外伝・曖昧地帯の残響(後編)喰らう者
その空間は――“常識”の輪郭すら溶けるような、
薄暗く不定形な靄に包まれていた。
人数は5人……いや、気づけば6人になっていた。
誰も入ってくる音を聞いていない。誰も“招いた”覚えがない。
なのに、木村の背後には確かに、“何か”がいた。
「おい、いい加減隠れてないで出てこい」
彗の低く鋭い声が、空間に干渉したように響いた。
すると――ぬるり、と音もなく一人の女が、影から現れる。
その女は異様な静けさで立っていた。
身なりも輪郭も定かではなく、ただ空気が“彼女の輪郭”を避けていた。
「ここは、なんだ」
彗が尋ねるも、女は答えない。
代わりに吉田が硬い声で言った。
「我らにも、わからぬ。天御門の資料にも、記録されていない」
彗は煙草の先をふっと動かす。
その灰が落ちる方向――そこには、
地面をカリカリと掻いている**“人影”**がいた。
まるで何かを探すように、
あるいは、内から外に“何か”を出そうとしているように――。
そして、その存在に“認識”が向いた瞬間。
瘴気が――溢れ出した。
魔力でもない。
もっと底の深い、“世界に拒まれた力”。
「……これ……アブレーション反応……いや、違う……これは――“悪意”だ」
澪の声が震える。
領域の空気が、影の周囲で歪み始める。
目が慣れてくるにつれ、その“影”は徐々に輪郭を現した。
黒き外套。
蒼紫にゆらめく神文が織り込まれた外衣。
ジャラジャラと鳴る銀鎖――
鋼の爪と死人のように蒼紫色に染まった皮膚、
露出した体には呪印とも読めぬ刺青が複雑に走っていた。
その異様な存在がゆっくりとこちらを振り向く。
見えないわけではない――記憶に、残らない“顔”。
4人の足がすくむ。空気が鈍る。瘴気がじわりと肺を侵す。
だが一方、霜と謎の女は片膝をつき、恍惚とした顔で口を開く。
「ルグゼム……。まさかカーラ様がご降臨なさるとは……していかな様で」
吉田が叫ぶ。
「お前たち、何をしている……ッ!」
その問いが返されるよりも先に――
カーラと呼ばれた存在が微かに手を動かした。
そして、木村の顔面が——吹き飛んだ。
音もなく、ただ肉片と血が空間を汚す。
瞬間、全員の緊張がピークを越える。
澪が叫ぶ。
「先輩ッ!何とかならないスかッ!!」
彗はぎりぎりまで視線を逸らさず、空間を解析しつつ呟いた。
「……今この領域を……解析中だ……。
あんたも死にたくなければ、黙って協力しろ……」
吉田は顔をしかめながら一言。
「すまんが……私は“ヴァッサル”だ」
その言葉に彗が叫ぶ。
「つかえねーーッ!クソ澪、何とか時間を稼げ!」
「どれくらいスか!?」
「わからん……だが……」
彗は無造作にボサボサの髪を掻きながら、ゆっくりと煙草を取り出す。
その先端に火を灯した瞬間、空間がわずかに揺れた。
カーラは“興味”を持ったように、こちらへ首を傾ける。
その瞬間――木村の顔を吹き飛ばした“それ”は、カーラの鎖だった。
人間の認識速度では追えないほどの高速軌道。
だが澪は、一瞬だけその“流れ”を読んでいた。彗を抱えて横に跳ぶ。
「くっ、ギリギリ……!」
澪は着地と同時に、火の魔法をカーラへと放つ。
だがそれは、“信仰”を歪ませた者には届かない。
「貴様、カーラ様に向かって……ッ!」
霜が澪に詰め寄るが――鎖がすでに“予告なく動いていた”。
霜の心臓が、抉り出される。
霜は地に膝をつきながら、もはや血の海の中で呟いた。
「な、ぜ……カーラ様……?」
だがカーラの目は彼を見ていない。
目を向けても、見えない。
なのに、“耳”には届く声があった。
「貴様達では、ない」
声は低く、耳元で囁くように――その瘴気が言語に変わる。
それは選別。絶対性。存在の価値すら超えた、“拒絶”。
彗は空間に触れていた。
指先で、瘴気の波を読もうとしていた。
「妙だ……この領域、あの女が起こしたものじゃない……」
「構成が違う。……ベクトルが、逸れてる」
彼の直感が、この空間に潜む“もうひとつの意図”を探っていた。
鎖は止まらない。
澪へ、彗へ――絶え間なく襲いかかる。
澪は持ち前の身体能力で、紙一重でかわし
彗はレギスの結界展開にて、直線軌道の鎖を“読み”ながら防ぐ
「今は……すべて直線……読みやすい……けど……これ、長くはもたん……」
その間に、契約者を失った。吉田は
防御が崩れ、左腕と左足を瞬時にえぐり取られる。
地面に倒れ、呻き声すら瘴気に飲み込まれる。
彗は冷や汗を流しながら髪を掻く。
空間全体に漂う瘴気が限界を超え、動くたびに“カーラ”が放つ鎖が、
時間と距離の法則を捻じ曲げてくる。
