後編
「カティアーチェ・ゴスリングス!!
貴様の身分を笠に着た非道な行い非常に許し難いっ!
よって貴様と私フレッド・マイヤーズとの婚約を破棄する!!
この場より疾く去ねっ!!」
第三食堂に足を踏み入れたあの日から早半年。
思えばあれから色々あった。第二王子を皮切りに高位貴族令息に次々と言い寄る不審な令嬢について捜査を始めれば、結構な陰謀が進行していて、それの調査やなんやらと色々と、そう、色々と忙しかった。
そんな忙しい中での僥倖と言えば、我が家の都合上なかなか決められなかった俺の婚約が調った事だろうか。
今宵は学園主催の夜会。
愛しい婚約者殿に己の色のドレスを纏わせエスコートするのは、とても気分がいい。
例えこの後、諸々の事案を収束する為にひと騒動予定しているとしても、婚約者の可愛さはベツバラだ。
あぁ、例えどっかの勘違い侯爵令息がとっくに破棄された婚約に対して、大勢の人が集まる場でケチをつけたとしても。
これが予定通りだから何の問題もない。ただ一つだけ言うならば……。
「……馬鹿が」
「……馬鹿ですわね」
「……発言は控えさせていただきます」
「……」
無言のまま堪えきれない笑いで身体を揺らすのは、以前第三食堂でミエルを連れてきてくれた男子生徒こと、セイン・アプルトン伯爵令息だ。
派閥等も問題なく、婚約者も決まっていない伯爵家の三男だったセインの存在に、カチェが狂喜乱舞していたのは記憶に新しい。獲物を囲い込む肉食獣もかくやと言う勢いで捕縛、じゃなかった婚約を結んでいた。もちろんマイヤーズとの婚約は破棄した後だが。そしてもちろん向こう有責だったのは言うまでもない。
それにしても、騎士科らしく鍛え上げられた肉体と、表情を表に出さず無骨に見えるセインが好みだったとは、空気を読まず学園主催の夜会で婚約破棄を叫ぶ優男が婚約者でカチェはどれだけの苦行を強いられていたのかと。
……まぁ、セインは無骨に見えるだけで、実際は笑い上戸で、頑張って笑いを堪えているらしいが……。今も笑いを堪えているのか、表情は無なのに身体が小刻みに揺れている。
そう教えてくれたのは、俺の愛しい婚約者となったミエルことリュミエール・バテル子爵令嬢だ。
それにしても、そもそもカチェの方が身分が上なのだがらとっととマイヤーズを切り捨てれば良かったものを。早い段階で見切りをつけてくれれば、俺が巻き込まれる事もなかったのに……いや、それだとミエルとも会えなかったのか。
そこはカチェに感謝だな。調子に乗るから本人には言わないが。
「…聞いているのかっ!カティアーチェ!!」
おっと、あまりの愚行に現実逃避していたら、馬鹿の愚かさに火をつけたらしい。
呼び捨てにされた事で火が付いたらしいカチェが、畳んだ扇を口元に当て臨戦態勢に入った。
「あらあらあらあらっ!!
とっくの昔にそちら有責で破棄された婚約を、この様な場で声高に叫ぶなど、愚かの極みですわねっ!!」
オーッホッホ!と妙な高笑いを交えながら、カチェが嘲る。
というか、アイツまた変な本読んだな?
「なんだとっ!?私有責で破棄?!いったい私が何をしたというんだっ!!」
「まぁまぁまぁまぁ!!愚かですわねっ!ご自分が何をしたのかご存じないんですのっ?!
そのお隣に侍らしているご令嬢との関係をわたくしが存じ上げないとでもっ?!」
ぴしりと大仰な仕草で扇を突き付ける先は、マイヤーズが今日エスコートしてきた小柄な少女だ。
ピンクブロンドの髪に兎のように丸く赤い瞳は、小柄な体躯と相まって庇護欲をそそると一部の人間に受けているらしいが、俺としては苦労が増えた嫌な記憶しかない。
「か、彼女の存在こそ貴様の罪の証だ!!
