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四章 畏敬

 

 魔物を食い止めるため大昔に建造され、補修・増強・維持されている堡塁が首都〈堡塁圏(ほうるいけん)〉をぐるりと囲む。圏外からも観られる摩天楼はレフュラル表大国の栄華の象徴である。

 打ち破られたことのない堡塁と誇らしき象徴を光と表すれば、穴と表せられる闇もある。人間は完全なる体制や制度を作るには至らない。

 ゆえに、不条理・理不尽・不平等に抗って生きる者が人知れず存在している。不完全な体制や不完全な制度で管理している国という容れ物はそんなひとびとの存在に目を瞑り、さらには覆い隠し、必要とあらば排除することも厭わない。王女シェルェント゠ウヴ゠アリエンはそう捉えている。

 国。体制。国王。増長というには相手が大きすぎる。シェルェント゠ウヴ゠アリエンは尻込みしていた。父にして国王のエント゠ウヴ゠エリー・レフュラル一五世は、魔法と魔導による統治と国の繁栄を絶対のものと考えて譲らない。国民の九割がエント゠ウヴ゠エリーの支持者であり、闇を搔き消すように戦争も認めてしまうだろう。父には眩いばかりの光があり、夢も実績もあり、支持と権力が放っておかない。増長と表すのは偏見で、実態は途絶えぬ光明であるのかも知れなかった。

 眩い光が別の光を搔き消してしまうことをシェルェント゠ウヴ゠アリエンは危惧している。秘密裏に進められていたテラノアへの侵攻もさることながら、テラノア国王ゾーティカ゠イルとの竹神音殺害の密約や魔物輸出など、目に余ることが続いている。

 とは言ってもシェルェント゠ウヴ゠アリエンができることは多くない。第一王女の肩書で僕は多く、優れた魔法の才によって慕う者を多く得られても、国王の支持基盤を引きつけるような圧倒的な魔力や魅力、独創性や安定性に欠けている。言うなれば、シェルェント゠ウヴ゠アリエン自身が搔き消される側である。

「光を重ね合わせればいい」

 そう言ったのは、竹神音だった。三〇二四年八月一二日、金曜日の一五時目前に訪ねてきた彼は、一つのテロを起こした直後に王城(ここ)に忍び込んできた。苛立ちそうな状況で、焦燥も恐怖も感ぜさせず落ちついて提案までできる彼──。テロは彼の自白であって証拠がないため内政干渉の立証は困難。彼にしかできないであろうことでもって彼の犯行と見做すことができる状況ではあるが、証拠もなく国際問題にはできないからその点で彼は慎重だ。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、彼から預かった少女の額を労わるように撫でた。

「他者は才能についていくのではありません」

「補完すればいいんよ。レフュラル風にいうなら、色を集めて鮮やかな虹とする」

「単色ではカリスマ性に欠けます。ひとの心を惹きつける原初の曖昧ゆえに根源──、全ての色を内包し、また、内包し得る圧倒的な白には叶いません」

「黒は内包されとるのかね」

「光と色は異なります」

「まじめやね。スペクトルに映える黒、他色に馴染むように潜んだ暗線、いずれも棄てがたいと俺は思う。それに、捉え方が違うね。あえて言い換えるなら、パッチワークやよ」

「パッチワーク、ですか」

 小さな布を縫い合わせてゆくことを指す言葉で、語尾にキルトがつけばそれは一枚の美しい布である。竹神音が示した手段は、人材を寄せ集めて現体制にはない魅力をアピールし国王エント゠ウヴ゠エリーの支持層を切り崩すということか。

「虹とさして変りないように思えるのですが……」

「相互作用やよ。色も並べ方によって打ち消し合うもの、違和感のあるもの、そして、引き立て合うものがある。パッチワークはその作用をより個個に求め、また、統一感と一体感をも表現する」

「地味なわたしに個性があるか解りません。統一感や一体感を標榜と解しても、わたしにはそれがなく、思いつきもしないのです。竹神様のようにひとを助ける知恵のないこの鈍さが低明度の理由なのでしょうね……」

「うまい催促の仕方やね」

 そんな意図はなかったので、

「教えてくれますか」

 と、シェルェント゠ウヴ゠アリエンは潔く助けを求めた。

「入れ知恵は相手を陥れるのが相場でうまく転ばんのもしかりやから好かんのやけど」

「ください。現状竹神様は唯一の端切れですわ」

「真黒な端切れは不採用として、分光してなんかしらの色が零れたということにしとこうか」

「よろしくお願いします」

「飽くまでヒントね。国民の生活を支えるものを見直したらどうかな」

「生活を支えるもの……、魔導電力──」

 魔法大国であると同時に産業の国として人流・物流が盛んなレフュラル。その流れを支えているのが魔導電力である。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは気づいた。

「パッチワークとは、もしかして、自然エネルギのことですか」

 太陽熱や風力、地熱や畜力などの自然エネルギを用いて人間生活を支える。エネルギのパッチワーク。それが竹神音の提案だろうが、

「面白いね。その発想に沿って考えてみようか」

 と、きっかけを委ねる姿勢だ。「場所はいくつか見当がつく」

「と仰るのは」

「西区」

「スラムを活用できると」

「魔法や魔導の恩恵に与れんかったがゆえに才覚が育っとるんやない。主に畜力とか」

「盲点でした」

 理不尽な現実に抗って生きているのが西区の住民だと知っているのに、レフュラルではその人材や土地を活用できない、と、机上でこすり消していた。

 ……なるほど──。

 小さな端切れにも、光を当てれば必ず色がある。仮に黒くても、どこかで活躍できるのではないか。風土を活用したエネルギに加えて、やはり、人材もパッチワークするのだ。

「西区は整備が行き届いとらんかったせいで道路の陥没が多いのは知っとるよね」

「存じています」

 雨風に曝された陥没は広がる一方。シェルェント゠ウヴ゠アリエンが知る限りライフラインも復旧されていない。

「国民と見做されていないためそのような扱いを……」

「陥没箇所と繫がる地下空洞の奥に、大きな水脈が見つかっとる」

「そこでは水力発電ですね。地熱発電もできるでしょうか」

「地熱は堡塁外の南が効率的やけど、地下空洞の冷気を逆流させてタービンを回すことも可能かも知れんから可能ならやってみるといいな」

 堡塁外は圏外ともいう。堡塁の外側のことで、当然、魔物が現れる。魔物を退治しながら暮らす部族が集落を点在させている広大な土地は、エネルギ開発を行う余地が十二分にある。

 ……冷気を逆流させた発電は、恐らくダゼダダの──。

 魔導電力発電からの脱却を成し遂げたダゼダダが三〇一一年四月に稼働した新発電システムがそのようなものだと推察されている。ダゼダダより高緯度に位置するレフュラルでの活用も可能とは見込めるが、シェルェント゠ウヴ゠アリエンの胸に湧いたのは、この場でその提案をした竹神音への関心である。

「話の途中やけど、どうかしたん」

「発電技術は秘匿されているはず。なぜ、あなた様がご存じなのです」

「たまたまね。ついでにこれもどうぞ」

 差し出された書類の束には、設計図。「専門家に転写させたもんやから幾分読みやすいよ」

「読みにくかろう原本はいずこです。そして転写とは」

「その昔どこかのぶっとんだ子が夢現に書き起こした案が原本。それを俺が現代的に書き直して専門家に転写させたもんがこれ」

 手間が掛かっている。原本は、読みにくく、解しにくいものなのか。

「ぶっとんだ子、とは」

「言葉のままの意味を話していない子とか、ひとに理解されんことを話す子とか」

「一般論を訊いたのではありません。あなた様ではないのですか」

「技術に疑いがあるなら専門家に都度アドバイスをもらってね」

 そこを疑っていたのではないので、シェルェント゠ウヴ゠アリエンは「ありがたく頂戴します」と微苦笑で設計図を受け取った。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、竹神音がダゼダダの発電システムを作ったのではないかと推測しているがテロ同様に確証がない。とは言えこの設計図こそが彼の仕事と認めているように思えて、自国の話に傾注することができた。

「圏外でできるほかの発電方法はありますか」

「風力発電に向いた土地がある」

「南西ですね。魔導電力に替わるエネルギはないかと考えていたとき小耳に挟んだ小高い山脈です。よい風が吹く広大な土地で、部族もおらず騒音公害のおそれもないと」

 エネルギ供給率が低く採算が取れないと踏み出せずにいた風力発電事業。各地の調査次第ではあるが、

「畜力・地熱・水力によるエネルギ供給の安定化と利益の両立。これがあれば、風力にとどまらない発電事業に踏み出すことができるはず」

 光が見えた。「魔導電力と比べて、自然エネルギの供給量は何%を見込めますか」

「専門家によれば、低く見積もって六〇%は固い。レフュラル表大国には広大な土地があるから、魔導電力より伸び代が広く持続性があるとも」

「既存設備や南側の魔物の駆逐など課題もありますが推進しても問題がないでしょう。魔導電力のような()がないのですから」

 ベッドに横たわった少女。「怪我人を保護した」と竹神音が連れてきたが、タイミングからしてこの少女こそが魔導電力供給を支えていた人柱だ。国王や魔導電力推進派にいわせればこの少女は「一個」でしかない。シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、そうは思えない。

 魔導電力発電所にはさまざまな問題が指摘されている。どこかに握り潰されて表には出ないが魔導電力発電所周辺の魔力環境は著しく悪化し、魔物の凶暴化や増殖が確認されている。魔導電力発電所はレフュラル表大国の政治中枢である王城議会と民間企業〈レフュラル発電事業部〉が運営するいわゆる第三セクタであるが〈王城(おうじょう)近衛(このえ)(へい)〉が一手に警備をして魔物の駆逐を担うほか、魔導による監視網を王城議会が制御しているなど、第三セクタとしては民間企業側の手が入っていない。シェルェント゠ウヴ゠アリエンの調べによればレフュラル発電事業部なる民間企業はペーパーカンパニで魔導電力発電所は事実上の国営機関。テラノアが体制維持のために第一次産業を拡充しないことと同じだ。レフュラルでは魔導電力を掌握することで国民の生活を支配している。

