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【第14回ネット小説大賞受賞】身代わり奴隷、公爵令嬢の仮面を脱いだら大公に執着溺愛されました  作者: Megumi@6/25『元社畜転生令嬢』電子書籍発売


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25.女神の責務

 ——早く、彼に知らせなきゃ。


 それは、皇女としての義務であり、女神と崇められる者としての責務だ。


 あの穢らわしい奴隷女が、どれほど危険な存在であるか。

 哀れなロランに、今すぐ伝えなければならない。

 だというのに。


(……でも、証拠がなければ)


 彼は、きっと信じない。

 あの女は、恐ろしいほどに狡猾だ。

 正義の断罪にか弱く涙を流し、巧妙な嘘を吐き、同情を誘う——そういう女だ。


(彼は優しすぎるもの……。きっと、あの奴隷女の涙に騙されるわ)


 しかもラリサの父である皇帝は、ロランをいたく気に入っている。

 いくら自分が訴えたところで、確かな証拠がなければ、きっとロランの意志に反するようなことはしてくれないだろう。


「こ、皇女殿下……」


 思考の海に沈んでいたラリサを引き戻したのは、彼女の豹変ぶりに慄いていたトムだった。


「何か?」

「その、あの女を抹殺すれば……奴隷売買の件が露見することはない、ですよね?」


 恐る恐る言葉を紡ぐトムを、ラリサは内心で冷めた眼差しを向ける。

 ラリサにとって大事なのは、ロランの心を取り戻すこと。

 この男の進退など、つゆほどの興味もないのだ。


 しかし、抹殺する前に、あの卑しい女が奴隷であることをロランに知らしめる必要がある。

 そのためには、この男の協力がまだ必要だ。


 ラリサはゆっくりと口角を上げると、いつもの清らかな笑みを浮かべる。


「安心なさい。私が、キレイに処理してあげるわ」


 花が咲くような、美しい笑顔。


「だから——証拠を渡しなさい。あの女が奴隷だっていう、確かな証拠を」

「そ、それが……」


 トムは唇を噛み、視線を泳がせる。

 しかしラリサの圧に負け、ゆっくりと重い口を開いた。


「……盗まれたのです。あの女に、奴隷売買に関する書類を」


 トムの告白を聞くなり、ラリサの表情が凍りついた。


「……は?」


 次の瞬間、鬼の形相でトムを睨みつける。


「あなた……証明もできない話を、私にしたの?」

「も、申し訳ありません! で、ですが! 奴隷商人が、同じ内容の書類を必ず持っております! 取引の証として……!」

「……その男の名前は?」

「バルドーという男で……み、南区の裏通りに……!」


 震える声で告げられた名と場所。

 ラリサは一瞬だけ視線を伏せて頭に刻み込むと、すぐに立ち上がった。


「私がなんとかするわ。……貴方は、何もしないで」


 宮殿に戻ったラリサの命令は、冷酷なものだった。


 ——必ず証拠を持って帰ること。男の生死は問わない。


 ◇◇◇


 数日後。


 ラリサは自室で、優雅に刺繍をしていた。

 白い布地に浮かぶのは、大公家の家紋——大きな翼を力強く広げた、グリフィンだ。

 針を進めるたびに、絹糸が光を反射して、美しく煌めく。

 その輝きに、近いうちに訪れるはずの未来が重なって見える。


「あともう少し。……ふふふっ」


 刺しかけの刺繍を胸に抱いて、ラリサが幸福のため息をついた、その時。

 青い顔をした使用人が戻ってきた。


「……ご報告いたします、殿下。バルドーの店は確かに南区にありましたが……先日、何者かに殺害されておりました」


 部屋の温度が一気に下がり、ラリサの強い眼差しを受けた使用人は、大袈裟なほど肩を震わせた。


「……殺された?」

「は、はい。店に火が放たれたようで、中には男の焼死体が一体。商売に関わる書類も、すべて焼失しておりました。周囲の証言から、怨恨による犯行の可能性が高いかと……」


 ——ロラン。

 その名が、ラリサの脳裏をよぎる。


「まさか、あの女のために……そこまで?」


 受け入れがたい現実に手が震え、刺繍が軽い音を立てて床に落ちる。


「どいつも……こいつも……!」


 次の瞬間、ラリサの怒りは、理性を焼き尽くした。

