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虐待死した公女の代役ですが、皇女の恋人と結婚させられました  作者: Megumi


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 ロランにお礼を伝えるという目標を達成したセリーヌは、翌朝、朝の光が差し込む私室の窓際で、一人静かに佇んでいた。

 カーテン越しの淡い光は柔らかく、いつもなら穏やかな気持ちで一日の始まりを迎えていたはずなのに、セリーヌの心は落ち着かなかった。


(……やっぱり、ダメ)


 小さく息を吐き、視線をそらす。

 セリーヌが視線を向けられずにいる場所には、ロランの肖像画が飾られていた。


 当初はロランの威圧感に慣れるために飾らせたものだったが、いつしかその肖像画に挨拶をするのが習慣となっていた。

「おはよう」や「おやすみ」といった挨拶に、何気ない言葉を添えて話しかける。それだけで、不思議と気持ちが落ち着いたのだ。


 だが、今は違う。

 視線を向けようとするたび、ロランへの想いから胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 物語の中では甘く幸せなものとして描かれることの多いそれは、セリーヌに幸福をもたらすどころか、ただ苦しめるだけだった。


(見られない……)


 理由は分かっている。

 昨日、はっきりと自覚してしまったからだ。


 ——ロランに恋をしている、と。


 その事実が、セリーヌの胸に重くのしかかった。

 なぜなら、ロランが特別扱いするのは、ラリサだけ。

 それは誰の目にも明らかで、社交界では周知の事実だった。


 そんな相手に恋心を抱くなど、不毛でしかない。

 芽生えてしまった行き場のない感情を疎ましく思い、セリーヌはじくじくと痛む胸元をぎゅっと握りしめた。


(私なんかが……こんな感情を向けていい方じゃない)


 そう理解しているからこそ、余計に苦しい。

 この気持ちを抱えたまま彼の肖像画に視線を向けることは、まるで許されないことのように思える。

 肖像画への挨拶どころか、目を合わせる勇気すら今のセリーヌにはなく、そっと逃げるように距離をとることしかできなかった。


 そんなセリーヌの些細な変化に気付いたのは、ミシェルだけだった。


「……このまま部屋にこもって勉強ばかりしていたら、また体調を崩しますよ!」


 ミシェルは有無を言わさぬ口調でそう言うと、半ば強引にセリーヌの腕をとった。


「ちょ、ちょっとミシェル……」

「庭に行きましょう。最近ずっとサボっていたでしょう?」


 反論を許さない笑顔の圧。

 それは、過去を告白して二人の距離が縮まった故の振る舞いなのは明らかで。

 セリーヌは遠慮のないミシェルの態度に小さく笑みを浮かべると、観念して庭園へと足を向けた。




 庭園に出て深呼吸をすると、冬の訪れを感じさせる澄んだ空気が肺に満ちる。

 その清々しさとは裏腹に、セリーヌの視線はどうしても俯きがちになってしまう。


「旦那様にお礼を言いに行ったときに、何かあったんですね」


 ミシェルの確信を持った言葉に、セリーヌは大袈裟なほど肩を揺らす。


「そう、ね……」


 セリーヌはしばらく口ごもると、意を決して自分を悩ませる感情を吐露した。


「ミシェルが言った“恋する少女のよう”って言葉……当たっていたみたい」


 悲しげに微笑むセリーヌを、ミシェルは無性に抱きしめたくなった。

 もちろん、誰に見られているとも分からぬこの場所で、大公妃にそんな振る舞いをすることは許されない。

 ミシェルは唇を噛み締めると、「大丈夫ですよ」と口を開いた。


「お二人は夫婦なんですから。自分の夫に恋をすることは、何も悪いことじゃありませんよ」


(お優しい方だから……身分を偽らされていることに罪悪感があるのね)


 ミシェルから見たロランは、無慈悲な程に理性的で、優しさを向けるのは第一皇女のラリサに対してだけ——そんな噂を持つ、近寄りがたい男だった。

 そんな男が、結婚当初こそ冷遇していたセリーヌの些細な変化に気付き、不器用ながらも気にかけ始めている。


 言葉は少なく、態度も決して甘くはない。

 しかしそれは、彼女を傷つけぬよう慎重に距離を測り、踏み込みすぎぬよう自制しているからこそであることを、ミシェルは知っていた。


 セリーヌのこれまでの境遇を思えば、あの彫刻のような美しさを持つ男に、そんな不器用で誤魔化しのない眼差しを向けられてしまっては——心が揺れてしまうのも、無理からぬことだった。


