終章・蒼穹に
蒼穹殿の朝は、今日も騒がしかった。
「おらー! 朝だ! 気合入れるぞー!」
白金の髪を跳ね散らし、緋色の瞳をぎらつかせながら、
久遠優が布団を吹っ飛ばして跳ね起きる。
うさぎのパジャマを着た三歳児ほどの体――だが、
そのテンションは、朝から全力疾走する小学生並みだった。
ベッドから飛び出すやいなや、タブレットを操作して
アイドル真美子の「きらきら天華」を大音量で再生する。
鼻歌混じりに、踊るように部屋を駆け回る優。
その無神経な騒音に、慌てて扉が開いた。
「優様、お早うございます」
お世話係のリカが現れ、慣れた手つきで優の着替えと
髪の身だしなみを整え始める。
暴れまわる優に動じることなく、淡々と作業をこなすのはもう日常だ。
「優様、今日はどちらへ?」
問いかけに、優は腹を叩きながら怠惰を謳歌する。
「朝のおやつに、昼は庭園で酒盛り。
夜は……そうだな、部屋で一杯やるか! ガハハハ!」
リカの眉間に皺が寄る。
「駄目です、優様。今日はネロ様の送迎会なのですから」
「ほんの少しならいいだろ? それに俺は出ないぞ。
あんな詐欺師の送迎会なんざ」
「はいはい」
軽く受け流しながら、リカは優の頭にピンクのリボンを結ぶ。
「完成~。優様、可愛いです」
「当然」
褒められた優は鼻を鳴らすが、しっかりデレている。
着替えが終わり外へ飛び出そうとした瞬間、リカに抱き上げられて捕まった。
「ちょ、リカちゃん何だよ」
「マリア様がお呼びです」
「えっ、俺何もしてないよ……!」
抱っこされながら、不意に優が首を傾げる。
「……リカちゃん、少し大きくなった?」
にょほほと笑う優に、リカは頬を赤らめながら即答した。
「なってません!」
(ちょっと太ったなんて……言えません)
蒼穹殿の朝は、いつも通りの騒がしさに包まれていた。
だが、優の脳裏には――王の間での光景がよぎっていた
王の間。
そこにいたのは、優によく似た嫉妬の魔女、ヴァルファナ。
「私の王様」
甘く冷たい、執着を孕んだ声。
かつての醜悪な姿は消え、彼女は“本来の姿”を取り戻したかのように見えた。
ヴァルファナは王座に座る“マリア”――すなわち《無音の裂界》ミストを捕らえ、鎖で体を覆い尽くす。
「あああ……もう離さない」
鎖が締まり、解けるたびに、より“マリアに似た顔”が出来上がっていく。
ミストは恐怖に震え、叫んだ。
「離せ! 離せ!」
災厄として恐れられた存在が、恐怖に駆られている。
その口元に鎖が巻き付き――縫い付けられた。
「もう喋らないで」
もがき声はやがて、霧の呼気だけに変わる。
「フー……フーフー……」
かつて《無音の裂界》として世界を震撼させた災厄は、今――初めて“絶望”を知っていた。
(我は……《無音の裂界》だぞ……)
ヴァルファナの瞳は狂気に揺らぎながらも、笑顔は優越に満ちていた。
彼女にとって、もうマリアもネロも目に入っていない。
ネロがマリアに近づき、静かに問う。
「天宮、どうする? 君なら世界を安寧にできるはずだ」
マリアは《無垢なる書》を閉じ、首を振る。
「私はこんな場所で王になる気はないし、永遠なんて――お断り」
「そうだそうだ!」
本の状態の優が騒ぎ立てる。
マリアはその表紙を撫でて、柔らかく笑った。
ネロは肩をすくめる。
「まあ、問題が起きれば――対処すればいいか」
一方、ヴァルファナは鎖に縛られたミストを見つめ、静かに呟く。
「私とあなたが初めて会ったこと……覚えてる?」
その声は愛おしさと執念に満ちていた。
王になるのは、もう彼女の役割ではない。
「帰りましょう」
マリアがネロに告げ、メモリア・ヴォルトが開く。
空間が裂け、帰路が現れる。
――その時。
王の間に、鎖の軋む音が響いた。
楽しげな声が、虚ろにこだまする。
「初めて、あなたが私にプレゼントをくれた時……」
その声とともに、王の間全体が――鉄鎖に包まれた。
蒼穹殿の廊下を、リカに抱かれながら進む優は、ふと目を細めた。
(今日も、いつもと変わらない)
けれど、心の奥には、王の間で見たあの光景が残っていた。
鎖に包まれたミスト。
狂気を孕んだヴァルファナの微笑。
そして、マリアの静かな拒絶。
「王になる気はないし、永遠なんてお断りよ」
その言葉は、優の中で何度も反響していた。
“王”とは何か。
“世界”とは何か。
そして、自分は――何者なのか。
目的地に着くと、リカは優をそっと降ろす。
扉を開けると、そこにはいつもの日常が広がっていた。
書類を片付けるアイリスとイリス。
お茶を淹れる霧音。
ディスクに向かうマリア。
優は、元気よく声を上げる。
「おはよ〜!」
その声に、誰も驚かない。
むしろ、いつものこととして受け入れている。
マリアは書類から目を離さず、ふっと笑う。
「お早う優」
蒼穹殿の朝は、今日も平和で、騒がしく、そして――また、いつか。
《契約の—エクソジェン》これで終わりです読んで下さりありがとうございました。