澪は汗まみれの顔で呼吸を整えながらも、カーラの間隙を読むように跳ねる。
彗は結界の再構成を繰り返し。
「これ……マジで地獄っス……!」
澪が愚痴る
吉田が地面に崩れ、瀕死。
霜は絶命し、木村は跡形もない。
残されたのは――澪と彗。
カーラの銀鎖が、澪の肩をかすめ、戦闘服を裂いた。
澪は一瞬の痛みにも動じず、火の魔法でカウンターを打つが、
それすら読み切られていた。
カーラがゆっくりと手を上げた。
鎖が凍る。代わりに――周囲の瘴気がカーラの手に集まり、
純粋な魔力弾へと変質する。
それは“空間を追従する”軌道。避ける術はない。
「チッ、マジかよ――ッ!」
澪が背を向けて全力で跳ぼうとした瞬間――
その魔力弾が直線ではなく“彼女の動きそのもの”へ軌道を合わせる。
避けられない。
だが――
「下がれ澪ッ!」
彗が、結界式を無理矢理展開して、自分の身体を――澪の前に。
魔力弾が、彗の胸部に直撃。
火と瘴気が混じり合い、爆煙が吹き上がる。
澪は弾かれて地面に転がり、喉を詰まらせながら叫ぶ。
「先輩ッ!先輩ぃぃッ!!」
彗の身体は黒煙の中、ゆらりと立っていた。
だがその目は鋭く、口元には微かな苦笑が浮かぶ。
「……ったく……俺は煙草は吸うけど……
死ぬつもりなんて……なかったんだけどな……」
澪の魔力が、音もなく沸騰していた。
血が、骨が、心が燃える。
「うおおおおおおおおッ!!」
叫びと共に、その魔力はセレスティア級まで一気に跳ね上がる。
制御を超え、“ただ纏うだけ”の異質な力――
それは、怒りだった。
けれど、ただの憎しみではない。
彗を傷つけられた痛み。守れなかった悔しさ。
そして、もう誰も失いたくないという――澪自身の、立ち上がる意志。
その魔力は、澪の叫びと共に空間を震わせ、
周囲の魔力構造を塗り替えるほどの圧を生み出していた。
澪がカーラへと突き進む。
だが、謎の女が守るようにその前へ――
「させるか!」
だがカーラは振り返らない。
代わりに――謎の女ごと澪へ魔力弾を放った。
爆風が起きる。しかし――澪の纏った魔力がそれすら掻き消す。
そして――
カーラへ拳一閃!
「へへ……一発入れてやった!」
一瞬だけ、カーラの動が止まる。
彼女の目が澪を見つめ――その直後。
カーラの拳が、澪を――殴る。殴る。殴る。
血が飛び、肉が裂け、澪は空中へと吹き飛ぶ。
意識が薄れゆくその中で――
「がは……っ……」
その声すら、波に呑まれる。
全滅。絶望。
澪の中で何かが折れた。
魔力の燃えかすが、体から消えていく……
その時、空間の一角――“裂け目”が開いた。
風が逆流する。色が逆転する。
そして――誰も予期せぬ軽い声が響く。
「おっ、掛かってんじゃん。えらい派手にやってんなァ」
その声は、空間を嘲るように明るく軽い。
空間に割って現れた二人の男
軽い声で喋った男は長身で、
髪は白銀、目は細目でうさん臭さを醸し出すだが、
イケメンだ白を基調としたスーツがとても似合っている。
対象にもう一人は全身黒のフードで覆い背が低く。
首に首輪が特徴でリールを白服が持っている。
異様な光景
「ミロあれ食べていい?」
舌足らずの声だ
ミロと言われた男が「あれじゃなくてアッチのカーラだよバフ」
バフと呼ばれた男は澪を指さし
「人間食べたらお腹壊すよ。ほら、逃げちゃはないように急げバフ」
ミロがバフを促す。
バフが手を合わせ
「頂きます」
カーラは二人を見「貴様らが我らを食らっている・・・」
バフが信じられない速度で近づく。
カーラは今までで一番瘴気の混じった魔力を爆発させる。
空間が軋み、地面が波打つ。
その魔力は、周囲の構造すら塗り替えんとするほど濃密だった。
だが――
バフの口が、信じられないほど大きく開いた。
骨格が軋む音もなく、顔の下半分が裂けるように広がる。
牙のような歯列が幾重にも並び、
奥には“飲み込むためだけの闇”が口を開けていた。
カーラを食らう。
呆気なく。
抵抗も、悲鳴も、魔力の奔流すら――すべてを飲み込んで。
モシャモシャと咀嚼する音が、静かに響く。
バフは眉ひとつ動かさず、ただ淡々と咀嚼しながら言った。
「これ、いつも不味い。あれ食いたい」
ミロが肩をすくめる。
「はーい終わった終わった、帰るぞバフ」
ミロが(あの子は助かりそうだがほかの男は・・・・・)
未だに食いたそうに澪を見るバフ、
そのバフを引きずりながらミロが消える。
澪の視界は、ぼやけた。
身体は動かず、魂は擦れて。
ただ、目の前にあった存在。
――喰らう者。
世界法則すら口に収めた存在。
名を、こう記す。
「暴食のヴァッサル」




