虹色文化祭
校門をくぐった瞬間、空気が変わった。
普段は静かなキャンパスが、色とりどりの装飾に包まれ、
まるで別世界のようだった。
風に揺れる垂れ幕には「天華祭」の文字。
学生たちが手作りした看板やポスターを掲げ、
通路の両脇には出店が軒を連ねている。
焼きそばの香ばしい匂い、綿菓子の甘い香り――
そして、どこからか聞こえる軽音部の演奏。
ギターの音が風に乗って、校舎の壁に反響していた。
渡部光は、花柄のワンピースを揺らしながら、キャンパスを悠々と歩いていた。
その姿は、まるで祭の中心に立つヒロインのようだった。
「光、よかったね。昨日の警報、誤報だったって」
仲間の一人が声をかける。
光は微笑みながら頷いた。
「うん。中止にならなくてよかった」
昨夜、緊急アブレーションの警報が発令され、
文化祭の中止が一時期SNSで噂された。
公式サイトはアクセス過多で一時停止。
だが、明朝には警報が解除され、予定通りの開催が決定された。
学生たちは安堵し、祭の準備に再び活気を取り戻した。
だが――光の心は、別の感情に揺れていた。
(まさか……ネロが、あそこまで力をつけてきたなんて)
自分の魔力が感知されるまで追い詰められたこと。
その瞬間、光の顔に一瞬だけ憎悪の色が浮かんだ。
「そうだ光、マリア様のスピーチ聞きにいく?」
仲間の一人が誘う。
光は、ふと微笑みを浮かべて首を振った。
「ごめん。私、冒険部でやることあるから」
そう言って、仲間たちと別れを告げると、
光は静かに、簡易ダンジョンのある体育館へと向かっていった。
「うひょ〜!」
祭りの空気に飲まれた久遠優が、叫びながら駆け出す。
あれほど「大人しくしていなさい」と言われていたにもかかわらず、
彼は文化祭用に着飾れた姿で、全力ではしゃいでいた。
その姿は、祭りの喧騒の中で、ひときわ“地味”だった。
久遠優は、秩泉の子供用制服を着ていた。
灰色を基調としたシャツに、黒の細身ネクタイ。
肩章も装飾もなく、機能性だけを追求した無骨なデザイン。
下には同じく灰色のプリーツスカートが揺れ、
足元は黒のローファー――まるで式典か査問会にでも向かうような装いだった。
それでも、優は元気だった。
制服の地味さなど気にもせず、祭りの空気に全力で乗っかっていた。
「 やきそば! たこ焼き! かき氷は絶対食べるぞー!」
目を輝かせながら出店へ突進しようとする優。
その背を、イリスが慌てて掴んで止める。
「ちょっと!
これからステージでマリア様がスピーチするんだから、後にしなさい!」
優は不満げに唸るが、イリスは真剣な顔で彼を引き戻す。
その手には、スピーチ用の資料と視察スケジュールが握られていた。
(多分これからすぐ視察だし、食べる暇なんてないんだろうけど……)
イリスは、ふと目を伏せる。
本当は、自分も遊びたかった。
焼きそばの匂いに心が揺れ、綿菓子の甘さに足が止まりそうになる。
だが、彼女は“天宮マリアの側近”という立場を忘れなかった。
「……はぁ」
小さくため息をつきながら、イリスは優の腕を引いてステージへと向かう。
天華大学文化祭・中央ステージ。
祭の喧騒が一瞬だけ静まり、視線が一斉にステージへと向けられる。
壇上には、天宮マリアが立っていた。
天宮家の当主としての威厳を纏いながらも、
その瞳には柔らかな光が宿っていた。
背後には、魔導紋が浮かび上がり、
スピーチ用の魔力拡声が空気を震わせる。
「皆さん、こんにちは。天宮マリアです。
本日は、天華大学の文化祭にお招きいただき、誠に光栄です」
拍手が起こる。
学生たちの間に緊張と興奮が走る。
「この学び舎が、皆さんの才能と情熱を育む場であることを、
私は心から誇りに思います。
そして、未来を担う皆さんが、こうして集い、笑い、挑戦する姿は――
私たちの希望そのものです。
いつか皆さんと共に仕事をする日を、私は楽しみにしています。
それでは、思いきり楽しみましょう――文化祭を!」
再び、拍手。
だが、マリアはそこで一拍置き、ふと微笑んだ。
「さて――ここで、私の友人でもあり、戦友でもある人物を紹介します」
その言葉に、ステージ裏で待機していた久遠優の顔が、見事に固まった。
「……え?」
マリアは、堂々と続ける。
「彼は、数々の戦場を共に駆け抜け、
私の命を何度も救ってくれた、大切な仲間です。
それでは――久遠優さん、どうぞ」
「ちょ、ちょっと待って!? 聞いてないんだけど!?」
優は慌てて立ち上がるが、すでに遅い。
イリスが背後から無言で腕を掴み、
そのままステージへと引きずっていく。
ステージに引きずり出された久遠優は、観客の前で立ち尽くしていた。
秩泉の制服はきちんと着ているはずなのに、
ネクタイは少し曲がり、前髪は跳ねている。
その姿は、どこか頼りなく、けれど妙に目を引いた。
会場がざわめく。
「優様ーー!」
「きゃわいいい!」
「優ちゃん!」
歓声が飛び交い、ステージ前の空気が一気に華やぐ。
優は顔を真っ赤に染めながら、マイクに向かって小さく呟いた。
「……こんちゅは」
その一言に、会場が一瞬静まり――
次の瞬間、優しい笑いが広がった。
