幕間:アル=ナジールの戦士 後編
双剣「マグネット・N & S」を手にした瞬間、石畳が鳴く。磁力が唸る。
ワヘドの動きが変わった。
空気が圧される。星に向かうその速度は、もはや“突進”ではない。
――質量を持った意志。
戦士としての圧が、観客席にまで届く。星はそれを感じ、笑みを浮かべる。
「ワヘド。楽しませてくれ」
キィィィィン――!
双剣が高音を鳴らすと同時に、石畳の一部が剣に吸い寄せられる。
地中の鉄分が磁力に引かれ、砂鉄となって舞い上がる。
それは剣に纏い、いびつな形状へと変化する。
刃の輪郭が崩れ、まるで生き物のように蠢く。
「――カシーフ・アイン(開眼の嵐)!」
叫びとともに、剣が地を裂いた。
砂塵が爆ぜ、視界が白く染まる。
その中を、ワヘドは滑るように突進――いや、吸い込まれるように星へと迫る。
剣先が狙うのは、膝、肩、喉元
三点を一瞬で切り替え、軌道は伸び、縮み、舞う
砂塵が舞い、磁力が唸る。
ワヘドの双剣が変則の軌道で星を追い詰める。
星はその動きに対応しながらも、余裕の笑みを崩さない。
「面白い。だが、まだ足りん」
その瞬間――
“声”が、星の耳元に滑り込んだ。
「すこし膝を下げようか」
早口で、何気ない口調。
だが、星の身体は無意識に膝を緩めていた。
カマルの能力――インシャラー=ムニヤ。
“無意識と共鳴し、些細な行動を誘導する”能力。
星の脳はその声を“自分の思考”と誤認し、わずかに姿勢を崩す。
星の耳が“何か”を聞き逃した。
その違和感に気づいた時には、もう遅い。
「――ワヘド、今だ!」
カマルの声が、砂塵の向こうから響く。
その声に反応したワヘドの双剣が、魔力を纏って星の胴へと伸びる。
星は咄嗟に身を引き、致命傷は避けたものの――
袍に切り傷が走り、血が薄く溢れ出る。
星が傷を負った瞬間、空気が震えた。
だが、星は笑っていた。
「…なるほど。厄介だな。」
ワヘドは双剣を構え直し、力を再び高める。
カマルは静かに、次の“囁き”を準備する。
観客席がどよめく。
恋狐が実況席から声を張り上げた。
「おおおっと! 龍伯星、今大会初めて傷を負いました!」
場内が揺れる。
だが、星の表情に焦りはない。
むしろ、余裕すら漂わせていた。
「ならば――これで貴様の能力を防ごう」
そう言うと、星は両耳に中指を突き込んだ。
次の瞬間、自らの鼓膜を破った。
観客が息を呑む。
星は音を遮断し、
カマルの“ささやき”――インシャラー=ムニヤを封じたのだ。
ワヘドは眉をひそめるが、すぐに動き出す。
双剣を重ね、磁場を展開。
地中の鉄分が引き寄せられ、空気が震える。
「――ナノ・ブレード」
磁場内で鉄が凝縮され、電気を帯びたナイフが瞬時に生成される。
数十本のナイフが、星に向かって一斉に放たれる。
「ふん」
星は素手――いや、龍気を纏った掌でナイフを叩き落とす。
電気が弾け、鉄が砕ける。
だが――その瞬間、ワヘドの双剣の一本が星に襲いかかる。
磁力に引かれ、落ちたナイフが連なって星を包囲する。
星は巧みに身を翻し、次々と攻撃をかわす。
だが、避けきれない。
ナイフの一つが肩をかすめ、
もう一つが脇腹を裂く。
星の袍に、次第に傷が増えていく。
カマルは静かに呟いた。
「……すこし戦略を変えよう」
だが、星にはその声は届かない。
本当に鼓膜を破ったのか――
カマルは一人、思考を巡らせていた。
場内に響く怒号。
「えええぃいいッ!」
龍伯星の咆哮とともに、龍気が爆発する。
飛散していたナノ・ブレードの鉄刃が一斉に弾かれ、空気が震える。
ワヘドはすぐさま片方の剣を鳴らす。
磁力が共鳴し、もう片方の剣がワヘドの手元に戻る。
そのまま星へと突進――
だが、星はおもむろに構えを取った。
右手を龍の頭の形に掲げ、魔力が凝縮されていく。
「――龍砲」
凄まじい魔力弾が、龍の口から放たれるように発射された。
ワヘドは体勢を崩しながらも、なんとか回避。
だが――
「もらった」
星の右足が、崩れたワヘドの懐へと襲いかかる。
だがその瞬間、ワヘドの身体が不自然な軌道で動いた。
蹴りを躱し、カウンターで双剣を叩き込む。
