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三章 王の誕生

 

 テラノア軍事国。長年に亘り侵略戦争を仕掛けて国土を広げたこの国は、とある青年が戦闘に秀でた先住民族をたった一人で排除したことが起源だとされている。歴代国王によって歪められてきた歴史の中でその点が変らず伝承されているのは王の威を確たるものとして体制を維持するためである。無論、起源さえも歴代国王によって捏造された可能性を否定できない。などというと聞こえが悪いが、人が魔物から身を守るための体制作りは勿論のこと、人命を奪い合うからには人命を守る力を誇示することが必要だった可能性を捨てきれない。古い歴史の真実は亡き当事者しか知り得ず、そうであるなら現代人の役目は教訓を宿して舵を取ること。

 見下ろした世界を窮屈に感じた者は広さを求めるものだろう。現国王ゾーティカ゠イルは、そうだ。建国以前の土地を、城の上層でなくとも遮るものがない土地を、両眼で見つめたい。きっと自由で開放的だった、と、確かめたい。

 ……高い空を望む深く暗く広い海があるとゆうに、なんと窮屈なことか。

 先住民族の暮らした原風景を歴史に尋ねることはできない。現テラノアは大陸の北端に位置する断崖絶壁に城を構え、そこから裾のように広げた住宅地があり、その南端には敵性から身を守るため堡塁を高く築いている。広範囲の移動を制限された一般人が望める景色は自宅周辺に限られており、軍事上の秘匿情報が詰まっているとして堡塁に上がれず、野菜も碌に育たない痩せた土地しか知らぬまま死ぬ。生まれながらに窮屈な土へ還ることを定められているかのように理不尽だ。

 家畜のような生涯を誰が幸福と称するか。

 ……物理に支配されるがゆえ大海原を行く自由を握る。それが人間であろうに。

 国に住めば、生まれれば、大地とは名ばかりに窮屈が転がり込む。魔物の脅威に曝されることがないという理由で人間を囲いに閉じ込めていいものか。あまつさえ監禁・拷問同然の監視体制を強いて。そう考える者がじきに現れる。

 ……今しばらくぞ。言葉真音──。

 

 

 他大国との交流が少ない閉鎖的なテラノア軍事国。テレビ、映像再生機器、映像記録媒体、一般家庭にはなかなかないそれらが王から届けられたのは、一人暮しの少年の家であった。

 王との繫がりは秘すべきもの。少年は、周囲の目を警戒、明けたばかりのカーテンを閉めて説明書を頼りにテレビと映像再生機器を接続した。アンテナ内蔵型ではないため電波をキャッチできず画面は砂嵐であったがそれだけでも物希しくて少年はしばらく見つめてしまった。

 ……あぁ、くらくらしてきた。

 映像記録媒体を手に取る。……これは、何か入っているのか。

 アンテナ内蔵型テレビでないことを王が知らないはずがない。映像記録媒体には何かを録画してくれているだろう。

 ……ぼくへの、個人的なメッセージかも知れない──。

 それがどんな形であれ、少年は、嬉しさを禁じ得ない。早速、再生機器に差し込んで、再生された映像を、観た。

 家で初めて観るテレビの映像。小さな画面の中で人が動いて、喋って、綺麗な色が弾けている。いろんな音が聞こえる。それらを独占できる独りきりの部屋で、

 ……すごいな。

 少年は当然、感動した。……すごい。

 街頭モニタはこんなにまじまじと観られない。

 画面下部を観ると、テラノアにはない企業名〔聖産業〕の文字がある。……海外にもテレビを作る企業があるんだな。

 テラノアにもテレビを作る技術があるものの家庭に普及していないので、一般人が触れる機会は街頭モニタくらいだ。

 目新しいテレビ画面に釘づけだったのは数十秒。しばらくは大人がわらわらしていて、少年の気を引くものは映し出されなかった。

 ……これが、メッセージ、なのか。

 少し、がっかりした気持があった。ひょっとすると秘密の王命が下されるのだろうか、と、わくわくした気持もあれば、それ以上に湧き立つ期待もあった。どちらも空振りした感を覚えて少年は画面から目を背けようとした。

 ……独りで、独占できても、意味はないんだ。

 誰ともこの感動を分ち合えない。誰からも隠さなければならない物品を抱えてしまっただけだ。秘密は、噓になる。噓を抱えて、素直にひとびとと接してゆくことは、難しくなる。少年の目指すものとは、遠くなる。

 ……王。ぼくは、こんなものがほしいんじゃないんだ。

 そう思って、映像再生機器本体の映像停止ボタンを押そうとしたとき、目近の画面で色が弾けた。赤、青、緑の光がぱちぱち明滅して映し出したのは、大人達や背景やエフェクトではなかった。そこに現れたひと、そして、その出来事に、少年は目新しさ以上の魅力で、胸を鷲摑みにされたのだ。

 

 

 ほぼ同時期、テラノア軍事国と対するレフュラル表大国の王城で、もう一人の少年がそれに触れようとしていた。

「──そのひとは、他国民ですか」

「確とその目に焼きつけておくのである」

 父王が手渡した映像ディスクを受け取り王位継承順位第一位にある少年は首を傾げた。この中には魔法に優れる〈奇跡の少年〉の映像が記録されているという。しかしながら魔法・魔導に秀でた大国としても名高いレフュラルにおいて最高の術者たる父王が目に焼きつけておけとまでいって注目させる人材が他国にいることなど、少年は想像がつかなかった。

「僭越ながら、必要ないと考えます」

「理由を申してみよ」

「そのひとが王に優る能力とは考えにくいからです」

「なるほど」

 最高の手本が目の前にいるなら、わざわざ他国民の才能に触れる必要があろうか。少年はそう考えていた。それを知っているであろう父王が他国民の才能を見せようとしたことを、少年はきちんと理解し、問いたいことがあった。

「そのひとに、王に優る才能があるのですか」

「否としがたい」

「……」

 世界最高峰の術者は父王であると考えていた少年に取り、その応答はまさしく驚嘆に値するものであった。実際は、言葉を返せず、沈黙するほかなかった。

 ……確認が、必要だ。

 父王にお辞儀して王城内の自室に戻って早速映像ディスクを確認した少年は、父王の応答に優る驚嘆に打ち拉がれることとなった。

「なんだ、このひとは……」

 魔法。その概念を問えば多くの者がこう答える。精神力を消耗して超自然的現象を引き起こすこと、と。その内容を大きく分ければ攻撃・防御・治癒・補助であり、補助効果は魔法の形を保つことや一定の範囲に効果を及ぼすことを主とした付属的な性質でしかないと考えられている。ところが、奇跡の少年は汚れた野良犬・野良猫を淡い光で包んで浄化した。それはいわゆる補助効果のみを(あらわ)した魔法で、現代魔法学の常識を完全に覆していた。

 ……水の魔法か風の魔法を巧妙に隠しているのか。いや、それは違う。

 魔法で操った水や風は自然界に存在するそれのようには動かず攻撃性を持って犬猫を傷つけてしまう。治癒魔法と捉えるなら怪我が癒えてゆくが、奇跡の少年は犬猫の浄化をおこなったあとに別途魔法による治療を行った。それは、治癒魔法に浄化作用を込められる可能性があるから二度手間を掛けたことになる。また、あれほどの魔法を用いたあとだと大人でも精神力の消耗に堪えられないのに、犬猫に囲まれて笑う余裕が奇跡の少年にはあった。

