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身代わり奴隷、公爵令嬢の仮面を脱いだら大公に執着溺愛されました  作者: Megumi


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23/33

23.それぞれの“女神様”

 柔らかな午後の日差しが、応接室の窓から差し込んでいた。

 上質な紅茶の香りが、部屋の中を優しく漂っている。


「……本当に、久しぶりね。ステラ」


 セリーヌがその名を噛み締めるように言うと、向かいに座るステラが、少し照れくさそうに笑った。


「うん。まさか、こんなすごい場所で会えるなんて思ってなかった」


 ステラは、窓を飾る重厚なカーテンや、壁に飾られた見事な絵画に忙しく視線を向けると、小さく息を吐いた。


「大公邸の中って、まるで王様のお城みたいね」

「そうよね……慣れるまで、私も落ち着かなかったわ」


 そう答えながら、セリーヌは紅茶のカップをそっと持ち上げると、ゆっくりと口に運んだ。

 その一連の動作は、かつての過酷な日々を微塵も感じさせないほど優雅で、まるで生まれながらの貴族のように自然だった。


 孤児院で一つの粗末な毛布を分け合い、寄り添って眠っていた夜から、もう何年も経っているのだ。

 内心でほんのわずかに湧き上がった寂しさを苦笑で消すと、ステラは空白の時間を埋めるように話し始めた。


「私ね、十二歳で孤児院を出ることになった後、住み込みで酒場の下働きをしてたの。朝から晩まで働いて、失敗すれば怒鳴られて……でも、寝る場所と食事があるだけ、孤児院よりはましだったかな」

「……そうだったの」


 自分の知らぬ場所で、ステラもまた泥水をすすって生きていたのだ。

 セリーヌの胸が、きゅっと締めつけられた。


「それでも少しずつお金を貯めて、ようやく部屋を借りられるくらいになってね。その時、真っ先に思い浮かんだのがセリーヌだった」


 ステラは、かつてと変わらぬ温かな笑みを浮かべてセリーヌを見つめた。


「迎えに行こうって決めてたの」


 その言葉に、セリーヌの視界が歪んだ。


「まさか、“あの”公爵令嬢がセリーヌだったとは思わなかったけど……」


 ステラは、改めてセリーヌを見つめた。

 銀糸のような髪が光に透け、背筋の伸びた美しい姿勢には、気品が溢れている。

 かつての煤にまみれていた面影は、確かに残っているのに。

 ステラは自分の荒れた指先を隠すように、紅茶のカップを両手で包み込んだ。


「……ねえ、セリーヌ。あなた、昔、私のことを“女神様みたい”って言ってくれたでしょう」

「ええ。いつも優しく微笑んでいて、泣いている子がいたら必ず抱きしめて……私にとってステラは、本当に女神様だったわ」


 あの頃と変わらない、キラキラと輝く瞳で自分を見つめるセリーヌに、ステラは小さく笑った。

 けれど、その笑みにはどこか自嘲が混じっていた。


「……本当はね、全然そんなことなかったんだよ」

「え……?」

「あの頃は私も子どもだったし、ずっと怖かった」


 ぽつり、と落とすような声。

 まるで罪を告白するかのように、ステラは神妙な面持ちで言葉をつむいだ。


「売られるかもしれないって噂を聞くたびに、次は自分かもしれないって眠れなくて。夜になると、布団の中で震えてた。……本当は、誰よりも弱虫だったのよ」


 セリーヌは言葉を失った。

 自分を包み込んでくれていたあの温かな腕が、実は恐怖で震えていただなんて。


「でも……セリーヌがいてくれたから」

「……私?」

「うん。いつも私の後ろをついて回って、私が笑うと嬉しそうに笑ってくれて。“女神様のステラがいれば大丈夫”って、本気で信じてる顔で見上げられるとね……」


 ステラは慈しむように目を細めた。

 その瞳には、今度こそ本物の“女神”のような穏やかさが宿っている。


「逃げたくても、泣きたくても……この子の前では強くいようって思えた。……セリーヌ、私が女神様になれたのは、あなたがそう見てくれたからなのよ」


 カップの中で、紅茶が小さく揺れた。


「……私のほうこそ、あなたに救われてたんだよ」


 セリーヌの瞳が大きく見開かれた。

 自分が縋っていた存在が、実は同じくらい脆く、必死だったこと。

 それでも互いを支え合って、あの地獄を生き抜いてきたのだと、今になって理解した。


「ステラ……」

「だからね」


 ステラは微笑んだ。


「あなたが幸せそうにしてるのを見ると、すごく嬉しいの。私の女神様は、今度はちゃんと自分の幸せを手に入れたんだって思えるから」


 セリーヌは胸の奥がいっぱいになり、思わず立ち上がってステラを抱きしめた。


「……ありがとう」


 それ以上の言葉が見つからなかった。


「……それにしても、大公閣下が妻を溺愛してるって噂は本当だったのね」

「ス、ステラまでそんな……!」


 セリーヌはまさか公爵領の領民にまで噂がまわっているとは思わず、頬を真っ赤に染めた。

 ステラは嬉しそうにそんなセリーヌの顔を覗き込むと、感心したようにいう。


「あなたが望んだからって、“ステラ”なんてありふれた名前一つで、私を見つけ出してしまうなんて……それだけセリーヌが愛しくてたまらないってことでしょう?」

「そ、そんな……っ」


 頬が熱くなる。


(勘違いしちゃダメ……)


