27.完全に繋がるもの
暖炉の火が小さく爆ぜる音だけが、やけに大きく耳に残る。
セリーヌは俯いたまま、両手をきつく握りしめていた。
裁かれる覚悟は、とうにできている。
それでも。
この人なら、この痛みを——“自分”を捨てさせられるこの苦しみを、共有できるのではないか。
そんな希望を抱いてしまう。
「……なるほど」
沈黙を破ったのは、エリックだった。
怒声でも、動揺でもない。むしろ、静かな納得を含んだ声。
セリーヌは思わず顔を上げた。
「……そういうことだったのか」
「え……?」
「いや、腑に落ちたんだ」
エリックは小さく息を吐き、ソファの背にもたれかかった。
「ずっと、違和感があった」
「違和感……ですか?」
「ああ。君は不思議な令嬢だった」
エリックは過去を思い出し、どこか遠くに視線を向けた。
「皇子である俺に近づこうとはしていた。だが……野心がまるでなかった」
「……」
「普通なら、もっと必死になる。家のため、地位のため、未来のためにな」
エリックは、どこか皮肉るような苦笑を浮かべた。
「彼女たちは、目がぎらぎらしている。少し隙を見せれば距離を詰め、二人きりになろうものなら、必死に自分を売り込んでくる」
だが、と。
「でも君……セリーヌは違った。人目がなくなった瞬間、あっさりと距離を取られた」
「……失礼にならないよう、していただけです」
「そう、今ならわかる。公爵の命令に表向き従っていただけだと」
エリックは静かに頷いた。
「だが当時は不思議でならなかった。俺に取り入ろうとするのに、決して踏み込まない。まるで、線を越える気がまったくないようだった」
セリーヌは、何も言えずに唇を噛んだ。
「だから、前も言ったが……ロランが君と結婚すると聞いた時——正直に言えば、こう思った」
一拍置いて。
「俺を利用して、ロランの目に留まろうとしたのだと」
胸がきゅっと痛み、セリーヌは思わず両手を握りしめた。
そんなセリーヌの姿に、エリックは悲しげな表情を浮かべた。
「……ひどい誤解だった」
エリックは立ち上がり、深く頭を下げた。
「すまなかった。君の事情も知らず、勝手な憶測で判断した」
「そ、そんな……!」
セリーヌは慌てて首を振る。
「あ、頭を上げてください! 謝罪すべきなのは、身分を偽った私と公爵で……!」
「いや、俺が誤解したのは事実だ」
真剣な声だった。
「君の立場を知らず、勝手に決めつけていた。謝罪させてほしい」
その誠実さに、セリーヌの胸の奥がじんと温かくなる。
人格者の仮面を脱いだエリックは、粗雑な物言いをすることもあるが、こんなにも温かく実直な人物なのだ。
ようやく本物のエリックに触れたセリーヌは、安堵から身体の力を抜いた。
「……実は」
思わず、セリーヌの口が動いた。
「私も、殿下を誤解していました」
「ん?」
「え……?」
言ってしまった、と気づいた時にはもう遅い。
「誤解?」
「は、はい……」
不敬だと、今度こそ怒らせてしまうかもしれない。
けれども、エリックに引く気配はない。
セリーヌはしばらく視線をさまよわせてから、仕方なく告白することにした。
「ラリサ様とのお茶会の際、殿下が同席なさった時や……私が倒れた際にお見舞いに来てくださった時……」
「……ああ」
「その時、殿下は私を口説くようなことを仰いながら、どこか……試すような言動ばかりで」
エリックの眉がわずかに上がる。
「やたら厳しくて……一挙一動を見極めるようで……」
「……」
「まるで、花嫁候補をふるいにかける姑のようで……」
「……待て」
「そんなにロラン様が大切なのだろうかと……その……」
セリーヌは小さく息を吸った。
「もしかして、殿下は……ロラン様を……」