 ……浄化は、明らかに補助の性質のみを用いた魔法と結論できる。

 奇跡の少年は、何をした。補助性質のみを用いる魔法など、レフュラルの少年は観たことも聞いたこともなかった。

 ……それに、消耗の観点を掘り下げると不可解だ。

 大人の治癒術者でも犬猫一〇頭の軽傷を癒やせれば十分。奇跡の少年の働きはそれを超越している。多頭飼育崩壊で飼主が手放し野良化した犬猫の数は優に一〇〇頭を超えていた。そのうち軽傷を負った一割に加えて動けないほどの怪我を負った数頭を治療してみせていたのだ。全頭を浄化した上での治癒魔法は、大人が何人掛りでやればできる仕事か。そも、大人でも浄化のみを行えないのだから、計算自体が成り立たない。

 ……おまけに、治療技術の観点でも優秀だ。

 治療前の犬猫には当然ながら傷口があった。傷口が同時についたはずがなく、新しいものから古いものまでさまざまで、中には異物が入り込んだものもあった。異物が入ったまま傷口を塞ぐと怪我が悪化することがある。奇跡の少年は怪我の古さを確かめて必要な浄化、つまり、異物の除去を行ってから治療を施した。

 ……この映像を観た魔法医療人は、彼がほしくなったに違いない。

 優れた魔法の才能があり、精神力も桁外れとなれば、あるいは、魔法医療のみならず多方面からのオファが舞い込む。

 王の子として生まれた少年も、ほしくなった。

 ……このひとが──。

 

 

 ……──世界を変えるかも知れない。

 レフュラルの王子たる少年と同じことを、テラノアの少年も考えた。時代遅れの先軍主義を掲げているテラノアは外交がままならず先細りだ。そんな時代遅れの攻撃的体制と長年対立してきたレフュラルも戦争と紙一重で魔法・魔導の平和利用を追究するには至っていない。そんな窮屈な国の体制を、攻撃するでもなく治療するでもない、補い助ける魔法で奇跡の少年が変えてくれるかも知れない。すなわち──。

 

 

 ……奇跡の少年・言葉真音。彼こそ、ぼくの求める夢の欠片だ。

 ひとを傷つけず、むやみに癒やすこともしない技術を、持つこと。それによってひとの力を最大限に引き出すこと。手を差し伸べ、手を取り、支え続けるのではなく自立を促すために背中を押す技術だ。ひとそれぞれが自由に生きることへと導く技術だ。

 ……ぼくも──。

 

 

 ……──それがほしい。

 奇跡の少年がこの国にいるなら、何も悩む必要はない。力を乞えばいいのだ。きっと、彼は力を貸してくれる。が、彼は他国民だ。内政干渉のような真似は彼自身を非国民にする危険性もあれば外交問題として戦争の引金にもなりかねない。表立った協力を仰ぐことはできない。

 ならばどうするか。テラノアの少年は、奇跡の少年のような魔法技術を持っていない。けれども同じ時代に生まれた。彼ができることを全てできるなどとは驕らないにしても、

 ……彼のように動くことは、きっとできるんだ。

 平和の希求。世界に蔓延る戦争の影の撲滅。それらのための、遍く攻撃性の放棄。それを魔法という形にした奇跡の少年のように、それぞれの立場で形を作ってゆくのだ。

 ……ぼくにできることはなんだろう。

 そこで、疑問が湧いた。王の、意図だ。

 テラノアの少年は、恐いモノを知っている。王は最たる恐怖で、逆らえない。でも、その一番恐い相手に、確認せねばならないことがあった。

 ……一つ年下の彼。彼のことをぼくに教えたのは、なぜなんだ──。

 

 

 映像ディスクを観たその日の夜、私室の父王に、レフュラルの少年は思いきって尋ねた。

「彼はわたしより二つ年下です。それであの実力──、数年後には世界有数の術者に昇りつめると推察します。そこで質問です。王は、彼を招くお考えがございませんか」

 国に与する組織や場であればどこでもいい。そこに奇跡の少年を招き、レフュラルを導く仲間とすることを計画しているかどうか。少年はそれを父王に尋ねたのである。

「あれとは相容れぬのである」

 それが、父王の(こたえ)であった。

「彼は、あるいはわたしより……王の欲する才ある者ではないんですか」

「余はお前を採る」

 他国民より御しやすい。そう考えての選択なら拒否したいところであるがそうではないことをいつになく優しい目差が伝えてくれていた。

「王……では、なぜ──」

 先の質問には二つの意図があった。一つはレフュラルを平和的な体制に運ぶ考えがあるか。もう一つは、その象徴と成り得る奇跡の少年の血の違いを受け入れるか否か。父王は実子たる少年を選び、奇跡の少年の血を受け入れない。それは、戦争と紙一重の体制を変えないと答えたことにもなる。

「──なぜ、彼のことをわたしに教えたんです」

 指針と対する奇跡の少年の存在を実子に伝えたのは、なぜだ。

「二度と言わぬ。胸に刻むといい」

 父王の真意は──。

 

 

 数年後、テラノアの少年はとある場所に向かっていた。

 大きな乗物で渡る広い場所。そこは海で、乗物は船というらしかった。

 知識で知っていたそれを目の当りにして、少年は、自分より遥かに大きなものがあることを一層、肌で理解した。

 ……恐いんじゃないのに、震える。

 期待か。それとも、夢か。自国には観ることのできない儚いものを、潮風が肌に刻んでいるかのようで、テラノアの少年は、

「すみません、王、少し、下がってもいいですか」

「船は退かぬものぞ」

「理解しているつもりです……」

 甲板に置いた特注の座席に掛けた王に頭を下げたテラノアの少年は、船内に引っ込んで、暗い通路に差し込む眩さから遠ざかるように、窓のないところまで走った。

 テレビでも知っていたはずの「海」という景色、揺れる「船」という場面、それらは王がいることで鉄の塊を口にぶち込まれたような味がして、色が弾けることはなかった。

 ──言葉真の者は、この国、王家、いずれとも決して相容れぬ。

 

 

 レフュラルの少年は首を垂れて、その言葉を聞いたのだった。

 ……この国が、自ら変わることは──。

 

 

 ……──決して、ない。

 テラノアの少年も、昔日のレフュラルの少年のように首を垂れた。暗い通路にその苦しみが融けるようには決して消えないと知りながらも首を垂れていた。

 広い海を知りながら、そこを渡る術を持ちながら、窮屈な考え方を変えない王に期待しても望むものは得られない。

 ……行こう。

 テラノアの少年は、眩い空の下に出た。

 到着した港から馬車に乗ってしばらく進み、下車すると雪を背負った山脈を望んだ。王と二人で歩む雪道は吹雪まで立ち塞がる過酷なものだった。止まることのない屈強な脚に置いてゆかれまいと突き進んだ。ここで置いてゆかれるようでは何も変えられない、と、内心で鞭を打った。

 

 

 レフュラルの少年は体制を引き継ぐつもりが一切ない。それでも、国という大きな光を支えてきたひとの偉大さは変わらない。舵取りの過酷さが分厚い雪や強烈な吹雪に劣らないものであることを、凍りつくような妨げをものともしない背中から感じ取った。

「王、この先に、目的地があるんですか。方向は合っているんですか」

「判らぬうちはついてくるのである。遅れても手を貸さぬ」

「はい」

 

 