哀れにも彼女は貴様にいじめられたと私に庇護を求めてきたのだぞっ!!紳士として手を貸すのは当然だろうっ!!」
「オーッホッホッホっ!わたくしが!そちらのご令嬢に!何をしたとおっしゃるのかしらぁ?」
芝居がかった仕草で肩を竦めるカチェに、今後変な本や観劇をカチェに見せないようセインに伝えておこうと心に決める。
カチェは公爵令嬢として色々と申し分ないのだが、ハマった物語や舞台の登場人物に影響を受けやすいのが玉に瑕だ。
今のもきっと市井で流行ってると噂の娯楽小説に出てくる登場人物を真似ているのだろう。
「貴様っ!この期に及んで己の罪を認めないとはっ!!」
「罪?!わたくしが何の罪を犯したというのでしょう!!ご教示いただきたいですわっ!」
最早一つのつまらない舞台を見ているような心境になってきた。
そんな俺を労わるかのように、エスコートしている彼女の手が俺の腕をそっと撫ぜる。
その温もりに人心地ついて、再び茶番劇に集中する。
「貴様は公爵家という権力を笠に着て、歴とした男爵令嬢たるココを庶民上がりの躾のなっていない雌猫と貶めた挙句、教科書を切り裂いただろう!!
しかも淑女科で授業の一環として行われるはずの茶会にも呼ばなかったとかっ!!
そんな冷たい女は私の婚約者に相応しくないっ!!」
「わたし、ほんとうにこわくてぇ……」
ココと呼ばれたピンクの令嬢がマイヤーズに縋りつく。
その仕草は淑女らしからず、周囲のまともな令嬢令息は眉をひそめている。一部の令息達だけが、ピンク令嬢に労りと慈愛の眼差しを向け、カチェに厳しい視線を送っていた。
「そちらのお嬢さんとは今日初めてお会いするのだけど?
それに……貴女淑女科の学生ではございませんわよね?商業科とは教室どころか、過ごす校舎も異なりますのに、どうやって教科書を切り裂いたりいたしますの?
後、とっくに婚約は破棄されておりますが、それもマイヤーズ侯爵令息様が、わたくしの婚約者に相応しくなかったのです。お間違えの無いよう」
「この期に及んで未だ言うかっ!!ココが淑女科でないなど戯言を……っ!?」
「では、その方が普段着ていらっしゃる制服は何色ですの?」
ぴしゃりとマイヤーズの言葉を遮って、カチェが指摘する。
「それも知らぬと言い張るか?!貴様がココの制服を切り裂いた事もわかっているのだぞ!!
可憐な彼女に良く似合っている紺色の制服をっ!!」
そうマイヤーズが告げた瞬間、どちらが正しい事を言っているのか判断がついていなかった参加者達も、マイヤーズと男爵令嬢に冷たい視線を送る。
「……愚かね」
「……愚かだな」
「……(無言の震え)」
「……我慢し過ぎは良くないと思うわ。セイン殿」
「何をっ?!「ちょっと宜しいか?」」
更に激高を重ねようとするマイヤーズの言を遮るように、俺が口を開いた。
そろそろどうにかしろと、段上にいた第二王子殿下からも視線が飛んできたからだ。どうやらこのくだらない茶番劇に早々に厭きたらしい。
「マイヤーズ侯爵令息、この学園入学時の説明にもあったと思うが、『淑女科』の制服は臙脂色だ。切り裂かれたというそちらの男爵令嬢の制服が紺色だとすれば、それは『商業科』の学生である事の証左だ。
因みに『淑女科』と『商業科』は校舎も別で物理的に離れているし、『商業科』の棟で臙脂色の制服を着たカチェ……ゴスリングス公爵令嬢が行動していたら目立つし、目撃者も多いだろうな。
さて、そんなことを目撃した人間は果たしているのだろうか」
「なっ?!そ、それは……。ココが自分は淑女科だと……?!