「――ザハラ・ナスル(砂漠の勝利)!」
魔力を纏った双剣が星を捉える。
星は咄嗟に龍気を集中させ、刃の接触点を防御。
だが、衝撃は防ぎきれず――星の身体が吹き飛ぶ。
地面を滑りながらも、星はすぐに立ち上がる。
「なるほど……ワヘドに貴様の能力を使って、かわさせたのか」
カマルは咄嗟にインシャラー=ムニヤを発動し、
ワヘドの無意識に“軌道の修正”を囁いたのだ。
ワヘドもそれを理解していた。
双剣を構え直し、場に一瞬の間が生まれる。
星は静かに笑う。
「くっ……やはり世界には、お前や閑条武のような強者がいるのだな。
――いいだろう。貴様に、龍の力を見せてやる」
その瞬間、星の雰囲気ががらりと変わる。
龍気のオーラが、真紅に染まった。
カマルが青ざめて叫ぶ。
「ワヘド、急げ! アレはまずい!」
ワヘドが全力で突進する。
力を溜める星に向かって、双剣を叩き込む――
だが、双剣は真紅のオーラの前で止まる。
星の顔が、憤怒の表情へと変わる。
そして、会場が揺れた。
星が、静かに手を伸ばす。
その手が、ワヘドの胴に添えられる。
あまりに自然な動きに、ワヘドは反応できなかった。
触れた瞬間――
ワヘドは吹き飛び、場外の壁にめり込み、失神。
カマルが結界術で抑えようとするが、
星がただ手を添えただけで――吹き飛ばされた。
そのあっけない終わりに、会場は静寂に包まれる。
そして、恋狐がゆっくりと舞台に降りてきた。
「――勝者、龍伯星」
ワヘドが目を覚ますと、そこは静かな病室だった。
白い天井。窓から差し込む柔らかな光。
そして、隣の椅子に座っていたカマルが、安心したように声をかける。
「やぁ~、ワヘド。目覚めたかい。良かった」
ワヘドはゆっくりと目を動かし、カマルの顔を見た。
身体を動かそうとするが、すぐに痛みが走る。
「一応、治癒使いに直してもらったけど……まだ体は動かせないよ」
「そうか……俺は、負けたのか……」
ワヘドの声には、悔しさが滲んでいた。
拳を握ろうとするが、力が入らない。
「やはり……あのような化け物が、世界には居るのだな」
カマルは静かに頷く。
「まぁ、あそこまで行くと神の領域――ディヴァイン級だよ。
あれは、もう“人”じゃない」
そして、少しだけ表情を引き締める。
「そして……家の人間が、彼を認めるだろう」
その言葉に、ワヘドは眉をひそめる。
だが、すぐに顔をしかめて叫んだ。
「えーい! そんなこと知ったことか! 急いで型の修行だ!」
痛みをこらえながら、無理やり起き上がろうとする。
その珍しい“焦り”に、カマルは思わず笑った。
「君も案外、戦闘狂だね……」
ワヘドはベッドの縁に手をかけながら、息を整える。
「僕たちが寝てる間に、大会は終わったよ。
決勝は凄かったらしいよ。映像あるから、あとで見よう」
「……ああ、もちろんだ。
龍伯星――あの奴の動き、必ず次は俺が勝つ」
カマルは微笑みながら、窓を少し開けた。
外の風が、病室にそっと入り込む。
その風には、どこか懐かしい香りが混じっていた。
乾いた空気。熱を孕んだ粒子。
――砂漠の香り。
アル=ナジールの地が、遠く離れたこの場所にも、
彼らの誓いを見守るように、そっと寄り添っていた。
龍殿の奥深く、静寂が支配する空間に、
ただ一人、龍伯星が立っていた。
その瞳は燃えるように赤く、戦いの余韻がまだ身体を包んでいる。
「ワヘド……あの男との戦いで、余は触れた。
あの力に、あの怒りに――」
拳を握る。
その瞬間、空気が震え、龍殿の壁に刻まれた龍の紋章が微かに光る。
「久遠優……あの頂に立つ者と同じ“気配”が。
だが、余の中にもある。確かに、あるのだ」
龍伯星の声は低く、しかし確信に満ちていた。
「龍黄の伝説――憤怒のヴァッサル。
この力を、完全に我が物とすれば……余は、更なる高みに至る」
その言葉と共に、龍殿の天井が震え、龍の像が咆哮するかのように鳴った。
「余が最強だ」
高笑いが龍殿に響き渡る。
それは、ただの勝利宣言ではない。
――神域への宣誓だった。
龍伯星の背後に、黄金の龍の幻影が浮かび上がる。
その瞳は怒りに燃え、世界を睥睨する。