 テラノアの少年は、同じような立場にある者が同じようなタイミングで同じ道を辿っていることを知る由もなく、戦艦の如く振り返らず突き進む王の背を追って走った。王が走っている様子はなかったから、不思議で理不尽であった。

 ……王はどんな体の作りをしているんだ。息切れの一つもしないなんて……。

 走りに走って肩で息をする。それのみならず、ようやく辿りついた目的地らしき場所の床に這いつくばったテラノアの少年である。凍りつくような肺が熱を取り戻して呼吸が落ちついてくると周りに気を配れて、自分と同じように肩で息をしている少年がいることに気づいた。

 ……白い肌に金色の髪、レフュラル人、か。

 テラノアの少年は床に手をつき、壁に手をついて、ようやく、なんとか、上体を起こした。一方、レフュラル人の少年は息が荒いものの壁に片手をついて立っている。その視線の先にはテラノアの少年が追った王にも似た背中、

 ……宙を浮いている。移送魔法、か。

 テラノアの少年がそう思っているうちに着地した人物は車椅子に乗り、レフュラル人の少年に目配せした。

「お前はそこのとしばし息を整えておくとよい」

「はい」

 テラノアの少年は、レフュラル人の少年とともに、その人物の背を見送った。

 ……王は、もう行ってしまったのか。

 振り返りもせず。……ぼくは──。

「おまえ、立てるか」

「……」

 恐らくいくつか年上であろう彼の手を、テラノアの少年は取らずに、壁伝いに立ち上がった。

「大丈夫です。ぼくは、……戦艦の如く進まなければならないんです」

「頼もしいな。吹雪の中を先に歩いていたであろうおまえが疲れていないはずがない。ひとの手を嫌うことはない」

「……そうですが、それでは──」

「黒い肌に強く縮れた黒髪、それに黒い瞳。予想はついているが、おまえはどこの出身だ」

 肌や眼の色、髪質、総合的に判断すれば、彼がいうように出身地を概ね判断できる。海外で差別されることの多い外見的要素を持って生まれたことをテラノアの少年は自覚していたが、対照的な色を持って生まれた同年代とこうして接するとその意識は強く胸に絡みついてくるようだった。

 テラノアの少年が答えられずにいると、レフュラル人の少年が正面から述べた。

「臆することはない」

「……」

「差別をするということは、差別されることを認めるということだ」

「──」

「形も意識もそれが蔓延してしまっている世界だがそれが世界を明るくするとわたしは考えられないから、その闇に吞まれるつもりもひとを闇で覆うつもりもない」

「……失礼しました」

 差別される自覚があることでひとが差別してくることに耐性をつけようとして、それが却って差別のないひとに壁を作り、自身への差別を認めてしまっていたことに、新たな差別を生み得たことに、テラノアの少年は気づかされた。

「ぼくと同じくらいの年なのに、すごく、しっかりとした考えを持っているんですね」

「わたしなどまだまだだ。おまえの足跡がなければ王にも置いていかれていたことだろう」

「(さっきのひとが、レフュラル国王エント゠ウヴ゠エリー──。)ぼく達のあとからここにやってきたんですか」

「ああ。おまえは当然に大層疲れている。身長ほどの積雪を突っ切って平気な者などいない」

「……ぼくはそんなことできません。ほとんどこちらの王が道を拓きました」

「帝王ゾーティカ゠イルか」

「はい」

「ふむ。帝王が来ているとなると、世界的な集いなんだろう」

「世界的な」

「聞いたことがあるだろう。ここはズゴート狭大陸(きょうたいりく)、そして、〈中央会議室(ちゅうおうかいぎしつ)〉だ」

「ここが」

 テラノアの少年は何度か耳にしたことがあった。テラノア軍事国、レフュラル表大国、それからダゼダダ警備国家、これらが行った三大国戦争という大戦が終結したことを公に認め合うための会談がここズゴート狭大陸中央会議室で行われた、と。終戦後は国同士の会談の場として用いられているとも。

「今日が、その会談の日ということですか」

「ああ。そして、随分と遅れたが名乗ろう」

 レフュラル人の少年が会釈した。「フェルェール゠ウヴ゠オルオだ」

「フェルェールゥヴォルオ……その響き、王族の──」

 テラノアの少年はまだ息が整っていなかったが、わずかの緊張で声帯の引き締まったいい声を出せた。「ぼくはネペル・ワリンです。王の庇護下にある者と思ってもらえれば間違いありません」

「子息ではないのか」

「はい」

 と、言うことには慣れている。ネペル・ワリンは自身の実力を心得ているから、本名を名乗らない。たとえひとを欺くことでも、今はまだこれを譲れない。

「なぜだろうな」

 威圧的とも取られそうな美顔を仄かに綻ばせてフェルェール゠ウヴ゠オルオが言った。「おまえには、わたしと近いものを感じる」

「……恐縮です」

「──世界的な集い」

 と、話を戻したふうのフェルェール゠ウヴ゠オルオが、ネペル・ワリンと通ずるという点を深堀りしてゆく。

「レフュラルの父王、テラノアの帝王、そしてダゼダダは誰が来ているんだろうな」

「ダゼダダは王制の類ではないので、政治のトップ級、議長とか首相とかが来るはずですね」

「終戦時の会談もそんな顔ぶれだったそうだとはわたしも知っている。が、実際は判らない」

「なぜです」

「ズゴート狭大陸中央会議室。ここの情報は公に文字でしか見たことがない。雪深い山脈にあって空間転移で来るのが普通だが一般人が好き好んでやってくるような観光地でもない。だから、と、いうのでもないだろう、動画どころか写真の一枚も出回っておらず、入口に立札のみの簡素な場所は格式と縁遠い」

 ……立札があったのか。見落としていた。

「そんな場所に、屈強な帝王や魔法に秀でたレフュラルの王ならいざ知らず、ダゼダダの一政治家がやってくるか。わたしは否と考えている」

「……ダゼダダからは、政治家ではなく別の誰かが訪れていると。でも、空間転移で来るのが普通なら政治家はそうしているということでは」

「その可能性は無論ある。が、ダゼダダは警備国家を名乗りながらそのじつ八百万神宮を筆頭とする信仰の根づいた土地でもある」

「信仰──」

 テラノアにおいては、信仰は帝王を崇めるものとなっている。だから、帝王ゾーティカ゠イル体制に皆が従っている。国外から観れば時代遅れで窮屈な生活を普通のこととして受け入れざるを得ない。

「レフュラルには、信仰はないんですか」

「ない。あるのは、成果主義だ。テラノアは帝王という信仰対象が存在し、レフュラルには何にも優る術者たる王がいる。だからこそ、その二人が会談に訪れた。ならば──」

「そうか、ダゼダダの頂点に立っているのは──」

「八百万神宮の神職の類、正確にいえば、それは、大神(おおみわ)という家系に連なる巫女ということになるだろう」

「大神の、巫女」

「だが、わたしが示したいのはその先だ。大神家の、もとい、八百万神宮並びに八百万信仰を支えている古い家から血を分けて周知の名家の分家に生まれた少年が存在する」

 持って回った説明をされたからでもなく、数少ない知識でもってネペル・ワリンはその人物に思い当たった。

「『奇跡の少年』──」

 フェルェール゠ウヴ゠オルオと、声が重なった。

「おまえは知っていたようだな」

「あなたも、彼を──」

「ああ。会ったこともないが、可能なら、その力を借りたいとさえ思う、優れたひとだ」

 フェルェール゠ウヴ゠オルオがそう言った瞬間、彼が感じ取ったものをネペル・ワリンも彼から感じた。

「ぼくも……そう思っています。思っていますが、それは──」

「──ああ、できない」

 国の体制を変えるのは飽くまでその国に住む者でなければならない。

「窮屈な考え方だな。だがしかし、それだけは政治において譲れないルールだ。わたしは、彼の存在があるから、レフュラルを変えられる気がしている」

「彼を観ていると励まされますよね」

「ああ。初めて彼を拝見したのは、まさしく初めてテレビに出演された番組だった」

「ぼくもそれです」

 息切れが治まってきたこともあってネペル・ワリンは前のめりだった。憧れて、尊敬して、目標にして、励まされ続けている奇跡の少年の話を、まさか初見の海外人とできるとは思いもしなかった。

