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潜伏地調査任務・発端

秩泉東域――


水鏡家が代々所有する私有山岳群は、境域線の接合部に位置する。

そこは、魔力の流れが不安定な“律境のひずみ”を孕んだ、

地図すら曖昧な異常領域。


最近、その山域に《墜王環》関係者の出入りがあるとの匿名通報が寄せられ、

境域討滅庁は機密裏に調査を開始。


不安定な結界と地形の関係上、各チームが広域索敵を分担することとなった。


偶然が命中したのは、山東側を割り当てられた一組だった――

狭間 レギスと犬飼 ヴァッサル


崩落跡、消えかけた転写符、深層魔構文が染み付いた岩肌。

二人が追跡を続けるうちに、彼らは偶然にも

**《墜王環》の拠点と思しき高濃度結界域**へと辿り着く。

あまりにも周到な警戒網。


そこはただの潜伏拠点ではなかった。空気そのものが異質で――

“何か”が封じられている気配すらあった。


「う~む……あたり、かね。めんどくさいなぁ」

彗は空を見上げ、軽く舌打ちしながら煙草を取り出す。


「やっぱ繋がってたっスね、《墜王環》。

……わかったんなら、早く帰りたいんスけど」

澪は肩をすくめ、崖際に身を伏せる。


「まだ“証拠”を見てない。……行こうか」

「入口、思いっきり見張りいますけど」


澪が指差した先。黒衣を纏った監視兵たちが、

不気味な静けさで門を警護していた。


彗は煙草に火を灯し、紫煙をひと息。

視線はずっと、入口の奥を見つめたまま。

「……五分」


そのひと言で、澪は瞬時に透明へと変わる――

煙影スモーク・フェイド》が発動し、彼女の気配は闇と風に消えた。


「はーいはい。やればいいんでしょ」

その声すら、すぐに闇に紛れた。


火の灯った煙草の先が、斜面の闇に小さな光輪を作る。


彗は淡々と、連絡端末に吹き込んだ。

「出川局長、こちら“境域十七南”。個体位置、確認済み。

……《墜王環》のアジトを発見しました」


討滅庁本部――

ザザッと緊張の波が走り、スクリーンの前で出川局長が頷く。

「おお、よくやったね。すぐに捜査班を差し向けるよ」


彗は煙を吐き出しながら、口角をかすかに上げた。

「先に、先行しますよ。都合がいいんで――」


「……そうか。だが無理はしないでね。危険なら撤退も視野に」

一呼吸後、岩陰からぴょこんと影が現れる。


「――彗先輩、一人残して全員片づけたっす」


犬飼 澪。手をひらひら振るその背後には、簀巻きにされた黒衣の男が一本、木に立て掛けられていた。

「“生け簀”仕立てにしておいたっスよ。寝かせといたのが何か吐くといいっスね~」


彗は煙草を吸い終えると、指先で静かに火を潰す。

「……早かったな」


「先輩が『一本終わるまで』って言ったんで、ぴったり狙ったっス」

ふたりの影が、山の奥へと溶けていく。


冗談のような足取りのまま、だが、その先に踏み込むのは確かに“地獄”だった。


秩泉第3都市――律と水の都「水令」。

水鏡家の宮殿、ひたすらに冷たい水音が響く玉座の間。


青く明滅する律結晶端末が、鋭い報告を吐き出す。

「ルグゼム。……ヴァルファナ審戒執行者どの」

綾臣の前に、くぐもった通信が届く。


「件の研究施設……境域討滅庁に発見されました。現在、交戦中で――」


綾臣の目がすっと細まる。

「……なぜ、事前報告がなかった」

沈黙。ふと、彼の表情が一つの名にたどり着いた。


「……そうか。“マリア”か。

討滅庁に残っていた我らの手駒も……とうに、捨てられていたか」

ここ数日の庁内連絡網の沈黙、それが何よりの証左だった。


ゆっくりと立ち上がった綾臣が、無表情のまま命じる。

「よろしい。すぐに自爆処理に移れ。対象の回収は不要だ」


「……はっ」

通信が切れる。


「これで終わる。すべてだ」

口元が歪む。その笑みに宿るのは——判断でも戦略でもない。

もはや純然たる狂気だった。


「必要ない。誰一人として……証拠ごと“存在”を残すな」


傍らに立つ9号が、一歩前へ出る。


抑揚もなければ、ためらいもない。

だが胸の奥で微かに疼くノイズは、確実にその命令に抵抗を示していた。


地下の隠し部屋

綾臣は振り向きもせず、床の紋章へと指を滑らせる。


「《第七転律・影界送り》」

部屋の構造が軋み、床下の空間が歪む。


地下に封じられた転移式が発動し、

二人の姿は闇に引きずり込まれるように、静かに消えた。


蒼穹殿・政務室――


規則正しく積まれた律文書と報告端末の山。

重たい静寂を破ったのは、霧音が差し出した一つの連絡端末だった。


黒曜のような質感を持つディスプレイには、

機密指定の文書が淡く光っている。


「マリア様。どうやら……

水鏡 綾臣が《墜王環》の構成員である確証が得られました」


政務処理を進めていたマリアは、ペンを止めて静かに顔を上げる。

その瞳に、わずかな揺れが差した。感情が露わになることはない。


だが、わずかに、過去がよぎる。

「……よくやったわ。これでようやく……治世が安定する」


その声音には、冷たい満足と、どこか哀しみに似た響きがあった。

十三年ものあいだ、政界に潜り続けてきた影。


そしてあの日、彼女の家族を呑み込んだ災厄に、最も近い名。


水鏡 綾臣。


それが、ついに証を持って、地上に引きずり出された。


霧音の声が続く。

「……ですが現在、彼が所有する私有山岳域で交戦が発生しております。

おそらく綾臣本人も、現地に姿を現していると見られます」


マリアはすぐに問い返した。

「……場所は?」


霧音は無言で端末を操作し、地図を表示する。

淡く浮かび上がったのは、秩泉東域の山嶺、

律境のひずみが走る危険地帯――

マリアは画面を一瞥し、ふと視線を横へ流す。


政務室と私室を隔てる扉は、今は半分開いていた。

その奥。

彼女のベッドに、大の字で幸せそうに眠る幼い影。


久遠 優。

布団を抱えて寝返りを打ち、満足そうな寝息を立てている

その姿をしばし見つめた後、マリアは静かに瞼を伏せた。


両の手を重ね、唇がわずかに動く。

「――《無垢なるゼロ・コーデックス》」


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