愛の七光
とある酒場。
木造の梁に魔導ランプが揺れ、夜の帳が静かに降りる頃。
その片隅で、ひとりグラスを傾ける女性がいた。
「あ~……なんで私、こんな楽しくて綺麗な世界を壊そうとしてたんだっけ?
人ってさ、弱くて、すぐ壊れるのに……なんか、可愛いのよね。
これが愛ってやつ?
ふふ、私が守ってあげる。壊すより、抱きしめる方が楽しいもの」
その声は、どこか陶酔していた。
彼女の名は――ルーナ。
だが、かつての名は《七光の侵蝕者》
アル=ミラヴァスから地上に降り立ち、半年間、気ままに旅を続けていた。
その旅の中で、彼女は“人間”という存在に触れ、
その脆さ、愚かさ、そして愛しさに気づいた。
今では、ルーナと呼ばれることを望み、
人間のように振る舞い、人間のように悩み、
人間のように酒を飲む。
「アレ、ホント邪魔ね。
いずれ私でも対処できないアブレーションが来たら困っちゃう」
グラスを回しながら、ルーナは小さく唸る。
その瞳には、虹色の光が微かに揺れていた。
「……あれ、ルーナ。なに一人で飲んでるの?」
声をかけてきたのは、チャラそうな男。
手にはビールのジョッキを持ち、軽い足取りでルーナに近づく。
「あら、デーン。ありがと」
ビールを受け取りながら、ルーナは微笑む。
デーンと呼ばれた男は、グラスを傾けながら尋ねる。
「なに、ルーナ。悩み事? 僕に相談しなよ」
さりげなく、彼はルーナの手に触れる。
その瞬間、ルーナの表情がふわりと緩んだ。
「デーン、悩み?
あんたに触れられて、忘れちゃった♡」
「そいつは良いね」
二人の目が合う。
ルーナの虹色の瞳と、デーンの無邪気な笑顔。
「逢えて言うなら……デーン。
愛って、あるのかしら?」
「なんだ、いやけに哲学的だね、愛なら今ここに・・・・」
肩を寄せ合いながら、二人は酒場を後にする。夜の街は静かだった。
酒場の灯りも消え、デーンとの逢瀬を終えたルーナは、
石畳の路地を一人歩いていた。
頬には微かな紅潮。
心には、奇妙な高揚感。
(なんで……こんな簡単なこと、気づかなかったのかしら)
ルーナは立ち止まり、空を見上げる。
夜空には、虹の残響が薄く漂っていた。
「ふふふ……あの子、変えちゃえばいいじゃない」
その声は、甘く、そして危うかった。
まるで恋人の名前を呼ぶように、
まるで玩具を選ぶように。
その言葉に、空間が微かに震えた。
ルーナの瞳が、虹色に揺れる。
「私が、このダンジョンを愛しているのよ」
その日、ヴァン=ローゼンが治めるフランエリアの芸術の都――パリスは、
後に“屈辱の日”と密かに語り継がれることとなった。
ミディア級、ミスティック級、
そして国内唯一のセレスティア級--契約者のレギス能力者
計6名の貴族が、突如として攫われる事件が発生した。
だが、パリスは報じなかった。
その誇り高き都は、屈辱を認めることを拒み、事件を闇に葬った。
それでも、記録の断片は残り、後世の一部に語り継がれることとなった。
一方その頃――アル=ミラヴァス階層???
殻の玉座の前、虹の悪夢が揺れる空間にて、ルーナは“実験”を続けていた。
「やめて……いや……!」
叫ぶ声を無視し、ルーナは無言のまま対象の身体を、
王座と壁に絡みつく魔力鎖へと交互に押し込んだ。
そのたびに空間が軋み、重力が逆転するような感覚が走る。
壁は呼吸するように脈打ち、王座は人を吸い込みながら微かに震えていた。
空間はまるで実験器具のように反応し、圧力と魔力が交錯する。
鎖が対象の魔力を吸い上げ、王座がそれを解析するように脈動する。
悲鳴は、歪んだ空間の構造に溶け込み、ただの振動として消えていった。
「はぁ……駄目じゃない、もう」
ルーナは怒り気味に呟く。
その瞳には、冷静な観察者の光が宿っていた。
「あんた達で最後よ。セレスティア級なら、上手くいきそうね」
ルーナは、対象の身体を王座と壁に絡みつく魔力鎖へと押し込む。
鎖は生き物のように蠢き、空間はまるで実験器具のように反応した。
圧力と魔力が交錯し、王座が脈動するたびに、壁が呼吸するように波打つ。
その瞬間、空間が震え、光が弾けた。
跳躍紋が浮かび上がり、魔力の残響が空間の端を焼く。
歪んだ構造に吸い込まれ、やがて静寂に変わった。
鎖は沈黙し、王座の魔力が均衡を保ち始める。
その場に、わずかな“成功の手応え”が漂った。
ルーナは、虹色に揺れる瞳で対象を見下ろしながら、ふと微笑む。
「あら、流石セレスティアペア。安定するかしら?」
――だが、その希望は儚かった。
均衡は一瞬で崩れ、セレスティア級ですら耐えられなかった。
肉体は溶け、精神は崩壊し、
鎖の牢獄へと、静かに吸い込まれていく。
「ディヴァイン級しか……無理なの?悲しいわ」
ルーナは、涙を流しながら呟いた。
その涙は、虹色に輝いていた。
「まあ、いいでしょう。
ディヴァイン級……今、いたかしら?」
アル=ミラヴァスの空間に、ルーナの声が響いた。
その瞬間、彼女の背後に黒い影が集まり始める。
黒いフードで覆われた集団――
ヴァルファナの使途と呼ばれる者たち。
そして、その背後には“ヴァルファナの影”と恐れられるアル・カーラ達が控えていた。
「……あんた達、ホントしつこいわね」
ルーナは、何事もないように羽を広げる。
七色の鱗粉が空間に舞い、幻想的な光を放つ。
「ヴァルファナの使途だっけ?
こんな、呼ぶことしかできない奴より――
私を拝みなさいな」
王座の奥、鎖の中に逃げ込んだヴァルファナを、
ルーナは鼻で笑いながら見下す。
鱗粉を浴びたフードの者たちは、突如として同士討ちを始める。
精神が侵され、意識が混濁し、仲間を敵と認識し始める。
だが、アル・カーラだけは違った。
機械的な動きで、ルーナに向かって突進する。
しかし――その攻撃は、すべて手前で防がれた。
まるで何かを纏っているかのように、空間がルーナを守っていた。
「何度来たところで、私には効かないわよ。
それにね~……私、機嫌が悪いの。
あんた達、楽に死ねないわよ……」
その言葉とともに、空間が歪み、
ルーナの周囲にいた者たちは、次々と崩れ落ちていった。
すべてを終わらせたルーナは、
一人の人間に触れ、記憶を読み取る。
「……だめね。ディヴァイン級の情報が無いわ」
少しだけ眉をひそめ、ルーナは思案する。
「聖都ティアムードに行ってみようかしら?」
そして、ふと笑みを浮かべる。
「そうよ。この姿だと、また来るわね。
次は……もっと可愛い名前にしようかしら。誰にも気づかれないような、ね」
七色の羽が広がり、光が空間を包み込む。
その姿は、虹の残響とともに消えていった。