 手元にあった裁ちバサミを勢いよく掴むと、使用人に向かって振り下ろす。

 突然の出来事に固まる使用人の右目に、ハサミが深々と突き刺さった。


「——あ、ああああっ!!」

「バルドーがダメなら、仕入れ元の孤児院周辺を調べればいいじゃない! この愚図!」


 使用人は悲鳴を上げながら崩れ落ちると、目元を押さえてうずくまった。

 しかし、そんなことは気にも留めず、ラリサは親指の爪を噛みながら呟いた。


「あの奴隷がどこから来たのか……必ず痕跡があるはずよ」


 床に落ちたグリフィンの翼は、赤黒く汚れていた。


 ◇◇◇


 一方、大公邸では。


 あの日——奴隷であると告白して以来。

 ロランの態度が日を追うごとに甘くなっていることに、セリーヌは戸惑っていた。


 寝室こそ相変わらず別ではあるものの。

 忙しい執務の合間を縫い、食事の時間を合わせてくれるようになり。

 ことあるごとにセリーヌに触れる指先は、熱く、優しい。

 まるで繊細な宝物を扱うようなその視線に、セリーヌは落ちつかなった。


「……どうして、こんな……」


 するとそんなセリーヌの元へ、ミシェルがどこか興奮した様子でやってきた。

 そしてセリーヌを見るなり、嬉しそうに口を開いた。


「複数の使用人が……先日、コンサバトリーでお二人がキスしているのを見たそうです!」

「えっ!?」

「なんで教えてくれなかったんですか! お祝いを——」

「ご、誤解よ!」


 まさかの誤報に、セリーヌは思わずミシェルの声を遮った。


(あの時だわ……イヤリングを贈ると言ってくれた時……)


 通りでここ数日、執事長が微笑ましげな視線を向けてきたわけだ。

 セリーヌは顔を真っ赤に染め上げると、心の中で悲鳴をあげた。


(どうしよう……この話、ロラン様は知ってるのかしら?)


 ◇◇◇


 その日の夕食でロランは、デザートを口に運ぶセリーヌの姿を、テーブルの向かい側から熱心に見つめていた。


 ——最近は、いつもそうだ。


 セリーヌが以前「好き」だと言ったものを食べている間、ロランは自分の手を止め、ただ静かに彼女を見つめてくる。

 その視線には、喜びと、安堵と、それからどこか満たされたような色を感じる。


 その時、セリーヌの頭に、ひとつの仮説が浮かんだ。


(……もしかしたら)


 ロランのその嬉しそうな表情は、恵まれない出自の自分に、好きなものを食べさせてやりたい——そんな慈悲の心から生まれているのではないだろうか。


 そう考えると、これまでの彼の態度も、すべて腑に落ちる。

 自分が孤児院に寄付をすることで救われているように、ロランもまた、自分に施しを与えることで、満たされない何かを埋めているのかもしれない。


 その優しさが偽りでないことは、痛いほど伝わってくる。

 だからこそ——ほろ苦さも感じてしまう。

 彼から欲しいものは、同情でも、慈悲でもない。


(……彼から、これ以上何かを与えてもらうなんてできない)


 施されるだけの存在で終わりたくないから。

 可哀想な奴隷としてではなく、一人の対等な女性として、心から求められたい。

 だから、この無条件の“慈悲”に甘えたくはないのだ。


 意を決し、セリーヌは口を開いた。


「ロラン様」


 声は震えなかった。

 胸の奥を締め付ける感情は抑え込み、言葉を選びながら、セリーヌは告げた。


「いくら私が奴隷だったからといって、貴族の義務でここまでお気遣いいただく必要はありません」


 その言葉に、ロランの動きがピタリと止まった。

 人払いのされた食堂に、沈黙が落ちる。


「……義務?」


 低く、抑えた声。

 セリーヌへの愛おしさで満ちていたロランの心が、一瞬で暗い猜疑心に塗りつぶされていく。


(まさか、俺が同情で彼女を囲っているなどど、薄汚い言葉を吹き込まれたのか)


 赤の瞳が、怒りを帯びてセリーヌを射抜いた。


「……一体、誰が」


 ぎり、とロランの拳が握り締められる。


「君に、そんなことを吹き込んだ?」


 あえて冷遇していた時とは明らかに違う、これまで見たことのない、ロランの本物の怒り。

 その威圧感に、セリーヌは思わず息を呑む。

 そんな小さな音が、静まり返った空間で不自然なほど大きく聞こえた。


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