 ミシェルは内心で、だからこそ、セリーヌをこれ以上傷つけないでほしいと、密かに願う。


(さっさと旦那様が愛の言葉を囁けばいいのに。——そうやって遠くから、穴が開くほどセリーヌ様を見つめるくらいなら)




 久しぶりに現れたセリーヌの姿を執務室の窓から見下ろしていたロランは、ミシェルの視線に気づくと、視線を再び机の上の書類に戻し、深く息を吐いた。


 ——彼女が宝石商を呼んだ。


 その報告を執事から聞いた時、内心安堵したことを覚えている。


(ようやく……自分のものを買う気になったのか)


 これまで、彼女は自分のために何かを欲しがることをしなかった。

 それが気掛かりだったからこそ、安心したのだ。


 だが。


 セリーヌが部屋を出ていった後、差し出された小さな包みを開けて中身を見た瞬間、ロランの胸は強く締め付けられた。


 ——カフリンクス。


 グレームーンストーンをあしらった、控えめながらも品の良い品物だ。


(……なぜだ)


 彼女は、自分のためには何も欲しがらない。

 それなのに、これを手に入れるためには、宝石商を呼んだ。

 手に取ると、小さなはずのそれが、やけに重く感じられた。


 彼女を苦しめた自分にはあまりにも不相応で、これを身につける資格があるとは、どうしても思えなかった。

 昨日から机の上に置かれたままのカフリンクスに視線を落としていると、執務室のドアがノックされた。


「入れ」

「相変わらずの仏頂面だな、ロラン」


 姿を現したのは、帽子を目深に被って変装をしたエリックだった。

 扉が閉まるや否や、エリックは帽子を脱ぎ捨て、挑発的な笑みを浮かべた。

 社交界で知られる“人格者の第二皇子”の姿は、そこにはない。


「なんの用だ」


 眉を寄せて顔をしかめるロランをさらに揶揄おうとしたエリックだったが、机の上に置かれたままのカフリンクスに目を止めると、不思議そうに首をかしげた。


「それ、つけないのか?」

「……後でつける」


 陽の光を優しく反射するグレームーンストーンは、ロランの色味を抑えた装いによく馴染むだろう。

 エリックは、きっちりとした着こなしを好むロランが、なぜわざわざシャツの袖口を留めずにいるのか疑問を抱いた。

 しかし、淡い灰色の石が光るのを見ているうちに、昔馴染みがこれを眺めて誰のことを考えていたのか、察しがついてしまった。

 この男は、昔から大事なものほど隠そうとする男だったと、エリックの口の端に笑みが浮かぶ。


「クロエ嬢が以前、俺に言ってるのを聞いてただろう。“自分は決して夫を裏切らない”って」

「……」

「あの時は彼女の片思いだと思っていたが、あながち一方通行でもなさそうだ」


 エリックの言葉に、ロランは何も言い返すことができなかった。

 彼女の名誉のために否定すべきだと分かっているのに、口が動かない。


 昨日、この場所で初めて見た彼女の涙。

 自分がどれほど冷遇しようとも、家族に暴力を振るわれ体調を崩そうとも、決して泣くことのなかった彼女が、静かに涙を流す姿が脳裏をよぎり、胸の奥に鋭い痛みが走った。


「……そんなことより要件はなんだ。俺はお前と違って暇じゃないんだぞ」

「冷たいな。——忠告だよ」


 表情を引き締め、声を落としたエリックが重々しく告げた。


「あいつが、大公家の使用人を買収したらしい。油断するなよ」


 エリックの言葉に、ロランは一瞬だけ、瞬きを忘れた。

 しかし、すぐに平静を装い、短く返事をする。


「……分かった」


(今のやり方では、彼女を守れない。別の方法を考えなければ……)


 ——最悪の事態が現実になりつつある予感に、ロランは机の上のカフリンクスに視線を落とした。


 もう、躊躇している場合ではない。

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