「闇の広がりを、わたしが食い止めなければならないと思ってきました。しかし、この子を助けたのはわたしではありませんでした」

「牽制のための襲撃で、その子は単なる怪我人やけどね」

 と、言いながら、この少女が原料として配置されていたであろう南部魔導電力発電所襲撃の際、彼は誰も殺していないとのこと。この少女はもとより労働者や魔導機構に搭載されていた現地の精霊結晶まで一人たりとも巻添えにしなかった。竹神音のテロは箱物ひいては体制を対象とした。

「人の作り出した光が、人の闇を生み出す。竹神様はそう仰りたかったのでしょう」

「可能性でしかないし、それが絶対とはいわんけどね、エント゠ウヴ゠エリーの造った箱物や堅持する国策が結果として国民を魔導電力依存にしとるのは間違いがない。脱却せんとね」

 この少女()の犠牲があって生活が豊かになったことを誰もが知るべきなのだ。が、犠牲を知る者は数少なく、知る権利が与えられていないというのが正しい。眩い光は真実という闇を搔き消す。眩い光に導かれるまま国民は無垢なる生命を踏みつけてゆく。ただ、同情や悲嘆、ネガティブなきっかけで道を選択しては後後の人生に影を落とす。レフュラル王族の一人としてシェルェント゠ウヴ゠アリエンがやりたいのは、国民の生活を豊かにするための光を示すことである。それなら、新たな光で犠牲を生まない道へ誘導するのが一番。

「闇を知るのはあとでもいいんです。罪を現在の行いで省み、償いを維持できれば人間として立派な輝きを放てますから」

「きっかけが最悪でも人は前向きに選択する力を持ち得る」

「わたしの考え方は間違っていますか」

「良否問わず王族の意義がそこにある。お前さんの選択が国民に新たな光を見せる」

「……わたしは、わたしが正しいと信じたものを選びます」

 より輝かしい光を国民に示すのが王族の役割。シェルェント゠ウヴ゠アリエンが選び国民に示したいのは現王と全く異なる光だ。そのきっかけや経過が竹神音の考え方と異なっていても自分が望むものでなければシェルェント゠ウヴ゠アリエンは責任を負えない。国民の望まぬ光へ導いていたのなら後の世で裁きを受けることも覚悟した選択だ。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンが少女にしているように、竹神音がシェルェント゠ウヴ゠アリエンの頭をそっと撫でた。

 竹神音を、仰ぎ見る。

「ありがとうございます。光を、くださって」

「お前さんが分光したから新たな波長が見つかったんよ。頑張りぃ」

「はい」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンの応答から間もなく部屋の扉がノックされた。

「どなた」

 と、問うと、二つの声が返ってきた。

「オルオだ」

「ユーリエです。お兄様がお話があると」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは竹神音を窺う。

「どうしましょう。兄様はいいですが、妹のユリは王を支持しています」

「もう忘れたん」

「……支持層の切崩し。身内から」

「端切れとしても打ってつけやよ」

 仮称〈自然エネルギ推進派〉に、兄と妹もパッチワークする。

「できるでしょうか……」

「様子を観とくからやれるとこまでやってみぃ」

「……感謝します」

 立ち上がったシェルェント゠ウヴ゠アリエンは兄妹に答えた。「どうぞ、入ってください」

 扉を開いて二人が入ってきた。二一歳の兄・第一王子のフェルェール゠ウヴ゠オルオと、一五歳の妹・第二王女のチェルェント゠ウヴ゠ユーリエ。どちらも優れた魔法の才能を有しており、上級魔術師の資格を得ている。愛称は順にヴォルとユリである。

「うっ、誰です!」

 大きく反応したのは妹ユリである。竹神音、それからベッドの少女に目をやる。「ここは王城ですよ。部外者がどうして──」

「待て、ユリ」

 兄ヴォルが息を吞んだ。「おまえ、いや、そなたは、まさか……」

「兄様、そうですわ」

 ヴォルの認識をシェルェント゠ウヴ゠アリエンは肯定した。理解できていないユリがシェルェント゠ウヴ゠アリエンを窺う。

「お姉様が、この小汚い部外者達を招き入れたんですか」

「やめないか」

「っ、お兄様、どうかしたんですか、そんな慌てた様子で、らしくありませんよ」

「それは、そうだろう」

 ヴォルが竹神音に歩み寄るや片膝をついた。「ご活躍はかねてより観て参った」

「お兄様、王族が膝をつくなんて何を考えて!」

「これはぼく個人の態度だ。血は関係がない」

「っ!」

 絶句したユリを余所に、ヴォルが竹神音に尋ねる。

「そなたは旧姓言葉真、現姓は竹神、その名は音ですね」

「そうやよ」

 目線を合わせるように正座していた竹神音がヴォルにうなづいた。

 ユリが腕組して呟く。

「竹神、音──。お兄様達がかねがねいっていた、奇跡の少年……」

「新聞記者がつけたキャッチコピなんやけどね」

「……いやに訛っていますね。身形といい、卑俗ではありませんか」

 ユリが訝ってもシェルェント゠ウヴ゠アリエンは窘めない。

「わたしや兄様に取って、彼は憧れです。実力はいうまでもありませんが、見習うべき精神性をお持ちです」

「賊のような顔のどこに優れたる精神性があると」

 ユリが警戒を続けると、竹神音が立ち上がった。

「話進めんなら用済んどるし帰るわ」

「待ってください、……」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンの目線を受け、竹神音が話を進める。

「無駄口不要。ヴォルはなんか話があって来たんやろ」

「ぼくの話を聞いてくれるんですか」

 第一王子という立場上、普段の兄ヴォルは感情を表に出さず尊大を装っている。その昔、

 ──シェル。これを観ろ。すごい人がいたぞ。

 そうやって言葉真音の存在を知らせてくれたときのように少年然としている。

「その、竹神殿の耳に入れるのは恥ずかしいことなんですが……父が大層立腹でなんとか機嫌を取らねばと。相談すべくシェルを訪ねた次第です」

「それは……」

 父エント゠ウヴ゠エリーが腹を立てたのは南部魔導電力発電所がテロで全壊したからではないか。シェルェント゠ウヴ゠アリエンはテロリストたる竹神音本人から被害状況を聞いて被害が箱物のみと知っているので冷静だが、父エント゠ウヴ゠エリーはレフュラル最大の魔導電力発電所全壊に加えて人的被害も懸念して頭に血が上っているだろう。

 竹神音がヴォルを向く。

「南部を破壊されて父王が怒っとるんなら俺のせいやぞ」

「っ──」

 竹神音の告白、それからベッドの少女を観て、兄ヴォルは全てを察したようだったが、妹ユリは隣空間から取り出した杖を構えて竹神音を睨みつけた。

「よもやテロリストとは!お姉様、お兄様、まさか庇い立てしませんよね!」

「ユリ、やめないか」

「ユリ、やめなさい」

 二人の制止を受けても、ユリが怒りを治めない。

「テロリストは現場の判断で殺害逮捕が許されている。二人がやらないならわたしが!」

 ユリの杖に光属性魔力が集中し──。

「手を汚す真似はおやめなさい」

「ひっ」

 竹神音がいつの間にかユリの真後ろに回り込み、杖を握る手に右手を重ねていた。その瞬間ユリの集中が切れて魔力が拡散、耳許の囁きが体の動きをも封じた。

「あなたは恐れている」

「っ、離れなさい!あ、アナタにわたしの何が、」

「己の知らぬ、下層の者、知識、精神、行動を」

「──!」

「幼さでなく、不知ゆえの恐れ。ひとは己の欠如を自覚し学ぶ、優れた才を有しています。ときには、恐れず、踏み込むことです」

「っ……、……」

 竹神音にするりと指先を撫でられたユリが息を吞んで、手を緩める。そのときユリが感じたものをシェルェント゠ウヴ゠アリエンは自分のことのように感ずる。攻撃的な気持も無駄な力も全身から抜け落ちて休まるような、優しく、暖かな、うたた寝を包む日差だ。

 零れ落ちたユリの杖をヴォルが受け止めた。

「ユリ。理解したか」

「お兄様……この方は、いったい、なんなんです」

 へなへなと崩れるユリ。ずっと見守っていたかのような言葉が自覚のある虚勢を完璧に打ち崩したのだから、当然のことだ。シェルェント゠ウヴ゠アリエンやヴォルは近くて遠い兄姉ゆえに言えなかったことでもある。

 竹神音がまたいつの間にやらベッド脇に移動しており、少女の頭を撫でている。

 兄が改めていい表した。

「ぼく達の、目指すべき姿勢だ」

 意味を解したかどうか。ただ、ユリから警戒の色はなくなっており、同時に、竹神音への偏見もなくなっていた。落ちつきも得たようで、シェルェント゠ウヴ゠アリエンを窺う。

「この状況はいったいどういうことですか。その方、竹神様がここにいること、それと、そっちの女の子がいること、お姉様達と一緒にいること、南部魔導電力発電所の破壊実行犯……、何が何やら。説明してください」