私を騙していたのかっ?!」
自分の愚かさを棚に上げ、隣にいた男爵令嬢を問い詰めるマイヤーズに、呆れの籠ったため息がそこかしこから向けられた。
「そんなぁ。信じてくださいませフレッドさまぁ……」
プルプル震える男爵令嬢に庇護欲を誘われたのか、気を取り直したマイヤーズがカチェに指を突き付ける。それしきで気を取り直すな馬鹿が。
「ココの事は、ココの勘違いだったかもしれないが!貴様が私の大事な幼馴染である女性を階段から突き落としたことについては調べが上がっているんだ!
私と幼馴染の仲を邪推した挙句、そのような暴挙に出るなど、益々私の婚約者に相応しくないっ!!」
その言葉に、掴まれていた俺の腕にギリギリと力が籠められる。流石騎士科。地味に痛い。
さっきとは逆に落ち着かせるようにその手の甲を軽く撫でると、はっとしたように力が緩んだ。
視線を落とせば、申し訳なさそうな色を浮かべた蜂蜜色の瞳と目が合った。
「あらあらあらあらっ!!今度は幼馴染ですのねっ!
それはどちらのお方なのかしら?この場にいらっしゃるなら是非ともお話を伺いたいわっ!!」
ばっと両手を開いたポーズを執るカチェは、女公爵になる前に舞台女優になれそうだなぁと思いつつ、これからが本編、いや本番だと気合を入れ直す。
カチェへの言いがかりは最早どうでも良いが、彼女の汚名を雪ぐタイミングが向こうからやってきたのだ。これを逃す手はない。
「私の幼馴染はリュミエール子爵令嬢だ!残念だが、彼女はこの場にはいない!何故なら彼女は繊細で病弱だから学園には通っていないからな!貴様のような図々しい女とは違ってなっ!!」
「あらあらまぁまぁ!!
マイヤーズ様の幼馴染はリュミエール様とおっしゃるのねぇ!!どちらのリュミエール様かしらぁ?
学園に通ってらっしゃらない方をどうやってわたくしが階段から突き落とす事が出来たのかと言うのも甚だ疑問ですが、今は置いておいて差し上げますわぁ!!」
手の甲を口元の下にあてる妙なポーズを執って高笑いしながらマイヤーズの発言の矛盾を指摘するカチェに、マイヤーズはあからさまにしまったという顔をした。
あんなに表情豊かでよく高位貴族の令息が務まったものだと、ある意味感心する。
「そ、それは……。か、階段が……「それは兎も角」」
しどろもどろに矛盾した発言を弁明しようとするマイヤーズの言葉に被せるようにカチェが口を開く。
そこには先ほどまでの巫山戯た芝居の登場人物はもはやなく、公爵家の総領娘らしい気品を全面に出した淑女科トップの令嬢の姿があった。
「偶然かもしれませんが、先程貴方がおっしゃったリュミエール子爵令嬢のお名前、わたくし非常に聞き覚えがございますの。
わたくしの大切な友人でもあり、わたくしの従兄の最愛の婚約者のお名前と同じですわ。
でもそうなると……不思議ですわね?本当にリュミエール様は病弱な方なんですの?」
こてりと首を傾げるカチェ。
「私が偽りを言っていると言い掛かりをつけるとは!何処までも性根の腐った女だなっ!」
そのマイヤーズの言葉にセインの殺気が膨れ上がり、近くにいた人達の顔色が目に見えて悪くなる。
にも関わらず、直接殺気を向けられたマイヤーズは何も感じていないらしい。その鈍感力、羨ましいようなそうでないような……。
「ではお伺いしますが、そのリュミエール子爵令嬢のご家名はもちろんご存知ですわよね?
わたくしの既知のリュミエール様とマイヤーズ様の幼馴染だと仰るご令嬢が別人である事の証明にもなりますし。どうぞ教えてくださいませ」
「なら、貴様にも分かるように教えてやろう!
私の大事な幼馴染は…リュミエール・パ…いや、リュミエール・マテ……んんっ!リュミエール・バテル子爵令嬢だっ!
