断罪と赦しの輪廻
そしてその時――響き渡る声
《無垢なる書:ゼロ・コーデックス》
レイヴィオグの体の再生中、静かに、凛とした声が戦場を貫いた。
それはまるで、“全ての災厄を封じる”ために生まれた響きだった。
《無垢なる書》
白き意志。世界がまだ名を持たぬ頃の、最初のページ。
書は空間の霧をかき分け、一直線に――声の主・天宮マリアの掌へ。
マリアがその書に触れた瞬間、
その身体から凄まじい魔力が奔流となって溢れ出す。
一頁が解かれ、書が語り始める。
汝の存在は記され、運命は紡がれる。
混沌の囁きを鎮め、虚無へと還れ。
秘されし真理よ、今ここに刻まれよ——
無垢なる・ゼロ・コーデックス、
開示せよ、静謐なる光の境界を。
汝の意志を解き放つ、最果ての刻へ。
神の沈黙、影の証明、これより誓約す。
——ゼロは導く、全ての始まりへ。
そして
マリアの姿はゆっくりと“神聖なる巫女”のごとき佇まいへと変貌していく。
世界が止まり、理が注目する。
マリアは今や、“裁定者”であり、“記録者”となった。
ゼロ・コーデックスは開かれた――
それは、全ての力を「物語」として閉じる力。
そして、彼女の目は災厄の中心へと向けられた。
マリアは静かに息を吐いた。
「やれやれね……結局、こうなるのね」
レイヴィオグは奇声とも崩れとも知れない
「fdせchjkkl」声を発しながら、
全身を肥大させ、マリアを飲み込もうと襲い掛かる。
だが――その瞬間、
**《無垢なる書:ゼロ・コーデックス》**のページが開かれる。
マリアは両手を掲げ、凛とした声で詠唱を始める。
霧が理の輪を描き、空間そのものが言葉に震える。
──照らせ、虚無より生まれし光よ
秩序の外より訪れし因子に告げる
汝、存在を名乗るならば
その名、その罪、その起源、全てここに記されよ
ゼロの頁、刻印せよ
輪廻の理より逸れしものへ
世界の端にて囁く虚空へ
神の筆をもって、断を示す
我が意志は導く
我が光は裁定する
我が書は終焉を記し、始まりを喚ぶ
――《ディクレア・ルーメ》 輝け、《静謐なる裁定》!
マリアの身体から放たれる神光が空間を引き裂き――
レイヴィオグの核は悲鳴と共に吹き飛ぶ。
街を飲み込もうとしていた。
災厄のアブレーションが、静かに――そして完全に立ち消えた。
空は晴れ渡り、霧が掻き消え、
輪廻に初めて訪れる**“世界”**。
人々は言葉もなく、ただその空を見上げていた。
そして、マリアは振り向かず、書を閉じる。
「さあ……始まりの続きを」
静まり返った輪廻の街。
その霧が静かに晴れてゆく中、マリアは静かにあたりを見渡す。
そして、一人――膝を抱えてうずくまる人物を見つけた。
霧音。
彼女は顔を伏せたまま、マリアの視線を避けていた。
体を小さく、まるで消えてしまいそうに縮こまって。
「……申し訳ございません……」
呟きは震えていた。
その声だけが空間に残り、他に何も響かない。
マリアは優雅に近づき、その場で立ち止まる。
視線は静かだが、その眼差しはまっすぐ霧音を捉えている。
「そんな言葉、聞きたくないわ――霧音」
霧音の瞳に、ゆっくりとマリアの手が映る。
震える手で顔を上げたその瞬間――
霧音の頬には涙。
鼻からは、ぐしゃぐしゃになった鼻水が流れていた。
「……そんな顔もできるのね、霧音」
マリアはふっと微笑み、ためらいなく霧音の手を取る。
その手はまだ鼻水で濡れていたが――マリアは強く、優しく、離さなかった。
そして目を見つめながら、何も言わずに“待つ”。
霧音が、震えながらも笑いかける。
「もう一度……貴女に、お仕えしても……いいでしょうか……?」
その声は泣き声で詰まりながらも――“願い”だった。
――かつて、漣から密命が下された夜。
「天宮家に潜入し、情報を引き出せ。必要なら楔を使え」
その言葉に、霧音はただ「はい」と答えた。
感情を殺し、任務を遂行する。それが彼女の生き方だった。
だが、マリアの傍で過ごす日々は、霧音の中の何かを静かに変えていった。
厳しく、優しく、決して揺るがないその背中に、
霧音は“仕える”という言葉の意味を初めて知った。
楔を打ち込もうとした罪。
スパイとして生きてきた過去。
それでも、今――この手を取ってもいいのだと、確信する。
マリアは静かに頷き、言葉を返す。
「何度でも仕えなさい。私は、そう――天宮マリアよ」
「これにて一件落着だな」
可愛らしい声が響くと、本から幼女の姿に戻った優が、霧音に飛びつく。
どさくさに紛れて尻を撫で、スケベな顔を浮かべたところに拳骨が飛んだ。
「こらっ!」
怒り気味のマリアの声が響く。
「俺はもう動かんぞー!」
優は地面に寝転がり、バタバタと手足を動かしながら不貞腐れるのだった。
その声に、世界が再び現実を取り戻していく。
主と従。揺れと赦し。
心の霧が、確かに晴れていた。
天車・帰路にて
奇跡的に線路は災厄を免れ、マリア一行は静かに天華への帰還を目指す。
空を切り裂くように走る《天車》の車室――
その内部には、束の間の静けさが流れていた。
優いつも通りソファに全身を投げ出し、
熟睡している。寝言で「サバ味噌……」などと呟きながら、幸せそうに微笑む。
アイリス&イリス資料の山を次々と整理している。
手慣れた動きに、車内の端末すら唸りを上げる。
霧音は、揺れる車内でも丁寧にお茶を淹れ、静かに給仕する。
その所作は美しいが、どこか償いを刻むような衝動を帯びている。
マリアは、車室奥のデスクに腰掛け、
端末を立ち上げて遠隔会議を始める。
外の霧を背に、凛とした姿が車室を引き締めていた。
端末の向こう――
映し出されるのは、マリア派の上位貴族。
六道院 実道
鋭い目元に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「誠に遺憾だが、漣は古来より友好国……援助は避けられませんな」
重々しい声が車室に響く。
華月 エンザ(かげつ・えんざ)
寝不足で目の下のクマを隠そうともせず、疲れ切った声で言葉を継ぐ。
「ですが、鏡災の復興もいまだ途中……大規模な援助は、到底難しいかと」
マリアは二人の言葉に静かに頷き、声を落とす。
「この件は、天華に戻ってから改めて議論しましょう。
――これから、漣は荒れます。」
三人の画面越しの顔が一様に曇る。
それは、未来への憂いか。
それでも――《天車》は疾走する。
霧を裂いて、帰るべき場所へ。
そして優は――「サバ味噌、二杯目……」と、無邪気に眠り続けていた。




