楔の記憶
霧幻宮――その奥の奥、輪廻の執務室。
豪華絢爛でありながら、侘び寂びを感じる和の空間。畳が敷かれ、壁には霧文様。
室内の中央には、古式の戦略盤が広げられ、無数のコマが配置されていた。
その傍らに佇むのは――霧島胡太郎。
霧島胡太郎60歳前後と見えるが、
年齢という枠に収まりきらない風貌
白髪を後ろに流し、目元は静かで深い。体格は細身で背筋が通っている
漣の紋章が刻まれた黒袴。立っているだけで堂の空気が生まれる
言葉や仕草が“重みを持つ”人物。周囲が沈黙し、彼の言葉を待つ空間が整うほど
胡太郎は碁盤に顎を手に添え、静かに一言。
「ふむ……これは……一年、放置したな……」
碁石に似た青く丸いコマを指先で弄びながら、独り言ともつかぬ声を漏らす
「秩泉に奴を解き放つ計画が……失点だな」
「早急に対処しろ」と、胡太郎は静かに言葉を落とした。
その声と同時に――畳の間に、無数の“目”が浮かび上がる。
それは彼の秘奥のレギス能力。
霧島胡太郎のレギス能力
《霧楔》
系統 対象心理・制御型 概要 動揺、恐怖、罪、隠匿
――その“致命的な弱み”を捉えた瞬間、対象の脳に“楔”を打ち込むことで、
動作・思考・発言の一部を操ることができる。
発動条件 対象に「致命的な弱み」が発生した瞬間、自動発動する。
楔は対象の脳に残り、以降は胡太郎の意思で情報の獲得・制御が可能
特別な楔を打ち込めば能力の継承が可能。
この霧楔は代々胡太郎が継承してきた。
胡太郎の脳にも特別な楔が刺さっている。
その楔があることで、彼は本来無能力者でありながらも、
能力を使うことができるのだ。
玖珂斎の動揺の断片――
事切と遭遇し、アル・カーラという“名前しか見えない存在”に対する恐怖が、
脳の深層で跳ねた瞬間、
胡太郎の霧楔が、彼の脳を貫いた。
「カーラ……この私ですら、詳細を把握できぬ……」
現れたその場面――事切が玖珂斎に近づき、
“胸”が貫かれる映像を、胡太郎は静かに眺めていた。
そして指先を伸ばし――青紫のコマを盤上に置く。
霧島胡太郎が静かに白金のコマを指先に乗せている。
「……天宮マリア。あれほどの“弱み”を見せていながら、
私の《霧楔》が発動しないとは――面白い」
語気は穏やかだが、その言葉の裏に秘められた思考の深さを
マリアの精神と内面の構造は、“楔打ち”を許さぬほどに洗練されていた。
それは、胡太郎にとっても予想外の“不屈の精神”。
そして、彼は目線をそらす。
マリアの隣――久遠優。
彼が無邪気に飴を舐めながら霧幻宮を見ている、
その姿に胡太郎の目が細められる。
「……ディヴァイン級。
混沌と世界の境界に立つ者――なんとしても、手に入れたい」
霧幻宮――静かに巡るその廊下に、霧音はマリアの背を追いながら歩いていた。
だが、内心では違う声が響いていた。
(……視界が“見られて”いる……胡太郎が、今ここを見ている……)
気づいた瞬間、霧音の足が少しだけ止まる。
唇を静かに噛み、視線を伏せる。
彼女の記憶は、規則のように並ぶ。
漣・第零暗部育成施設
そこで生まれた者は
情報収集、潜入、暗殺、人格擬態。すべての“裏”を生きる者として育てられる。
卒業の証。それは――**霧楔**を打ち込まれること。
楔を埋められた者は、脳の奥に“観測点”を植え込まれ、
生涯の任務を主の視界として果たし続ける。
そして霧音は、その最上位任務として――
「天宮マリアの側へ潜り込み、ヴァッサル契約を結べ」
と命じられた。
それは奇跡のような成功だった。
当時、味方の少なかったマリアに寄り添い、忠実に補佐をこなし、
信頼を得て、ヴァッサル契約を結んだ。
あれからずっと――霧音はマリアを“観測していた”
致命的な弱み出れば、楔を打ち込む準備もできていた。
だが――
「……私は……何をしているのか、分からなくなる時が、
あります……このままで……いいのか……教えてください……」
心の奥から漏れた言葉に、唇が薄く震えた。
マリアの声が廊下の向こうから聞こえてくる。
それは誰よりも“強いようで優しく”、霧音の心を揺らす声。
(私は、観測する者。けれど今、“この人の隣”にいるのは――私)
任務の枠を越えた感情。裏の人間でも、心が揺れることはある。
霧音の心には、まだ答えはない。
ただ、揺れながら




