幕間:アル=ナジールの戦士 前編
(九京大武道会 決勝延期の夜)
九京の空は、静かに夜を迎えていた。
だが、その静けさの裏で、戦士たちの思考は止まることなく巡っていた。
カマルは宿舎の机に向かい、片肘をつきながら端末を操作している。
「やれやれ、決勝ラウンドが一週間後とは……予定が狂ったな」
吐き出した言葉は、独り言というよりも状況への苛立ちの表れだった。
視線は端末の画面に釘付けのまま、指は休むことなく動き、情報を整理し、
戦況を分析し続ける。
ふと、脳裏にあの異形――第六ブロックで遭遇したアル・カーラの姿が浮かんだ。
「しかし、あの醜い怪物は一体……?」
口にした瞬間、カマルの目には、ただのアブレーションとは違う、
“人間臭い何か”の影がよぎっていた。
「なにを考えている、カマル」
背後から落ち着いた声が響く。振り返れば、
ワヘドが双剣――聖遺物《マグネット・S & N》を丁寧に手入れしていた。
刃に布を滑らせるその所作は、どこか儀式めいている。
「秩泉のディヴァイン級――久遠優。あんな子供だとは思わなかったな」
ワヘドは映像で見た優の姿を思い返す。
その幼い体躯に宿る異様な存在感は、他の戦士たちとは明らかに異質だった。
「流石に子供には手が出せん。というか……秩泉のやつらは正気か? あんな子供を戦わせて……」
言葉を重ねるほど、ワヘドの胸中には苛立ちが募っていく。
カマルは手を止めずに、短く言葉を返す。
「……それが“願い”なら、王は動く。だが、あれは――」
何かを言いかけて、飲み込むように視線を端末へ戻した。
ワヘドは黙り、双剣の手入れを続ける。その瞳には、別の思考が巡っていた。
(今大会では、この聖遺物――双剣《マグネット・S & N》は使えん。
たとえ使ったとしても、あの男――龍伯星に勝てるのか……)
一瞬、弱気が心をかすめる。だが、すぐに打ち消すように柄を握り直した。
(いや、弱気になるな。必ず勝ち筋はあるはずだ)
彼が感服していたのは、カーラを一瞬で屠った星の技そのものよりも、
その魔力の纏い方、操り方――戦士としての“力量”だった。
「勝たねばならない。信仰のために」
ワヘドは静かに目を閉じ、星の動きを脳裏で反芻する。
「……まだ足りぬ。あの男の動きを、もっと思い出せ」
手入れを終えると、ワヘドは立ち上がった。
「カマル、少し型の練習をしてくる」
カマルは視線を上げぬまま、「……ああ、無理はするなよ」とだけ返す。
翌朝、場所は龍殿へと移る
龍殿 ― 謁見の間
(九京大武道会・決勝延期の翌朝)
天井は高く、壁には金色の龍紋が刻まれている。
空気は張り詰め、わずかな物音すら響くほどの静けさだった。
その中央に、狼の獣人――**狼凱**が深く平伏している。
玉座に座すのは、ウーロンの主――龍伯星。
動かずとも威圧を放つその姿は、眼差し一つで場を支配していた。
「面を上げよ」
低く、しかし空間を震わせる声が響く。
狼凱は「ははーーーっ」と応え、ゆっくりと顔を上げた。
「主、ご報告いたします。
クラウゼヴィッツの連中は、ミュラーが変化したと同時に全員逃げ出しました。
香口の者たちは即座にステルス船に乗り込み離脱。
しかし九京の者は数名捕縛いたしました。
ですが……捕らえた者たちは毒をあおり、全滅いたしました」
龍伯星は目を細め、低く告げる。
「よくわかった。
すぐに“死後を見る”レギス能力者を使い、何を企んでいたのか突き止めよ」
狼凱は、わずかに言い淀んだ。
「それが……強力な呪いが施されており、能力者でも追えません」
その報告に、星の瞳がわずかに揺れる。
狼凱は一通の書簡を差し出した。
「――こちらは、天宮公からの書簡です」
星は迷いなくそれを受け取り、封を切る。
視線が走り、ある一文で止まった。
アル・カーラ 神印結晶《ヴァル=エシェル》
《墜王環》
読み終えた星は、静かに立ち上がる。
その気配は、まるで嵐の前の静けさ。
「……クラウゼヴィッツの連中に抗議を入れておけ」
その言葉は命令であり、同時に冷ややかな警告でもあった。
玉座を離れ、重い足取りで自室へ向かう龍伯星。
その背から、低く響く声が落ちる。
「……ほう。龍の逆鱗に触れるか」
謁見の間は、なおも張り詰めたままだった。
あれから1週間―― 九京大武道会・決勝ランド
再開の合図を待ちわびたかのように、擂臺の周囲は朝から熱気で満ちていた。
その中心、アナウンサー席から、甲高くもよく通る声が響く。
「さあ! 休止しておりました九京大武道会――ここ龍武擂臺よりお届けいたします!
アナンサーの恋狐ですーーー! みんな元気してましたかー⁉︎」
その声に応えるように、観客席のあちこちから一斉に声が返る。
『元気ですーーーっ‼︎』
地鳴りのような声援に、恋狐が満面の笑みでマイクを握りしめた。
「よーし! ちょっとしたことありましたけど、行きますよ~~~‼︎
決勝ランド第一試合――アル=ナジール家、カマルとワヘドペアの入場です‼︎」
瞬間、ステージが暗転。
闇を裂くように光の演出が走り、夜空を模した天井に花火が咲き乱れる。
その華やかな光の中を、カマルとワヘドが堂々と歩みを進めてきた。
第4ブロックで圧倒的な強さを見せつけた実力者――。
その姿に、観客席の熱気はさらに膨れ上がっていく。
「そして! 我らが主――龍伯星だーーーーーーーっ‼︎‼︎‼︎」
恋狐の声が最高潮に達した瞬間、龍伯星が擂臺に姿を現す。
その瞬間、場内が爆ぜるような歓声に包まれた。擂臺全体が震え、空気そのものが一変する。
ただ立っているだけで、場の支配者が誰かを示す存在感――。
「さぁ! 第一試合――どちらが勝つか……⁉︎」
銅鑼の低く重い音が、試合開始の時を告げる。
「はじめーーーーーーーっ‼︎‼︎‼︎」




