、心配で……」


 有無を言わさぬ行動に反した、心底申し訳なさそうな声音。

 どうやら、宮殿からの招待を辞退したことを咎めに来たのではなく、セリーヌの体調を心配し、いてもたってもいられなくなったようだ。

 ラリサの悪意のかけらもないその姿に、セリーヌは胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。


 直接の面識がない自分にも、ここまで心を砕いてくれる優しい人に失礼があってはいけない。そう思い直したセリーヌは、ドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅にカーテシーをした。


「お目にかかれて光栄です、ラリサ皇女殿下。本日はお越しいただき、ありがとうございます。……そして、謝罪を申し上げます。貴女の恋人である大公閣下と、結婚することになってしまったこと——」


 言葉の途中で、セリーヌの声が震える。

 懺悔する罪人のような面持ちで深くうつむく姿に、ラリサの瞳が一瞬、驚きに揺れた。

 けれどすぐに、ラリサは慈悲深い笑みを浮かべて、柔らかな声で告げた。


「まあ……そんなふうに思っていたのね。でも違うのよ。みんな誤解しているみたいだけど、ロランと私は恋人なんかじゃないの」

「……え?」

「彼は幼い頃から一緒にいた、“もう1人の兄”のような存在なの」


 ラリサはうつむいたセリーヌの肩にそっと手を添えると、顔を上げさせた。

 その仕草はまるで聖母のように優しく、穏やかだった。


「だから、あなたが謝ることなんて何もないのよ。むしろ、ロランにあなたのような方が嫁いでくれて嬉しいわ。——結婚おめでとう、クロエ」


 セリーヌの胸に、安堵と感動が一度に押し寄せる。

 抜けない棘のようにずっと胸の奥にあった罪悪感が、すっと溶けていく気がした。


「……ありがとうございます。そんなふうに言っていただけるなんて、夢のようです」




 ミシェルが慌ただしく整えた席に、二人が腰を下ろす。

 ラリサはカップを手に取り、優雅に紅茶を口にした。

 その所作は完璧でありながらもどこか親しみやすく、話し方には人を惹きつける温かみがある。

 帝国中から愛される皇女に、セリーヌもまたすっかり心を奪われてしまっていた。


「それにしても、クロエの髪……本当に綺麗ね」

「え……?」


 唐突な言葉に、セリーヌはきょとんとした表情を浮かべる。

 ラリサはセリーヌのゆるくまとめられた髪をまじまじと見つめ、陽の光を浴びて淡く透けるその色に感嘆の息を漏らした。


「この国では滅多に見かけない色だわ。金でも銀でもなく、まるで月光が夜に溶けたみたい……。実はね、初めて社交界であなたを見かけた時、思わず見惚れてしまったの」

「そ、そんな……恐れ多いです」


 まるで少女のように頬を染めるセリーヌに、ラリサはくすりと笑った。


「本当のことを言っただけよ。公爵閣下は赤髪だし、その色はお母様譲りかしら?」


 セリーヌは少し考えたのち、静かに頷く。


「ええ……亡くなった母が、隣国の伯爵家の出身だったと聞いています。あちらの貴族には、私のような髪色が多いそうで」


 クロエの母親が、クロエを産んですぐ亡くなったということは、使用人たちの噂話からなんとなく知っている。隣国の伯爵令嬢だった彼女を見初め、トムから結婚を申し込んだということも。

 隣国の古くからある家門の特徴ともいえるアッシュブロンドの髪を持つセリーヌは、顔立ちはそこまで似ていないが、クロエ自身はもちろんのこと、クロエの母親ともまるで血縁者のように見えた。


