虹と黒の咆哮
「我が名は暴食の顕現。
理を裂き、秩序を呑み、
忘却の深淵より這い出でしもの。
いま、世界を喰らう――《ワールドイータ》」
その瞬間、空間が軋んだ。
黒い魔力が渦を巻き、螺旋状に集束していく。
そして――それは現れた。
その姿は、全身を漆黒に染めていた。
それは、ネロが“何者にも染まらぬように”自らを封じるための色。
暴食の魔力に侵されぬよう、理性を守るために選ばれた“絶対の黒”。
両腕には、獣のアギトが生え、空間を噛み砕く。
背には、漆黒の尾――《虚無の尾》。
喰らった魔力を排出し、空間を裂き、次なる獲物を探る触角。
尾の先端は常に揺れ、世界の端をなぞるように動いている。
その姿は、漆黒の獣。
ネロの咆哮が響く。
「グォオオオオ――!」
その声は、“世界を喰らいし者”の咆哮。
だが、瞳だけが虹色に輝いていた。
それは、ネロが“人であること”を手放していない証。
両腕のアギトが空間を噛み砕き、七光の侵蝕者の羽根が裂ける。
その瞬間、侵蝕者はいつの間にかネロの目前にいた。
驚愕の表情を浮かべる侵蝕者に、ネロは静かに両腕を交差させる。
「我が口は終焉の門――
解き放て、《終天咆哮》!」
漆黒の波動が、咆哮とともに解き放たれる。
それは空間をえぐり、虹色の鱗粉を焼き払い、
七光の侵蝕者の体を貫いて、空へと突き抜けた。
空が裂け、世界が震えた。
それは、終焉の咆哮。
「まさか……奴は空間そのものを喰らっているのね」
七光の侵蝕者が呟いた瞬間、肉体は瞬時に再生され、
虹色の鱗粉が再び空気を満たす。
その瞳が輝くと同時に、世界が加速した。
空が歪み、地が溶ける。
夢のような光景――だが、それは悪夢だった。
見たことすらない兵器が、次々と空間から現れる。
巨大な砲塔、浮遊する刃、無数の銃口を持つ機械獣。
それらはすべて、侵蝕者の“想像”から生まれた“創造物”。
「そんな隠し玉持てたなんて……やるじゃない、ネロ」
その声は、エミリーのものだった。
甘く、優しく、そして残酷に。
ネロはその声を聞くたび、胸の奥が軋む。
だが、瞳は揺れない。
虹色の光が、黒の中で静かに燃えていた。
銃弾が降り注ぎ、光線が空を裂く。
ネロはそのすべてを、漆黒の尾で弾き、獣のアギトで噛み砕く。
「グォオオオオ――!」
咆哮が響く。
それは、理性と暴食が融合した者の叫び。
空間が震え、侵蝕者の創造物が一瞬、揺らぐ。
「もっと壊して……もっと狂わせて……」
七光の侵蝕者は笑う。
その背から、さらに巨大な蝶の羽が広がり、虹色の世界が加速する。
だが、ネロは一歩も退かない。
その黒は、何者にも染まらぬための色。
そして、次の瞬間――ネロは跳ぶ。
尾が空間を裂き、アギトが創造物を喰らい尽くす。
場面は変わる。
そこは、かつてのヴァーミント――燃えるブラックハウス。
炎が空を染め、瓦礫が崩れ、世界が終わる音が響いていた。
地に伏すネロとバフ。
その姿は無様で、血に塗れ、力を失っていた。
そして、冷たくなったエミリー。
その瞳は閉じられ、もう何も語らない。
その時、現れたのは一人の女。
名をサリーと名乗り、エルバートンギルド館に現れたあの日の女だった。
「ミイツケタ。やっと……あの女に変わる存在」
サリーの背に広がる虹色の羽。
それを見た瞬間、ネロの瞳が揺れる。
――七光の侵蝕者。
その名が、脳裏に焼き付く。
その姿が、エミリーの声で囁く。
ネロの意識は、現実を離れ、深層へと落ちていく。
気がつけば、ネロは立っていた。
そこは、アル=ミラヴァスの最下層――《王の間》
空間が静かに脈動し、壁には刻まれた記憶が揺れていた。
この場所は、世界の理に触れる者だけが辿り着ける場所。