 セリーヌは慌てて自分に言い聞かせた。


(きっと高貴な方としての責任として、色々してくださっているだけ。私に特別な感情があるわけじゃ……)


 そう思おうとしても、胸の奥がざわめく。

 否定したいのに、嬉しさが隠せなかった。


 やがてステラを見送る時間となり、玄関ホールまで見送った帰り道。

 セリーヌはふと立ち止まった。


 ——会えたのは、ロランのおかげだ。


 胸が高鳴り、気づけば足取りが早くなる。

 ほとんど駆け出すような勢いで、執務室へと向かっていた。


「失礼いたします!」


 勢いよく扉を開けると、書類に目を落としていたロランが顔を上げた。


「……どうした。そんなに慌てて」

「ロラン様!」


 セリーヌは息を整える間もなく、言葉を連ねた。


「ステラとたくさん話せました! とても元気で……私を迎えに来てくれようとしていたって……本当に、全部、ロラン様のおかげです!」


 次々と溢れる感情に、声が少し震える。


「ありがとうございます。本当に……本当に、嬉しくて……!」


 ロランは一瞬目を見張り、それから小さく息を吐いた。


「無事に会えたなら、それでいい」


 その穏やかな声に、セリーヌの胸がじんと熱くなる。


「……でも」


 セリーヌは言葉を詰まらせ、視線を落とした。


「こんなにしていただいて……申し訳ないです。私、何もお返しできていなくて……」


 沈黙が落ちる。

 ロランは席を立ち、ゆっくりと彼女の前に歩み寄った。


「セリーヌ」


 低く、落ち着いた声。


「君は俺の妻だ」


 その言葉に、セリーヌは思わず顔を上げてロランを見つめた。


「俺は夫として当然のことをしただけだ」


 あまりにも自然に告げられたその言葉に、思考が止まった。

 胸の奥が、じわりと満たされていく。

 頬が熱くなり、視界が滲む。


「ありがとうございます……」


 そう告げた瞬間、セリーヌの表情がふわりと緩んだ。

 大輪の花が綻ぶような、心からの笑顔。

 その無防備な幸福の色に、ロランは息を呑んだ。


(……この笑顔は)


 胸の奥で、何かが静かに形を変える。


(俺が引き出した笑顔だ)


 これまで胸に燻っていた黒い感情——

 誰にも触れさせたくないという、歪んだ嫉妬。

 それが、確かな愛しさによって胸の隅へと追いやられていくのを感じた。




 一方——宮殿の奥。

 皇女ラリサの私室は、無惨な姿を晒していた。


 割れた鏡。

 引き裂かれたカーテン。

 床に散乱する花瓶の破片。


 怒りで肩を震わせるラリサは、床に倒れ込む使用人を見下ろしていた。


「この役立たずっ!!」


 乾いた音が部屋に響く。


「社交界デビューまで療養していただなんて情報、誰でも知ってるわよ!!」


 血走った瞳、歪んだ口元。

 女神と称えられる皇女の姿とは、かけ離れていた。


 ——そもそも、あの女のことは初めから気に入らなかったのだ。


 自分は幼い頃から、父親に愛されようと呼吸をするように嘘をつき、気に入らない令嬢たちにも笑顔を振りまいて人脈を築いてきた。

 それなのに、あの女——セリーヌは、贅沢三昧で我儘三昧と蔑まれても一切気にせず、父親から無条件の愛情を与えられていた。


 さらに許せなかったのは——

 社交界デビューまで一切表舞台に出てこなかったあの女が、その美貌と品格だけで、あっという間に“社交界の華”と呼ばれる存在になったこと。

 努力して手に入れたはずの、自分の女神としての“清廉さ”が、彼女の放つ圧倒的な“華やかさ”の前に、色褪せて見えて仕方がなかった。


 自分が努力で築き上げた立場を、ロランの愛を——あの女は涼しい顔ですべてを奪っていった。


「……許さない」


 ラリサは親指の爪を噛むと、怯えてうずくまる使用人に向かって怒鳴りつけた。


「どんなことをしてでも見つけ出しなさい! あの女の弱みを! 秘密を! 全部よ!!」


 使用人が転がるように部屋を飛び出していくと、ラリサは再び爪を噛みながら、静かに笑った。


「あいつを堕とせば……彼はきっと、私の元に戻ってくる」


 割れた鏡に映るラリサの瞳は、血走っていて、どこか狂気の色を宿していた。


「絶対に……地獄を見せてやるわ」


 ——ロランの寵愛も、大公妃の座も、私にこそ相応しい。


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