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第3話 鼓動と波及

 数日が過ぎた。ロイドが薬草採集の依頼を受けてから、ギルドの扉をくぐる彼の姿を見ることはなかった。静かな受付で、私はぼんやりと日報を眺めていた。

 しかし、視線の先にあるのは、活字の羅列ではない。心の中で何度も繰り返されるのは、彼との短い会話と、その時の屈託ない笑顔だった。

 あれから、彼がどうしているのか。無事に任務を遂行しているだろうか。危険な目に遭ってはいないだろうか。そんな不安が、常に胸の奥に澱のように溜まっていた。


 毎日、ギルドの扉が開く音がするたびに、私の意識は微かに引き寄せられた。もしかしたら、彼かもしれない。淡い期待が胸に灯り、すぐに消える。

 彼は今頃、薬草を探して森の奥深くを歩いているだろう。そんな彼が、こんなに早くギルドに戻ってくるはずがない。分かっているのに、どうしても期待してしまう自分がいた。

 この落ち着かない気持ちは、まさに微熱だ。体の奥からじんわりと広がる熱は、日を追うごとに強くなるばかりだった。


 そんな、熱を持った日々が続いたある日の午後。ギルドの扉が、いつもより力強く開かれた。振り向くよりも早く、私の心臓が大きく跳ね上がる。そこに立っていたのは、まぎれもなく彼だった。ロイドが、依頼達成の報告にやってきたのだ。


 彼の姿が視界に飛び込んできた瞬間、私の全身に電撃が走ったような感覚に襲われた。無事に戻ってきてくれた安堵と、抑えきれない興奮が、同時に胸を満たす。

 彼がカウンターに近づいてくるたびに、胸の奥が騒がしくなり、まるで彼の足音に合わせて内なる熱が高まっていくようだった。


「あの、先日の薬草採集の依頼が完了しました」


 ロイドの声は、以前よりも少しだけ自信に満ちているように聞こえた。その成長が、なぜか胸に温かいものを広げる。

 私は努めて平静を装い、彼の冒険者証を受け取った。その指先が、一瞬だけ彼の指に触れる。指先に火花が散ったような感覚に、思わず息を呑んだ。彼の体温が、私の指先に残ったこんな些細な接触でこれほど動揺するとは、自分でも信じられないほどだった。


「お疲れ様でした。では、報告書を確認しますね」


 プロの受付嬢として、表情一つ変えずに書類に目を落とす。しかし、書かれている文字はほとんど頭に入ってこない。

 視界の端で、ロイドが落ち着かない様子で立っているのがわかる。彼は、時折ちらりと私に視線を向け、またすぐに逸らす。そのたびに、私の心に小さな波紋が広がるようだった。


 彼の報告書は、きちんと要点がまとめられていた。採取した薬草の種類と数、遭遇した魔物の詳細、そして特筆すべきは、危険な状況に陥ることなく、無事に依頼を遂行したことだ。新人にしては、かなり優秀な部類に入るだろう。


「うん、問題ありませんね。きちんと採取できていますし、報告も簡潔で分かりやすいです。素晴らしいです、ロイドさん」


 私が素直な感想を伝えると、ロイドの顔がパッと輝いた。その笑顔を見た途端、私の胸には温かいものが込み上げてくる。まさか、彼からこんなにも感情を揺さぶられるなんて。


「ありがとうございます! あの、実は……」


 ロイドが言葉を探すように少し躊躇った後、はにかんだように続けた。


「ルーシャさんが、最初に丁寧に教えてくださったおかげで、スムーズに進めることができました。本当に感謝しています。故郷にいる家族にも、きっといい報告ができると思います」