「ええ、説明します。兄様にも、聞いてもらいたいことです」

「ユリも落ちついたことだしな」

「兄様は興奮が治まりきっていないのでしょうが」

「内心は」

 と、ヴォルが微笑。竹神音と顔を合わせられたことの感動は、シェルェント゠ウヴ゠アリエンにもある。

「だが、それはそれだ。心の準備をした。教えてくれ」

「では、順を追って話します。──」

 竹神音から聞いた南部魔導電力発電所襲撃に至る経緯とここまでの動きをシェルェント゠ウヴ゠アリエンは兄妹に伝えた。

 魔導電力発電所に〈人工生命体(ホムンクルス)〉の犠牲が不可欠であり、それを存じていながら体制を堅持していたのが父王であることにユリが驚きを隠せなかった。だからこそ今、シェルェント゠ウヴ゠アリエンは本題を切り出す必要性を感じた。

「──。圏外には部族が無数の集落を作っています。その多くが、わたし達が生まれるより昔から、堡塁を守る盾のように魔物と対峙し生活している。それがレフュラルの側面です。竹神様から観て発電所周辺の魔物増殖・凶暴化は魔導電力と関係がありますよね」

「魔導電力発電所は魔導電力である雷属性魔力の製造装置であり供給施設だ。人工生命体から抜き取った魔力と発電所周辺の自然物の内包する魔力とエーテルを用いて雷属性魔力を首都に供給する役割やけど、中等部以下の理科的・魔術的学習から人工生命体に関する問題点が抹消されとるのが問題やな」

 そう。魔導電力の否定に繫がる大きな原因がそれなのである。

「その問題って」

 と、ユリが首を傾げた。「魔導電力は原子力発電や石油発電などと比べて安全でクリーンなんですよね。危険な核反応事故もなければ熱回収処理もないから……」

 それが一般的な見解。裏があるのだ。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは竹神音の言葉を継ぐ。

「発電所に近い土地に暮らす部族は多くが植物型魔物によって襲撃を受けています。その原因が、魔導電力発電所です」

「それって、どういうことですか」

「ではユリ、一つ、簡単な復習をしましょう」

「はい」

「地熱発電なら地中の熱を利用して、風力発電なら風力を利用して、タービンを回して発電をします。それらの原料はなんでしょう」

「地熱や風力、つまり自然の力ですね」

「正解です。一方、魔導電力発電の原料は自然魔力やエーテルですが、そこで人工生命体の犠牲が不可欠になります」

「魔導電力発電所の鍵になっているんでしたね……」

 信じがたいことが真実だから竹神音がテロを起こしてまで少女を救った。

「本題です。魔導電力発電所は鍵であり原料である人工生命体を用いて周辺地域の自然から魔力とエーテルを吸い上げて堡塁圏に魔導電力を供給しています。その結果、発電所周辺の雷属性魔力とエーテルが涸渇し、穢れを溜め込みやすくなった樹木類の魔物化を促しています」

「……木を伐採しておけばいいのでは」

「そんなことをすれば自然魔力がとどまる場所を失う」

 と、ヴォルが注釈した。「自然魔力がとどまれなければ魔導電力発電所の吸い上げる魔力が完全になくなって魔導電力供給がストップする」

「それでは手の打ちようが……」

 魔導電力発電所を稼働させなければ首都機能が停止する。経済活動はおろか魔導電力に支えられた生活の一切を失うことになる。木木が成長し魔力とエーテルを吸い上げられ魔物化するまでのサイクルと魔導電力供給が幸か不幸か絶妙なバランスで成立しており、現体制が維持できてしまっている。ここで、纏めに入ろう。

「発電所稼働に不可欠な樹木は取り除けない。人工生命体の犠牲も、魔物も、増え続ける。部族の集落は、魔導電力の旨みを一切受けていないというのに堡塁圏に暮らす人人の生活のために魔物の襲撃を絶えず受ける……」

 レフュラル表大国の首都に住まう者が生活向上のため魔導電力を消費すればするほど、消費者側の理屈で生み出された人工生命体が犠牲となり、魔導電力と全く接点のない部族が煽りを食う構図だ。しかもレフュラル表大国としてはそれらを隠して魔導電力発電所を稼働してきただけでなく、部族が堡塁周辺に集落を展開するよう手助けし、悪神討伐戦争後は堡塁圏へ入れないよう法整備を行った。人工生命体を道具扱いするにとどまらず、近代化から取り残されていることをいいことに部族を虐げているといえるのではないか。人工生命体や部族を虐げている認識が国民にないとしても、レフュラルはそんなことを続けていてよいのか。と、シェルェント゠ウヴ゠アリエンは吞み込みきれない感情が湧いてやまない。

「──。わたしは、魔導電力発電所を廃絶すべきと考えています。原料として消費される人工生命体。盾に利用される部族。豊かな生活のためなら犠牲を厭わないという姿勢を、わたしは容認できません」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンの発言に、ヴォルがうなづいた。

「ぼくもそう思う。だが、国王以前に、国民はもう魔導電力を、魔導機構や魔導具を、手放せない。レフュラルは魔導に頼った生活スタイルが根づいてしまっている」

 ヴォルが見渡した部屋には、「いったいどれだけの魔導がある。照明、携帯端末、PC、テレビ、ラジオ、コーヒーメーカ、空調設備、カーテン自動開閉器に至るまで全て魔導電力で動いている。送電がなくなれば一気に暮しが不便になる。ぼく達はまだいい。料理や洗濯は召使がやればいいと言える。一般人はコンロや洗濯機を手放せない。魔導電力を失ったら最後、生活が破綻する。仕事環境が激変し、雇用情勢並びに所得に大きな格差が生じ、混乱必至だ」

「想定済みです。代替エネルギを用意しましょう」

「魔導電力の替りに生活に密接した魔導を動かすほどの電力を、と、いうことか」

「自然エネルギを使います。──」

 その発想はシェルェント゠ウヴ゠アリエンのものではなく、じつは兄ヴォルの呟きからだった。

 ──自然エネルギへの転換、か。可能なんだろうか。

 難しい顔で机に向かっている兄に、そのときシェルェント゠ウヴ゠アリエンは声を掛けずに退室し、自分でいろいろと調べて、断念した。が、竹神音との出逢いを経て、今に至った。

 魔導具は魔導電力でしか動かないと思っている者が多いが事実誤認だ。魔導電力は雷属性魔力、ずばり電力そのものである。自然エネルギによって生み出された電力でも魔導具・魔導機構を動かすことが可能だ。国王もその知識を隠しているわけではないが広めようとはしていない。その時点で、事実誤認に誘導することを意図したか、事実誤認に誘導できていることをよしとしたといえよう。

 それらの状況と竹神音から聞いた自然エネルギ発電所の建設可能性などの情報を、シェルェント゠ウヴ゠アリエンは兄妹に共有した。

「──。それはそうと、お姉様」

 ユリが兄から杖を受け取り、ベッドの少女を見やる。「その子は、どうするんですか。匿うのはリスクがありますよ」

 自分より幼い少女への心配もそこにはあった。シェルェント゠ウヴ゠アリエンはユリの成長に応える。

「代替エネルギの供給環境を整えることで王や議会を納得させて彼女の安全を確保します」

「行動が必要だ」

 ヴォルが竹神音を窺う。「竹神殿のお力添えは、いただけませんか」

「俺はシェルに要らん色を零した黒い端切れ。導きの表布(おもてぬの)が映えても、裏布(うらぬの)が黒一色ではね」

「ぼく達が挑んで変えなければ意味のない事。仰る通りです」

「少し、出し惜しみを感じます」

 と、ユリが唇を尖らせた。「アナタ、お姉様に要らぬ話を吹き込んだという自覚があるなら手伝ってはどうなんです」

()だ、メンドー」

 と、竹神音が駄駄を捏ねるような態度。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、深くうなづいた。

「ユリ。直接の繫がりが判明すれば、わたし達が発電所襲撃の主謀者とされかねません」

「あ……そんなことになったら、王族であっても……」

 国外追放なら儲け物。処刑の危険性すらある。行動をともにするリスクがあまりに大きい。

「それに、竹神様はわたし達の力を信じているんですよ。ね、兄様」

「ああ。ユリ、お前はこの状況をきちんと理解し行動できるな」

「無理解と言っては過去の自分を裏切るようなものです。解ってます、勿論」

 王支持派だったユリを引き込むことができた。シェルェント゠ウヴ゠アリエンは魔法に自信があるが、国民を惹きつけるような魅力を持っていないと常常感じていた。欠けた魅力は、兄ヴォルや妹ユリが持っている。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは少女を一瞥、決意の目差で兄妹を捉えた。

「わたし一人では民を導くことができないと考えていました。魔法が使えても弁は立ちませんし、潜在的に自信が欠けているから……。弁の立つ兄様と自信家のユリを加えた三人ならば、導けると考えています」

「自信家というのは少し違うと思いますけど」

 ユリが愉しげに微苦笑して、「自信はありますよ、日頃、勉強も特訓も誰よりもやっている自信が。そんなわたしをも凌ぐ魔法の実力がお姉様にはあると、わたしが認めます。お兄様が口達者だというのはいたく感じましたよ、……特に竹神様に対しての態度、普段のお兄様とは別人のようで驚きました」

「そうか。ぼくは弁が立つだなんて考えたこともなかった。努力に裏打ちされたユリの自信、シェルの魔法の実力や民を想う心、ぼくはそれが確かなものだと認めている。三人なら、と、いうシェルの言葉は、王族の三兄妹という肩書もさることながら補完性においても重要だ」

「ユリ、兄様──。わたしと一緒に、王に、議会に、体制に、立ち向かってくれますか」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンの問掛けに、兄妹が笑みとともに首肯した。

「当然だ」

「やってやりましょう、お姉様!」

 中核メンバが固まった。

「では、早速ですが動きましょう」

「まだ日がある。少女を動かすのは、国王の目を避けるにも就寝時刻のあとだ」

「お兄様、まずはスラムへ行きませんか。竹神様が言っていたという地下空洞を──、あれ、竹神様はどこへ」

 ユリが振り返るが部屋に竹神音の姿がない。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは驚くこともない。ひとびとを導く光となるためには、目標に邁進せねば。

