決意の夜と王の間へ
ネロはソファに深く腰掛け、時折胸元のペンダントに指を添えながら、
静かに語っていた。
その声は低く、穏やかで、どこか遠くを見ているようだった。
語り終えたその瞬間、細められた瞳がわずかに開き、虹色の光が揺れる。
その瞳は、彼の決意を映していた。
「七光の侵略者は……」
(だが勝てるのか?)
その言葉に、隣でご飯を頬張っていたバフが、
口いっぱいに食べ物を詰めたまま叫ぶ。
「倒すー!」
大はしゃぎのバフは、全身包帯の可笑しな格好で、口調もまるで子供のよう。
食事で機嫌がよくなったのか、ネロの隣でソファに座り、満足げに笑っていた。
優は、少し離れた場所で真剣な顔をしていた。
ボサボサだった白金の髪は綺麗に整えられ、
簡素ながら品のある髪型にまとめられている。
シルクのワンピースを着せられたその姿は、まるで小さな貴族のようだ。
「つまり……あの化け物は、ヴァルファナって奴を追い出して、
俺たちに変えようってことか……」
優は両手を組み、顎を支える“司令官ポーズ”を取っていた。
だが、ソファに乗ったその姿勢ではテーブルに届かず、
仕方なく立ち上がってポーズを維持している。
その姿は、真面目さと幼さが混ざり合った、なんとも言えない可愛らしさだった。
ネロは優の姿を見て、わずかに微笑む。
バフは「うま〜」と呟きながら、まだ食べ続けている。
だが、ネロの表情がふと曇る。
笑みを消し、静かに語り始めた。
「僕は七光に……三度、負けている。
わが家が焼かれたあの日。
王の間に無理やり連れてこられて、失格の烙印を押された。
大学では……エミリーの顔をしたあいつに、止めを刺せなかった」
その声は、先ほどの決意とは違い、どこか沈んでいた。
語るごとにトーンが下がり、まるで自分の言葉で自分を縛るようだった。
優は、真っ直ぐネロの顔を見つめる。
「でもさ、生きてんだから引き分けだよ。
お前はまだ、負けちゃいない」
その言葉に、ネロはハッと顔を上げる。
しばし沈黙のあと、ぽつりと呟いた。
「……ありがとう」
(そうだ。僕は、まだ負けてない)
「へっこれが年の功よ」
優はどや顔に語る。
ネロはソファから立ち上がり、深く息を吐いた。
「そろそろ寝るよ。体力戻さなきゃ、勝てる戦も勝てないからね」
バフを促して部屋を出ようとするが、バフはまだ食い足りないのか不満げに呟く。
「まだまだ〜」
ネロは苦笑しながらバフをひょいと持ち上げ、そのまま部屋を出ていった。
残された優は、真剣な表情を崩し、情けない声を漏らす。
「どうしよ〜……」
その姿を見て、霧音は静かに微笑んだ。
「……さぁ、寝ましょう。
明日が来る前に、心を整えておくのも、大切なことです」
その声は、優しさと凛とした芯を併せ持っていた
ネロはあてがわれた部屋に戻ると、静かにペンダントを開いた。
中には、小さな写真――エミリーの笑顔が収められていた。
その隣で、バフが同じようにペンダントを開いて見せる。
中には、まったく同じエミリーの写真。
「エミリー!エミリー!」
バフは嬉しそうに跳ねながら、写真を指差してはしゃいでいた。
その姿は、どこか無邪気で、痛ましくもあった。
ネロは黙ってその様子を見つめながら、心の中で思考を巡らせる。
(このまま長引けば、アイツは巧妙な罠を張るに違いない。
それに、奴もダメージを負っているはずだ。
こちらも本調子ではないが――今やらねば、勝機はますます遠のく。
ならば……)
ネロは立ち上がり、戦闘服に着替え始める。
その動きは、迷いのない、決意に満ちたものだった。
「バフ、行こう。エミリーの仇を取りに。
