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虐待死した公女の代役ですが、皇女の恋人と結婚させられました  作者: Megumi


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 最近、ロランとよく目が合う。

 庭園の噴水近くを歩くたび、ふと視線を感じるのだ。

 それが偶然なのか、それとも何か意味があるのか——考えないようにしても、胸がざわついてしかたない。




 リハビリと気分転換を兼ねて、セリーヌは庭の散策を毎朝の日課にしていた。

 ついに秋が終わりを迎えようとしており、風の匂いにも冷たさが混じっている。

 赤く色づいた葉がハラハラと舞い落ち、石畳の上に散らばっていく光景に、セリーヌはそっと息を吐いた。

 今まで、あまりに多くの問題が起こりすぎて感じる余裕もなかった季節の移ろいが、今は胸の奥まで沁み渡る。


 いつものように噴水のそばで立ち止まり、水面に反射する光に目を細めたその瞬間——視線を感じて顔を上げる。

 そこには、執務室の窓辺に立つロランの姿があった。

 相変わらず多忙なようで、書類を手にしているのに、なぜか彼の視線は真っ直ぐにこちらに向けられている。


(……また、見られている)


 胸が小さく波打つ。

 セリーヌを見つめるロランの表情は冷たくもなく、かといって優しいわけでもない。

 けれど、あの夜——公爵邸から救い出してくれたあの日から、確かに何かが変わった。

 完全なる拒絶を貫いていた彼の空気が、ほんの少しだけ、柔らかくなっている気がするのだ。


 極限状態だったため、セリーヌはロランが公爵邸にきていたことすら覚えていなかったが、衝撃的な現場を見せてしまったようなので、気を遣わせているのかもしれない。

 そう思うと申し訳なくて、同時に——ほんの少しだけ、嬉しかった。

 誰かに見守られているような、そんな穏やかな安心感がセリーヌの心をくすぐった。



 怪我もすっかり癒えたある日。

 ミシェルに止められていた領地についての勉強をようやく再開できるとあって、セリーヌの心は浮き立っていた。

 けれど、まずは迷惑をかけてしまったロランに謝罪とお礼をしよう——そう思い立ち、執務室の扉を叩く。


「……入れ」


 扉の向こうから、低い声がした。

 部屋に入ると、ロランは机に向かい、いつものように難しい顔で書類を捌いていた。

 陽の光が彼の横顔を照らし、彫刻のように整った輪郭を際立たせている。


「お忙しいところ失礼いたします。体調も完全に回復しましたので、ご報告をと思いまして」


 ロランはちらりと視線を上げる。

 しかし、その瞳はどこか落ち着かず、書類を持つ手がわずかに揺れた。


「そうか。……無理はするな」

「はい。あの、改めましてあの夜は大変なご迷惑を——」


 セリーヌが謝罪の言葉を口にしようとすると、ロランがふいに言葉を挟んだ。


「何か欲しいものはないのか」

「……え?」


 唐突な問いに、セリーヌは瞬きをした。

 質問の意味が理解できず、言葉に詰まる。


「この屋敷に来てから、一度も仕立て屋も宝石商も呼んでいないと聞いた。欲しいものがあるなら言え」


 淡々とした声。

 けれどその奥に、わずかな気遣いのようなものが滲んでいた。

 それが彼の優しさだと気付き、セリーヌの胸がじんと熱くなる。


 けれど、物欲などなかった。

 ドレスもアクセサリーも、公爵家の財力を誇示するために用意されたものが山ほどある。

 何より——所詮偽物の自分には、贅沢をする資格がないから。


「……特にはございません。必要なものはすべて揃っておりますから」


 そう答えると、二人の間に沈黙が落ちた。

 部屋の隅に置かれた時計の針が、静かに時を刻む音だけが響く。


 どうやら自分の回答はロランの望むものではなかったらしいと気付いたセリーヌが、何か言わなければと言葉を探していると、ふと、心の底から小さな願いが浮かび上がった。

 ほんのわずかな勇気を振り絞って、セリーヌは口を開いた。


「……もし許されるなら」

「なんだ」

「領地を……見て回る時間をいただけないでしょうか。屋敷の外で、人々の暮らしを実際に見てみたいのです」


 その瞬間、ロランの目がわずかに見開いた。

 顔を上げ、無表情のままセリーヌを見つめる。その赤い瞳には、明らかに驚きの色が混ざっている。

 無言のロランに、以前外出した際に受けた冷徹な叱責がよぎり、セリーヌの肩がびくりと震えた。


「い、いえ……やっぱりなんでもありません。ご無礼を——」

「……明日、視察に行く予定だ。ついてくるといい」


 低く、けれど穏やかな声だった。

 セリーヌは一瞬、自分の耳を疑った。


「え……よろしいのでしょうか?」

「視察は仕事だ。領地を知ることも、大公妃の務めだろう」


 ロランはそれだけ言うと、再び書類に視線を落とした。