「彼もいろいろと忙しいのです。わたし達は、わたし達の国を見つめましょう」

「……そうですね。お兄様、どうします」

「ユリのいうように、まずは現地確認だな。そちらはシェルと行ってくれ。ぼくは国王の目に留まらぬよう、企業を当たる」

「何かと企業の力は欠かせません。兄様、そちらの交渉、お任せします」

「ああ。シェル、西区には独特のルールがある。気をつけて行け」

「驕りは危険ですね。慎重に行きます」

「そうしろ。ユリもほどほどにするんだぞ」

「お兄様にいわれなくとも」

 微笑が重なる。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、少女の枕許に一つの魔導具を置いた。

「部屋に鍵を掛けますが、念のためこれを置いていきます」

「魔力反応を打ち消す魔導具だな。道理で少女の魔力を感じない。それで少女の魔力反応を消していたんだな」

「お父様に気づかれないためにも、そうするのがよさそうですね。けれどお姉様、その子はその、目が覚めないんですか」

 ユリが躊躇いがちに訊いたのは、シェルェント゠ウヴ゠アリエン達が傍で話していても少女に目覚める気配がない。

「鍵にして原料。魔導電力供給のために体を痛めつけられていたんですよね……」

 今は傷跡のない少女。竹神音が治療する様子をシェルェント゠ウヴ゠アリエンは観ていた。

「無理やりに魔力を奪われていた。その傷は、見るに堪えないものでした……」

 

 父王に連れられて視察した魔導電力発電所の深部、逃げ道を塞ぐような無機質な壁で閉ざされたそこに少女がいた。その姿を観た途端爪先をぎゅっと固めていたシェルェント゠ウヴ゠アリエンは、足場の硬さで肌が引き攣ったようになって、息ができなくなった。無感情に吊るされたケーブルが、少女の頭部に突き立てられている。痛みのない表情が却って──。

「んっ、ぅ……」

「吐いて済むのであれば吐くのである。王族が目を背けず見つめるべきものである」

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンは、あまりの恐怖に震え上がって、腹の底から湧き上がるような堪えがたい吐き気がした。それでも、父王に言われたからでもなく、少女の姿を見つめ、目に焼きつけた。自ら観なくてはならない。そう思ったのだ。

「これがレフュラルの光源である」

「こ、光源……、(わたしよりも、ずっと幼い子に、こんな……)」

 吐き気とともに、涙が止まらなかった。自分の生活が、国民の生活が、物言わぬ少女の犠牲で成り立っていた。その事実が伸しかかって、苦しかった。

「聴くのである、我が娘シェルェント゠ウヴ゠アリエン」

「──」

「背負え。余ら王族にはその責務がある。逃れることはできぬ」

 

 その当時は、現実に立ち向かう勇気が湧かなかった。ただ、責務から逃れる気も起きなかった。

 何をしていいのか判らなかった。重苦しい現実に押し潰されるままだった。ただ、このままではゆけない。それだけは解った。

 

 ……あのときの少女の頭部と、この少女の頭部の怪我は酷似しています。

 少女の治療が終わるまで蒸せ返るほどの血のにおいが部屋を漂っていた。シェルェント゠ウヴ゠アリエンが口に手を当ててそう伝えると、兄が俯き、妹が青ざめた。

「そんな犠牲の許で、ぼく達は生きてきたんだ、ときに何も知らず、安穏と」

 ヴォルが拳を固めた。「今もまだ知らない者がほとんどだ。信じる者はおるまい。人間は信じたくない認識から遠ざかるものだからそれを否定できはしない。だからぼく達がより自然な形へ、体制と意識を導く。シェル、ユリ、そのために、──行くぞ!」

 怒りの拳。

 シェルェント゠ウヴ゠アリエンとユリも、同じように拳を固めていた。

 三人は決意とともに、成すべきことへと踏み出した。

 

 

 目を瞑った一瞬で見逃してしまったかも知れない、残像。それを捉えた優れた動体視力はネペル・ワリンに引けを取らないとして、彼が受け取った書類とは異なる形でフェルェール゠ウヴ゠オルオは奇跡の少年からプレゼントを受け取っていた。

(夢を叶えるには、ひとの優れた力を密かに集めてください)

(言葉真殿──)

(現王エント゠ウヴ゠エリーの子、レフュラル一六世)

(!)

(考え続けてください。皆のための力は既にあるのですから)

(──)

 助けられてゆく者に自己を重ねてテレビ越しの間接的な救いを得てきたそれまでとは一線を画する力強い言葉だった。至極当然だった。それは自分のみに向けられた言葉だ、と、フェルェール゠ウヴ゠オルオが感じたからだ。

 

 ……いま思えば自惚れていたな。

 かつての彼の言葉は、自分に向けたものであると同時に自分と手を取り合える妹に対してのエールだったのだとフェルェール゠ウヴ゠オルオは今日に至りようやく吞み込めた気がした。

 ……年少者、それも妹が二人、仲間に加わっただけだというのにな。

 心強いことこの上なくなるのは、そのたった二人のお蔭だ。

 供給電力減少によって仄暗い室内。

 部屋に一つの大きな円卓、窓際の隣席に座った男性にフェルェール゠ウヴ゠オルオは自然エネルギへの転換を訴えた。魔導電力の真実を男性が知るか否か、探りながらの訴えであった。

「──。おまえ方にも不便があろう。わたしがここへ来たことは内密にしてくれ」

「仰る通りに。ご提案に今すぐ応えることはできません。魔導電力発電所を捨て置くわけにも参りません」

「(国王の意向に副わぬから。)こちらとてただちに着手せよという話ではない」

 三大産業の一つ(セント)産業(さんぎょう)社長(セント)(つよし)がフェルェール゠ウヴ゠オルオへ体を向けて話した。

「可能な限り魔導電力発電所へ意識を向けさせましょう」

「おまえにできるのか」

「わたしだけでは議会の目を欺くのが限界。三大産業が揃ってならば、いかがですか」

「交渉を委ねろと」

「はい。義理の息子の言葉を聞き、改めて考えさせられたことがございます」

「何を再考した」

「わたしの靴底も闇を踏み締めています──」

 聖毅が膝に置いた両掌をぐっと握り合わせた。義理の息子で聖毅に影響を与えるほどの発言ができるのはただ一人、竹神音だろう。全てを見通していたかのような竹神音の行動に、フェルェール゠ウヴ゠オルオは湧き上がった感動と感謝が止まらなかった。

「王家に、王族に、フェルェール゠ウヴ゠オルオ様のような光が射しました。わたしは、土と水を用意せねばならないと考えます」

「育つべき(さね)は民だな」

 フェルェール゠ウヴ゠オルオは、聖毅の両眼を視る。その瞳に、汚れはない。「その眼を信じよう。やってみせろ、必ずだ」

「仰せのままに」

 聖毅が最敬礼し、顔を上げると尋ねた。「次はどちらと交渉を」

「おまえが行ってくれるのだろう。この件を進めるに当たり、おまえの顔が初めに浮かんだ。おまえが応えてくれるならほかはどうにかなる。そう考えた」

「光栄です。──恐縮ですが、一つ、大事な問がございます」

 聖毅の改まった申し出に、フェルェール゠ウヴ゠オルオはうなづきで応じた。

「この国の姿勢、魔法と魔導に依存する姿勢はそもそもなぜなのか、お考えになったことはございますか」

「ふむ──」

 フェルェール゠ウヴ゠オルオはその問を言葉真音の存在を知ったときに思ったものだった。答は当然に出ている。

「畏れの欠如ではないか」

「……恐縮です」

「構わん。我が父、国王にこそ欠けているものだと考えているのだ。わたしは、国民が正しく畏れをもってこの世界に生まれ、生きることを望んでいる」

 畏れとは、何かを恐れ、尻込みする思いのことである。それは自身に潜む汚い考え方や心でも構わない。レフュラルの民の多くは、魔法によって自然を調伏し、魔導を介した精霊との共和を得て、およそ意のままにならないものはないと思い込んでいる。誤りだ。レフュラル表大国が広めた魔法は自然を破壊し、魔導は偽りの主従関係を精霊に強いるばかりだ。

「民はもっと畏れるべきなのだ。己に巣食う欲望、足下に横たわる陰より濃い闇を」

「──無垢なる命が、魔導電力発電所を覆う闇です」

「(やはり知っていたか。)だからこそ、おまえはやってくれる」

「お任せください。必ずやり遂げます」

 聖毅と交渉先のCEOの協力があれば、魔導電力発電所再建を建前に自然エネルギの開発と供給施設の工事・整備を進められる。

 リスクは無論ある。認可のない発電事業を展開するのが違法という点だ。現体制から不正を指摘されれば聖毅達の人生が狂い、フェルェール゠ウヴ゠オルオ達の計画が頓挫してしまう。

 ……慎重かつ迅速に行動せねば。

 聖産業本社ビルをあとにしたフェルェール゠ウヴ゠オルオは、その足で西区へと向かった。

 

 

 周囲の野良猫や野良犬のリーダとでもいうように、眼前の大男は太太しい。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは隣空間から思わず杖を取り出してぶん殴ってやりたくなったが衝動的になってはならないとは魔法学でも散散学んだ。つい衝動的になって竹神音に制されてしまったことがいい経験になった。

「ここを通してくださいと何度言えば気が済むんです」

「ダメだなぁ。余所者を入れるわけにゃいかねぇぜぇ」

 わたしを誰だと思って!と、言うのは姉に止められていたのでなんとか吞み込んだ。その姉シェルは西区に入る直前どこかへ行ってしまって戻ってこない。

 ……お姉様、いったいどこへ。こうなったらもう実力行使で行くしか。

「おめぇ、魔術師か」

「へ」

 大男が顔を迫らせて見下ろすので、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはぎくりとした。はいそうです、と、答えたらなんだかまずそうな予感がした。

