第1話 出会と面影
今日も冒険者ギルドの受付は、朝から戦場のような喧騒に包まれていた。
活気にあふれる冒険者たちの声がホールを満たし、山積みの書類が私を待っていた。午前中のラッシュがようやく収まり、私はほっと一息ついた。
他の受付嬢は休憩に出かけ、広々としたカウンターには私一人。
こんな時こそ、溜まった事務仕事を進めるチャンス。そう意気込んでペンを握り直した、その時だった。
ギルドの重厚な木製の扉が、ギイと音を立てて開いた。新しい冒険者だろうか。
顔を上げると、そこに立っていたのは、まぶしいほどに若々しい青年だった。
「あの、すみません。冒険者になりたくて来たのですが……」
少し緊張した面持ちで、彼はカウンターへと歩み寄る。
陽光を浴びて淡く輝く金髪が、ギルドに差し込む光に透けている。大きな瞳は不安と期待に揺れ動き、見るからに初々しく、希望に満ちた輝きがあった。
私は自然と笑みを浮かべ、彼を迎え入れた。
「いらっしゃいませ。冒険者登録ですね? 私が担当させていただきます、ルーシャです」
そう言いながら、彼の顔を改めて見つめる。
その瞬間、私の呼吸が一瞬止まった。彼の顔立ちが、ある人物の面影と重なったのだ。
忘れもしない、六年前、志半ばで命を落とした私の恋人――冒険者のモーリスに。
髪の色も、まっすぐな瞳も、口元に浮かぶ戸惑いの表情も、あまりにもよく似ていた。
魂を揺さぶられるような衝撃に、一瞬言葉を失う。心臓が胸を激しく打ち、呼吸すらままならない。手のひらにじんわりと汗が滲み、ペン先が紙の上で滑り、文字が乱れた。
「あの、どうかされましたか?」
怪訝そうに首を傾げる彼に、ハッと我に返った。危ない。こんなに動揺している姿を見せるなんて、受付嬢としてあるまじき行為だ。
私は動揺を隠し、かろうじて笑みを浮かべた。
「いえ、何でもありません。さあ、こちらへどうぞ。登録用紙をお渡ししますね」
カウンター越しに差し出した登録用紙を受け取る彼の指先が、わずかに震えているように見えた。
彼はきっと、初めての場所での緊張と、これから始まる冒険への期待でいっぱいなのだろう。
「お名前は?」
私の問いかけに、彼ははっきりとした声で答えた。
「ロイドです。ロイド・グレイ」
ロイド。モーリスとは違う名前。当たり前だ。彼は彼自身だ。
頭ではそう理解しているのに、一度焼き付いた面影が私の思考を支配する。
モーリスが初めてギルドを訪れた日のことを、鮮明に思い出す。あの時も、彼は、目の前にいるロイドのように、希望に満ちた瞳で未来を見つめていた。そして、私はあの瞳に、恋をしたのだ。
「ロイドさんですね。では、まずこちらの登録用紙にご記入ください。分からないことがあれば、何でも聞いてくださいね」
私は努めて平静を装いながら、登録用紙の記入を促した。しかし、その胸の内は波立っていた。ロイドの金髪、戸惑いがちな瞳、そして、どこかあどけなさの残る顔立ち。
彼の仕草一つ一つが、私の記憶の奥底に眠っていたモーリスの面影を呼び起こす。
私はこのギルドで、もう十年も受付嬢を務めている。駆け出しの冒険者を何人も見てきたし、ベテランへと成長していく姿も見守ってきた。
その中には、才能に恵まれた者もいれば、壁にぶつかりながらも地道に努力する者もいた。そして、志半ばで命を落としてしまう者も、少なからずいた。
(この仕事は、危険と隣り合わせだ。だからこそ、冒険者に恋をしてはいけない。受付嬢の不文律だもの。二度と、愛する者を失う絶望を味わいたくない)
そう、自分に言い聞かせてきたはずだ。
だから、どんなに魅力的な冒険者が現れても、私は一線を引いてきた。受付嬢としての職務を全うし、個人的な感情は一切持ち込まない。それが、私がこのギルドで働き続けるために、あの日から定めたルールだった。
それなのに、目の前のロイドを見た瞬間、その硬い壁が、まるで脆いガラス細工のように音を立ててひび割れた。
ロイドは真剣な表情で、差し出したペンを握り、ゆっくりと用紙に文字を書き込んでいる。彼の腕には、まだ戦いの傷跡一つない、滑らかな肌がのぞく。
これから、彼は幾多の危険と対峙し、傷を負い、そして、成長していくのだろう。あるいは、その危険の中で、命を落とすことも......。
そこまで考えて、私は慌てて思考を打ち切った。縁起でもない。
それに、まだ出会ったばかりの駆け出し冒険者だ。こんな感情を抱くなんて、どうかしている。
「あの、ルーシャさん?」
ロイドの戸惑った声に、再び我に返った。どうやら、私が書類から目を離し、ぼんやりと彼を見つめてしまっていたらしい。頬が熱くなるのを感じた。
「あ、すみません。記入は終わりましたか?」
私は慌てて書類を受け取った。ロイドの気配がすぐそこにあることに、胸の奥がざわつき、慌てて視線を紙面に落とした。
彼の出身地を確認し、遠く離れた故郷から一人でこの街に来たことを知る。これから冒険者として、この街のギルドに通うことになるのだろう。まだ駆け出しの彼が、この新しい環境でうまくやっていけるのか、ふと心配になった。
また、あの時と同じように、目の前に現れたばかりの冒険者に、私は心を乱されている。まるで、あの日の続きを生きているかのようだ。
私は深呼吸をして、自分に言い聞かせた。
(落ち着きなさい、ルーシャ。彼はモーリスじゃない。それにあなたは、もうあの頃のあなたじゃないんだから)
受付嬢としての顔に戻り、私はロイドに向き直る。彼の未来に、何が待っているのか。それは誰にも分からない。
しかし、彼が今、目の前で冒険者としての第一歩を踏み出そうとしていることは確かだ。
私は精一杯の笑顔を作り、ロイドの目を見つめた。
「ロイドさん、ようこそ! 冒険者ギルドへ!」
私の声は、ギルドの広い空間に、朗らかに響き渡った。
お読みいただきありがとうございます!
次回の第2話「視線と憧憬」は明日9時頃更新です。
どうぞお楽しみに!