第4章:抗う者
記録者の報告
記録者:隊長 レイ=ヴァルド
階層:第73層・魔力干渉域
報告開始――
我々クラウゼヴィッツ第六探査隊は、《アル=ミラヴァス》第73層への進行任務を帯びていた。
クラウゼヴィッツは、七大エリアの中でも最も積極的に《アル=ミラヴァス》攻略を進めており、
我々は“肝の部隊”として、最深域への突破口を担っていた。
だが――全滅した。
原因はモンスターではなかった。
災厄でもなかった。
“彼女”だった。
彼女は人の姿をしていた。
だが、それは我々の知る人ではない。
魔力構造は異常なまでに安定しており、
干渉を拒絶し、逆に“こちらの魔力”を解析していた。
その虹色の瞳で、彼女は言葉を発した。
それも、我々の言語で。
「この世界は、間違っている。
私は、構築しない。
私は、抗う」
その声は静かだった。
だが、空間が震え、魔力が逆流した。
仲間の意識が――崩れた。
天華大学・特別集中講義
《アル=ミラヴァス構造圏における魔力生命体と進行因子の相関解析》
講師:探査学・魔力生態学教授 矢天健司
場所:第十三講義棟・ホログラム演算室
午前講義:アブレーション進行論・第六講
講義室の空気は張り詰めていた。
壁面には、アブレーションの軌道図がホログラムで浮かび上がり、
中央講壇には、この分野の権威――矢天健司教授が立っていた。
「本日の前半では、アブレーションの進行軌道と、
その終着点《アル=ミラヴァス》について考察する」
映し出された軌道図には、複数の軌跡が交差するように描かれている。
それぞれは異なる起点から発生し、最終的に《アル=ミラヴァス》へと収束していた。
「まず確認しておこう。
アブレーションは、人類史上最も脅威的な魔力構造体であり、
彼らはすでに《ネオフィム》の外部から突然現れ、“出現”した存在だ」
次の瞬間、ホログラムは切り替わり、百年前の《第七外縁事変》の映像が映し出された。
異形の魔力構造体が都市の防壁を貫き、境域討滅庁と交戦する様子――。
「この事例が示す通り、アブレーションは従来の魔導障壁を無効化し、
環境に応じて瞬時に適応する能力を持つ。
その進化速度は、既存の生物体系を凌駕している」
教授は指先で軌道図を拡大し、特定の一点を示す。
「注目すべきは、彼らの進行軌道が《アル=ミラヴァス》を指していることだ。
偶然ではない。
アブレーションは、魔力密度の極点――《アル=ミラヴァス》を本能的に目指している」
学生の一人が手を挙げ、問いかけた。
「教授、それは《アル=ミラヴァス》がアブレーションを呼び寄せている、ということですか?」
教授は慎重に答える。
「その可能性は否定できない。
《アル=ミラヴァス》は世界最大の魔力集中領域であり、
進行がそこに向かうのは“魔力吸引”による自然現象とも考えられる」
「現在、冒険者たちは第70層まで到達しているが、
アブレーションの軌道はさらに深層――理論上の“最下層”へと向かっている」
「その層には、未解明の構造がある。
我々はそこに“魔力の核”が存在すると仮定している」
教授はそこで区切り、言葉を締めくくった。
「午後は、《アル=ミラヴァス》に出現する魔力生命体――通称“モンスター”について考察する。
諸君、昼休憩の間に第30層以降の記録映像を確認しておくように」
午後講義:アル=ミラヴァス生態論・第十講
講義再開。
壁面には、階層ごとに分類された魔力生命体のホログラムが浮かんでいた。
学生たちは息を呑み、メモを取りながら教授の言葉を追っていく。
「《アル=ミラヴァス》は階層ごとに魔力密度と構造が異なり、
それに応じて出現するモンスターの性質も変化する。
ただし、重要なのは――彼らは“進化しない”という点だ」
ざわめく学生たち。
教授は続ける。
「通常、生態系では環境変化に応じて進化や適応が起きる。
だが、《アル=ミラヴァス》の個体は、出現時の状態を保ったまま消滅する。
彼らは“魔力生成型生命体”であり、
自然発生ではなく、魔力構造の乱流によって形成される存在と考えられている」
階層別の分布図が映し出される。
「第10層までは物理攻撃に脆弱な単純個体が多い。
だが第30層以降では、精神干渉を行う個体が現れる。
耐性を持たぬ冒険者は幻覚や意識混濁を起こし、探索不能に陥る例も報告されている」
さらに映像が切り替わり、討伐後に出現する“宝箱”が映された。
「興味深いのは――一部のモンスターが“宝箱”を残すことだ。
中には魔導装備、希少鉱石、古代文書が含まれ、
それが《冒険者》と呼ばれる存在を生み出した。
一攫千金を狙う者たちが命を賭して挑む理由の一つである」
学生の問い。
「教授、宝箱の生成原理は?」
教授は首を振る。
「現時点では不明だ。
一説には、モンスターの“魔力構造の崩壊”が周囲の魔力を凝縮し、物質化させる現象と考えられる。
だが確証はない。今後の探索に委ねられている」
最後に教授は言葉を重ねた。
「次回は、アブレーションの“進化因子”とモンスターの“魔力干渉能力”を比較し、
階層ごとの戦術的対応を検討する。
諸君、
《アル=ミラヴァス》は、ただの遺跡ではない。
それは我々の理解を試す、“魔力構造体”なのだから」
天華大学--食堂
昼休みの陽光が窓から差し込む中、渡部光は仲間たちと昼食を囲んでいた。
焼き魚の骨を器用に取り除きながら、光はふと話題を切り出す。
「でもさ、70階層到達したレイ=ヴァルドのチームって最近見てないよね」
その言葉に、向かいの席の仲間が頷く。
「ああ、確か3年前だったっけ。73階層まで到達したってクラウゼヴィッツが宣伝してたが……
途端に聞かなくなったよな」
別の仲間が口を尖らせる。
「どうせ奴らの張ったりさ。あの階層、まともに突破できるわけないって」
「そうかなぁ~」
光は曖昧に笑いながら、手元の新聞に視線を落とす。
虹色の瞳が、芸能ページの一角に吸い寄せられていた。
そこには、久遠優今日のファッションが華やかに掲載されている。
隣の席の仲間が、少し眉をひそめて注意する。
「ちょっと行儀悪いよ、光。食べながら読むのは」
「ごめん~でもさ、このカワイイ久遠優ちゃん、つい見ちゃうんだよね」
「わかる~。今じゃ天華のアイドルだもんね」
「ふふふ……これで伝説のヴァッサル、ディヴァイン級の久遠優様ってわけか」
新聞の紙面には、優さまのファッションが鮮やかに映えていた。
その姿は、学内の話題をさらい、天華のブームとなりつつある。
光は、静かにその写真を見つめる。
虹色の瞳が、紙面の中の彼女に吸い込まれるように深く沈んでいく。
「久遠優……」
その声は、誰にも届かないほど小さく、
けれど確かに、何かが心の奥で揺れ始めていた。