今度は、惑わされない」
その言葉に、バフは一瞬だけ真剣な表情を見せる。
そして、ネロの着替える様子を眺めながら、
本能的に、ほんの少しだけ魔力を流した。
その魔力は、静かに空間を揺らし――
久遠優のもとへと届いた。
ネロが部屋の扉を開けると、すぐさま霧音の声が響いた。
「ネロ様、どちらへ?」
廊下の陰に立つ霧音は、まるで影のようにネロを見張っていた。
その瞳は冷静で、わずかな違和感も見逃さない。
ネロは、いつもの胡散臭い、読めない笑みを浮かべて応じる。
「いや、ちょっと夜風に当たりたくてね。
どうしてもバフが運動したいって言うもんだから」
そう言って、バフの頭を撫でる。
「おれ、さんぽううい〜!」
バフは満面の笑みで跳ねるが、その嘘くささに霧音は眉をひそめる。
「ならば、お供いたします。
それと――なぜ戦闘服を着ていらっしゃるのですか?」
霧音の問いは鋭く、ネロの言葉の裏を探るようだった。
ネロは一瞬だけ表情を変え、そして静かに霧音の首元へ手を伸ばす。
「……ごめんね」
手刀が霧音の首に叩き込まれた。
「なっ――!」
霧音はその場で崩れ落ち、意識を失う。
ネロは彼女の倒れた姿を見下ろしながら、静かに呟いた。
「君じゃ、ついて来れない。
すぐ目覚めそうだな……急ごう、バフ」
「にわ〜!」
バフは小躍りしながら、ネロの後を追う。
優は夢を見ていた。
そこは、王座に座るマリアの姿。
だらりと力なく項垂れ、抜け出すことを諦めたようだった。
その隣には、同じく鎖に繋がれた優。
だが、彼女は年を取らず、幼女のまま。
虚ろな瞳で沈黙を続けるその姿は、マリアとの対比でどこか滑稽だった。
マリアはかつて美しかった。
水色の髪は白くなり、肌は皺だらけで、まるで老婆のような姿に変わっていた。
王の間には沈黙が支配し、世界は安寧に包まれていた。
永遠に、何も変わらないまま。
マリアは力なく呟いた。
「……何で……」
その言葉が、優の心を突き刺した。
次の瞬間、優はベッドから飛び起きた。
全身に脂汗をかき、ネコさんパジャマに張り付く不快感に顔をしかめる。
「水でも飲むか……」
(まさか……)
あの夢は、ただの幻ではない。
そう呟いた瞬間、体が勝手に動き出す。
優は確信を持った。そしてバフの魔力の意味を知り今夜ネロが動くと
勢いよく部屋を飛び出し、庭園へと向かう。
そこには、戦闘服を身にまとったネロの姿があった。
まだ本調子ではないのか少しよろけたりしている
隣には、包帯姿のバフもいる。
ネロは自身のレギス能力を発動し、
空間に亀裂が走る。
「行こう、バフ。もう迷惑はかけられない。僕たちで終わらせよう」
ネロがバフに呼びかける。
「バフ」
「えええい!俺も行くぞ!」
突然、優が乱入する。
ネロが驚き、声を上げる。
「アイツの目的は君だ。行ってどうする?」
だが、優の動きは信じられないほど速かった。
ネコさんパジャマのまま、ネロに抱きつく。
「お前が負けたらおしまいなんだから!
お前がアイツと戦ってる間に、俺がマリアを助ける!そんで二人でボコる
あんな夢、もうごめんだ!」
「いや、だが――」
揉めている間に、《メモリア・ヴォルト》が発動。
空間の亀裂が広がり、3人はもつれながらその中へと消えていく。
気絶から目覚めた霧音が、すぐさま庭園へと飛び出す。
亀裂に手を伸ばすが――
その瞬間、空間は閉じた。
何もない空間に、霧音の手が空を切る
「……ふざけてます」
その言葉は、怒りとも、悔しさともつかない。
自分の弱さなのか、ネロの無謀な行動なのか――
霧音はその答えを見つけられず、ただ空間を眺めていた。