ネロは、ついにこの世界の秘密に触れたのだ。
そして、再び戦場へと戻る。
漆黒の尾が揺れ、獣のアギトが噛み鳴らす。
「貴様は……絶対に許しておけない」
七光の侵蝕者の動きが、徐々に鈍っていく。
ネロの動きに追いつけず、虹色の羽が裂け、
再生したはずの肉体が削れていく。
ネロの暴食は、ただの破壊ではない。
それは“再生”すら喰らう。
七光の侵蝕者が生み出す創造物――兵器、幻影、
魔導具――それらすべてが、アギトに噛み砕かれていく。
「厄介な……何より、私の質力が上がらない。このままでは……」
侵蝕者は気づいた。
この領域――ここは、久遠優が支配するエリア。
存在の密度が制限され、力が抑制される“静の領域”。
「そうね……ここは、久遠優が支配するエリア」
その言葉に、ネロは静かに応じる。
「気づいても遅いよ」
その瞬間、ネロの体が変化する。
漆黒の肉体が蠢き、全身が獣のアギトへと変貌していく。
腕も、脚も、尾も――すべてが“喰らうための器官”へと統合される。
瞳だけが虹色に輝き、理性の残滓を宿す。
ネロが、低く、そして確かに呟いた。
「――神食い」
空間が震えた。
それは、神話の終焉を告げる咆哮。
《神食い》――この技は、存在そのものを喰らう。
七光の侵蝕者が創造した虹色の兵器が、次々と崩壊する。
再生も、創造も、質力の支配下では意味をなさない。
ネロのアギトが空間を噛み砕き、侵蝕者の胸元へ……七光の侵蝕者の胸元へと迫る。
だが――その姿が、変わった。
「ネロ……やめて」
涙を流すエミリー。
その声も、表情も、あの日と同じだった。
ネロの動きが止まる。
咆哮は消え、空間の震えも静まる。
それは偽物だと、理性では理解していた。
だが、心が追いつかない。
すべてが、甘くなる。
「馬鹿ね。でも、そこがいいのよ。あなた達人間は」
エミリーの手が、静かにネロの胸元へと伸びる。
次の瞬間――貫かれた。
漆黒の肉体が崩れ、虹色の瞳が揺れる。
ネロが倒れ、同時に《ワールドイータ》が解除される。
バフもまた、苦悶の声を漏らし、地に伏す。
暴食の顕現は、主の崩れと共に沈黙した。
七光の侵蝕者は、元の姿へと戻り、冷たく笑う。
「今度こそ――確実に殺してあげる」
その手が、再びネロへと伸びる。
とどめの一撃が、ネロ達を終わらせようとしたその瞬間――
「……家の庭で、何してるのかしら?」
凛と響く声が、空間を裂いた。
その声は、静かでありながら、すべてを支配する力を持っていた。
振り返る侵蝕者の前に、現れたのは一人の女性。
右手には、白の魔導書――《無垢なる書 ゼロ・コーデックス》
天宮マリア
その緋色瞳は、侵蝕者を見据え、微笑んでいた。
七光の侵蝕者は、天宮マリアの姿を見て、わずかに肩を落とした。
「はぁ……ここまでか。あれ、殺したかったのに」
虹色の羽が広がり、鱗粉が舞う。
空間が揺れ、侵蝕者の気配は薄れていった。
「流石に、二人は無理ね。
残念マリア様また近いうちに会いに行くよ」
その言葉とともに、侵蝕者の姿は霧のように消えた。
「待ちなさい」
マリアが咄嗟に魔法を放とうとしたが、すでにその気配は消えていた。
残されたのは――倒れたネロと――苦悶するバフ
マリアは静かに詠唱を始める。
魔導書のページが風にめくられる、癒しの魔力がネロの体を包み込む。
傷口が閉じ、呼吸が整い、虹色の瞳が微かに揺れる。
バフにも同様の魔力が流れ、包帯の下から、かすかな息が漏れた。
マリアは一度、空を見上げる。
侵蝕者の残した鱗粉が、まだ空気に漂っていた。
「……知恵を持つアブレーション、か」
胸の奥で、静かな疑念が広がっていった。




