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霧のテーブル

漣エリア、首都《輪廻》


その名は、世界の記憶に“最高水準の世界都市”として深く刻まれていた。

芸術、商業、金融、教育、観光――


あらゆる分野の先端が折り重なり、この街は霧の奥に燦然とそびえる。

だが、空を覆う薄霧は単なる気候にあらず。


その空気には、濡れた情報と沈黙の手が潜んでいる。


秩泉大使館の奥、天井の高い大理石造りの会議室。

六つの影が、ひとつの円卓を囲んでいた。


「……では三ヶ月後の国交記念式典、それから関税協定の最終文言、

大筋合意ということで、よろしいか?」

秩泉代表団の一人、雪永ゆきなが衛生外交官が静かに切り出す。


その言葉とは裏腹に、男の風貌は“拳のよう”だった。

制服は常にピチピチ、腕まわりに至っては筋肉がはち切れんばかり。

いや、お前絶対どっかの武闘派だろ……と心のなかで呟く者もいたほどだ。


「ええ、“家”としても問題ないと判断します」

そう応じたのは漣代表の一人、川島 明子かわしま・あきこ

背の高い女だ。漣の制服が静かに映えるその佇まいには、

軍人の冷静さと外交官の社交性が同居していた。


交渉は滞りなく進み、握手が交わされた。

「これで、式典も届懲りなくできますな」

雪永の満足げな笑みに、明子は油断なく笑みを返す。


「そうですね。“霧島”としても、秩泉が今後 安定してくださることに、

大いに期待しております」


その声の調子に、“探る刃”が混じっていた。

「マリア様は……お若いのに、

本当にお見事な采配をされると、拝聞しております」


場に、わずかな間。


雪永の返答は、一拍置いたのち――

「はい。当主様は、実に素晴らしい方です」

そして、わずかに口角を上げながら問い返す。


「ところで、胡太郎様は――今回の式典にご臨席されますか?」

場が、少しだけ冷える。


明子の答えは、実に自然な笑顔で戻ってきた。

「もちろん。我が当主も、式典を楽しみにしていると仰っていましたよ。

特に……“ディヴァイン級ヴァッサル”とのご面会を、是非にと」


柔らかさの奥に、鉄の響き。

口調は飄々としていながら、そこには確かな“含み”が潜んでいた。


社交辞令をいくつか交わすと、明子たちは席を立つ。


「それでは、失礼いたします。問題のなきよう、お互いに」

「……ええ。お互いに」

最後の握手は、形式どおり。


漣の外交官たちが会議室を後にした瞬間、

秩泉側代表の雪永はふぅと大きく息を吐いた。


その音は、さきほどの柔和な握手とはまるで別の空気を運んでいた。

彼の背後には、ふたりの補佐――出川春子と山北恭介。


春子は背の低い、どこか制服に“着られている”感のある愛らしい女性。

ただの事務官のようでいて、彼女が持つ情報処理能力は一線級とされている。


山北は、特徴という特徴がない男だった。

清潔感も中庸、反応も表情も波風が立たない――ザ・普通の擬態。


だが、

その“普通さ”こそ、最大の異常であることを周囲の者は知っていた。


「……山北、“能力”を」

雪永の一言に、山北が小さく頷いた。


彼の掌がわずかに浮かび、その瞬間――部屋全体に、薄い膜のような光が張り巡らされる。

まるで空間ごと一枚隔てるような、静謐な“静音の帳”。


レイズ能力《遮音シールド・サイレンス》。

この術式が展開されている限り、声も、気配も、揺れすらも――外には漏れない。


「これがないと、この街は筒抜けだ。……難儀なもんだよ」

雪永の低い愚痴。彼の肩幅に見合わぬ慎重さが、その背中に滲んでいた。


「でも良かったじゃないですか」

春子が明るく言う。

「交渉は想像以上にスムーズでした。マリア様のおかげですね」


その言葉に、雪永は口元をわずかに緩めた。

彼もまた、少女の決断力と気迫に心を動かされた者のひとりだった。


そして――雪永は端末を開きながら、姿勢を正す。

「これから《六道院卿》へ経過を報告する。……気を引き締めろ」

その名に、ふたりは自然と背筋を伸ばした。


だが――この部屋のどこか、

微かな湿気を孕んだ“音のない霧”が忍び寄るような気配もあった。


胡太郎の伝説――《すべての影は知っている》

その名は、言葉ではなく、構造である。

霧島家の当主、“胡太郎”。

その名が持つ影響力は、「壁に耳あり」などというレベルではない。

むしろ“耳”を持たぬものの方が少ない世界。


彼の名が囁かれる――ただそれだけで、情報の海は揺らぎ始める。

ある者はこう言った。

「契約の場で胡太郎の名が出たとき、

それは“始まり”ではない。“すでに終わっている”んだ」


名が流れた瞬間、何かが“回収”される。

思考、計画、位置、意図、過去。

そのすべてが、霧の奥へと記録される。


「霧島家に知らぬものなし。胡太郎の名が耳に入れば、

すでにその者の負い目は刻まれている」


それは監視ではない。

報復ではない。

予測と制御――それこそが、彼らの支配論理。

“胡太郎”とは、個人でありながら“原理”である。


名を聞いた瞬間、その存在はもう戦場の主導権を失っている。

見えない手が棋盤を整え、駒は知らぬうちに詰まれている。


輪廻の霧が、またひと筋 揺れた。

ここに在る誰もが、その名に接触れることを避けながら。


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