「〔みんなとっても優しい。きっと暖かいお家ができます〕」

「彼が動物達に掛けた言葉ですね。犬猫は彼を警戒しなかった。保健所の人間を傷つけるほど気が立っていた獰猛な犬猫も彼には懐いて、彼と一緒に、愉しそうでした」

「後の回は観たか」

「いいえ。ぼくが持っているのは初放送の番組だけで……」

「物流に制限があるテラノアでは仕方ないことだな。初回だけでも観られたのは、幸運だ」

 ……王の、お蔭だ。

 特別な配慮、特別なメッセージが、そこには間違いなくあった。

「おまえが解るところだけで話そう」

「ありがとうございます」

「彼に救われた犬猫のように、全ての民が愉しく暮らせる世界をわたしは目指している。そのために何ができるか、常に考えている」

「ぼくの国では軍事が最優先です」

「忌憚なく表するなら、後進的侵略国家」

「皺寄せが民を苦しめています」

「打開策を練っているんだろう」

「他国から入ってくる情報が少ないので完璧とはいきませんが、可能な限りデータを集めて、でき得る限りの完璧な体制作りを提案しようと考えています」

「必要な情報はなんだ」

「っ、まさか、くれるんですか」

「またとない機会だ。教えられることなら教えよう。知識は無限の財産であり平和を希求する皆で分ち合うべきだ」

 ……このひとは、すごいひとだな。

 同じひとに憧れ、同じひとに支えられて、会ったこともないそのひとと同じ時代を生きていることに運命を感じている者同士、ネペル・ワリンはフェルェール゠ウヴ゠オルオの知識を聞くことにした。

「生活を豊かにするための知識を、ぼくにください」

「またここに訪れることもあるだろう。指定しろ。知る限りのことを教える。──と」

 円を描いた回廊は視野が広く、見慣れた影を見落とすことはない。車椅子を走らせてきたのはレフュラル国王エント゠ウヴ゠エリーに相違なく、そのすぐ横には走った様子もなく素早く移動するテラノア国王ゾーティカ゠イルがいた。

「話は済んだのである」

「行こうぞ、ネペル」

 自分が連れてきた者を置き去って、王は突き進む。

「ネペル・ワリン。おまえのことを憶えておく。おれのことも憶えていてくれると嬉しい」

「勿論。フェルェール゠ウヴ゠オルオ殿下」

「二人のときはヴォルでいい。同じ時代を生きる同志として、おれはおまえを認める。気負わない言葉で志を交わそう」

「──ヴォルさん、ありがとう。感謝に尽きない」

「うむ」

 うなづき合ったとき、ネペル・ワリン達は今しがた王達がやってきた奥から別の影が残像のようにして通り抜けるのを認めた。王達より速いその影は、観光地でもないここにいるはずのない、自分達より小さな女の子、否──。

「『──』」

 ネペル・ワリンも、フェルェール゠ウヴ゠オルオも、揃って息を止め、見惚れてしまって、幾重の吹雪に消えた残像を、確かに見送った。

 ……言葉真音さん。

 女の子のように可愛らしい外見、力強さと優しさを感ぜさせる目差。映像で繰返し観ている姿よりずっと大きくなっていて残像のような姿しか見えなかったのに、すぐに彼だと判った。

「なぜ彼が……」

「──推測が当たったかも知れない」

「世界的集いの」

「ああ」

 実力は言わずもがな。八百万神宮の巫女の名代であったなら、一人で帰っていったのも理解できる。そしてあの身のこなし。

 ……あと何年鍛錬したら、あんなに素早く動けるんだろうか。

 保護者不要の圧倒的強靭さは、心と体、双方にあるだろう。全てが敵わない、夢の欠片。

「彼のことも気になるが、その手のものはなんだ」

「え」

 気づかぬうちに、両手に握っていた書類の束。「なんだろう。……え、これは!」

 頁を一枚送ると、ネペル・ワリンは内容に驚いた。

「〔ウシの育て方〕。これはおまえがほしがっていた──」

「ヴォルさんじゃ、ないよね」

「情報の指定を受けておらず用意する時間もなかったことはおまえが一番に理解できよう」

 頁をさらに送ると、内容は畜産業や農業の手引であった。諸経費の計算表、輸出入の参考になる国ごとのレートまで事細かに記されているから驚くほかない。

 ……全部、ぼくがほしかった情報だ。こんなに的確にどうやったら。……まさか!

 奇跡の少年。物言わぬ動物の傷と心を瞬時に摑み癒やしたように、ネペル・ワリンの望みを捉えて叶えてくれたのかも知れない。

「すごい──」

「ああ──」

 心酔するばかりだ。が、それで終わっては、ならない。

「さらばだ、ネペル。おまえに光あれ」

「さようなら、ヴォルさん。あなたの航跡を願う」

 思わぬ出逢いを経て、ネペル・ワリンは帰国した。

 

 前を行く者は必ず航跡を残す。後ろを行く者は航跡を頼り、ときには避けて突き進み、別の航跡を残す。ひととひとはそうして知らず知らず繫がって世界と関わりを持っている。

〔──躊躇うことは悪いことではありません。でも、今のあなたの背中を誰も望んではいません〕

 ズゴート狭大陸の一件以降もテラノア軍事国の首都で一般人として育ったネペル・ワリンはお気に入りのビデオを朝一で観るのが日課となっていた。ビデオは王からもらった数少ない贈り物であったからということも思い入れの大きな要素となっているが、記録された番組に登場する奇跡の少年は幼い頃から父に匹敵するか否かの大きな指針。彼からの贈り物であろう書類の束を〈改革の手引〉と銘打って握り締めたことに加えて王からのビデオがいくつか増えたことで、志はより強くなったようにも感ずる。

 ……父や彼のように、強く、優しく、航海する。

 三〇二七年二月一一日の月曜日もそうしてまじないのように唱えて鎧を装着し、ネペル・ワリンは、外へ出た。一般人としてはかなり恵まれていると自覚して日日を送っている。雨風を凌げる場所を一軒家という形で与えられていることもそうだが、何より他国民の文化に触れる機会も多く、テラノア軍事国においては優等とされる軍人ながら位が低いため民の声を聞くことができる。一方、力が足りないとも自覚している。権力という見えない圧力は振り翳されると大波のようだが摑み取れば大いなる帆だ。同時に、ひとびとを従えるだけの戦闘能力や実績も必要な力といえるだろう。

 とは思うものの、ネペル・ワリンは目下謹慎中。昨日失敗した作戦の責任を取った形だ。経歴に傷がついたことは否めないが、不愉快な作戦が失敗に終わって幸い、と、心の内では安心した部分もある。そしてその失敗は、ほかでもない旧姓言葉真、現在の竹神音によって齎された結果であったから、かつて情報をくれたであろう彼に顔向けできない気持が湧いて、謹慎を前向きに全うしている。