言い終える前に。
「——は?」
エリックの間の抜けた声が落ちた。
数秒の沈黙。
次の瞬間。
「はははははははっ!!」
応接室に、腹を抱えた大笑いが響き渡った。
「で、殿下……!」
「いや……そう来たか……!」
目尻に涙を浮かべながら、何度も首を振る。
「厳しすぎる姑チェックが、ロランへの恋心ゆえだと……!」
「ち、違いましたか……?」
「違うに決まってるだろ!」
「……」
「安心してくれ。俺はちゃんと、君みたいな美しい女性が好みだ」
さらりと言われ、セリーヌの耳が一気に熱を持った。
「だが、まあ」
エリックは浮かんだ涙を拭うと、声を落として言った。
「君の“特大の秘密”を知ってしまった以上、俺もひとつ、秘密を教えよう」
「殿下の秘密……?」
「兄——皇太子の結婚式が終わったら、俺は国外へ出るつもりだ」
さらりと告げられた言葉に、セリーヌは目を見開いた。
「留学という名目でな。兄のスペアとして帝国に縛られる人生を、少しずつ変えようと思っている」
「……それは……」
「ロランにしか話していない計画だ」
「……!」
「手始めに、ルヴァニア王国へ行く」
その言葉に、セリーヌの心臓が跳ねた。
「もし——」
エリックは冗談めかして微笑む。
「ロランと、夫婦でいるつもりがないなら……ついてくるか?」
「い、いえ……! そんな恐れ多い!」
セリーヌは慌てて首を振ってから、恐る恐る口を開いた。
《ですが……実は私も、将来的には隣国で生きるつもりで……今、言葉を学んでいます》
セリーヌの口から出てきたルヴァニア語と語られた内容に、エリックは楽しげに身を乗り出した。
《ずいぶん流暢に喋れるんだな。相当努力しただろう?》
《ありがとうございます。家庭教師として働けたらと……》
その瞬間。
「随分と、楽しそうだな」
低い声が割り込んだ。
振り向いた先に立っていたのは、ロランだった。
赤い瞳が、二人を射抜く。
「ルヴァニア語で談笑とは。密談か?」
ロランの声は決して大きくはなかったが、明らかに苛立ちが滲んでいる。
(……あ)
セリーヌは、ふと、ロランの怒りの原因に気づいてしまった。
(これ……嫉妬、されている……?)
その事実に、頬が一気に熱を帯びた。
嬉しさと羞恥が入り混じり、思わずロランから視線を逸らした。
だがロランは、その反応を別の意味に受け取ったらしい。
セリーヌの隣へ乱暴に腰を下ろすと、エリックを睨みつけた。
「……俺のいないところで、随分親密になったようだ」
抑えきれぬ苛立ちに、ぎり、と奥歯が鳴る。
「いやいや、誤解だって」
エリックは軽く手を振りながら立ち上がり、肩をすくめた。
「今日は冷静に話し合えそうにないしな。
——邪魔者は退散するよ」
意味深な笑みを残し、踵を返す。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
次の瞬間。
ロランが動いたと同時に、セリーヌの視界が反転した。
「——っ!?」
背中がソファに押しつけられる。
気づけば、ロランが覆いかぶさっていた。
「……まさか」
鼻先が触れ合うほどの至近距離から、低い声が落ちる。
セリーヌは思わず身じろぎをするが、それすら許さないとでも言うかのように、強く抑えられてしまう。
「あいつについて行く気か? ……だから隣国の言葉を学んでいたのか」
一人で結論に辿り着いたように、ロランの声が冷える。
「どうすれば……君は俺のそばにいてくれる?」
指先が、セリーヌの腹部へと伸びた。
布越しに、ゆっくりとなぞられる。
「……俺と、完全に繋がるものがあれば——」
仄暗い呟きが落ちた、その時。
ぱん、と乾いた音が応接室に響いた。