「魔術師だったら何かする気ですか」

 と、気丈に問い返すことはできたが、大男の目差の野獣感に身震いしそうだった。

「ふん、魔術師なんぞに碌なモンはいねぇ。この世を制したような気になってるバカモンばっかで鼻持ならねぇ」

「ば、バカモンとは。魔法の勉強もそれなりに大変ですよ、精神集中だの心穏やかであれだのと理屈めいたことを延延グダグダぐじぐじ説教のように繰り返されるんです」

「ん〜、やっぱりおめぇ魔術師か」

「ひっ!」

 迫る大男に思わず腰が引けたチェルェント゠ウヴ゠ユーリエだったが怺えた。「そ、そうですよ、何が悪いんですか、魔術師だってピンキリなのにバカモンと一括りにして観ないことですっ。わたしはバカモンに収まるつもりはないですしってかバカモンじゃないっ!ですっ!」

「う、うむぅ」

 勢いだけのチェルェント゠ウヴ゠ユーリエに大男がやや気圧された。「決めつけて悪かったなぁ」

「(り、理解された、のか。)解ればいいんです、ええ……」

 荒れた道路の真ん中で睨み合うようにしていたチェルェント゠ウヴ゠ユーリエと大男は、やや距離を置いて顔を合わせる恰好となった。

「おめぇ、魔術師なんだよなぁ」

「え、ええ、そうですよ、噓ではないです」

「そんなちっこいのにか」

「背の大きさは関係ないっです」

「ああ、いや、おっぱいな」

「なぁあっ──!」

 このヤロー(!)……こ、怺えろ!

 叫びそうになった。目ん玉が飛び出るかと思うくらい息を止めて歯を食い縛ったチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは、

「ふーんッ!」

 と、鼻で息を整えて口を開いた。「魔術師には男性もいるでしょう、胸は関係ないわけですよ!ねッ!」

「おぉ、それもそうだなぁ。こりゃ一本取られたぜぇ」

 ……く。理解されているのが逆につらい。

 心の中で一本取られっ放しのチェルェント゠ウヴ゠ユーリエだが一つ気になった。大男に懐いているふうの野良猫・野良犬は西区で異常繁殖でもしているのだろうが、そちらではなく。

「あなた、魔術師に怨みでもあるんですか」

「いいやぁ、怨みじゃねぇが、馬鹿とは思っててなぁ」

「馬鹿、ですか。(バカモンに、馬鹿に、どちらも貶しているようだけど、)なんでそう思うんですか」

 寂れた町並。割れたガラス窓の奥から時折誰かが覗いている気配があり、いつ何が起こるか知れずチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは警戒していたが、少なくとも目の前の大男が罠を張っているとは感じない。天然系の人物で、やや頭の回転が遅そうだが普通の人間だと感じた。そんな相手なら会話できると思って話を振ったのである。

「言っておきますが魔術師は頭を使わないといけない職業ですからね」

「そうかぁ。だがよぉ、動物の世話はできねぇだろぉ」

「動物」

「そだよぉ。ウマとかなぁ、ブタやウシよぉ。世話できるかぁ」

「ウマぁ、ならなんとか。乗馬は経験がありますよ」

「いや、いやぁ、そういうんじゃなくてなぁ、餌やったり、毛繕いしてやったり、ボロ拾いしたりよぉ、世話ってのはそういうんだぁ」

「餌やブラシくらいならできますが、ボロってなんですか」

「ほら、ケツの穴から出るボロだよぉ、知らねぇのかぁ」

「ふぇぇっ、(う──、ですか)」

 ご丁寧に自分の体を動かして大男が説明してくれたので誤認なし。知らないことを聞くにも注意が必要だとチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは学んだ気がする。

「で、でも、それの世話ができなかったら馬鹿っていうのはいくらなんでもひどいんじゃないですか。動物なんてもとは野生。世話されなくても生きられるものですよ」

「うぅむ、魔術師んちの庭なら餌あるんだろうし世話人なんかがいるんだろうからなぁ。けどよぉ、魔物も出るような町の外で世話人なしじゃなぁ。オレ達ゃその世話人側なんだぜぇ」

「あ……」

 大男に魔力はない。無魔力個体は、永遠に魔法を使えず、当然、魔術師にもなれない。「あなたに取って動物の世話は、生きるための当然の経験、そして知識なんですね」

「そぉ、そぉぅ。そんなことも知らねぇで、魔物を倒せりゃどうでもいいって魔術師は思ってんだろぉ、バカモンだよぉ」

「いや、でも、専門外のことはあなたも知らないでしょう。それと同じことです。知っているひとがやればいいんです、責任ある仕事を分担しているんですよ」

「じゃあよぉ、魔術師はなんでオレ達を見下してくんだぁ。世話しても給料もらえねぇし、下男(げなん)だと判りゃ挨拶すらねぇ。そんな態度よぉ、間違ってねぇかぁ」

「っ──」

 大男は、差別や格差を体験してきたのだ。その上で導き出している答を、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは間違っていると断言できないどころか、正しいと感じた。

「いいところを衝いてますね。あなたの意見、もっと聞かせてくれませんか」

「うぅん、いいけどよぉ、そろそろヤギが岩場から帰ってくる頃だから迎えに行かねぇと」

 持っていた鍬を軒先に立てかけて大男が西へ歩く。役目を終えたということか、野良猫・野良犬が散会して足許がすっきりした。

「ちょ、ちょっと、ここ、通っていいんですか」

「あぁ、いい、いい、通ってくれぇ」

「えっ。余所者だから通さないとかなんとか言ってませんでしたか」

「んやぁ」

 大男が振り向きざまににっこりと笑った。「魔術師だけどぉ、嬢ちゃん、話してみたら面白ぇいい子だぁ。そんな子を通せんぼすんなぁよくねぇって思うんだ。みんな気に入んじゃねぇかと思うしよ」

「ど、動物の世話もできないバカモンですけど」

「専門外なんだろぉ。嬢ちゃんがいったように、知らねぇことは仕方ねぇんじゃねぇかなぁ。責任持てるようになってからでいいと思うんだぁ」

「──そうですか」

 結局通すなら最初から通せばいいのに、などと、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは考えられなかった。

 ……このひとは、きっと、他人の心を観ているんだな。

 見知らないひとを自分の家や庭に入れたくない。気持はそれと近い。相手に悪意や敵意がないと判れば、手を差し伸べて握手しようとする。それが人間というものだろう。

 ……そんな当り前を、わたしは、知らなかった気がする。

 特に他人に対して。

 王族の立場は上下関係が付き纏った。家族間でもそうだ。生まれたときから両親は一番偉いひと達であって父と母という一般的な存在に当て嵌めて捉えることができなかった。甘えようとしたこともあったが自分にない強い光を感じて甘えられなかった。つい先程この国を変えんとする意志を束ねる前まで兄姉も目上でしかなかった。ずっと壁があった。その奥の輝きを仰ぐようにして視ていた。及ばないとは解っていても努力は続けてきた。壁を崩すなんて、波長を合わせるなんて、ともに輝ける日を夢見るだなんて、思いもしなかった。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエが今日にして知った歩み寄る関係を、大男は出会って一時間も経たない余所者の魔術師と築こうとした。自分の境遇から学んだことを曲げてまで。

 のっそのっそと大男。その横をとことこと歩いて、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは真剣に尋ねた。

「なんで自分の考えを簡単に曲げるんですか。わたしは……、あなたが馬鹿にしている魔術師の一人だと認めます。わたしがよからぬことを企んでいたりしたらあなたは痛い目を見ますよ、それでもいいんですか」

「んぅん、なんだぁ、嬢ちゃん、悪い子なのかぁ」

 きょとんとした目でそう言う。

「いいえ、その、そういうわけじゃなくて……」

「いいの、いいのぉ。オレぁよぉ、頭がいいとはいわねぇが、これでも人を見る目はあるっていわれんだぜぇ。オレもよぉ、それは自信がある」

「これまでに、たくさん騙されたりしてきたから、ですか。経験に裏打ちされている、とか」

「難しく考えたこたぁねぇけど、そうだなぁ、まあ、結構なもんだぁよ。ウマを勝手に売られちまったときにゃさすがのオレも泣きそうになっちまったぁ」

 苦笑で話すようなことではない。それを仮に企業間で行ったのなら訴訟問題に発展する。

「世界魔術師団に訴えたんですよね」

「いいやぁ」

「魔術師が嫌いだからですか」

「そうだなぁ、そんな感じだぁな」

「……なんで訴えないんですか」

「ウマには申し訳ねぇけどなぁ、それは世話主のオレがよぉ、しっかり相手を選んでなかったから駄目だったんだ。おっかぁにもドヤされて勉強したよぉ、くわばら、くわばらだぁ」

 大男が不意に天を仰いで言うのは、「それにだ、人様を騙すようなヤツにゃそれなりの報いがいつかやってくるもんじゃねぇかなぁ。天誅なんて神話じみたこたぁいわねぇが、商売にゃ信用が大事だろぉ」

「……はい。商売に限らず、人間は信頼関係が大事だと思います」

 それが、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエを中心とした相関図にはなかったといっていい。

 ──あなたは恐れている。

 ──己の知らぬ、下層の者、知識、精神、行動を。

 ──ときには、恐れず、踏み込むことです。

 ……竹神様、アナタの、いう通りです。

 悔しいが。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはずっと踏み込めなかった。己の知らぬ何かがあると知りながら、手の届く範囲でしか踏み込むことができなかった。石橋を叩いて渡る。慎重な性格とも表せられるが竹神音の言葉こそ真実。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは、恐れていたのだ。