彼女は貴様と違って病弱で、実家も貧しいから色々と都合を付けてやっているだけなのに、貴様と言えばやれ浮気だなんだのとっ!!
私の優しさを理解出来ない貴様など婚約者に相応しくないっ!!」
奴がバテルの名を口にした途端、周囲の反応は更に冷めたものになった。
それほどまでにバテルの名は王都で有名なのだ。それを知らない辺り、むしろマイヤーズ侯爵家の財政が気になるところだ。奴の家はバテル商会で買い物をしたことがないのか?
更にはミエル本人を知っている主に騎士科の学生達は、呆れを多分に含んだ表情を浮かべていた。
「あらあらぁ〜!!どうやら貴方様の大事な幼馴染とわたくしの友人は同姓同名のようですわね!
でもバテル子爵家のご令嬢は貴女だけだったと思うのだけど?
その辺りどうなのかしら?ねぇ、リュミエール?」
相変わらず芝居がかった仕草でカチェがこちらを振り返る。
その視線に促されるよう、俺と彼女は一歩前に踏み出した。
途端、そこかしこでほぅと感嘆の息が漏れる。
蜂蜜色の艶めく髪を、俺の瞳と同じアイスブルーの輝石を使った髪留めで優雅にまとめ上げ、同じくアイスブルーのドレスを身に纏うミエルは、婚約者の欲目抜きにしても美しいからな。
腰の辺りを武骨に彩る黒革の剣帯ですら、ミエルの美しさを損なわず、寧ろキリリと引き締める良いアクセントになっていた。
流石バテル商会お抱えのデザイナー、良い仕事をする。
己の色を纏ったミエルに見惚れていると、カチェから冷たい一瞥が飛んできた。
仕方ないと一つ肩をすくめ口を開く前に、ミエルが口を開いた。
「ご記憶の通り我がバテル家の娘はわたくしだけですわ、カティアーチェ様」
ニコリと笑みを浮かべ、カチェに、周囲の人間に、そして愚か者達にも理解できるよう一言一言ハッキリとミエルが告げる。
それに満足げに頷きを返し、カチェがマイヤーズに視線を向けた。
「な、な、な、何者だっ!」
何者って…おま…。
「ご無沙汰しております。マイヤーズ侯爵令息様。バテル子爵家が一女リュミエール・バテルでございます。
こうして直接お言葉を交わすのは十年ぶりでしょうか?」
ミエルが扇を広げ、コテリと首を傾げる。それに合わせて蜂蜜色の後毛がふわりと揺れた。
そしてミエルの言葉に益々マイヤーズへの侮蔑の視線が増えていく。
「リ、リ、リュミエール!?ひ、ひ、ひ、久しぶりだね。
体調はもう良いのかい?またお見舞いに……」
あからさまに動揺しながらも、マイヤーズは己の嘘を押し通そうとする。その無様さに舌打ちの一つや二つもしたくなるってものだ。
「えぇ、本当にお久しぶりですね。何せ十年ぶりですもの。
それにわたくしの体調は至って良好ですわ。こうしてカチェ様を始めとした友人にも恵まれ充実した学園生活を送っておりますし」
ぱっと見儚げに見えるその見目を活かして小首を傾げるミエルは本当に愛らしい。マイヤーズに縋り付いているご令嬢など目じゃない。
「そ、そ、そ、そんな筈はないだろう?
き、き、き、君は病弱で……」
「まぁっ!わたくしが病弱……?ですか?それはきっとわたくしの事ではございませんわね。
となりますと、病弱で貴方様のご厚意に縋るという幼馴染のご令嬢もわたくしの事ではございませんわ。だってわたくし……ねぇ」
すぅと蜂蜜色の瞳を眇め、マイヤーズをねめつけるミエルは控えめに言って美しい。惚れ直す。
「ち、ち、ち、違うっ!!君は病弱で学園に通っていないはずだ!!
貴族令嬢のほとんどが選択する淑女科の名簿にリュミエール・バテルの名はなかった!!