「ネペル、今日はどこほっつき歩くんだい。謹慎中のくせに〜」

 と、男性一般人が気軽に声を掛けてくれるのはネペル・ワリンに力がないからである。そんな気軽さを歓迎したいので脚を止めた。

「牧場を観てくるよ」

「牧場って、お前が提案・主導してるってヤツか」

「うん。ちゃんとウシに牧草を与えているか確認しないと」

「ウシなんか飼っても強くなるわけじゃねぇだろ?」

 とは、別の中年男性が言った。「お前はひょろっとしてんだからもっと鍛えろよ」

「おわっ」

 背中を叩いてくる中年男性は工事現場で働いており、鎧越しなのに痛いほどの平手打ちを放つ。当然のようにネペル・ワリンよりがたいがよく、反論の余地はない。

「っはは、おじさんが軍人だったらよかったかも」

(ちげ)ぇねぇ。が、オレにゃハンマや重機のほうが扱いやすいのさ」

「向き不向きだね」

「そういう意味でネペルちゃんは向いてないよ」

 と、近所の中年女性が寄ってきた。「アンタ、剣でひとを斬るなんて、できんのかい。そんな細腕でぇ」

「鍛えてはいるんだけどね、筋肉つきにくくて」

 ネペル・ワリンは軍人としては頼りない外見であった。

「飼ってるウシ食えばいいのに」

 と、また別の近隣男性がやってきた。「ウシなんてめったに食えねぇし、力つくだろ?」

「食用じゃなくて乳牛なんだ。生産するのはミルクだよ」

「『ミルクぅ?』」

 男性陣の否定的なニュアンスが揃ったが、中年女性がうなづきを見せた。

「牛乳はいいよ。赤ちゃんがおっぱいを飲むみたいに大人も体が丈夫になるって話さ」

「そう、そうなんだよ。カルシウムや蛋白質も豊富で骨や体を丈夫にするんだ。チーズや生クリームなんかも作れるし、食卓が潤うよ」

 テラノア軍事国の一般的な食卓は端的にいえば味気ない。魚介類こそ多いが主食がトウモロコシで加工品が少なく、味の幅が狭いのである。

「乳牛の飼育は出港前の荷積み作業みたいなものだよ。おじさんもいうように食用の肉類もほしいし、農産物もトウモロコシ以外に広げていきたい。ダゼダダにはショウユやミソっていう風味高い大豆調味料がある。レフュラルにはハンバーガに代表されるファストフードも多い。食文化を深めて食卓を充実させればテラノアがもっと強くなることは間違いないんだ」

「へぇ、ネペルちゃんよく調べてるんだねぇ。そのために実績を作りたいんだ」

「うん、そういうこと。今はとにかく荷を積むんだ」

 何事も堅実に続けてゆくことが大切だ。突然に大きな進歩を見ることもあるかも知れないがそれを望むばかりで足下をおろそかにしては目的を見失ってしまう。ネペル・ワリンは、軍拡一直線の舵を取るテラノアに農畜産業による政策転換を齎したいのである。

「あ、みんな、そろそろ行くから、じゃっ!」

「おぉ、頑張れよ〜」

「行っといで〜」

 手を振る一般人。会話しなかった者も含めて一〇人以上が集まっており、ネペル・ワリンは手を振り返して駆け出した。

 ……彼らの生活は、決して豊かではない。

 粗末な衣服、揃うことのない家電や電灯、食卓に並ぶトウモロコシや魚介類、そして塩、それらの九〇%以上が王城からの配給という現状、文句一つで絶たれる命だってある。噂に聞く死もあれば、目の前で配給を絶たれて死んでいった者も。配給されたものを分け与えることは罪になり投獄される。目の前にある仲間の命を見捨てなければならない。そんな経験から、誰もが文句を言えない。そればかりか、互いが互いを監視している。ネペル・ワリンも手を振られながら見張られている感覚がある。

「お前に何かできる?」「お前に現状を変化させられるのか?」「どうせ何もできやしない」「どうせ何も変わらない」

 そのような目差を受けている気になる。事実そうであるのかも知れないが、ネペル・ワリンは、(力がないからそう感じてしまう)と、(一つの錯覚だ)と、言い聞かせるようにして手を振り返している。

 生への執着から自殺者こそ少ないが自殺に等しい死亡案件ならいくらでも発生しているのがテラノアだ。軍拡がひとびとに厳しい現実を突きつけているのは間違いがなく、隣人を監視する社会になっているのも事実である。腐ったものが届いても残さず食べる。棄てれば密告されて投獄されるかも知れない。配給を否定すれば、現体制を否定した反逆者と拡大解釈されて、果ては処刑されるかも知れない。そんな虞から一人一人が他人を信じきれない世界。

 そんな世界を変えたいとネペル・ワリンは考えている。それには一人一人の生活の安定化が必須であり、富を独占しているテラノア兵団もとい王城から富を分散しなくてはならない。そこで目をつけたのが第一次産業である。主食となるトウモロコシの生産と漁業しか存在しておらず、幅の狭い食に代表されるような狭窄的な視野の中でひとびとの生活を制限し、テラノアは支配的体制を維持している。それが証拠に現王ゾーティカ゠イル・テラノイ一七世は一貫して第一次産業の拡充を盛り込まず、人材・技術のやり取りを持ち出したり土地の略奪をにおわせるなど強硬な外交を展開している。その多くは三大国戦争前の通商航海条約破談から一切通用していない。第一次産業の発展は現体制維持に不都合であるがゆえに、体制改革の一手に成り得るのである。

 その一手に気づけた先人はきっと幾人も存在している。が、この時代、気づけたのは確かにネペル・ワリンである。行動できるのもネペル・ワリンである。

 数数ある追風──。全てを自分一人の意志で起こしたとは、ネペル・ワリンは思い上がってなどいない。けれども、追風を利用しきらなければ、追風を起こしてくれたひとびとに報いることもできないとは、思う。思い描いた海図を胸に、皆の知らない自由の航路を進まなければならない。

 

 

 テラノアにおいて脈脈と血を繫ぐこととなる初代国王は伝説そのもの。歴代国王がその功績を仰ぐとともに超えんとしてきた。

 現代の帝王ゾーティカ゠イル・テラノイ一七世もその一人であり、その父、テーグレド゠イル・テラノイ一六世もその一人であった。

 自他国ともに不安と緊張を煽り生産性の低減を招く先軍主義が現代において半ば揶揄であることをゾーティカ゠イルは承知しているが、父から継いだ体制や主義を擲つ考えはなかった。騒ぐ血を活かし、次代に繫ぐためのエナジとすることが先細りの国には必要と先見してのことであった。何より、武闘派たる父の血が濃く、戦わずして勝ち取れるものばかりとは考えられなかった部分もあり、肌に合わなければ船に乗ることができないと本能的に感じていた。

 ……待てど暮らせど、揮えぬ日日よな。

 その血や肌や本能的感覚を満たす日は、三大国戦争後なかなか訪れなかったが──。

 

 灰燼兵器。名は体を表す。起動すれば全てを等しく灰燼と帰する。その威力を前に怯むことなく立ち向かった英雄や化物の存在はイレギュラで、灰燼兵器の製造者はそれを想定していなかっただろう。起動した張本人であるゾーティカ゠イルは、イレギュラを歓迎する。

 ゾーティカ゠イルはそれが愉しくて仕方がない。不意のスコールや予想外の大波、不備の食糧不足でさえも。そんな本音があって、己の力を揮える日を予感したのだ。

 ……ようやくか。ようやく──。 

 その何十年か前のこと。先代国王にして父であるテーグレド゠イルから王位を継承した日、迸る力を総身に馴染ませながら血塗れの剣を拭ったゾーティカ゠イルの前に、黒と白のちぐはぐな翼を携えた一人の少女が舞い降りた。

 ──おめでとうございます!あなたはエウラス二三九と認定されました!