 大男の横顔はのんきなはずなのに、凛凛しく、雄雄しく、逞しい。そこに、積み重ねてきた責任と経験、自信があるからだ。太太しく見えたのは、貫禄だった。

「あなた、名前はなんというんですか」

「おぉ、そういやぁいってなかったなぁ」

「わたしはユーリエといいます」

「オレは畜産農家のゲカワ・ミトンってんだぁ、よろしくなぁ、ユーちゃん」

「ゆ、ゆーちゃん」

「あぁ、オレのことぁミトン屋のゲーちゃんとかゲーさんで通るからぁ、そう呼んでぇ」

「は、はい、ゲーちゃんさん、あ、あれ」

「っはははは、ユーちゃん、やっぱ面白ぇ子だぁなぁ」

「そうです、かね」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエがつられて笑ったところで、

「お待たせしました」

 と、後ろから姉シェルがやってきた。「ゲーさん、お久しぶりですね」

「おぉ、シエちゃんやぁ」

 ……シエちゃん。

 目を丸くしたチェルェント゠ウヴ゠ユーリエの横で、大男ゲカワ・ミトンがシェルを見下ろしてにこにこ。

「もしかしてユーちゃんはシエちゃんの知合いかぃ」

「はい、妹なんですよ、ほら、どことなく似ているでしょう」

 シェルが顔を並べた。

「うぅむぅ……オレぁ顔を見比べんのが苦手でよぉ。いやぁまさか姉妹とはなぁ、驚いたぁ」

 ゲカワ・ミトンが首を傾げてしまった。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはシェルを窺う。

「お姉様、ゲーちゃんさんと知合いなんですね。もしかして、ゲーちゃんさんと結託してわたしを試したりしました」

「ゲーさんの名誉のためいいますが結託していません。が、ごめんなさい。兄様が言っていたでしょう、ここにはルールがあると」

「それって、なんなんですか。わたし、なんのことだかいまいち解ってないと思います」

 門番のようなゲカワ・ミトンに認められて西区への入場を許された。それは理解しているが西区のルールというものがなんなのかはさっぱりだ。

「それならそれでいいんですよ。ユリは、自然体でここにいていいということです」

 先程のゲカワ・ミトンのようにユリは首を傾げるしかなかった。

 変らず象のように歩くゲカワ・ミトンがシェルに尋ねる。

「今日はなんの用だねぇ。ヤギのミルクなら採れたてがオススメだぞぉ」

「今日は別件です。前前から陥没地帯があるという話をしてましたよね」

「ああ、あるよぉ。危ないから(ぼう)達にゃ近づくなぁって言ってんだけどぉ、遊び場にしちまってて参っちまう」

 坊とは子どものことだろう。

 道路の陥没したところが一部、地下空洞に繫がっている。そこで水力発電や地熱発電が行えるか視察するのがチェルェント゠ウヴ゠ユーリエ達の目的なのだから、

「姉様。子どもが遊び場に、って、絶対ダメですよね」

「いろんな意味で駄目ですね。整備作業するにも不便があるでしょう」

「おぉ、シエちゃん達が埋めてくれんのかぃ」

「埋めるかどうかを決めるために、まずは内部を視察するんです」

「洞窟みたいなのに繫がってんだってなぁ」

 ……ゲーちゃんさん、地下空洞のことを知っているのか。

 子どもを介して大人も知っているということだろう。ゲカワ・ミトンが両手を合わせた。

「もっと穴が広がったら大変だし、シエちゃん、よろしく頼むよぉ」

「それでゲーさんにお願いなんですが、地下空洞を見つけたひとを教えてくれませんか」

「ガテン屋の坊だぁ。やんちゃでよぉ、今も穴を出入りしてんだぁ」

「ガテン屋の坊。名前はなんというんですか」

 と、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエが尋ねると、ゲカワ・ミトンが不思議そうな顔。

「坊は坊だぁ。ガテン屋のテンちゃんの息子だよぉ」

「子どもは漏れなく()なわけですね。(顔もそうだが名前を覚えるのも苦手なのかな)」

 テン・ガテンとやらの息子と判ったのでよしとする。

 ゲカワ・ミトンと別れたチェルェント゠ウヴ゠ユーリエ達は日が暮れかかった頃テン・ガテンを探し当てることができた。西区全体で指せば中央辺りに位置する廃墟の中に寝転がったその男性は、ゲカワ・ミトンと正反対の小男、やや陰険そうな顔立ちで、

「誰だ、テメェら」

 口が悪い。彼に取って家であろう場所にずかずか上がった身なのでチェルェント゠ウヴ゠ユーリエ達は強く出ない。ゲカワ・ミトンの周りにいたように、野良猫・野良犬がそこかしこに寝転がっており──。

「あなたがガテン屋のテンちゃんさんことテン・ガテンさんですか」

「テンちゃんなんて呼ぶのはミトン屋くらいだな。一応話は聞いてやる」

 ゲカワ・ミトンの目は本人がいう通り西区の人間に信用されているらしい。テン・ガテンの態度が軟化したことで、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは少し肩の力を抜けた。

 シェルが話してもいいことであったが、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは任せてほしいと言ってここに踏み入った。

「テンちゃんさん」

「その変な呼び方やめねぇか」

「いいじゃないですか、なんとなく可愛くて」

「大の大人摑まえて可愛いも何もねぇだろ」

「そんなことより話ですが、テンちゃんさんの坊さんが見つけたという地下空洞に案内してほしいんです」

「坊にさんはやめろや。で、なんだってあそこに。落盤の危険性もある。坊どもにも入るなと言ってる。それを案内なんかできるかよ」

 親の立場。言ったことを自らが守らなければ示しがつかない。

「遊び場にしているんですか」

 と、シェルが尋ねた。「そうだとすると、補導案件かも知れません」

「テメェら魔術師団の連中か」

 世界魔術師団はレフュラルの警察組織であるから、未成年者の補導や指導も行っている。世界魔術師団の上には議会があり、王族があるのだから、全く無関係ということはなく、まじめな姉は指導に前のめりだろう。

「魔術師団所属ではありませんがわたし達は魔術師です。ご存じのことと思いますが魔術師は教員資格を持つ一教育者でもあります。子ども達の指導をしたく思います」

「ゲーのヤツ、厄介なヤツらを招き入れやがったな……、いや待て、特徴が似てる。テメェがシエちゃ、あいや、シエとかいう女か」

「はい。ゲーさんから聞いていますか」

「まぁな、妙にまじめくさった女魔術師がたびたび来るってよ。付き合うなって釘を刺したのにあんのヤロー……」

 そう言いながら、テン・ガテンがチェルェント゠ウヴ゠ユーリエとシェルをじっと観察し、語る。「性根の腐った連中ってのはなんとなく判る。ここにゃそんなヤツがごまんといるし、魔術師にゃひとを虫けらみてぇに見くだす連中が多い。そんな中でテメェらは違うな」

「魔術師だからって、ひとを見くだすバカモンばかりではありませんよ」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは微笑した。「ついさっきまできっとわたしも正真正銘のバカモンだったかも知れませんが、ゲーちゃんさんと話したらなんだか心が洗われた気がしたんです」

「ふっ、なんだそりゃ。あんなオッサンと話して心洗われたなんてヤツぁ初めて見たぜ」

 笑ったテン・ガテンは顔立ちに反して好印象である。「あぁ、まぁ解るぜ、アイツ、アホだからなぁ、ほっとけねぇってか……、ま、それはいい」

 右手をついて立ち上がったテン・ガテンが奥へ向かう。不自由そうな左腕が目に留まったが「ついてこい」と手招きされたのでチェルェント゠ウヴ゠ユーリエはシェルとついてゆく。

「ごまんといる腐った連中に見つからねぇよう家ん中から行くぞ」

「陥没地帯は家の中から行けるんですか」

 テン・ガテンが頭の上で手を回して全方向を示す。

「家ん中だって外と大して変わらねぇ廃墟だぜ。魔術師だったら解んだろう、こうなっちまってる理由ぐらい」

 ……国の、方針だから。

 魔法や魔導の発展に貢献した者とその子孫が栄えた一方で無魔力個体は教育から爪弾きにされて職に就くこともままならなくなっていった。貧困層の集まりだった西区は貧した無魔力個体の行場ともなり、貧しさに拍車が掛かるにとどまらず福祉にも見放されるようになった。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはそのように学んだ。福祉というのは国の在り方である。その福祉が見放したということは、国が西区の住民を国民として扱っていない、と、いうこと。

 暗い廊下を進むあいだ、そのように話したチェルェント゠ウヴ゠ユーリエに、テン・ガテンがぼそっと、

「テメェも、人がいいんだな」

「え……」

 聞かせたつもりのない言葉だったのだろう。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエにテン・ガテンが言い直す。

「馬鹿正直といってもいい。騙されてんじゃねぇのか」

「どういう、ことです」

「西区はな、単に福祉に切り捨てられたとか、そんな浅い歴史を刻んじゃいねぇよ」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは、その言葉から背中が凍りつくような恐ろしさを感じた。

「テンちゃんさん、その歴史って、なんですか」

 歩みを止めることなくテン・ガテンが語った。

「五〇過ぎのオレやミトン屋のゲーが生まれるよりずっと昔のことらしいから、詳しいことは判らねぇ。けど、もともとが貧民街だったらしい西区(ここ)に多くの人間が流れてきた時代があったそうだ。そこには、貧しいヤツばっかじゃなく魔術師や有魔力も含まれてた。だが揃って、着の身着のまま、まるで夜逃げでもするようにやってきた」