それは君が病弱で学園に通っていないからだろうっ!?」
ミエルに見惚れていると、カチェに扇の先で突かれた。ちっ。
ていうか奴はどうやって淑女科の名簿なんて閲覧できたんだ?その辺り要確認だな。それに……名簿を見たならレッドラム男爵令嬢の名がない事もわかった筈なのに、視野狭窄にもほどがある。
「マイヤーズ殿、君はやはりこの学園の入学案内を一から読み直した方がいいな」
初めて会った時ミエルに言われた台詞をなぞってみる。
どうやら効果は覿面らしくマイヤーズの顔が怒りなのか羞恥なのか赤く染まった。
「な、何がだっ!!
僕の調べに間違いはないっ!!今この学園の淑女科にリュミエール・バテルは所属していないっ!!」
「そりゃそうだ。ミエル、いやリュミエール・バテル子爵令嬢は騎士科だからな。
学園主催の夜会で黒の剣帯の着用を認められているのは騎士科の学生だけだ」
「せっかくのドレスなのに剣帯着用が必須なのはどうかと思いますが……」
剣の持ち込みは許可されていないのに……と微妙な表情を浮かべるミエルの腰に手を回す。
「そんな君も素敵だよ。私の蜂蜜姫」
「そこっ!いちゃつくのは後になさいっ!」
ぴしりと扇を突き付けてくるカチェを無視してマイヤーズを見れば、口元をわなわなと震わせ二の句を継げないでいた。自分の見ている物が信じられないのか、ミエルの腰回りを凝視しているのが気に食わない。剣帯を見ているだけとは言え、こっち見んな。
「マイヤーズ殿、ご理解いただけたか?
この学園の騎士科は完全実力主義。病身では所属する事などとてもできない。
更に言わせてもらえば、バテル子爵家が貧窮しているなど無知を晒しているようなものだぞ?
バテル商会と言えば、王都どころかこの国一の商会だ。この場にいる方々の多くがバテル商会の顧客と言っても過言ではない随一の商会だぞ?むしろそれを知らないマイヤーズ侯爵家は……」
言外に貧窮しているのはどちらだろうなと含ませてみる。
カチェから突き付けられた婚約破棄で、公爵家からの援助は取り下げ、マイヤーズ有責の破棄なので安くはない慰謝料を請求され、実家が虫の息なのを此奴は理解していないのだろうか。
「な、な、な、な……」
最早何も言えなくなったマイヤーズに、カチェが扇を突き付ける。
「そろそろご理解いただけたかしらぁ!?
ご覧の通りリュミエールは病弱でも貧乏でもございませんわっ!!貴方がリュミエールの名を利用して浮気相手に貢いでいたのは既にこちらも承知しておりますの!だからこそ貴方有責で婚約破棄されましたのよっ!!マイヤーズ侯爵様は随分お嘆きで怒り心頭のご様子でしたけど、一度もご実家に戻られていないのかしらぁ?婚約破棄から随分経っているのですけど、不思議ですわねぇ」
ふざけた口調でそこまで告げると、カチェの雰囲気ががらりと変わる。
「このような公の場で、わたくしに冤罪を掛け貶めた事、当家からマイヤーズ侯爵家に正式な形で抗議させていただきます。
後、わたくしの可愛いリュミエールの名を今後一切利用するのはお止めください」
にこりと笑むがその目の奥は冷え切っている。
「私からも。リュミエール・バテル子爵令嬢は私の婚約者だ。今後一切の接近及びその名を出すこともやめてもらおう。
それを破った場合、バテル子爵家のみならず、我がブラックシール侯爵家からも抗議させてもらうからそのつもりで」
「その際はもちろん、ゴスリングス公爵家も許しませんわ。ご理解いただけまして?」
俺達の最終通告に顔を青褪めさせたマイヤーズが一歩後ずさる。
「わ、わたしは関係ありませんよね?!フレッドさまが勝手にやったことですしっ!!」