 ゾーティカ゠イルは怪訝に思うも数字の意味を聞けば反応すべき部分があった。エウラスとはこの宇宙に住む強い存在に与えられる等級だというのだ。略せば、ゾーティカ゠イルは「世界等級二三九の存在」となる。

 ──その程度で満足すると思うてか。

 少女がそれ以降現れることはなかった。どのようなものを力と認定して強さを測っているのか、高位になると数が減るのか増えるのか、基準不明の等級をゾーティカ゠イルは気に留めていない。ただ、自分と同じくらいに強い者が二三八人は存在し得ることに胸が躍った。その高揚も剣を握る原動力となっていることを配下は知らない。

 ……竹神音。

 彼の等級は知れないがもう一度(まみ)えたらそのときは──。そう思うと亢進して、目も、頭も、体も、冴え渡る。

 王座に座したゾーティカ゠イルは軍部からの連絡事項を聞き終えた。立ち去った者を引き止めない。「灰燼兵器起動によるダゼダダの被害は無に等しく成果が挙がらなかった」など、報告する必要もないことで時間を割かれて退屈であった。入れ替り立ち替りの配下は皆、国王の怒りに萎縮して訪れたときも去るときも背中を丸めて畏まっている。

 ……どれもこれもつまらぬ能書きだ。

 剣を揮うことにしか興味がないと言ってしまえばそれこそつまらないと返ってきそうなものであるがゾーティカ゠イルにはそれが最たる悦びであった。国王暗殺計画を企てるような気概のある者はいないか。謀反歓迎のゾーティカ゠イルは、配下の丸い背に辟易した。

 そんなときであるから、一人訪れた背筋の伸びた青年には気持が前のめりになった。

「王、提案したいことがあります」

「うむ。ゆうてみよ」

「国民の食糧問題を解決すべきです」

 青年の名はネペル・ワリン。野心旺盛で次期国王の座を狙う者の一人であり、国王が他者の力を認める存在であることを熟知している数少ない人物でもある。

「民は疲弊している。軍拡一辺倒の王の思想によるものです」

 ……ようやっと腰を上げたな。聴いてやろう。

「これよりは生活に目を配り、世界水準への底上げを目指すべきと提案したく。こちらがその資料です」

「研究に刮目と思えば、急転、貴様らしくぬるい意見よな」

 ネペル・ワリンが行っていた人体実験の発案・経過・成果を聞いてゾーティカ゠イルは感心していた。ネペル・ワリンはというとゾーティカ゠イルの関心に副っていたに過ぎず伸し上がるための荷積み役にとどまる予定がない。

 ゾーティカ゠イルは配下を侮っていないが、ぬるいとは思い、つまらなくも思う。

 といえども資料を受け取り、目を通す。国王に怯えず怯まず顔を向け、背筋を伸ばし続けている青年の努力や自信あるいは虚勢にゾーティカ゠イルは正面から対する。

 ……ふむ。よく調べておる。

 国内外での食糧事情を比較し、どうすればテラノアが海外水準に並び超えることができるか〈一〇〇年国家設計〉と題して構想している。インフラ整備の見直しや種苗の基礎研究など手に入る限りのデータ・文書・論文を引用し、順を追って解りやすく説明しており、一見、穴はない。

「貴様は軍事国の名をなんと思うておる」

「飾りにするつもりは、断じてありません」

「貴様の設計は詰めておらぬ」

 資料を差し戻した。「軍備について一〇%も触れておらぬ。海賊から船をいかに守る」

「それは……」

「指摘は褒美だ。襟を正すがいい」

「っ、有難く頂戴します。詰めて、また来ます」

「うむ」

 頭を下げ、去るネペル・ワリン。

 ……まだまだだが、よく育っている。

 食糧事情は、ゾーティカ゠イルこそ素人であった。

 時代は流れる。戦争が主流であった野蛮な時代の生まれであったゾーティカ゠イルは、海賊を払い退けることこそ国民の総意だと考えていた。

 現代は、知を広げることが最上となった。ネペル・ワリンはそれによって国民を豊かにできると学んだのだろう。ゾーティカ゠イルには解らぬ新世界である。海賊を払い退ける力なくして大船を守ることはできない。

 ……我は、我の為すべきを為す。

 謁見者が途絶えた王座を立ち、ゾーティカ゠イルは王城裏手の断崖を訪れた。

 テラノア軍事国の首都北部を守る自然の断崖。落ちれば海の藻屑である。

「国王、こちらにおいでで」

 王城から出てきた白衣の男が、慌てた足取りで片膝をついた。

「研究部からご報告を──」

「彼奴が破れたのだろう」

「た、大変申し訳ございません!」

 白衣の男が地につく勢いで頭を下げた。「竹神音、正真正銘の化物だったようで……。穢れの移植を行った素体の暴走を止めただけでなく元大魔術師さえ制したとは……」

「何を驚くことがあろうか」

「まさか、敗北を推してなお仕掛けられ──、い、いえ、失礼しました!」

「謝ることはない」

 敗北などあってはならない。それがテラノア軍事国の方針である。勝者こそ正義。これを国是に掲げ、「勝つために鍛錬し、勝つために血を浴び、戦地にテラノアの旗を立て全てを奪い取れ」とはゾーティカ゠イルも口にした。白衣の男は国是に従って働いてきた。国是に逆行するかのような国王の言葉に驚かないはずがない。

 白衣の男を振り返らず、ゾーティカ゠イルは海を眺めた。鎧を煽るこの潮風を疎ましく感じた頃もあったが、今は、懐かしく、心地いい。

「貴様、齢は」

「え、は、はい……、わたしは六六です」

「我は八二となる。貴様はまだまだ若い、意志なくとも存らえよう」

 国の舵を取る国王と一船員に過ぎない白衣の男。本来であれば雑談できる間柄ではなく、ゾーティカ゠イルに取っても、白衣の男に取っても、このような雑談の機会は初めてであった。この場で処刑されるのではないか、と、危ぶんで白衣の男から雑談を持ちかけることは絶対になく、雑談に応えることすら、首を()ねられるのでは、と、やや躊躇った様子であった。今の雑談に関していえば内容に関する違和感も生じたに違いなかった。

「あ、あの……国王、いったい、何を仰ってるんです」

 と、白衣の男が震えた声で尋ねたのだった。

 命令するか、報告を聞くか。ゾーティカ゠イルは帝王となるべく幼い頃から二つの選択肢しかなかった。配下との接触において国家運営が関わらないことはなく、私事を挟んだ配下を無能と断じて首を刎ねたことも事実あった。