「魔術師や有魔力が、なぜ。富める者達が着の身着のまま……。テロにでも遭ったんですか」

「ある意味そういうこともあったかもな。なんせ、何千万人って人間が押し寄せたらしい」

「な……。現在の人口が二億人超。大昔、もっと少ないはずのレフュラルで何千万って」

「ケツから言って、信仰撲滅だ」

「信仰、撲滅──」

 魔術師や有魔力個体の夜逃げめいた話もそうだが、信仰撲滅など、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは聞いたこともない話だ。

 対して、シェルが反応した。

「それは失った史実だと思います。調べた限り、何百年も前にレフュラル表大国から信仰の二字が消えています。その時代、魔法と魔導が普及したのだとは複数の書物に散見できます」

「信仰が消えたって。そんな大掛りなこと……、まさか、王家や議会が先導したんですか」

「そんな記録があったらよ」

 テン・ガテンがやや振り返って、「とっくに潰しに掛かってるぜ、オレ達の先祖様がな」

 王家や王城議会が信仰撲滅を掲げた記録がどこにもないのが現状。だが、シェルの調べによれば、信仰撲滅を先導したような痕跡があったわけである。

「大事なピースが欠けているとはいえ、王家や王城議会の関与は確実でしょう。何千万もの民が西区へ追いやられたという話は度が過ぎていますが、火のないところに煙は立ちません。西区の現住民の数や廃墟群の劣化具合から、少なくとも一〇〇分の一以上の規模で動きがあったと推察できます。何より、テンさんはその話を信じていますよね」

「当然だ。根拠なんかなんもねぇけど、先祖様がわざわざ伝えたことだぜ。現に、オレ達には今も信仰があるんだ。噓八百にしてはできすぎてるだろ」

 ……そういえば。

 傍らに鉄パイプがあったので廃墟のなごりと思ってチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは気にも留めていなかったが、テン・ガテンがいた廃墟の隅に小さな祭壇と神らしき像があった。鉄パイプは自衛に、祭壇と像は信仰儀礼に、それぞれテン・ガテン達が用いているのだろう。

 古くは海路を結んでいたという内海〈旧月(きゅうげつ)入江(いりえ)〉に接した西区はかつてのなごりか堡塁がない。それでも圏外と直通の陸路がなくほぼ聖域の中なので魔物は勿論、国外の敵性分子の侵入もほとんどないとされている。要するに、自衛は主に、信用ならない人間に対するもの。

「鉄パイプは自衛の武器でしょう。持ってこなかったのはどうしてですか」

「あれは外敵用だからな」

 ……魔術師でも、わたし達を信じてくれているんだ。

 国外の敵性分子などと比べて話せば解る、と、考えてもらえる程度には。

 ……小さな信用を、確かな信頼に変えてもらえる方法は、ないんだろうか。

 王族の自分達には西区の状況をよくする責任がある。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはそう考えずにはいられなかった。

 曲り角を抜けた先、やや開けたところで壁寄に歩いた。床が抜けており、奥が見えない。吹曝しの廊下に()()と、屋外に出たように夜が身を包んだ。

「テンちゃんさん。あなた達は、いつもこんなところで暮らしているんですか。碌に雨も凌げないじゃないですか」

「風はともかく雨は凌げるぜ。屋根さえ作ればだけどな」

「……左腕、不自由なんですよね」

「オレは鳶だからよ、高いところは平気だし、片手が動けばトンカチくらい持てる。釘は口だし、番線ねじれりゃ足場の固定なんかもできる。慣れりゃどってことねぇ」

「暮しが楽ということはないですよね」

「そりゃな。ウチは坊が三人いてな。遅くに生まれたからまだ食い盛りだ。ミトン屋なんかにはいつも飯で助けられてる」

「お金はどうやって工面しているんですか。ゲーちゃんさんにも払っているんですよね」

「西区の連中同士でローテンションみたいなもんだ。仕方ねぇよな、余所から金が入って来ねぇんだから。ゲーのヤツは受け取りたがらねぇから、あいつのカミさんにこっそり渡してる。それだっていつもってわけには……、情けねぇ話だ」

 再び開けた場所に出た。そこで脚を止めたテン・ガテンが瓦礫の傍に空いた穴を指差した。

「着いたぜ、ここだ。この穴から地下空洞に行ける」

「奥へも案内してもらえませんか。地下水脈があるという話です」

「……、あれが目的だったか」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエの要請に対するテン・ガテンの言葉に、シェルが気づく。

「テンさんも入ったことが。地下水脈を見たことがあるんですね」

「……ここまで来て隠すことでもねぇな。そうだ、見たことがある。──」

 テン・ガテンはお世辞にも綺麗な恰好とはいえず、息子もそうであったらしい。そんな息子が突然綺麗になって帰ってきたことがあったとテン・ガテンが話してくれた。

「──。で、問いつめたら地下空洞の奥で川を見つけたんだとよ。地下水なんかにゃ劇薬が入り込んでたりして危ねぇこともあるって先祖様がいってたからよ、ちょっと調べたわけだ」

「坊さんを厳しく見張っていないということは、毒などはなかったわけですね」

「逆に、良質な水だった。オレはそれを汲んでって飲み水として売ったりしてる。今は鳶よりそっちのほうが稼ぎになってる」

「子どもを育てるのに手段は選んでいられませんからね」

 シェルが理解を示し、「では、その川に案内してください。わたし達は、どうしても観ておきたいんです」

 テン・ガテンが穴を見下ろし、しばらくして額を押さえた。

「……帰ってくれねぇか。地下空洞に案内するだけならよかったが、今や、水は命綱だ……」

 テン・ガテンが振り向き、鋭く指摘する。「テメェら、ただ見たいだけじゃねぇんだろ。判るぜ、なんかに利用しようとしてることは。それもたぶん、一家を支えるとか、そんな、ちっぽけなことじゃねぇんだろうよ……」

「(ちっぽけ……。)地下水脈を利用した電──」

「言うな!」

 テン・ガテンが首を振った。「テメェらの事情なんざ知ったこっちゃねぇ」

「テンちゃんさん……」

 生きるために、手許の小さな世界を選び取ったテン・ガテン。そんな彼が最大限譲歩してくれている、と、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはひしひしと感じた。

「……お姉様。なんとかなり……、いえ、なんとかしませんか」

 姉を向き、理想論だろうか、提案をした。

「テンちゃんさんや坊さん、もっと広くいえばミトン屋のゲーちゃんさんやほかの西区のみんなを巻き込んで、お金もそうですけど、利があるようなこと、できませんか」

「……具体性に欠けるものの、同じことを思いました」

 シェルが、先程のテン・ガテンのように額を押さえ、溜息をついた。「けれど、わたしにも案がありません。そもそもわたし達の行動はまだ、謂わば、設計図を書いている段階です。理想の定規で書いては、現実との齟齬で失敗に終わる危険性が高まるでしょう」

「わたしだってそんなことは解っていますが、……それでも、なんとかしたいんです」

 自然エネルギへの転換や開発を考えていることが理想の次元だ。国王に知られれば一瞬で潰されよう、無謀とさえいえる計画だ。ならいっそのこと理想的な図を、みんなが幸せになれる設計図を書けないのか。理想を描けても行動に移すことができない、理想を手放すことしかできない、信仰に託して生を繫いでいる──、そんなひとびとの思いを実現しようともしない自分達が新たな眩さで国を導くことなどできるのか。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはシェルを見つめて訴えかける。

「ここのひと達がみんなゲーちゃんさんやテンちゃんさんみたいないいひととは、いえないんだと思います。テンちゃんさんもさっきいっていたように、性根の腐ったひともいるんでしょう。でも、少なくともゲーちゃんさんやテンちゃんさんはいいひとです、……重い歴史に抗って生きている、立派なひと達ですよ。わたしはそんなひとを押し退けられません」

「ユリ……」

 シェルが腕組をして考え込む。

 場が膠着してしばらくしたとき、冷たい風が吹き抜けるとともに声がした。

「お〜い、父ちゃん、なんか客が来てるぜ」

 陥没箇所の脇で微動だにしなかったテン・ガテンが声のほうを向いた。

「坊。誰だ、そいつは」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエとシェルも背後の人物達を振り返った。

「お兄様っ」

「兄様!」

「この子に案内してもらった。おまえがこの子の父親か」

 兄ヴォルが隣の少年を示してテン・ガテンを見やる。

 ……お兄様、すっかり通常モードだ。

 立場上の尊大な態度である。

「突然襲われた。どう始末をつける」

「お、お兄様、穏便に──」

「ユリ、黙っていろ」

 テン・ガテンに凄まじい勢いで詰め寄るヴォルを止められなかった。

「っ、襲われた、だと。テメェ、ウチの坊がそんなことするわけ──」

「この頰の傷が目に入らないか。その子がつけたものだ」

「っ……、坊、テメェ何してやがるっ」

「いやぁ、棒ぶん回してたら飛んでっちまってさぁ、それを取りに行ったらこの男の顔にダイブしちまって。HAHA〜、災難だなぁ」

「だぁ、テメェこの、なんてタイミングでやらかすんだ……」

 テン・ガテンが絶望の顔だがヴォルが容赦しない。足許にある陥没箇所を見下ろして、

「魔術師団には顔見知りが多い。いつでもお前達を突き出せるが、さて……、そこを案内してくれるならば今回は見逃してやる」

「う……そんなもん、信じられるか。案内させた上で突き出すんだろうが!」

「拒否できる立場か」

「ぐ……」

 テン・ガテンがヴォルの脇を抜ける。「行きたけりゃ勝手に行けばいいだろッ!」

 ヴォルがテン・ガテンの腕を摑み、逃がさない。

「逃げれば後悔するぞ」

「な……!」

「父ちゃん、分が悪いって。とっとと案内してやったほうがいいと思うぜ」

「坊、テメェのせいだろうがっ」

 ヴォルが怒っているのはこの少年のせいらしいが、なぜだろう。

 ……坊さん、なんだか愉しそうだ。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはピンと来た。シェルも察したようだ。密かにうなづき合って姉妹もテン・ガテンの説得に掛かる。