 ——ただし、由緒正しい血筋のクロエと、卑しい出自のセリーヌとでは、命の重みに決定的な違いがあるが。


 思わず眉を寄せたセリーヌに、ラリサがハッとした様子で口元に手を当てた。


「……ごめんなさい。無神経なことを言ってしまったわね」

「いいえ。むしろ嬉しいです。母からもらったものを褒めていただけて」


 穏やかに笑うセリーヌの手を、ラリサはそっと包み込んだ。

 その手の温もりが、セリーヌの心に沁みる。

 ほんの数刻前まで緊張でこわばっていた心が、ゆっくりと解けていくのを感じた。


 ——この温かい人との縁を、手放したくない。

 セリーヌはそう切実に願ってしまった。



「まあ……もうこんな時間。そろそろ帰らないと。内緒できたから、お父様たちにバレたら怒られてしまうわ」


 ラリサは紅茶のカップを置いて立ち上がると、名残惜しそうに笑った。

 セリーヌも席を立ち、恭しく礼をする。


「お見送りさせてください。本日はお話できて、本当に光栄でした」

「こちらこそ。あなたと話せて楽しかったわ、クロエ」


 二人が軽く抱き合って別れの挨拶をしていた、その時——


「ラリサっ!」


 重い扉が乱暴に開かれ、怒声が穏やかだった空気を裂いた。

 振り向くと、そこには珍しく髪を乱し息を切らせたロランと、その後ろを追いかける第二皇子であるエリックの姿があった。

 ロランの赤い瞳が、怒りに燃えたままセリーヌを射抜く。


「誰が彼女に会っていいと許可した!?」

「ロラン、落ち着いて! 私が勝手に来ただけよ!」


 ラリサがロランの腕にすがりついて必死になだめようとするが、そんなラリサには目もくれず、ロランは一歩前に出て、ラリサのそばに立つセリーヌの肩を押した。


「ラリサに近づくな!」


 強い語気に反して、その手にはほとんど力が込められていなかった。

 しかし、ロランの怒声と、勢いよく伸ばされた腕に体が硬直したセリーヌは、指先が触れるだけで簡単にバランスを崩してしまった。


「——っ!」


 セリーヌは受け身を取ることも諦め目をつむったが、力強い腕が彼女の腰を支えたことで、覚悟していた痛みは訪れなかった。

 突然の出来事に固まってしまったセリーヌだったが、ふと、自分を支えている人物からほのかにサンダルウッドの香りがすることに気付いた。ここ数ヶ月で嗅ぎ慣れたこの匂いは——


「大丈夫ですか?」


 低く、落ち着いた声が耳元で響く。

 そこでようやく、セリーヌは自分がエリックの胸に抱かれていることに気付いた。顔を上げると、エリックの青い瞳が心配そうにセリーヌを覗き込んでいる。


「……平気です。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

「本当に? 怪我は?」


 優しく問いかける声に、セリーヌのこわばっていた体からふっと力が抜けかける。

 誰かの怒鳴り声が聞こえると、体が動かなくなってしまう——それは、幼い頃から染み付いた習性だった。だが今、エリックの腕の中では、不思議と恐怖が薄れていく。

 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。


「大丈夫です。もう平気ですから」


 微笑んでそう言い、セリーヌはそっと身を離そうとした。

 その時、一瞬だけ——エリックの手が、彼女の腰を強く抱き寄せた。


「……?」


 けれど、すぐにその手は離され、エリックはいつも通りの穏やかな微笑みを浮かべている。

 セリーヌは戸惑いながらも、言及するほどのことではなかったため、「気のせいだ」と自分に言い聞かせることにした。


「ロラン。いくらなんでも乱暴すぎるだろう。彼女に非はない」


 ロランに対するエリックの叱責が飛んだが、ロランは何も答えず、ただ拳を握り締めたまま視線を逸らしている。

 その姿はまるで、やりすぎてしまったと自覚しながらも、素直に謝れない子どものようだとセリーヌは思った。


「……私が大袈裟に驚いてしまったのがいけないんです」


 これが孤児院にいた年下の子どもたちだったらお説教の一つでもするが、相手はロランだ。

 名ばかりの妻である自分に、説教をする権利も義理もないと判断したセリーヌは、穏便に済ませようと頭を下げることにした。


「大公閣下にもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」


 自分より年若い“我儘令嬢”に大人の対応をされ、さすがに決まりが悪かったのか、ロランが何かを口にしようとしたその時。ロランの腕にすがりついたまま成り行きを見守っていたラリサが、これ以上耐えられないといった様子で声を上げた。


「もうやめて……。私が勝手に来ただけなのにっ」


 その声はか細く、今にも大きな瞳から涙がこぼれ落ちそうだった。

 悲しげにロランの腕に顔を寄せるラリサを見た瞬間、ロランの肩がわずかに動いた。

 ロランは短く息を吐くと、先ほどまでの剣幕が嘘のような柔らかい声で言った。


「——護衛も連れずに出歩くんじゃない。帰るぞ、ラリサ」


 その声に逆らえぬまま、ラリサは小さく頷いた。

 ロランは彼女の肩を抱き、背を向ける。

 その姿を見送りながら、セリーヌはぼんやりと立ち尽くしていた。


 ラリサが去り際にこちらを振り返ることは、一度もなかった。




 静まり返った室内に、二人の遠ざかっていく足音だけが微かに響く。

 その音を無言で聞いていたエリックは、ついに完全な静寂が訪れたところで、セリーヌに微笑みかけた。

 その顔は一見いつもの人格者のエリックのようでいて、どこか違って見える。


「またお会いしましょう、“大公夫人”」

「……ご機嫌よう、第二皇子殿下」


 扉が閉じる音を聞いた途端、セリーヌは深いため息をつきながら椅子に座り込んだ。

 予想外の来客たちがようやくいなくなったが、残されたセリーヌの胸には、妙なざわめきが残った。


 この日芽生えた小さな違和感が、やがて自分を深く悩ませることになるとは、セリーヌにはまだ知るよしもなかった。

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