名を欲するもの、王を模すもの
空間の裂け目が静かに収束し、
霜刃虚士率いる漣第一部隊が矢代の地へ降り立つ。
そこに広がっていたのは、畑と住宅が並ぶ“穏やかな田園”。
その景色に、霜刃はあからさまな嫌悪を滲ませる。
「田舎町のアブレーション如き……我々を動かすとはな」
目を細めながら吐き捨てる霜刃虚士――
180cm超の長身に貴族礼装、顔には、
高貴な血筋を疑わぬ者特有の、冷たい傲慢さが滲んでいた。
彼にとってアブレーションの討滅など、単なる「格下仕事」。
それを命じた漣討滅庁局長――カレブ=ソルヴァートへの不満が言葉に出る。
「ふむ……大事な式典の時期に我々を田舎へ召喚するとは……
カレブよ、貴様という男は――本当に愚かだ」
霜刃はふと目を細める。
霧賀の小娘が天宮と接触している――その報せを思い出し、内心で舌打ちする。
「私も急がねばな」
副官が慌てて頭を下げる。
「し、申し訳ありません霜刃様……!」
霜刃は片眉を上げ、冷笑を浮かべながら、無造作に手を振った。
「まぁいい。“例の液体”を速やかに排除すれば済む話だ。
分かってるな?後の処理は――“我々流”で構わんぞ?」
その言葉に応えるように、部隊内でヒソヒソ声が飛び交う。
「霜刃様……金目のもの、漁ってもいいですかね?」
「げへへ、生きてる女も」
既に戦場ではなく“収奪の予兆”がちらつき始める。
霜刃はその空気を楽しむように、口元に薄い笑みを浮かべた。
「フッ……終わってからだ」
その一言で、部隊全体が動き始める。
だが彼らはまだ知らない――この“田舎町の液体”こそが、
後に漣史を揺るがす“災厄の名”――レイヴィオグとなることを。
矢代――静原との境に広がる田園地帯は、すでに“人の町”ではなかった。
到着した漣第一部隊が目にしたのは、無数の液体生命体。
それぞれが、「パパ」「パパ」と繰り返しながらうごめく――
匠を模した奇怪な“模写体”が、町中に繁殖していた。
中央には、巨大化した芳樹らしき姿。
だが声は意味を為さず、不気味な音のように唸っていた。
「ご……ごっ、ごてぴれげ……」
部下の一人が、恐る恐る呟く。
「……まさか……矢代の住人、全員……これに……」
その直後、町のそこかしこで戦闘が発生。
だが液体の数は想像を超えており、漣第一部隊は次々と飲み込まれてゆく。
「な、な……何日だ!? 何日経ってこんなことになってる!?
カレブ……貴様……謀ったのか!? 私をハメたのか!?」
隊長・霜刃虚士は完全に狼狽し、
胡太郎への野望を叫ぶように取り乱す。
「私は胡太郎になるのだ! 胡太郎だぞ、わかるか!?」
転移門を強制起動し、部下の叫びを振り切る。
「隊長! 助けてください! まだ力は残ってます! ここで食い止め――!」
レギス ヴァッサルが必死に放つ魔法の衝撃波も、液体の物量には通じず。
彼等の姿もまた、青い波に沈んでいった。
「私はこの国のため、生きなければならない……!」
霜刃は振り返ることなく、部下たちを押しのけて叫ぶ。
「私が胡太郎になるのだァァァァァアアアア!!」
そして静まり返った矢代の中央――
「こ……ここ……たろう……」
液体たちの中で、最も大きな個体がうごめきながら、奇怪な音を発する。
それは模写された“虚士”の口から漏れ出る、“概念の断片”。
“胡太郎”を、理解しようとしている。
レイヴィオグは、ただ侵食するだけではない。
学び、模倣し、“なろうとする”のだ。
天車内は、風景が少しずつ変化を始めていた。
目的地――輪廻へ向かうその車両の中では、
すでに“それぞれの運命”が、静かにうごめいていた。
優はというと――完全に飽きていた。
「なぁ~……家に帰りたいんですけどぉ……」
ソファに寝そべり、ポテチを無駄に三枚重ねて一気に食べ、
「むがっ」とか言いながらボロボロ破片を床に落とす。
絨毯が泣いていた――が、それより早く拳骨が降る。
「痛っったああいッ!!」
アイリスが速の拳で優の頭を軽くコツン。
「優。これからが本番。
ちゃんと覚えてるよね? あれだけやったんだから」
優は頭をさすりながら、ぽつり。
「叩かれたせいで……ぜんぶ忘れちゃったなぁ……
どーしてくれんのアイリスぅ~」
「な……っ!?」
怒るアイリスを笑いながら受け流し、唐突に優が尋ねる。
「そもそもさ、“胡太郎”ってなによ?」
霧音が、静かに答える。
「胡太郎」とは――
「胡太郎は、“霧島家の当主”に受け継がれる称号です。
霧島に選ばれた者は――貴族であろうと、平民であろうと、
その名前を得ることで“新たな地位”を築くのです」
優はポテチ片手にぽかん。
「え……じゃ、俺が選ばれたら……“王様”ってこと!?」
「可能性は、ゼロではありませんよ」
霧音が柔らかく笑う。
その言葉に、優の目がキラーンと光った。
「……っしゃ、俺、王様になったら“ポテチ毎日無料条例”出す!」
アイリスが頭を抱える。
「・・・あほですか・・・」
天車は線路の軌道を滑るように進み、
やがて、車窓の先に――霧に包まれた都《輪廻》が姿を見せる。
今この瞬間も、矢代では青い災厄が蠢き、
そして“王という言葉”が、静かにどこかで繰り返されていた。
「こ……ここ……たろう…」




