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獅子の咆哮

閑条の屋敷・客室――

静かな障子の向こう、霧音がそっと扉を開ける。

「優様。拗ねてないで、そろそろ温泉に……」

だが、そこにあるべき姿はない。


布団は乱れたまま。

枕元に転がった髪飾り。

そして――部屋の隅に、簀巻き跡の擦り痕。

廊下へ出た霧音が、足元に目を凝らす。


敷板をなぞるように走る、細い紐の擦り跡。

それはまるで、“引きずられて行った”ような形。

「これは……まずいわ」


大広間。

天宮マリアは湯上がりの余韻とともに、

閑条の用意した会席料理に手を伸ばしていた。


金彩の湯浴み着に、頬はほのかに上気。

優雅な笑顔を浮かべながら、箸をすっと持ち上げる。


その瞬間、襖が滑るように開き、霧音が飛び込む。

「マリア様!」


「んなに?」

マリアが半笑のまま応じると、霧音の顔はまるで水面のように強張っていた。


「――優様が、屋敷のどこにもおりません

布団は乱れたまま。枕元には髪飾りが落ちていました。

そして――部屋の隅に、簀巻き跡のような擦り痕が残っていました」


マリアの表情が、ピクリと変わる。

箸をそっと置き、目を閉じる。


空気の流れ、魔力の残響、足音の痕跡――

屋敷全体に意識を巡らせる。


数秒の沈黙の後、マリアは静かに目を開けた。

「まずいわね。優の気配……この屋敷にないわ」


「本当ですか、マリア様!?」

声を上げたのはイリス。


宴の空気が一瞬で張り詰める。


誰もが息を呑み、次の動きを探る中――

舞と桜は、ほぼ同時に立ち上がった。


迷いはなかった。

彼女たちの瞳には、すでに“次の行動”が映っていた。

「桜、わたくしは父のところへ向かいます。

状況と緊急性を即時報告しますわ」


「了解です、舞ちゃん。捜索隊を編成いたします。

レギス探索型の能力者を招集、即座に探索網を張りますので――

マリア様は待機を」


和やかだった大広間に、複数の足音が響く。

湯気の名残を断ち切るように、空気は動き出した。


「待って、私も行きます!」

イリスが桜のあとを追って駆け出す。


その一方で――

マリアは、一言だけ呟いた。

「優――どこへ消えたの」


その瞳にはエメラルドグリーンではなく――

決意という名の緋色が、静かに灯り始めていた。


「む……何やら屋敷が慌ただしいな」

廊下を歩いていた袁小は、空気の揺らぎに眉をひそめた。


長い耳が微かに動き、気配に反応する。


すれ違った使用人に声をかける。

「何か、トラブルでも?」


使用人は袁小の顔を見るなり、眉を曇らせる。

「龍伯の使者に、話すことなどありません」


言い捨てて、音もなく作業に戻る。

「ふむ……まさかとは思うが」


門の方へ視線を向けると――

玄関の先、明らかに“緊急事態”の空気。

複数の家臣が駆けまわり、探索型レギス部隊の準備が始まっている。

その中心で、赤く燃える瞳が光っていた。


天宮マリア。

湯浴み後とは思えない鋭い眼差し。


その姿に、袁小は思わず身を隠す。

(今のマリアには、目を合わせてはいけない)

長い耳をぴくりと動かし、周囲の声を拾う。


「優様が消えました!」

「屋敷内に気配はありません!」

「探索班はすでに動いております!」


その声に、袁小は内心に電撃が走った。

(まさか……蛇印の奴……もう攫ったのか!?)


喉の奥が乾き、尻尾が思わず揺れる



袁小はすぐさま自室へ向かって駆け出した。

廊下で誰かとぶつかりそうになるのを避けながら、襖を素早く開く。


中に入り、荷物を慌ただしく掻き集める。

使者の装束を脱ぎ捨て、残留レギスを封印する符を撒く。


端末の情報履歴を消去。

書簡、会話記録、すべての痕跡を片っ端から“飛ばす”。


そして最後、机の上に一枚の書簡をそっと置いた。

部屋にレギス遮断の封を最後に貼りつけると、

ネズミのように静かに――屋敷から消えた。


風が入れ替わる夜の海条に、

一人の使者の影が痕跡なく溶けていく。


そしてその場には――マリアの瞳だけが、まだ赤く光っていた。


闇と湿気に満ちた蛇のアジト。その一室に、

簀巻きにされた久遠優が転がっていた。


身動きすらできぬその状況に、優は冷静に思考を巡らせる。

(この状態……下手に暴れたら、酷いことされるかも。

幼児のフリ、しておく方が賢明だな……)


幼児らしく大人しくしつつも、いつかの脱出の機を狙う優。


そこへ、扉を荒々しく開いて入ってきたのは――

息を切らせた龍珀使者・袁小。

「よくやったぞ、蛇印!これで……これでうまくいけば我々は死なずに済む!

まさか殺してないよな……」


「大丈夫。生きてますよ」


蛇印は、動かない優の尻をペチンと叩く。

「ふがふが(痛いー!)」


「うむ、しかし早かったな」袁小は想定より順調な進行に驚きつつ、

安堵のため息をついて優を抱きかかえる。


「貴様が早すぎて逃走ルートの準備も……即席だが、あそこを使うか。

もう閑条の奴らにはバレてる。急ぐぞ!」


だが、蛇印はその場に留まり、ぬるりと笑う。

「あら、私は行きませんよ」


――その瞬間、アジト全体が揺れる。

「頭ぁ!!悪鬼組の奴ら、カチこみかけて来やがった!!」

蛇の構成員たちが緊急招集され、戦慄が走る。


蛇印は薄笑いのまま、背を向けながら告げる。

「そういうことなので、袁小様――どうぞお先に」


隠された裏口の扉が解放され、袁小は優を背負い走り出す。

「蛇印、生きていたら……九京でな」


蛇印は答えず、ただゆっくりと手を振った。


その刹那、地鳴りのような爆音――


アジト内ではすでに、悪鬼組の梢が暴れていた!


梢の拳が壁を砕き、蛇の構成員が次々と昏倒。

「茂、あたりだねぇ♪」



海条の空気が一変する。潮風に混ざって、

濃密な怒気と魔力が都市全体に充満した――

それを肌で感じた住民たちは、震えながら口々に呟く。

「……獅子がお怒りだ」

「何か……起きたのか?」


獅子――それは閑条 武。

秩泉が誇る唯一の《セレスティア級》

その怒りの魔力が、今まさに海条を覆っている。


舞の急報を受け、閑条 武は書簡を静かに手に取った。

それは龍伯の使者袁小が残した書簡。


「九京大武道会へ、秩泉代表として久遠優殿を迎え入れたい。

本人より“武道会で力を示したい”という意向があり、

龍珀としてもその望みに応えるべく、最上級者として丁重に迎える所存である。

拘束は本人の安全を最大限に考慮した一時的処置であり、

武道会場にて正式に秩泉代表として登壇いただく。

つきましては、秩泉閑条家の御理解と名誉あるご承認を賜りたく、

ここに記す――」


その瞬間、武の眼が怒りで燃え上がる。


舞はその気配に、一歩退く。

(これが……秩泉唯一の“セレスティア級”の魔力……!)


閑条 武は静かに、だが断固として口を開く。

「これは――閑条の恥だ」


「舞よ。必ず久遠優を取り戻せ。

龍伯には……閑条の名と、“義”を刻むときが来た」


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