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追撃網と、跳ねる決意

桜の一言で、捜索態勢が一気に整った。

イリスは拳を握りしめ、奥に広がる暗く湿った空間を睨みつける。


「……この先に、優が」


その声には、震えるほどの悔いがにじんでいた。


彼女の背中越しに、桜が冷静に端末を操作する。

画面には海条の複雑な地下構造図が映し出され、解析結果が次々と流れていく。


「東南側の下水管を抜けた可能性あり。

港湾区・北壁ラインと接続、確認済み。検問要請済」


桜の声は淡々としていたが、その指先は急ぐように滑る。


「街が広すぎる……今さらだけど、海条の都市再整備が悔やまれるわね」

軽く息を吐いた後、桜は鈴へ視線を向けた。


「鈴。もう一度、“気配”を追える?」

鈴は弱々しく瞬きし、ヴァッサルに支えられながらも頷いた。


「……ちょっとだけ、なら……やってみる」


目を閉じた瞬間、空気が静けさに包まれた。

汚水の底に沈んだ気配が、鈴の感覚に呼応するように浮かび上がる。

指先がわずかに震え、やがて目を開く。


「……うすいけど……東南。すごく、深いとこ」


「了解」


桜は即座に座標を入力し、探索班へルート指定を送信。さらに討滅庁本部へ通信を飛ばす。


「特殊潜水ユニット、即時展開。対象エリアは東南下水層、誤差±20m。

追撃用魔力投射網を並走。優先対象:久遠優。天宮指定SS級」

海条港湾区には検問線が広がり、都市の海路封鎖が始まっていた。


停泊艦艇、物資回収車両、転送ユニット――

すべてが、たった一人の“消えた幼児”のために動いている。

一方、腐臭と湿気が満ちる海条下水道。


袁小は、簀巻きにした優を背に担ぎ、迷路のような通路を走っていた。

しかし、その足取りには明らかな迷いと後悔がにじんでいた。


「なぜ……あんな浅はかな計画を考えてしまったんだ……

龍伯星なら……こんなこと……」


声がブツブツと崩れていく。

次第に情緒は不安定になり、背中の優もそれを察する。


(やっべー……このネズ公、死ぬ気か?オレを道連れにすんなよ!?

こんなクッセェ下水でオレが終わるとか、冗談じゃねぇ!!)


慌てた優は、必死に声を張る。

「オイ! ネズ公! 落ち着けって! あきらめんなよ!」


だが、袁小はついに悲鳴を上げ――

「もうムリだあああああッ!!!」


簀巻きごと、優を放り投げた。

宙を舞う優。

だが、揺れと衝撃で縛り紐が緩み、器用に体をねじって――

着地と同時に脱出成功!



その簀巻きが、汚水に落ち流れる。



優が立ち上がり、その小さな拳が、

ネズミのふさふさ頭をとらえる。


「ぺちゃっ」


乾いた音が、下水の静けさに響いた。

拳に力はなかった。けれど、その一撃は――袁小の心に、確かに届いた。


「……あきらめんなよ、ネズ公。娘と息子に、会いてぇんだろ?」

その言葉に、袁小の肩が跳ねる。


一瞬、呼吸が止まったような顔で、優を見返す。

その瞳に、かすかな光が戻っていた。

「なぜそれを知っているのだ・・・ど、どうすれば……」


優はスッと手を伸ばし、また袁小の額を小突いた。

(え、適当に言っただけどまあいいか)


「そこだよ、“出口”。お前が考えてたんだろ?脱出計画ってやつを」

(ちゃっちゃと出て、ちゃっちゃと捕まれ。んで、さよならだ)


そして、優は熱血バスケ教師の如く叫んだ。

「諦めたら、そこで終了だ……! 行くぞ、インターハイ!!」


――その言葉に、袁小の瞳が燃える。


「……袁貴、袁美……父ちゃん、まだ……!」


火がついた。

彼は再び立ち上がり、確かな足取りで進み出す。


「よし……行くぞ!俺の名は袁小! ここで終わるわけにはいかねぇ!」


「インターハイは人生の縮図だ、ネズ公ッ!!」(助かった)



優も叫び返す。




海条下水道最深部、“蛇尾抜け道”と呼ばれる忘れられた旧物流路。


海条再開発以前に使われていたこの路線は、

都市部の排水と海上輸送を結ぶ密かな脱出経路。

地図には存在せず、ただ“風”と“記憶”だけが道しるべの脱出経路じゃなく……


古いマンホールを押し上げた袁小の鼻に、新鮮な風が当たる。


目の前に広がるのは、海条東北豊かな自然が誇る再開発区――

稲穂いなほ

そして、唯一天華から――九京きゅうけい行きの交易貨物列車が存在する線路がある。


「……臭くねぇ……!でも……ここ、山!?空気……うめぇッ!!」

優が歓喜の声を上げる中――

袁小は風の音を頼りに、トンネルへ耳を澄ます。


「この時間今なら……通る!」

迫る列車の振動。


袁小は優を抱きしめ、勢いよくジャンプ――

車両の後部に、ギリギリで飛び乗る!