 彼は、私の名前を口にした。その瞬間、私の頭の中は真っ白になった。まるで、彼の声だけが世界に響いているような感覚だ。

 新人の冒険者は、受付嬢を「受付さん」と呼ぶのが普通だ。しかも、彼と会うのは二回目。

 それが、私の名前を、少し照れたように呼んでくれたのだ。顔が燃えるように熱くなり、きっと真っ赤に染まっているだろうと想像した。


「いえ、私は当然のことをしたまでです。冒険者の方々が安全に活動できるようサポートするのが、私たちの仕事ですから」


 事務的な言葉を紡ぎながらも、内心では彼の言葉がひどく嬉しい。


「あの、それで……次の薬草採集の依頼を考えているんですが、以前の場所とは違うところで、もう少し珍しい薬草が採れる場所ってありますか?」


 彼が遠慮がちに尋ねてくる。彼の瞳は、私の反応を伺うように、じっと私を見つめていた。その視線に、私の呼吸は一層浅くなる。


「そうですね……慣れるまでは、同程度の依頼をいくつかこなすのが懸命でしょう。森の奥深くへ行けば行くほど、危険度は増しますから」


 私は冷静を装って答えたけれど、内心では、彼の冒険者としての成長を、この目で見届けたいという強い衝動に駆られていた。

 彼が、もっと強くなって、もっと難しい依頼に挑む姿を見たい。けれど、それは同時に、彼が危険に晒される可能性が高まることでもある。矛盾した感情が、私の胸を締め付ける。


「珍しい薬草ですね。場所によっては、採れるものの種類も変わってきます。ただ、その分、遭遇する魔物も強くなる傾向がありますよ。ギルドには、特定の地域に生息する魔物や、危険度に関する詳しい情報も蓄積されていますが、閲覧には情報料がかかります」


 私は、ギルドの規則を淡々と説明した。これは受付嬢として当然の対応だ。彼は私の言葉に素直に頷き、少し考え込むように視線を落とした。


「なるほど……。では、いくつか候補の場所と、そのあたりのモンスター情報を教えていただけますか? もちろん、情報料を払います」


 ロイドの言葉に、私は内心で安堵した。彼は、無謀に危険な場所へ向かうのではなく、きちんと情報収集をしようとしている。

 その慎重さに、彼の成長を感じ、彼が私に助けを求めてくれているという事実が、私の心を温かく満たした。


「承知いたしました。少しお待ちください」


 私は、書庫から関連する資料を探し出し、彼に差し出した。ロイドは慣れない手つきで、小銭入れから銅貨を数枚取り出そうとしていた。その動きが、なぜか愛おしく感じられた。彼の緊張が伝わってきて、私もつられて息を止める。


「これで大丈夫でしょうか?」


 彼の指先が、情報料を渡す際に私の手のひらに触れた。先ほどよりも、少し長く、温かい感触が残る。私の心臓は、もう限界だ。

 このままでは、鼓動の音が外に漏れてしまうのではないかと心配になるほどだった。



「はい、情報料、確かに受け取りました」



 出来る限り平静を装って、彼が差し出した銅貨を受け取った。そして、彼が必要としている情報が掲載されている書物のページを開いた。

 彼が覗き込むように顔を近づけると、彼の匂いが私の中に入ってきて、不思議と心地よくなる。 


「このあたりでしたら、この『静寂の森』の奥地か、『霧の渓谷』の入り口付近でしょうか……」


 本を貸すだけで済むのに、私は寸暇を惜しむように彼に説明した。

 

「くれぐれも、無理はしないでくださいね」

「ありがとうございます!」


 ロイドは安心したように、明るい声を上げた。そして、少しはにかんだ笑顔を私に向けた。その笑顔に、私はすっかり魅了された。


 書類の閲覧が終わった彼が、ギルドの扉へと歩いていく背中を見送りながら、私は深く息を吸い込んだ。


 心の奥に灯ったこの熱は、もう消えそうにない。冒険者を好きになるなんて、絶対に避けるべきこと。頭では分かっているのに、心が言うことを聞かない。

 このままでは、私は「不文律」を破ってしまうだろう。いや、もうすでに、破り始めているのかもしれない。


 私の視線は、ギルドの扉が完全に閉まるまで、彼の姿を追い続けた。

 私の受付嬢人生は、この青年によって、運命的な波紋を広げ始めているのかもしれない。


お読みいただきありがとうございます!

次回の第4話「会話と嫉妬」は明日18時頃更新です。

どうぞお楽しみに!

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