今まで大人しく成り行きを見守っていたらしい男爵令嬢が叫びながら、マイヤーズに絡めていた腕を振り払う。
そんな彼女の姿を呆然と見つめるマイヤーズの顔色は酷く悪い。
「いや、ココ・レッドラム男爵令嬢。君は虚偽の申告でゴスリングス公爵令嬢を貶めた。それ以外にも貴様には聞きたい事が色々ある」
人々の間に紛れていた騎士達がレッドラム男爵令嬢の腕を掴む。彼女は以前から第二王子を始めとして高位の貴族令息に付き纏っていたのだが、どうもその裏にきな臭い影があったのだ。
決定打がなく捕縛まで至らなかったのだが、これを機に一気に吐かせる予定だ。
「いやっ!!なんでっ?!わたし悪くないっ!?!ちょっ!!わたしを助けなさいよっ!!フレッドっ?!聞いてるのっ?!……この役立たずがぁっ!!!」
悪鬼の形相で連行されるレッドラム男爵令嬢をぼんやりと見つめるマイヤーズが、最後の言葉にピクリと反応した。
虚ろな目でこちらを振り返り、カチェや俺達を視界に入れた瞬間、その表情が激変した。
「っ!!貴様らさえいなければぁぁぁぁぁ!!!」
「っ!」
胸元に隠し持っていたらしい懐剣を手に構えこちらに走り込んでくるマイヤーズ。
生憎騎士達はレッドラム男爵令嬢の捕縛で些か距離がある。
そして隣には守るべき婚約者の姿。
ここで俺が動いて、俺の、延いては我が家の本業が明らかになるのはまずいのだが、致し方ないだろう。
ミエルを背後に庇い、胸元の暗器に手を伸ばす。視界の端で、セインがカチェを庇うのが目に入った。
「うあぁぁぁぁぁぁっ!!」
素人構えで突っ込んでくる奴を迎え撃つべく構えた瞬間。
蜂蜜色の風が横をすり抜けていった。
まるでダンスを踊っているかのようにくるりと翻るアイスブルーのドレスの裾。
そのままマイヤーズのナイフを構えた腕を掴んで引けば、今までの勢いもあってマイヤーズの体勢が前のめりに崩れる。
そしてふわりと広がるドレスの裾を彩るレースの縁かざりと、ちらりと覗いたアンダードレスの白が目に入ったその瞬間。
「がはっ!?」
ガッと音を立てて、マイヤーズのうなじに落とされたのは俺が贈ったドレスと揃いのヒールのある靴で。その足は着地と同時に、マイヤーズの手から離れた懐剣を蹴飛ばした。
「っ!確保っ!!」
床に伏したマイヤーズの腕を背中で捻り、ドレスの裾で見えないが、恐らく身動きが取れないよう腰の辺りに膝を入れているのだろう。いつになく厳しい彼女の声が響いた後には、呻き声一つ上げられない形で暴徒と化した貴族令息は無力化されていた。
ミエルの声に、拘束具を持った騎士達が走り寄り、マイヤーズを捕縛していく。
「っ!ミエルっ!?怪我はっ?!」
早々に騎士へとマイヤーズの身柄を引き渡したミエルが何事もなかったかのようにこちらに近づいてくる。
そんな彼女を上から下まで視線を走らせ、ついでにパタパタと手を這わせて無事を確認する。
「んっ!ちょっ!?シエル様っ!?変なとこ触らないでっ!!」
「あ、ごめん」
くすぐったそうに身を捩るミエルの姿に安心してほっと息を吐く。
「もう。私も騎士科の学生ですから暴漢への対処の一つや二つできますからね?」
そこまで口にしてから、そっとミエルがその身を寄せてきた。
「……なので表立った部分はお任せくださいませ」
そう小声で落とされた言葉に、思わず苦笑が漏れる。全く俺の蜂蜜姫は愛らしく優秀で甘い。
ちらりとこの騒動を運んできたカチェとマイヤーズに密かに感謝の念でも送っておこう。何せこうも我が家にピッタリの嫁を見つける事が出来たのだから。
と言っても、こんな公の場で、本来持ち込んではいけない凶器を以て暴挙に及んだマイヤーズを許すつもりは欠片もないが。
だが、あの尋常ならぬマイヤーズの暴走も、もしかしたら……。