 そんなゾーティカ゠イルだが、公私混同か、話したいことがなくもなかった。

「死期をな、感じておる」

「っ!よしてください、縁起でもないことは」

「縁起はよかろう」

「え。そう、でございますか」

「死は人間誰しも等しく与えられる終りよな。死なくば、生の意を望むことなき虚無のものとなろう。ひとはそれを化物と称する」

 ゾーティカ゠イルは人間である。「我は死を恐れぬがな、死期を捉え、望みが増えた」

「わたしに叶えられることでしたらなんなりとお申しつけを」

「無謀ぞ」

「戦闘絡みであられる」

「貴様は今を徹せよ」

「ネペル様のため尽力せよと仰せに」

「うむ。して、皆の者に伝えよ。しばしここへ寄るなとな。行け」

「はっ!」

 起ち上がった白衣の男が王城へと駆け出した。

 結局、ゾーティカ゠イルは碌な無駄口を叩けそうになかった。()のない場で命令と報告に雑談を挟む話術がない。国は、弛めば容易く崩壊する。幼少期の学びは永遠に体を縛って心を支配すると同時に海図となり、ゾーティカ゠イルに国の舵を取らせた。気の緩みか、国の一大事といわれる出来事を幾度か体験しつつも転覆することなく航跡を残した。

 が、大地に刻む足跡とは異なる。航跡は時が経てば容易く消える。荒れる波に乗れる者ばかりでもない──。

 伝承にある初代国王の教えによれば、国は一つの船であり時代という荒波の中を進む。相反するようだがテラノア軍事国は国土を増やすことで時代を築くとも。

 ……我の時代、レフュラルめを落とすことはついぞ叶わなかったな。

 亡き父王にはお叱りを賜りそうである。ゾーティカ゠イル自身、毎日のように怠慢を叱責している。できていないこと・できないことをできないと諦めてはいないものの、現実にできていない以上はあらゆる手で自身を発奮させなければ侵略という大事業に乗り出すことはできない。トラウマ・意気消沈・自信喪失などという大層な状態に陥ったことはなく、あるいは自信過剰・自己陶酔・空理空論などといった偏った思考に身を委ねたこともないが、国を発展させるために、少しばかり踏み込んだ思考があってもよかったような気がいまさらしている。とはいっても、やはりゾーティカ゠イルの身は幼い頃の学びと経験で雁字搦めであった。

 ゾーティカ゠イルは海を眺めた。

 潮風に煽られると睡臥も忘れた。

 在りし日の父の意を、夢のように響く波に乗せて反芻する。

 ──それ程度でよくも息子と名乗れたものだ。

 ──立て。膝をつくなど笑止千万。死してなお折るでない!

 ──情けを向けるがゆえに怠るのだ。

 ──息もできぬか。揉まれて全てを吞む流れとなれ。

 ──貴様には力がある。全てを斬り裂き道を拓け。その後ろに国の未来が成る。

 ──よくやった……。貴様こそが我が息子にして、オレの、誇るべき──!

 最期の言葉を反芻することは、やめた。その言葉は、自らの番に取っておく。

 ゾーティカ゠イルの父は、死してなお脚を折らず、帝王たる者の姿を示した。

 未来は未知数だ。趨勢を読み解き、自分を吞み込む大波を知った時こそ退くとき。ゾーティカ゠イルはそう考えていた。じきに、抗えぬ大波が、真の潮流が訪れる。

 断崖でゾーティカ゠イルは待った。

 生国のように季節感なく、その者は日日を跨いでやってきた。

「いい景色であろう。我が〈()〉を受けたもここであった」

「文献から想像はつくよ。本意を曲げ国に尽くした一五世。武力の本意に突き進んだ一六世。して意を秘めた一七世──。いいん、俺で」

「『此奴を打ち破ったらばオレは貴様を王と崇め全てを吞み込む。』忘れぬよ」

「意味には目を瞑るとして、語尾は少し違わんかったっけ」

「潮流は変わらぬ」

「それもそうか」

 竹神音。次世代を代表する実力者にして底知れぬ力を有しながら積極性を有さない、ゾーティカ゠イルには理解しがたき者。それは、彼の辿りついたルールであろう。いつか見えた彼よりふっきれた顔をしていることをゾーティカ゠イルは胸にしまった。

 海を眺める彼を、ゾーティカ゠イルは横目に観た。話術もないのに、言葉が溢れた。

「海は好きか」

「海なし県の生まれやからよく判らんな」

「中央県。貴様のことはよく調べさせたものだ」

「うまく潜んでくれへんからつい声を掛けてまいそうで放置しといたよ」

「蔭で教育の足しになった」

「それはよかった。いろんな意味で海は必要と思うが、それがどうかしたん」

「浅くとも、意見は一致した。我にも海は必要だ」

「戦略的に。あと水産資源やシェールガスとかもか」

「我が国に採掘技術はないが察しの通り戦略だ。経済しかり思想しかり国家に海は必要と考えておる。ダゼダダも同じであろう」

「半ば必死の〈魔海(まかい)〉も影を落としとるのかもね、警備府は陸に傾きがちだ。個人的にはお前さんに賛同する」

「国交を結んだらばな、水産資源を分けよう」

「それ、お前さんが決められる立場じゃないやろ」

 竹神音は国際情勢に興味がないという情報が挙がっていたが事実誤認だ。ゾーティカ゠イルは文句を言わない。情報を重要視しながらも、己が五感で認識したことを真実と捉える。

「オレは貴様をなお気に入った。是非とも手に収めたかった」

「諦めたん」

「帝王と成れ」

「俺は引籠りが性に合う」

「なぜ我に付き合う」

 彼は国王になるつもりで来たのだとゾーティカ゠イルは思っていた。「オレの気を削ぐとは愉快なことよな」

「確認に来たんよ。先の約束の替りに一つ制限を吞んでくれんかと思ってね」

「灰燼兵器の使用禁止であろう」

「話が早いね」

「彼奴が次代であれば使うことを躊躇おうものだ」

「次期国王、決めたんやね」

「貴様ほどではないがな、ぬるい奴よ」

 竹神音が王にならないならネペル・ワリンをおいてほかにないと決めていた。「賢かろうとも踏み出せぬでは持腐れ(もちぐさ  )ぞ」

「草食系なんやね」

「世俗のゆうロールキャベツやも知れぬ」

「お前さんの口からそれが出るか。いや、豚肉巻きモヤシみたいなお前さんやからかな」

 竹神音が笑って、ふぅっと息をついた。「望みを聞こうか」

「償いか」

「混乱させたことを手打ちにして」

「そも償いなど要らぬ。()()()()()()()()()。我はそうと承知で戦争を仕掛けた。貴様も承知しておろう。政治における詫びなど言葉のみでも赦されよう。なんと軽きことか」

 体験も実感も伴わない過去の罪に対してまで心にもない詫びで赦しを乞うのだから、窮屈な世界というのは質が悪い。記憶が必要なこともあるだろうが、ときとして遺恨を忘れて協力すればよい。あってはならないのは、マイナスの遺産を役立てぬまま埋もれさせること。事あるごとに過去を引合に出してマイナス思考の押売りと拡散をするのは自ら起こした波に吞まれるに等しい、と、ゾーティカ゠イルは考えるが、そうもゆかないひとの世である。

