ラヴィン・ユー
「おーいるいる。ほらここ。はい、心拍も確認。最初の山は超えたな。おめでとう」
「週数は最後の生理が始まった日から数えるから…うん、◯週目だな。あってるか、色々?」
茶目っけたっぷりにウインクしながらーー橘パパが言った。
「……てめぇと一緒にすんじゃねぇよ」
橘がこめかみに青筋をたてて反論した。
ここは、橘産婦人科。橘の実家だ。
『俺が診る』と意気込んでいた彼だったが、橘パパに見つかり『お前機械壊しそうだもん』という理由でパパが診察してくれることになったのだった。研修医はつらい。
「あはは、そんなに言うんだったら他のとこ行けばよかったのに〜。お前なんだかんだで俺のこと好きだよな〜」
橘パパが朗らかに笑う。橘からきいた話から、もっと険悪な親子関係を想像していたのだがそうではなく、なんだか不思議な感じがした。
「……ここだったらもしものときのために新生児科もあるしいいだろ。あとなんかあったらてめぇをこき使えばいいしな」
「わーぉ覚悟しとこ」
橘パパが苦笑いした。やりとりがひと段落したところでパパが私に向き直った。
「というわけで、はじめまして。橘パパです。パパって呼んでね⭐︎」
「あ、は、はじめまして。田中聡子と申します。ご挨拶がこんな形になり申し訳ありません」
頭を下げる。
すると、橘パパが大笑いした。
「あっはっは!え〜〜すごいしっかりした子じゃん!!お前には勿体ねぇよ!!聡子ちゃん、いいの?こいつ俺に似てぶっ飛んでるとこあるけど!」
「……えっと……」
始まりが始まりなだけに、どうにも笑えない。困っていると、橘が話を引き取ってくれた。
「いいからこどもまでできたんだろーがよ。変なこときくな」
「こえー。なんか今日いつにもまして攻撃的じゃねー?」
「…………」
橘の怒りゲージが上がっていくのがわかった。怒鳴り散らす前に退散した方がよさそうだ。
「ちゃんと聡子ちゃんの親にも挨拶行けよ?」
「言われなくてもわかってるよ」
「ちなみに、親御さんって何してる方なの?」
好奇心を隠そうともせず、橘パパの目がきらりと光る。正直な方なのだろうと思った。
「あ、2人とも医師をしております。父は精神科のクリニックをしていて、母は市立病院で救命医をしております……
「えっ!!ほんとに!?」
私が最後まで言い終わらないうちに、橘パパが驚きの声をあげた。
「俺が刺されたときにオペしてくれた先生だよ。会ったことあんだろ」
「え〜〜!!マジで!?覚えてる〜。わーなんか運命感じるな〜。ていうか、思ってたのとなんか違ったわ〜。失礼失礼」
橘パパがまた朗らかに笑った。
「……ちなみに聡子も俺の後輩だから。◯×大医学部医学科5年。てめーが思ってるような、金目当ての女じゃねーよ」
「えーーーーーーーーっ!!!!!!!!」
橘パパが、診察室中、いや病院中に響き渡るのではないかと思うような声で驚いた。
「…………」
橘の怒りゲージが満タンになったようだ。私も「金目当ての女」と思われていたことに、少なからずショックを受けた。
「いやいやいや……いやいやいや……本当にごめん。聡子ちゃんがどうとかじゃなくて、俺の息子がそんなまともな相手を連れてくるとは思ってなくて……!」
わーーマジかーーそっかそっかー、とパパが1人ではしゃいでいる。
「そうそう、聞き忘れてたけど、産むんだよね?」
「当たり前だろ」
橘が乱暴に言った。それをパパがたしなめた。
「お前は黙ってろ。聡子ちゃん、もうすぐ6年生だと思うけど、これから忙しくなるよね。大丈夫なの?」
産科医として、確認しておきたいところなのだろう。正直な気持ちを伝える。
「……大丈夫、とは言いきれませんすみません。けれど授かった命は大事にしたいと思っています。体調と相談しつつ、必要だったら1-2年の休学も視野に入れて考えています」
「…………」
パパは無言だ。事前に「休学」という選択肢を示していた橘に感謝した。けれど、学生の甘言、と思っているのかもしれない。橘がそっと私の手を握った。
「……うん。それがいいね。妊娠中もそうだけどさ、産後も大変だから。うん。地に足ついてて安心しました」
それをきいた橘が笑いを噛み殺すのがわかった。昨日のやりとりを思い出したのだろう。
「そうそう、あと2つききたいことが」
「なんだよ」
橘がめんどくさそうに言った。
「お前、刺された腹の傷、大丈夫?」
「!あぁ……大丈夫」
