玉座の影に、胎動する災い
秩泉エリア 境域討滅庁・長官室――
そこはまるで、ひとつの王国を統べる“戦場の玉座”だった。
重厚な銀縁の扉が開くと、まず視界に飛び込んでくるのは漆黒の床に。
高天井から吊るされた“律導結晶灯”が室内を柔らかく照らし、
空間全体が冷たい威厳と凜とした沈黙に包まれている。
壁際には律紋記録の古文書や解析デバイスが整然と並び、
ガラス棚の奥には天宮家の印章が刻まれた重厚な本。
そして奥には、どっしりとした黒漆の長官用デスク。
その背後にそびえる窓は“天華市街”全体を見渡す特権の視点――
外から差し込む光は、優にとってまさに“大人の城”。
「おほーっ! すげぇ……! ここがマリアの仕事場か!!」
入るや否や優は大はしゃぎ。
「うっひょー! クッション椅子も高級感がちがう!」
ゴロゴロしながら気づけば椅子をぐいっと窓際へ引っ張って――
なぜか思いついたように、ブラインドを指に引っかける。
「ふっ……西日が眩しぜ。」
昔見たドラマの俳優の真似をする
その瞬間、室内に小さな溜め息が落ちる。
双子の片割れ――イリスが、控えめながら冷ややかに呟いた。
「マリア様……そろそろ、
あの子を《天霊匣》に戻したほうがよろしいのでは?」
その声はまるで、使い終えた道具を仕舞うような自然さだった。
長官席にいたマリアは静かに目を閉じ、
ふぅ、と髪をかき上げながらあきれ顔を向けた。
「たしかに……あの中なら、静かになるわね」
その言葉に、優はピクリと反応。
全身の筋肉が反射で緊張する。
「ま、待ってくれっ! 大人しくする!今から!ちゃんとするから見てて!!」
焦った様子でソファへ跳ねのぼり、
背筋をシャキーンと伸ばし、両手を膝に揃えて座る。
キリッとした表情で周囲を見回すその姿は――
まるで“反省してるフリ選手権”で優勝を狙う幼児。
すると 長官室のインターホンが鳴り響いた。
壁面のスクリーンには、霧音とアイリスの映像が映し出される。
「閑条 舞さま、閑条 桜さまがお見えです」
マリアはディスプレイに目をやり、静かにうなずいた。
「いいわ。入ってきなさい」
重厚な扉が音もなく開くと、光を受けて現れたのは――
艶やかなドリルヘアな気品漂う女性と、大きなグルグルメガネが目立つ女性。
従妹である舞と桜、境域討滅庁の制服姿で臣下の礼を取った。
「当主さま、ごきげんよう」
舞が丁寧に頭を下げると、マリアはやわらかく手を振った。
「ここは私の信頼できる子たちしかいないわ。
……昔みたいに、“マリア”でいいのよ」
舞は一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべてから、
「……ふぅ。わかりましたわ、マリア様」と微笑し、
ドリル髪をくいっとかき上げる。
「ふふ、おめでとう。副長官就任、お祝いを言わせてもらうわ」
マリアの祝意に、舞は肩を軽くすくめて答える。
「困りましたわね……まさか本当にお父様を退かせてしまうなんて」
元副長官――閑条 武は《天律決戒》にてマリアに敗れ、
その座を潔く娘の舞へと譲った。
いまでは閑条家の領地、海条へと戻っている。
「……今は、あの人には領地に戻ってもらうのが最善なのよ」
マリアは少し困ったように眉を下げてそう言った。
舞も静かにうなずき、言葉を続ける。
「ええ……我が家は龍珀の隣。
あちらが“ディヴァイン級”などと聞いて、
黙っているわけがありませんものね」
――龍珀。
七大貴族の一角にして、ネオフィムきっての武闘派。
「力こそ正義」を掲げ、他領への挑発行為をたびたび繰り返している。
「最近なんてね、何度も家に使者を寄越してくるの。
“当主が手合わせをご所望だ”なんて。」
マリアは大げさに両手を広げて、ため息をひとつ。
「もう……私、誰とも殴り合いたくないのに!」
その言葉に、舞と桜がくすっと笑みを漏らす。
傍らのイリスはそっとつぶやいた。
「……“らしくない”嘆きですね、マリア様」
「すげー……まじもんのドリルじゃん!」
いつの間にか優が、舞の髪へ興味津々に手を伸ばしかける。
「えっ、こ、子供……!?」
想定外の存在に、舞は半歩後ずさる。
「久遠 優だ、よろしくっ!」
まるで初対面の犬のような勢いで手を差し出す優。
――しかしその瞬間、無言のアイリスが優の襟首をひょいと掴み、
《天霊匣》を開いて、容赦なく優をポイッと収納。
箱の中から響く声が、やけに元気だ。
「こらー! このいたいけな幼女に何たる仕打ちをっ……!」
騒がしい箱を締め直しながらも、イリスは動じることなく背筋を正す。
そんな中、桜がグルグル眼鏡をくいっと持ち上げてマリアに尋ねる。
「マリア様、いまのが……例の“ディヴァイン級ヴァッサル”ですか?」
