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ふたりの恋2  作者: ゆり
9/14

千春

「ーーーー自信が、なかったんです。本当に絢斗は私のこと好きなのかなって」


 医学部キャンパスへ向かう車中、千春がぽつぽつと語り始めた。どうやら俺のことを敵ではないと判断してくれたようだ。

 独り言のように語られるそれを、俺は言葉少なに聞いていた。


「ずっと絢斗のこといいなぁって思ってて。彼女と別れて荒れてるときにつけこんで」


「はは、そんな言い方しなくても」


 苦笑いして言うと、千春も苦笑いして続けた。


「……それ以外に言いようがないんです。居酒屋で呑みながら愚痴なのかのろけなのか未練なのかわからないものをきいて。絢斗が酔ってふらふらになったところを私の部屋に連れて帰って既成事実を作ったんですから」


「……わーぉ……」


 納得した。そりゃあ連絡が一晩取れなかったら心配するだろう。『誰かが私と同じことした?』って、疑心暗鬼になるのも当たり前だ。


「ぼっちゃんは酒量をわきまえないといけないな」


「ふふ、そうですね」


 で、そんなにフラフラになっててちゃんとできたの?と聞きそうになったが自重した。セクハラになってはいけない。


「……そんな始まりだったから。なんだかいつも負い目のようなものがあって」


「…………………………」


「けど、絢斗はすごく優しくて……。どんどん好きになりました。いつも絢斗のことを考えるようになりました」


 そこで一旦千春が言葉を切った。うつむいて、暗い声音で言った。


「でも好きになればなるほど、絢斗のことを知れば知るほど……元カノのこと、まだ好きなんだろうなぁって、なんとなくわかるようになったんです」


「……どうして?」


「……女のカンです。買い物に行ったとき、私が着ないような洋服を見てたり、使ってないシャンプー手に取ったり」


「っあーー何気ないとこで前の相手の影感じるときっついよなー」


 なんだかリアルに想像できてしまう。俺も似たような経験があるから、千春の気持ちは少しはわかる。

聡子の部屋のアクセサリー置き場にあったネックレスとイヤリング。多分、ぼっちゃんからのプレゼント。

見つけたときはちょっと嫌な気分だった。

勝手に捨てようかと思ったけどめちゃくちゃ怒られるのは目に見えたので、せめて隅によけておいた。小さい男だと、笑ってほしい。


「……極めつきは、幸せそうに寝言で『聡子』と言いまして……」


「あぁぁぁぁきっついわーーーー」


 俺の返答に千春がくすっと笑った。


「千春ちゃん、よく我慢できたね。俺だったらもう叩き起こして骨の髄までお前は誰のものかわからせるわ……ってごめん、話続けて?」


 くすくす笑いながら、千春が話しはじめた。


「『聡子の代わりでもいい』って、ほんとに思っていたんです。それで絢斗が少しでも元気になるならって。……でもやっぱりだめでした。……私を好きになって欲しい、絢斗の心が欲しいって……思うようになったんです」


「ごく自然なことだと思うよ」


「……ありがとうございます。で、その思いが間違った方向にいってしまって今回の件に繋がります」


「…………………………」


「ご実家の名前を使ってしまい、申し訳ありませんでした」


 千春が深々と頭を下げた。本当に真面目な子なんだと思う。


「いいんだよ、病院に実害は何も出てないんだし。それよりも ーーーー」


 ここまで口を出していいものか、迷う。


「ーーーー ぼっちゃんの手首の方が気になったかな?」


 動画のことは言わなかった。知らないふりを貫こうと思った。


千春が困ったように眉を下げた。


「……私の身勝手さに、絢斗を付き合わせてしまったんです」


「えーっと……」


 わかるようでわからない言葉に、説明を待った。


「絢斗が私の顔色を伺うようになって……。なんだかそれに無性に腹が立って。……そもそも嘘なのに、何言ってんだって感じですけど」


「…………………………」


「どんなに痛いことしても終わったらただ優しく包み込んでくれるから……それが余計に腹が立って……どんどんエスカレートしてしまいました」


 千春がスカートをぎゅっと握った。


「…………ヒステリーだったんでしょうね、一種の」


「…………………………」


 車は渋滞にかかることもなくすいすいと進み、あと5分もすれば目的地に到着するだろう。

その前に、千春に伝えておくことがあった。

多分に俺の予測が入っていたけれど。


「あのさ千春ちゃん」


「?はい」


 千春が顔を上げてこちらを見た。


「……嘘をついている罪悪感とか、これからどうなるんだろうっていう先行きへの不安とか……色々、あったと思う」


「…………………………」


 嘘をつき続けるのってしんどいしね、と笑って言うと、千春も少し笑った。


「それでさ、……今回はたまたま2人とも学生で、しかも千春ちゃんは就職があるし、ぼっちゃ……絢斗くんも実習はじまるし。それを考えたから絢斗くんも『産んでほしい』とは思ってても言えなかったんだと思うよ」