下水道東南最深部、蛇尾抜け道――腐敗と潮の境界をなす深淵。

イリスと桜が魔力を纏い、猛然と駆ける。


桜の端末に浮かぶ地形図を指でなぞりながら、魔力の波動で空間を探る。

「ここら辺かしら……鈴が言ってた場所は」


次第に、空気が湿り気を増す。

海水と汚水の臭いが混じり合い、空気が重くなる。


そして、そこに――

見慣れた、簀巻き。

イリスは硬直する。あの布――自分が優を縛った簀巻きだった。

「……嘘。まさか……」


指先が震える。

その瞬間に蘇る、悔いと恐怖。


イリスの表情は、絶望に染まった。

だがその沈黙を断ち切るように、桜の端末から響く凛然たる声。

「イリス、大丈夫。優は生きているわ」


それはマリア――

命の気配に対して誤りを許さぬ“契約者”。

イリスははっと息を呑む。

「なら……なぜ鈴は……?」


桜が答える。

「鈴のレギス能力は、《共響導識きょうきょうどうしき》――

一番望んだ対象の“痕跡”を優先的に探し出す能力よ」


そして、桜は床に落ちていた簀巻きをそっと指差す。

「イリス……彼女が探知したのは、優ではなく――“貴女”なの。

そしてこれが、“貴女が一番望んだ物”」


境域討滅庁と閑条家私兵団――

あらゆる情報網が集まる屋敷の政務室では、緊張が立ち込めていた。


イリスの姉、冷静沈着な、アイリスは端末を操作しながら声を発する。

「マリア様……優の出どころ、いったいどこに?」


マリアは海を見つめながら思案を巡らせる。

「これだけ海路を警戒していても……もしや、陸路……?」


マリアの言葉に、アイリスが素早く端末へ入力。

数秒後、端末に該当箇所が浮かび上がる。


「一つだけあります。海条東北の再開発区――

稲穂いなほ町”に繋がる下水道です。

さらに4時間前、九京交易線貨物列車がウーロンエリアへ向けて滑走中……」


情報が揃いすぎていた。

逃走経路は海ではなく、山――そして、列車。


アイリスは唸るように言葉を漏らす。

「そんな……列車のタイミングと脱出まで、神業としか思えない……

でも、確かに成立してます」


マリアが、静かに問いかける。

「その列車、止められないの?」


アイリスの指が、端末を滑るように走る。

数秒の沈黙ののち――

「無理です、マリア様。あと5分でウーロンエリアへ突入。

外部からの停止権限も、交易協定上無効です」



貨物列車はウーロンエリアへ滑走する。

久遠優と袁小が乗り込んだのは、荷物ぎっしりの積載車両の一角。


外には風が鳴き、車輪が鉄の刻を刻む。

その中で、何やら荷物をガサゴソと動かす優。


「童よ……何をしておるのだ」

袁小が眉をひそめて覗き込むと、

そこには包装をぶち破る優の腕があった。


「おうよ!気にすんなって!こりゃスゲー、うひょー!」

そして優が高々と掲げた一本――


「ででででんん!秩泉の名酒《天華水》!」


どこかの猫のCM風に声を上げながら、そのラベルは金文字で輝いている。


袁小が慌てて手を伸ばす。

「童よ、それは窃盗だぞ!?荷物だぞ!?密封されてたぞ!?酒ぞ!?」


優は瓶を小脇に抱えて、ふっと袁小を睨む。

「うるせー。誘拐犯なんかに言われたくねーよ。それより飲むぞッ!」


その言葉に袁小、言葉が詰まる。

(いや、まあ……その通りだが……)


「俺は飲むぞぉーーー!飲まなきゃ、やってられっかーーー!!」

そう叫ぶと、優は瓶の蓋をボコンと開け――

一気に流し込んだ。


「ぷはぁーっ!……おい、これ前に飲んだやつより美味いぞ!?

甘みと苦みのバランス完璧!コレだコレッ!酒ってのはこうでなきゃなぁぁ!」

酔いの巡る速度が恐ろしく速い。


幼児な身体に対して、あまりに元気すぎる消化力。

瓶の残量が、見る間に減っていく。

袁小は一度は止めようとしたが――


優の目がうるっと潤んだ。

「なぁ……ネズ公……こういう時ぐらい、忘れようぜ……」

その目に、どこか哀愁と狂気が混ざっていて。


袁小、つい手を伸ばす。

「……一本だけ、だけだぞ」

そして、ふたりの奇妙な逃走者たちは――

山を越え、国を越えながら。

貨物列車の中で、盗酒宴会を始めるのであった。


数分後。

空っぽになった天華水の瓶がコロコロと転がる中――


大の字で寝る二人が・・・・・・

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