会談、落ちる視界
霧幻宮・謁見の間
――その大扉が、まるで空気を吸い込むように静かに開いた。
優麗な手つきの執事が一礼する。
「――こちらで、胡太郎様がお待ちしております」
その声に促されるように、天宮マリアと随行の面々の視界が広がる
霧幻宮—―謁見殿高天井は黒漆に霧文の金蒔絵。
左右の障子は透仕上げで、光と影が絶えず流れている。
白緋の畳敷き、その縁には銀糸で漣紋が織り込まれ、
踏むたびに音もなく光が揺れ。
壁一面の掛け軸に神霧の詩が記され、風が吹かぬのに時折ふわりと紙が揺れる。
紫水晶を削った香炉、屏風、中央には八角形の卓が配され、漣家紋が浮かぶ。
天井からは白燐霧球が複数吊られ、視界に柔らかく揺れる灯を落とす。
その全てが、“霧”に守られた神域のような印象。
見上げると、雲でもない、光でもない“紋”が、空間全体を包んでいた。
そして――その中央、ひときわ高い座に。
漣主・霧島胡太郎
白髪を後ろに流し、黒袴に銀紋を纏い、まるで盤上の主のような静謐な気配。
背筋はまっすぐ、瞳は揺れず。
“見ている”でも、“見られている”でもない――**“測っている”**という存在感。
周囲には、漣の上位貴族たち。
背広や律服、細かな律紋に彩られた肩章を持ち、それぞれが胡太郎の両翼として控える。
一行が現れた瞬間、まるで待ち構えていたかのように、全員が同時に立ち上がる。
「――ようこそ天宮公」
その声は一斉に響き、霧幻宮の空間が、一つになる。
マリアが漣流儀の挨拶を整えた刹那、空気が切り裂かれる。
警戒アラート――宮殿中に響く非常信号。
空間に赤い模様が奔り、上位貴族たちがざわめく。
「当主、緊急です!――アブレーションが輪廻領内に侵入を!」
そう告げた護衛官の声は確かに震えていた。
だがその“発報”という無作法に、貴族のひとりが怒気を放つ。
「貴様……無礼を働くか!この場を何と心得る!」
手を振り抜こうとしたその瞬間――
「……止さぬか」
上座に座る胡太郎が、静かに告げる。
その声だけで空間全体が凍りつくような緊張を纏い、貴族はぴたりと動きを止めた。
そしてその隣で、事切が一歩前に出る。
「――天宮公、緊急事態です。こちらへ」
彼女は一切の表情を乱さず、すでに撤退のルートを展開している。
会談は中止――胡太郎はマリアに目を向け、微かに頭を下げる。
「申し訳ない、天宮公。この借りは必ず」
転移門前――霧幻宮の緊急廊下は、ただならぬ空気に包まれていた。
事切は転移門の起動を整えながら、軽い声色でマリアに声をかけた。
「さっ、こちらです☆」
マリアは一歩を踏み出しかけ、しかし――立ち止まった。
「霧島公に、まだ問いただすことが……あります」
その目は澄み、強く、背負う者の意志を持っていた。
しかし事切は軽く首を傾げ、黒髪を揺らしながら微笑む。
「う~ん、中々効かないや。ごめんね♡」
――手刀が、ふわりとマリアの首筋に触れた瞬間。
マリアの身体は力を抜き、静かに倒れ込んだ。
双子が反応するも、その場に立てず。
「なにを……」と声を上げるが、体がふらりと折れ、床に飲まれるように膝をつく。
「何しとんじゃババアァァァ!」
優の叫びとともに、反応が走る。
怒りと混乱で事切に飛びかかる優――しかし事切は、
その勢いすら面白げに受け流す。
「孫にも言われたことないわね、うふふふ♡」
そしてその視線は、霧音に――楔打ちされた観測点――を向ける。
霧音は動かず、ただ小さく頭を下げた。
「優様、申し訳ありません。少し、付き合っていただきます」
優は混乱するも、足が揺らぐ。
「はぁ……霧音、何言って……?」
その視界がブレた瞬間――
事切が、が優を覆う。
「やっぱすごいねぇ~。ディヴァイン級って、
こんな強力な催眠ガスにも耐性あるなんて……」
事切は無邪気に、風のように揺れながら優の前に現れる。
霧音が静かに優の体を抱き。
「マリア様を……どうするつもりですか?」
霧音の問いは静かで、それでも明らかに震えていた。
事切は振り返らず、ただ黒髪を揺らしながら答える。
「流石に殺しちゃたら不味いわねぇ事が終わるまで・・・
それでも刺さらないなら・・・」
《漣境域討滅庁》緊急警戒態勢――全域の端末に赤い大文字が走った。
警戒レッド:対象 西住宅地帯に出現
警戒アラートが鳴り響き、空間全体が絶望に包まれる。
端末室で、オペレーターの声は焦燥と絶望を含んでいた。
「た、対象確認レイヴィオグ……数、計測不能……変異強度s、
既に都市基準を超過……!」
各防衛網が同期を開始する中――
漣討滅庁の局長室。
漣局長・カレブ=ソルヴァートは、机に置かれた端末を見つめたまま、呟いた。
「ままぁぁぁ……事切……事切……」
まるで、誰かに囁かれるような口調。
その手は小刻みに震え、目の焦点は合っていない。
指の動きも、自らの意思というより――操られているかのような心の乱れが見て取れた。
そして端末に指を落とす。
「しゅ……しゅじつ部隊……派遣……漣特殊部隊を……しゅる……」
その指令が――
漣特殊部隊《灰告分隊》がアブレーション戦装備を展開し始める。
だが、カレブの表情は虚ろのまま。