「ま、エッチできるぐらいだから大丈夫か」
橘のこめかみにまた青筋が浮かんだ。「あの」橘が完全に遊ばれていて、なんだかおかしかった。
「……あと1つはなんだよ。早く言え」
声に相当の怒気が含まれている。
「うん。結婚、するんだよね?式とかの予定ききたくって」
モーニングの用意しないとな〜楽しみだな〜と、またまた朗らかに笑った。
橘パパの最後の質問には「保留」と答え、病院から出てきた。車に乗り込む。
受付で頂いた週数相当の大きさのキューピーをお腹にあててみた。なんともいえずかわいらしくて、この大きさの命が自分のお腹にいるのだと思うと、言葉にし難い愛しさが込み上げてきた。
「……聡子」
名を呼ばれ、隣を見る。橘が優しい目でこちらを見ていた。いつからだろうか、彼がこんな穏やかな表情を浮かべるのを見るようになったのは。
「なんでしょう」
「……おま、そのキューピーかわいすぎだろ。よこせ」
「あっ捨てないで!」
てっきり捨てられると思っていたのだが、ことん、とダッシュボードに置かれた。
「ここに飾っとく。俺にも見せろ」
「……はぁ、どうぞ……」
しばらく2人とも、そのキューピーを見ていた。かっこいい系でまとめてある車内にキューピーのかわいさがどうにも不釣り合いで、なんとも面白い。
橘がそっと手を握ってきたので、私も握り返す。言葉はなくとも、互いの想いが通じ合うようだった。
「聡子」
橘が、大事な宝物を扱うようにそっと優しく言った。
「あのさ」
「はい」
「…………うん。…………………………」
「悠介さん」
私の手を握ったまま、真っ赤になっている彼。普段の自信家で高飛車で傍若無人な様子とは全く違う様子がかわいらしくて、思わず手にキスしてしまう。
その手がそのまま私の頬に触れ、優しいキスがふってきた。
「あ、お腹。大丈夫か」
「大丈夫、だと思います」
「……よかった」
ほっとした表情になり、そして、照れくさそうに言った。
「聡子」
「はい」
「俺と、」
「……………………………………………………結婚して」
再び真っ赤になり、橘が恥ずかしそうに目を逸らした。
「…………………………だめ?」
私が何も言わないので、ちらっと遠慮がちにこちらを見る。そして、私が大粒の涙をこぼしていることに気づき、あたふたし始めた。
「わっ、泣くなよ、なんでだよ」
「だって……だって……」
あなたの口からそんな真面目な、けじめのある言葉が出るとは思わなくて、と続けると橘が呆れたように苦笑いした。
「いつも言ってたじゃん。真面目に考えとけよって」
「そんなの……どうせいつもの冗談だと思ってて……。ていうか、いいんですか?」
「何がだよ」
訝しげに眉を寄せる。
「結婚したらモテなくなるかもですよ?」
「いーよ別に。色恋はもう十分経験したわ」
「ひとりの時間もなくなるだろうし」
「はは、それはそうだろうけど。ま、喧嘩したらトイレに閉じこもる」
「それに……それに……」
色々な感情が込み上げてきた。
ひっくひっく泣きながら言う私を黙らせるかのように、少し強引にキスされた。
「…………うるせぇよ」
口調とは違い、橘が私を見る瞳は穏やかだ。
「ていうか、早く返事くれない?そわそわしてるんだけど」
にやっと笑う。
「…………わかってるくせに」
「わかってるけどさ、ちゃんと聞きたいじゃん」
「思ったのと違う返事だったらどうします?」
「違わないことを願う」
そう言いながら指にキスしてくれる。
言葉を紡ごうとするが、照れくささが邪魔をして、なかなか口に出せない。
『名前、なんていうの?』
不意に、はじめて出会ったときのことが頭をよぎった。最初は激しく反発して。顔を見るのも、声を聞くのも嫌だったけれど。
一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、だんだん惹かれていったのだった。
彼の高慢さも、孤独も、全て受け入れたかった。これが愛というものなのだろうか。
「………………はい、よろしくお願いします」
もっとよい言い方で返事をしたかったのだけれど、こんなありきたりな言い方になってしまった。節目って、案外こういうものなのかもしれない。
私の返事をきいた橘が、息を呑みほんの少し震え、そして、とても嬉しそうに笑った。
ーーこの場面は、一生覚えているだろうなぁ。
瞬きをした瞬間一筋流れた涙をぬぐってやりながら、そう思った。