そこまで考えてふるりと一つ頭を振る。
その先を考えるのはこれからだ。
とりあえず勇ましい婚約者殿を労わらなければと視線を向けると、セインやカチェと談笑するミエルの姿があった。
その清楚な姿からは先ほど暴漢にかかと落としを決めたとはとても見えない。
「……ん?ていうか、あの場合セインが動くべきじゃないか?今日せっかくミエルは美しいドレス姿だったのに……。はっ!誰かにドレスの中を見られたんじゃ?!」
「落ち着いてください。見られてません」
「そんなのわからないじゃないかっ!!ちょっと見た奴の記憶を消してくる……」
身を翻そうとする俺を引き留めるようにミエルが腕を絡めてきた。
「大丈夫ですよ。騎士科の女学生はこういった格好でも動けるように特別に訓練しているのです。
ほら、最初にお会いした時も制服がスカートだったでしょう?あの日は午後からその訓練があったので、あの姿だったのです」
そう言われて、初めて第三食堂にミエルを訪ねた日を思い出す。
「……言われてみれば……。黒いスカート姿の君も素敵だったよ」
「もうっ!シエル様は口を開くたびにそんな事ばかり言うんですから」
「事実だから仕方ないね」
そう言ってミエルの身体を引き寄せ、その柔らかな頬に口付けを落とす。
呆れを隠さないカチェの視線と、相変わらず笑いを堪えて無表情で揺れているセインの事は見えないふりをしながら。
そこで周囲の耳目を集めるよう第二王子が立ち上がり、パンと一つ手を打った。
「些かつまらない余興が行われたようだが、夜はまだ長い。
騒ぎを起こした者共もいなくなった事だし引き続き夜会を楽しんでほしい」
そう言って自ら婚約者の手を引いて、ホールの中央に立つ。
第二王子が婚約者の腰をホールドしたタイミングに合わせて音楽が流れた。
くるりくるりと美しい踊りを魅せる第二王子とその婚約者に、周囲から感嘆の息が漏れる。
そこには既に先ほどまでの騒動による動揺は微塵もない。
そんな二人に視線が集まっている間、ひっそりとココ・レッドラム男爵令嬢の取り巻きだった人間達が騎士達に誘導されていく。
彼らが被害者なのか加害者なのかもこれからの調査で明らかになるだろう。
「……なんだかいいところを持っていかれた気がしますわ」
カチェがぼそりと呟く。
「彼のお方がわざわざ前に出てくれたんだ。ここは素直に感謝しておこう。
下手をすれば俺達も騒動を起こした側として不審な目を向けられて追い出されてもおかしくなかったからな」
俺のその言葉に、ミエルは不安そうにカチェは些か不満げな表情を浮かべた。もちろんセインは無表情のままだ。
「さぁ、せっかくの殿下のご厚意に甘えよう。
踊っていただけますか?俺の蜂蜜姫」
そう言って手を伸ばせは、華奢な、それでいて鍛錬を重ねた人間特有の硬さのある手が乗せられた。
きゅっと軽く力を込めれば、同じように握り返される。
そんな彼女と出会えた幸運に感謝しながら、くるりと音楽に身を任せた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
宜しければご評価、ご感想等いただけると嬉しいです。
前編と後編でシエルのリュミエールに対する温度差が凄い事になってますね。
名前とタイトルのイメージだけで短編にする予定だったのですが、あれやこれや膨らんで気付けば前後編に……そしてまだ回収してないアレヤコレヤが残っているという……。
蛇足ですが、リュミエールのお兄さんの名前はロイフォード・バテルと言って、愛称はロンだったりします。
気付かれた方はちょっとにんまりしていただければ幸いです。
改めて最後までお読みいただきありがとうございました!