「かんじゃったー!」
「かわいすぎる!」
「もう一回言ってー!」
優は顔をゆでたこみたいに真っ赤にしながら、マリアの方をちらりと見た。
マリアは微笑みながら、何も言わずに頷いた。
そのやり取りに、観客たちはさらに笑い、拍手が起こる。
緊張していた空気が、ふわりと柔らかくなった。
マリアのスピーチが終わると、会場の拍手が静かに収まり、
視察団は体育館へと移動した。
案内役は、渡部光と六道院海斗。
彼らに加え、役職クラスの学生たちが同行し、
天宮マリアを中心とした一行は、簡易ダンジョンの視察を開始した。
体育館の中は、まるで異世界のようだった。
土魔法で形成された壁は本物さながらで、
通路には着ぐるみを着たモンスターが潜み、突然現れては脅かしてくる。
迷宮構造はしっかりと作り込まれており、
謎解き要素も随所に散りばめられていた。
置かれた宝箱にはお菓子が入っていて、子供たちにも人気の仕掛けとなっていた。
六道院は、誇らしげに説明を続ける。
「このダンジョンの製作には、土魔法の安定化に苦労しました。
特に結界の維持と、魔力干渉の調整には時間がかかりまして……」
マリアは静かに頷きながら、壁の構造を指先でなぞる。
アイリスはメモを取り、イリスは周囲の安全を確認していた。
その中で、ひときわ目立っていたのが――久遠優だった。
宝箱を見つけるたびに、優は全力で駆け寄り、
蓋を開けては歓声を上げる。
「うぉ、ポテチのコンソメ味じゃん!」
その必死さに、学生たちもマリアも思わず笑みをこぼす。
制服姿で汗をかきながら、ポテチを握りしめる優の姿は、
どこか“文化祭の象徴”のようだった。
迷宮の中央には、大きな扉がそびえていた。
六道院が前に出て、説明を続ける。
「こちら、右と左の通路の奥にボタンが設置されています。
二手に分かれて進み、同時に押すことで扉が開きます」
「俺は左だ〜!」
優が即座に叫び、ジンクスのように左へと向かう。
六道院は苦笑しながら、優を伴って左の通路へと進んでいった。
副部長の草薙宗次郎が、貴族らしい仕草でマリアに一礼する。
「では、当主様はこちらへ。右の通路をご案内いたします」
マリアは一瞬だけ躊躇した。
だが、すぐに表情を整え、静かに頷く。
「ええ、お願いするわ」
その背を、渡部光がクスリと笑いながら追いかける。
通路の奥に進むと、そこには凝った作りの台座が鎮座していた。
魔導装飾が施され、中央には一際目立つボタンが輝いている。
「俺が押すぞーーー!」
久遠優が叫びながら突撃する。
台座の高さは微妙に高く、優は背伸びをしてようやく指先を届かせた。
「ぽちっとな!」
その瞬間――
バチィィィィィン!!
優の体が一瞬、青白い光に包まれた。
電撃が走り、骨格が透けて見えるほどの衝撃。
まるで人体模型が一瞬だけ現れたかのように、
優の骨が“ビリビリ”と浮かび上がり、髪が逆立つ。
「ぎゃあああああああああああああ!!」
ボタンは吹き飛び、優は煙を上げながら床に転がった。
制服は焦げ、ネクタイは完全に焼け落ちていた。
「いたーーーー……」
イリスが慌てて駆け寄る。
「ちょっと優、大丈夫!?」
六道院海斗は、最初ニコニコしていたが、顔色を変える。
「ば、ばかな……こんな仕掛け、していないぞ!?
ボタンはあくまで管理室にいる、部員に信号を確認するためのものだ!」
信号が走り、管理室の部員が手動で大扉を開ける。
冒険部のメンバーがざわめき始めた。
「なんで電撃!?」「誰が仕込んだの!?」「優ちゃん死んでないよね!?」
イリスは優を抱きかかえるようにして、右の通路へと全力で走り出した。
「マリア様!」
右の通路の奥にも、左と同じような台座が設置されていた。
魔導装飾が施され、中央には光を帯びたボタンが静かに輝いている。
草薙宗次郎が、貴族らしい所作で一歩前に出る。
「ささ、これを押してください、マリア様」
マリアは苦笑しながら、台座に手を伸ばす。
「押すだけでいいのね?」
宗次郎はうやうやしく頷いた。
マリアは指先でボタンに触れ、軽く押し込む。
その瞬間――
魔法陣が台座の下から浮かび上がり、空間が震えた。
「なっ……!」
虹色の輝きが、床から噴き出すように広がり、
マリアの体を一瞬で包み込む。
アイリスが叫びながら手を伸ばす。
「マリア様!」
だが――その体は、何かに蹴られた。
衝撃が走り、アイリスの体は壁を突き破って外へと吹き飛ばされた。
「マリア様ぁぁぁぁ!!」
冒険部のメンバーから悲鳴が上がる。
虹の光が渦を巻き、マリアの姿が完全に呑み込まれていく。
そして――
アイリスを蹴り飛ばした人物が、ゆっくりと台座の前に現れた。
渡部光だった。
「服の裾を揺らし、瞳には虹色の亀裂のような輝きが走る。
その笑みは、もはや“ヒロイン”の顔ではなかった。」
「何をしているんだい? 渡部君???」
部員の一人が、震える声で問いかける。
光は、ゆっくりと振り返り、微笑んだ。
「世界平和よ」
その言葉とともに、光の背から虹色の羽が広がる。
空気が軋み、大地が震え、
体育館の空間が、静かに“異常”へと変わっていく。