「テンちゃんさん、お兄様は剣の腕が大層立つんです。刃向かったひと達が(訓練で)バッタバッタ倒されていくのを見たことがありますっ」

「は!ふざけんなっ、んな脅し──」

「テンさん、兄様を怒らせないでください。帰ったら折檻を受けてしまいます……」

「いっ!そんな頭ヤベェの、この兄ちゃん……」

 怯えたテン・ガテンに見上げられても全く動ぜぬヴォルが、身も心も凍えさせるような目差であった。

「折檻ではない。教育だ。おまえも付き合うか」

「ひぃっ……」

「テンちゃんさん、お願いです、わたし達を助けると思って!」

「わぁ、わぁったからっ!け、剣を抜くんじゃねぇっ!」

 ヴォルが剣の柄に手を置くと到頭テン・ガテンが落ちた。彼を同行させることにヴォルが意義を見出しているようなのでチェルェント゠ウヴ゠ユーリエはシェルと息を合わせてテン・ガテンを無理にでも連れてゆくことにしたが、

 ……あぁ、なんだか、すごく悪いことをした気分。

 陥没した床から地下空洞に入ると、シェルの魔術で足許を照らし、テン・ガテンが先頭になって歩いた。ここに来るまでのことを話したヴォルが、そのあときちんとテン・ガテンに頭を下げた。

「──。演技とはいえ脅して悪かった」

「本気かと。魔物を相手にしたときより、死を近くに感じたぜ……」

「それはそうだろう。わたしはこの剣で魔物を何千と殺している」

「それも虚仮威し(こけおど   )なんだよな」

「すまない、討伐数は一万を超えていた」

「『すまない』の意味が解んねぇ……」

 テン・ガテンの怯えはしばらく続きそうであったが、隣の息子が大事なことに踏み込んだ。

「なぁ兄ちゃん。さっき言ってたことってホントなのか。水が、配るより金になるって話」

 謝るまでに、自然エネルギを活用した電力供給計画が現実味を帯びたとの話が出ていた。首尾よく企業の協力を得られて設備工事の見込みが立ったため、テン・ガテン達が協力してくれればそれなりの支援ができるだろう。テン・ガテンを同行させる意義は初動たる現地視察の協力から着実な実績を作らせるためで、ヴォルが言った「逃げれば後悔する」とはその点を指した本音ではあったのだ。

「理想が、一気に現実に近づいたわけですよね」

 と、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエが尋ねると、ヴォルが微笑で答える。

「もともと理想で終わらせるつもりなどない。このときのためというわけではなかったが、わたしは自分達の力で国の在り方を動かせるよう人脈を築いてきた」

 その一部が各関連企業のCEOで、計画への協力を取りつけることができたのだ。兄の敏腕ぶりをチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは自分のことのように誇らしく感じた。

「国を動かす、か。テメェらいったい何者なんだよ」

「それをいま聞けば、実害を被るという意味で後悔することになるぞ」

「体制に反発した動きだから、最悪、計画が潰されちまうってことか……」

「理解に感謝しよう」

 ……わたし達が王族ってことは、しばらく伏せるしかないんだ。

 打ち解けつつある彼らに隠し事をしたくないが、彼らの生活や地位を向上させるため堪えなくてはならない。小さな罪悪感を引き受けてでも果たすべき王族の責任が、この計画には詰まっている。

「(王族の責任、……。)ところで、坊さん。名前はなんですか。いつまでも坊さんではちょっと変ですし」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエはテン・ガテンの息子を見た。地下水脈はまだ遠いようで足音と声だけが響く。だから、テン・ガテンの息子の言葉を聞き間違えることはなかった。

「オレ、まだ名前決めてないんだよなぁ」

「え……」

 名前を、決めていない。「テンちゃんさん、どういうことですか。名前をつけていないなんて……」

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエに兄姉が言葉を掛けることはなく、テン・ガテンの応答を待った。

「嬢ちゃん、ほんとなんも知らねぇんだな。仕方ねぇことだから気にすんなよ」

「え。その、ごめんなさい、何か気に障るようなこと、でしたか」

「さっき話したことにも通じることだ」

 テン・ガテンが語るのは、西区住民の現実である。「オレ達の先祖様達は信仰撲滅に際して西区に追いやられた。子どもが生まれても、自然、役所に行くことはできない。すると戸籍がなくなる。そうして戸籍のない子どもが増える。その子どもが大人になって子どもを生んでも新たな子にも戸籍はないわけだ。親が既に国民じゃねぇんだから当然だな」

「当然って。役所にちゃんと申請すれば──」

「無理だな」

 とは、ヴォルが言った。「レフュラルにおいて戸籍のない人間は存在を否定されている。西区の人間の多くが福祉から漏れているのは、無戸籍問題が長年解決されていないことにも一因がある。ちなみに、レフュラル国外に行っても戸籍を移すという作業ができないのだから、厄介者扱い、門前払いで終りだろう」

「そんな……」

 テン・ガテンの話した歴史が真実なら、迫害を受けた末、必死に生き延びてきたのになんの救いもないということではないか。

「坊さんに名前がない、と、いうのは、つまり……」

「そ、戸籍がないからだ」

 テン・ガテンが理不尽な現実を自然に語る。「別にオレ達に限った話じゃねぇ。ミトン屋のゲーだってそうだ。子どもんときは、オレも、ゲーも、先祖様だってそうだった。他人と混同されないよう公の場で管理してもらうため、広く他人から呼ばれるために名はあるんだから西区の連中に名前は要らねぇ。大人になって、西区の人間として生きていく覚悟ができたときこそ自分で名前を決める。国も認めちゃくれない一個人としての名を胸に刻むんだ。だからそれまでみんなただの『坊や』ってことだ」

 西区のひとびとは過去の迫害を背負わされているともいえる。生まれた瞬間からずっと。

 ……そんな国民がいたなんて、全然知らなかった。

 専属教師は何も教えてくれなかった。教えてくれたのは西区の上辺で、そのほとんどが噓だとここに来て判った。自分の不知に、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは自戒を禁じ得ない。もっと、もっと、この世の理不尽に踏み込み、理解してゆく必要がある、と。

「坊さんのような子どもが、みんな普通に名前をつけてもらえるような世界に、したいです」

「嬢ちゃん。一人でそんな大それたことはできねぇんだから無理すんなよ」

「わたしがまだ子どもだから、と、侮っていますか」

「違ぇよ。魔術師だからとかでもねぇ。人間、一人で負える責任は多くねぇってことだ。無理すると、これよりひどい目に遭うぜ」

 テンが左腕を軽く叩いた。だらりと下がった左腕は、ぐらぐらと揺れて、動き出さない。

「父ちゃんがオレ達を守ってくれたときの勲章なんだ」

 と、テン・ガテンの息子が誇らしげに言った。「父ちゃんカッケェんだぜ、棒切れ一本で魔物を追っ払ったんだ!」

「坊、あれはたまたまだ。目に刺さってなかったら逃げちゃくれなかっただろうよ」

「でも、父ちゃんがやってくれなかったらオレ達みんな食べられちゃったんじゃねーの。だから、やっぱ父ちゃんカッケェって思うぜ、オレ」

「っ、うっせぇ。ベラベラ語んじゃねぇよ、小っ恥ずかしい」

 テン・ガテンが頰を搔く後ろ姿と愉しそうに絡む息子が微笑ましい。二人を見ていると戸籍などなくても立派な親子だと判る。

 ……わたし達親子は、こうじゃない。

 壁があって、はしゃぎ合ったり、じゃれ合ったりできない。戸籍があっても、親子とは到底呼べない。

 ……せめて、テンちゃんさん達のような本当の親子に、幸せが訪れるようにしなくては。

 それが責任、王族たる者の、務め。……いや、責任じゃ、務めじゃ、ない。

 チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは、そうしたいのだ。仕事でなくても、きっと、それをしたいと考えた。国の在り方を考えるきっかけは王族の立場だったかも知れないが、仕事でだったらこれほど前のめりには考えられなかった。

 ここにある大切なものを見落としていたら第二王女として無機質に民を見くだして生きていた。少し前まではあり得たそんな自分をチェルェント゠ウヴ゠ユーリエは(嫌だ)と思った。

 ……大切にしたいんだ。本物の絆を。

 やがて到着した地下水脈は、地下に流れる大河と表せられそうな規模で、シェル曰く水力発電に申し分ないものであった。

 地熱発電は別の場所を当たることになりそうだと観察して地上に戻ると、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエ達はテン・ガテンの一家と小さな祭壇に手を合わせ、合流したゲカワ・ミトンの一家ともども夜食のミルクをいただいた。風が容赦なく吹き抜ける廃墟でありながら二家族の笑顔が満ちていた。名もなき坊も(かすがい)となって家族を纏めていた。温かい雰囲気が夜風を感ぜさせなかった。ヤギのミルクがおいしくて、普段なら口にしないような薬草の天ぷらもおいしくて。チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは気づいた。王城で食べるときよりもずっと心が朗らかであることに。ここは、まともな天井もなく、そして、壁もないのだ。

 二家族と手を振り合って別れ、帰途を辿った。

「『ユリ』」

 心の満ちた声で呼ばれて、チェルェント゠ウヴ゠ユーリエは兄姉をそれぞれ見た。レフュラルの闇を思わせるように風は冷たい。けれども兄姉に触れると温かく、あの二家族に観た鎹を感じた。壁の奥に見ていた光は、これほどまでに温かかったのだとも、確かに感じたのだ。

「わたし達のできることに、邁進しましょう!」

 この光があればどんな闇さえ照らして、温めることができると信ぜられる。

 

 

 

──四章 終──

 

 

 

 

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