「じゃ、望みはないと」

「ないとはゆうておらぬ」

「ひどい掌返しやな」

 呆れたふうの竹神音だが距離を置いて向かい合った。「真剣勝負かな」

 ──次に見えたらば今日(こんにち)を忘れて立ち合うがよい。

 それは、とある日のゾーティカ゠イルの言葉だった。それを憶えている彼にゾーティカ゠イルは対し、背に携えていた大剣を片手で構えた。

「人払いをした。揃って手加減の必要がない。貴様の力を見せよ」

「継承の儀はどうするん。お前さんが死んだらできへんよ」

(はなむけ)を贈った」

「要らん心配やったね」

「いざ」

 ゾーティカ゠イルが踏み込んだ瞬間から、壮絶な戦闘が始まった。竹神音が本領としている魔法を使わず徒手格闘で応じていなければ、もしかすると瞬時に決着がついたか。

「それが本気と。侮るな」

「こっちの台詞やね。お前さんこそ隠しとらんとさっさと本気を出しぃよ」

 竹神音はどこまで見抜いている。

 ゾーティカ゠イルは大剣と話を振る。

「オレは二三九だ」

「意味不明な格づけのことかね」

 横薙ぎの大剣を右掌で突き上げた竹神音が、やはり知っていた。

「いつあの小娘〈セムス〉が訪れたか」

「子のときとしか」

「上か、下か」

「お前さんのゆう上下は知らんな」

「よい。等級持ちであることに確証を得て満足よ」

「そう」

 小さな数字と大きな数字、どちらがより強いかをゾーティカ゠イルは聞いていない。そも、序列であるかどうか疑わしい番号だ。限りある生命に与えられるなら欠番が生じ得ることを見越して登録順の可能性が高く、欠番を含めた穴埋め形式や年功序列という可能性もある。

 急接近の竹神音、重い回し蹴りを発声もなく繰り出して一退。ゾーティカ゠イルは踏みとどまるも鎧の正面が見事に砕け散った。

「っははははは!素晴らしい力だ」

「早くしなさいよ。ほかに用があるんやから」

「これがオレの最後だ。付き合ってもらおう」

 鎧を脱ぎ捨てたゾーティカ゠イルは潜めていた魔力を解放した。魔力波によって、断崖の一部が崩壊し、海が凹み、大地が揺らぎ、雲が裂け、その身を不可視の光が包む。

 さすがの竹神音も、目を見張ったようだった。

「凄まじいな。気絶させたときまったく通じてない気がしたが合点がゆいた。魔力に内臓が保護されとったんやから」

「神の平等を奪い一身に宿した血統とこの身を表した貴様が存じておったことは先刻承知」

 先住民族が信仰した武神の力を奪ったとされる初代国王から力を継承してきたテラノイ一族を表したのが先の言葉だ。

「ご明察。少し訂正しとこうか」

 竹神音が闇のように動ぜず。「復興し、還せるなら問題ない」

「我にそれができたとでも」

 無理だった。

「やから吞み込む、否、吞み込まれることにした」

「明察よな」

 大地の揺れなどないもののように地を捉えて、竹神音へと踏み出す。息のように自然に懐へ踏み込み、大剣の柄で彼の腹部を捉えた。

 宙へ吹き飛んだ竹神音の表情に揺らぎがない。

「力も相応やね。今のお前さんを止められるのはエント゠ウヴ゠エリーくらいのもんやろ」

「彼奴でも不足よな」

 あえて大剣を掲げて竹神音に足場をくれてやると柄を一八〇度回転させて転落させた。彼の胸倉を摑み、ゾーティカ゠イルは微笑む。

「右手はどうした。重たげだな」

「報告があったやろ」

 不完全な神経細胞。

「オレは不運だ」

 嘆いたゾーティカ゠イルの胸を蹴り押し、竹神音が捕捉から逃れた。

「人間同士の戦いってことなら、充分やないかね」

「貴様が生き存える保証はあろうか」

「逃げるが勝ちと思っとるタイプやから」

「相容れぬわけだ」

 考え方が違う。生き方が違う。時代が違う。

 だからこそ。

「渾身、決めようぞ」

 大剣を両手で摑み、全魔力を集中させる。「オレはな、竹神音よ、ずっと待っていたのだ、沈めるやも知れぬこの日を。全ての血をぶつけられる相手が現れる日を」

「譲る日じゃなく」

「貴様は……底が知れぬな」

 ゾーティカ゠イルは、光り輝く大剣をまこと光の速さで幾度となく振り抜いた。静かに、確実に、断崖が斬り裂かれ、海が割れた。斬撃の一線上にある全てが斬り裂かれ、滑らかな断面を見せつけた。

 ……これぞ、潮流。

 舵を取らずとも船を運ぶ圧倒的な自然の力、国の未来を築くため前を行くものを吞み込み遍く道を拓く力、だった。

 声がした。塵も残らぬ眼前から。

「感謝する。一国王の念い(おも  )を、教えてくれたことを」

 大剣の放つ圧倒的な光すら包み込む濃密な闇が、ゾーティカ゠イルの前に存った。

「俺から返せるものはこれくらいだ」

「ぐっ──!」

 到底入れぬ狭い空間に身を押し込められるような感覚。それは、かつて父の前で潮風を浴びて立ち尽くしていたときのようだ。

「っが、……ゥッ!」

 凄まじい力。魔法か。それすら判らない。ゾーティカ゠イルは闇に包まれ、大剣の光を失うも、脚を折ることはない。

「我は貴様に屈せられぬッ!」

「そうだとも。俺は、海賊でも、船でも、海でもない」

 闇が晴れ、竹神音が退き霞んでゆく。「あとは、来たる日を観ることにしよう」

「さらばだ、怠惰の凪よ。──」

 竹神音が地平線に消え去ると、ゾーティカ゠イルは、腹部を貫いた大剣に手を当て、背後の者へ意識を向けた。

「二〇点とゆうたところだな」

「……」

 大剣の握り手はネペル・ワリン。

 ワリンはゾーティカ゠イルが与えた偽名で、真の名をネペル゠イルという。

「正面を刺されぬは武人の恥よな。流血の選択が主義と反するとて己がルールに相手のルールを折り込むこと。それが貴様の目指す真なる王とゆうものぞ」

「説教は、たくさんです、父さん……」

 ゾーティカ゠イルの血を分けた息子。それが、彼である。

「ふっははははは……((こう)の場で父を呼ぶとはな。)時代が変わったものだ。だが変わらぬものだ。王と呼ばぬは(ゆう)

 ゾーティカ゠イルは彼を振り向かず、海を見つめる。

「ネペルよ。オレも、ここで父を殺めたのだ」

「テーグレド゠イルを」

「貴様が新たなる王ぞ。血より始まる航路、どこを目指しゆくか、申してみよ」

「人人に資する航路を!」

 ぬるい。

 だが、血を見た航海の先、次代らしい航跡を残すことに一片の疑いもない。

 ゾーティカ゠イルは微笑し、両手を広げた。

「清清しき日だ。──オレの息子ネペル゠イルよ、貴様もやがてこの日が訪れる。来たる日、決して脚を折らず、佇み、逝け。それが、テラノアの王だ!」

 

 

 父のそのさまは、瞼の裏に焼きついた。死して折れぬ両脚は民を導く絶対の意志。選ぶ航路は違えど、父の強靭な意志の力はネペル゠イルの航海にも必要なものだった。

 父から流れ込んだものは、きっと初代から現代に繫がれた歴代国王の育てた魔力だ。遺した航跡に等しい、また、テラノア軍事国に等しい重みを確かめて、ネペル゠イルは歩み出した。

 できないなどと言わない。できないことをできないとも言わない。できないなら、できるようにすればいい。

「地の底、いや、海の底から、見上げていてください。必ず、成し遂げてみせます」

 ()()()()。これを胸に刻めばどんな荒波も突き進める。

 

 

 

──三章 終──

 

 

 

 

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