「ええ、そうよ」マリアは静かに頷く。
「まさか、あんな幼子が……」
舞も呆然と呟く。
するとアイリスが、無表情に言い添える。
「あんななりしてますが、元は“おじさん”で……しかもエクソジェンです」
沈黙。
「……まあ、いいでしょう」
舞が咳払いし、場を整えるように話を切り出す。
「天御門の件ですが、派遣した捜査員の報告通りです」
桜が続けると、マリアの前に設置されたディスプレイが起動。
そこに映し出されたのは――
臓器密造/誘拐/人体実験/麻薬取引
「……はあ……うちの上級貴族って、ほんとにロクなのいないわね」
マリアは眉間を押さえ、重いため息を漏らす。
「申し訳ありません……」
舞が少し伏し目がちに頭を下げる。
モニターの報告を見ながら、マリアがぽつりとつぶやく。
「……この捜査員、優秀ね」
「はい。特に狭間と犬飼が良い働きをしたと聞いています」
舞が声を明るく戻す。
「あとでこのチームに金一封と長官賞を」
マリアが朗らかに言うと、
「はい」
と、舞も自然に笑みを浮かべた――が。
「それと……天御門の奴ら、どうやら邪教《ヴァルファナ教》――
S級危険教団《墜王環》と繋がっていたようです」
桜の冷静な声が室内を凍らせた。
「《墜王環》……」
マリアの瞳がわずかに揺れ、沈黙が落ちる。
「で、天御門は……吐いたの?」
「あの……それが……」
舞が言いにくそうに答える。
「護送の途中で《教団らしき集団》と接触があり……
天御門の一家は、皆殺しにされました」
部屋の空気が、深く、重く沈んだ。
「失態ね」マリアが答えると
「それとネフガル計画成る物が・・・・・」
桜が端末を操作する。
ディスプレイの画面にはネフガル情報が浮かび上がるモニターに浮かび上がった
“ネフガル”の三面獣――
その姿を見た瞬間、室内の空気がぴしりと凍った。
マリアの目が細まり、アイリスは無言のまま拳を握り、
イリスの表情には、明らかな戦慄が走った。
「この姿……」
マリアが絞るように言葉をこぼす。
「十三年前――蒼穹の空を焼いた、あのアブレーションに
……あまりにも似すぎている」
あの日、現れた“それ”は、能力者たちを次々と呑み込み、
マリアの両親――果敢に立ち向かった末に戦死した。
当時、まだ力を持たなかったマリアは、ただ屋敷の奥で震えながら、
帰らぬ家族の影を、朝まで待ち続けていた。
「ネフガル……それが“あれ”の名なら……」
マリアの言葉は、過去の記憶を掘り起こすようにかすれた。
「それで――天御門が、十三年前の事件に関わっていた……?」
「はい。しかし……」
桜が端末を操作しながら淡々と報告を続ける。
「彼の施設や屋敷をすべて調査しましたが、
“水鏡 綾臣”との明確な繋がりは、見つかりませんでした」
その言葉に――イリスが一歩踏み出し、苛立ちをあらわにする。
「そんなわけないでしょ……!」
すかさずアイリスが声を落とす。
「イリス、冷静に」
だが、舞がやわらかく口を開いた。
「……いいえ、イリスの感覚は正しいと思いますわ」
彼女の目は、モニターに映されたネフガルの三面を真っ直ぐに見据え――
揺るぎのない声で言った。
「間違いありません。水鏡 綾臣は、必ずどこかでこの計画と繋がっている」
沈黙が落ちる室内に、
過去と現在が繋がる“音のない衝撃”が、確かに広がっていた。
重く張りつめた空気の中――
舞が静かに一歩を踏み出し、沈黙を破るように声を上げた。
「マリア様……少々、お伺いしたいことがございますの。
よろしゅうございますか?」
「なにかしら」
マリアは表情を崩さず、穏やかに答える。だが、
その声には警戒と用意が混じっていた。
「最近、天華では……アブレーション事件が激減しておりますの。
この状況、なにか関係があるのでしょうか。正直……少し気になりまして」
問いかけに、マリアはふっと目線を落とし――
そっと、傍らに置かれた《天霊匣》へ視線を送った。
「その件は――気にしなくていいわ。理由はこの子の能力よ」
マリアの指が匣の表面に触れると、微かに蒼い光が揺れた。
「……まさか」
桜がグルグル眼鏡をくいっと押し上げる。
「“アブレーション抑制”……ディヴァイン級でなければ起こせぬ現象。
そう、仮定すれば――納得がいきますわね」
「ええ。ありがとう、舞。あなたが気にするのも当然よ」
そう微笑むマリアに、舞も表情を和らげた。
「それでは、これにて。天御門の再調査、水鏡家の動向……
やるべきことは山積みですので、今日はこれで失礼いたしますわ」
舞と桜が丁寧に礼を取り、長官室を後にする。
――そして、再び静けさが戻った部屋で。
マリアはゆっくりと目を閉じた。
「……ネフガル。……墜王環……」
その名を呟く声は、どこまでも冷たく、どこまでも深かった。