 “大公妃の務め”など、所詮仮初の妻に過ぎない自分には、あってないようなものだ。

 それでもロランは、まるでそれが当然とでも言いたげにセリーヌを大公妃として扱ってくれた。


 セリーヌは胸に手を当て、小さく微笑む。

 ——この人は、やっぱり優しい。




 翌朝。

 まさか本当に外出を許されるとは思っていなかったため、セリーヌは目を覚ましてからずっと浮き足立っていた。


「……いい加減落ち着いてください、セリーヌ様。そんなにウロウロしていては、出かける前に疲れてしまいますよ?」

「だってあんなに素敵な場所なんだもの。待ちきれないわ!」

「ふふっ。あともうちょっとだから、じっとしてましょうね」


 セリーヌが使用人たちに見送られながら、約束の時間ちょうどに外に出ると、そこには馬車が一台だけ停まっていた。

 多忙なロランがわざわざ待っていてくれるとは思ってはいないが、先に行ってしまったのかと少しだけ残念な気持ちになる。


(……彼に何かを望むなんて、するべきじゃないわ)


 気を取り直したセリーヌが馬車の前に立つと、御者が恭しく頭を下げて扉を開けた。

 中を覗くと——そこにはロランの姿があった。


「なっ……閣下?」


 当然別々の馬車に乗るのだと思ってたセリーヌは、驚きのあまりステップに片足を乗せたまま固まってしまった。

 馬車の中で書類に目を通していたロランは、そんなセリーヌに片眉を上げて言った。


「どうした。早く乗れ」


 当然のように差し出されたロランの手を、セリーヌは慌ててとる。

 初めて触れたロランの手は、セリーヌの手をすっぽりと覆ってしまうほど大きい。

 ごつごつとしたその手からは、ロランの意外と高い体温が伝わってきて、セリーヌは自分の鼓動が速くなっていくのを感じた。




 馬車の中では借りてきた猫のようにおとなしかったセリーヌだったが、街に着いた途端、ぱっと顔を輝かせた。

 朝の光を受けて石畳がきらめき、露店の果物の香りが風に乗って流れてくる。


「なんて……美しいの」


 ロランは何も言わず、熱に浮かされたようにフラフラと歩く彼女を見守る。

 その視線には、ほんのりと柔らかい色が宿っていたが、周りの風景に夢中になっているセリーヌが気付くことはなかった。


 しばらく歩いていると、花屋の店主がセリーヌに気付いて声をかけてきた。


「誰かと思ったら! あの花祭りの時のお嬢さんじゃないか!」

「……覚えていてくださったのですか?」

「もちろんだよ! あれから花冠が飛ぶように売れてね。あんたのおかげだ!」


 上機嫌な店主につられてセリーヌが微笑むと、背後からロランの低い声がした。


「彼女は大公夫人だ」


 ようやくロランに気付いた店主の顔が、一瞬で青ざめる。


「領主様っ! た、たたた……大公夫人……!? し、失礼しました!」

「そんな、頭を上げてください! あの時は、素敵な花冠をありがとうございました」


 店主に向けたセリーヌの笑顔は、太陽のように温かい。そんなセリーヌにつられて、血の気のひいていた店主の顔も、すぐに笑顔になる。

 ロランはその光景を、どこか眩しそうに見つめていた。


 その後も、花祭りで出会った子どもたちがセリーヌに駆け寄ってきたり、領主夫妻が揃って視察に来ているという噂を聞きつけた店主たちが手を振ってくれたりと、街は穏やかな笑顔であふれていた。

 セリーヌは何度も立ち止まっては、人々の話を真剣に聞き、微笑みながら言葉を交わす。


 ロランは終始、そんな彼女を黙って見つめていた。

 ようやく視察を終える頃には、空は燃えるような赤に染まっていた。




 帰り際、馬車に乗る前に、セリーヌが不意に立ち止まった。


「閣下」

「なんだ」

「今日は……ありがとうございました。こんなに素敵な領地をまわることができて、本当に楽しかったです」


 打算のかけらもない、純粋な笑顔。

 その無垢な言葉に、ロランの喉がかすかに鳴った。


「……そうか」


 それだけ言うと、ロランは衝動に突き動かされるように、手を伸ばしていた。

 指先が、そっとセリーヌの頬に触れる。

 そこには、暴力の痕跡はもう残っていなかった。

 親指で唇の端を撫でると、当たり前だが血の跡もなく、柔らかな感触がロランの指に残る。


 セリーヌが驚いて目を見開いていると、ロランは慌てて手を引き、咳払いをした。


「帰るぞ」

「あ……はい……」


 夕日が二人を照らし、その顔を赤く染めている。

 セリーヌはそのことに感謝しながら、胸の高鳴りを抑えきれないまま馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まり、外の音が遠ざかる。


 相変わらず車内は無言だったが、その静けさにセリーヌは居心地の良さを感じていた。


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