「!」


 千春が驚いた顔をし、ーー そして、涙を堪えるように口を結んだ。


「だから、寂しく?思わなくていいんじゃないかな。時期さえ合ってれば、きっと大喜びしたんじゃない?」


 ーーって俺の勝手な予想なんだけど。


 そう言うと、千春の目から涙が一筋静かに流れた。


 俺の想像をきかされて、まったくの的外れだと怒り出さないか少し心配だったが、…………そうでもなかったようだ。


 ティッシュを渡すと、目元をおさえ、そして背筋を正して言った。


「……嘘をついたのは私なのに……そんな風に傷ついていた自分が……みじめだったんです……。聡子だったら……喜んだのかなとか……そんなことを考えて……」


 突然出てきた愛しい恋人の名前に、どきっとした。


「馬鹿ですよね……自分がついた嘘に、自分が振り回されて……絢斗を傷つけて……橘さんにも迷惑かけて……」


「ま、まぁ、人の心ってそういうものじゃないかな。恋をすると尚更、ね。説明できないこともあるよな」


 赤信号にかかった。


「……橘さんって、不思議な人ですね」


「え?そう?」


「はい。話すつもりはなかったことまで話してしまいました。……忘れてください」


 心のもやもやを言語化してすっきりしたのか、千春の表情は晴れやかだ。


「はは、そうする。あ、もうすぐ着くよ」


 信号が青になり、アクセルをゆったり踏んだ。


 キャンパス入り口の守衛さんに挨拶し、中へ入った。そのまま駐車場へ向かい、空いているスペースに停めた。


 ぼっちゃんの車はまだ停めてある。それを確認し、千春へ声をかけた。


「じゃ、行こうか」


 車から降り、コートの襟を整えた。夕方になり気温は更に下がったようで、吐く息が少し白かった。

 

 ぼっちゃんがどこにいるかはわからないので、とりあえず吉田に連絡してみるかと思いスマホを手にしたとき。



「……千春?」


「あれ、橘さん??」



 後ろから2人分の聞き慣れた声が聞こえ、振り返った。


 吉田と ーーぼっちゃんが目を丸くして立っていた。すぐに会えるなんてラッキーだった。たまにはこういうことが俺にも起こるらしい。


「……絢斗……」


 千春が頼りなげに呟いた。

 その様子にぼっちゃんが勘違いをしたようで、ずかずかと俺に寄ってきて胸ぐらを掴んだ。


「……てめぇ……また……!!」


 怒りに満ちた目で睨みつけられ、ギリギリと締め付けられる。


「絢斗!!」


「絢斗、やめて!!違うの!!」


 吉田と千春がそれぞれぼっちゃんを止めようとしてくれた。

ぼっちゃんが千春を庇うように、俺から引き剥がすように、自分の方へ引き寄せた。


「千春、大丈夫か!?何かされてねぇか??」


 乱れたコートを整えながら、にっこり笑って千春を見る。

ーーほら、今の態度が、千春ちゃんへの気持ちの証明なんじゃない?よかったね。


「千春?」


 ぼっちゃんが心底心配そうに千春の顔を覗き込んでいる。しばし見つめ合った後、千春が意を決したように、口を開いた。


「あの、あのね、絢斗…………、謝りたいことが……あって……」


 ぼっちゃんが固まった。

 安心しろ、『浮気したのごめんなさい』とかじゃねーよ、と言いそうになった。



「………………嘘………………だったの………………」


「…………………………え?な、何が?」



 ぼっちゃんの声が震えている。



「妊娠は、嘘だったの」



 千春がはっきりと、ぼっちゃんの目を見て、言った。


「…………………………え?」


 ぼっちゃんが固まっている。


 こちらも吉田が「え?」と言った。


「…………どういうこと?」


「どういうことって…………だから……その……妊娠は嘘だったの…………。私の作り話だったの…………」


「…………………………嘘?」


 沈黙が流れる。それに耐えかねたのか、千春が苦しそうに声を絞り出した。


「…………そう、嘘だったの!!生理は来なかったけど、遅れてただけだったの!!あはは!!それなのに血相変えて謝りにきて!!馬鹿じゃないの!!困るのなら、やらなければいいのに!!」


「千春」


 ぼっちゃんが千春を呼ぶが、その声は耳に届いていないようだった。千春が眉をしかめ、片手で髪をぐしゃぐしゃっとした。


「でも絢斗はっ……いつも優しくて……大好きで……けど絢斗はずっと田中聡子が好きで……こんなことするしかずっと一緒にいられる方法、思い浮かばなくてっ……」


「…………………………」


 ぼっちゃんが千春を優しく抱きしめた。



「よかった……」



 場にそぐわない心底ほっとしたような声音に、ぼっちゃん以外の人の頭に「?」が浮かぶ。



「よかった……。赤ちゃんも死んでない……。千春のお腹も傷ついてない……。よかった、本当に……」




 ぼっちゃんは、泣いていた。




「ーーーーーーーーーー!」


 一瞬ハッとしたような顔をした千春が、みるみる表情を歪めた。


「………………ごめんなさい……………!!」


 ごめんなさい……ごめんなさい……


 千春の嗚咽が、辺りに響いた。

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